越前国

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作成者:谷昇

郷村名郡別世紀別初出表

概要

概要


参考文献

典拠史料

『福井県史』資料編
①古代
②中世(県外編)
③(県内編)中・近世(1) 福井市
④(県内編)中・近世(2) 吉田郡・坂井郡
⑤(県内編)中・近世(3) 鯖江市・丹生郡
⑥(県内編)中・近世(4) 武生市・今立郡・南条市
⑦(県内編)中・近世(5) 大野市・勝山市・足羽郡・大野郡
⑧(県内編)中・近世(6) 敦賀市・三方郡

凡例

郷村表

敦賀郡

郷(里)

伊部、鹿蒜、与祥、津守、従者、神戸(東急本)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典[1]
与祥郷 敦賀郡 天平17.9.21 745 〔仕丁送文〕【与祥】中一斤二分/大神黒麻呂〈年‖四〉越前国敦賀郡与祥郷戸主神人根麻呂 ①663
正倉院丹裏古文書
津守郷[2]
伊部郷
鹿蒜郷
神戸郷
敦賀郡 天平神護2.10.21 766 〔越前国司解〕【津守】【伊部】【鹿蒜】【神戸】東大寺越前国庄庄立券本主注文‖謹依符旨施行、具件如前、仍具事状、即付奥麻呂等申上、謹解 ①171
①172

東南院文書
櫛川郷[3] (敦賀) 観応1.8.19 1350 〔山内重経田地売券〕売渡 野坂庄内櫛川郷地頭給事/合弐段者 在クホ田 ⑧135
敦賀市西福寺文書
木崎郷[4] (敦賀) 延文2.5.8 1357 〔某長丸名名主職宛行状〕木崎郷内長丸名々主職事、所宛行藤原氏女也。公事臨時課役等令免除畢 ②35
京大博物館蔵古文書集
嶋郷[5] 敦賀郡 嘉慶2.10.7 1388 〔角屋長円畠地売券〕沽却敦賀郡河原田保内中嶋畠事/合一所者 限東河岸、限南同河岸、限西山泉古河岸、限北嶋郷高岸通之堺 ⑧137
敦賀市西福寺文書
金山郷[6] (敦賀) 応永11.9.22 1404 〔津保守心安堵状〕西福寺領野坂庄金山郷内田地弐段事、任先寄進之旨、不可有相違之状如件 ⑧145
敦賀市西福寺文書
莇野郷[7] (敦賀) 正長2.8.15 1429 〔甲斐教衡遵行状〕莇野郷案主名之内、剣宮之左一之神子田之事 ⑧161
敦賀市西福寺文書
山泉郷☆ (敦賀) 永享12.3.20 1440 〔勝重田地寄進状〕山泉郷藤大夫名之内弐段〈号祖母田〉‖令寄附西福寺者也 ⑧166
敦賀市西福寺文書
粟生野郷 (敦賀) 元亀4.3.23 1573 〔西福寺寺領目録〕新寄進分‖壱段 在所粟生郷之内砂流
‖壱段 在所山泉郷孫大夫分
⑧213
敦賀市西福寺文書
白木浜郷 (敦賀) 年未詳.5.9 〔秦堯書状〕白木浜郷年貢、去々年・去年借用申候用途、本利大略返弁申之由存候 ⑧180
敦賀市西福寺文書

年月日 西暦 原     文 出  典
原村[8]
櫛川村☆
(敦賀) 応永10.3.15 1403 〔櫛川村惣百姓山売売券〕越前国野坂郷櫛川郷内之山ヲ善聚院ニ永代売渡シ申所実正也/合山壱所 有処ハ原村西福寺内‖櫛川村/孫四郎判 ⑧144
敦賀市西福寺文書
和久野村[9] (敦賀) 文安1.4.11 1444 〔和久野村平内二郎田畠・居屋敷売券〕永代売渡申和久野村念仏田之内、道観之跡悉皆田畠并居屋敷等之事 ⑧167
敦賀市西福寺文書
与祥村[10] (敦賀) 永禄1.5.30 1558 〔天野景重寄進田地請文〕去天文廿参年ニ拙者親候者、為灵供田与田地壱段寄進被申候。在坪ハ与祥村之西ニ有 ⑧265
敦賀市善明寺文書
道之口村
田結村☆[11]
井川村☆
堂村☆
高野村[12]
三屋村
長沢村☆
中村☆
敦賀郡 永禄1.6.5 1558 〔善妙寺寺領目録〕越前国敦賀郡善妙寺領常住分目録之事/田数
‖有坪ハ道之口村之下
‖田結村
‖井川村
‖堂村
‖高野村
‖三屋村
‖長沢村
‖中村
⑧267

⑧269
⑧274
⑧277
⑧282
⑧283
⑧285
敦賀市善明寺文書
清水村
(泉)☆
(敦賀) 天正18.4.14 1590 〔下岡吉長・大江元勝連署定書〕今度清水村ト手浦山之儀付而申分委曲聞届候 ⑧444
敦賀市秦実家文書
大比田村[13] (敦賀) 慶長5.1.23 1600 〔大比田村高書上案〕先高/弐百八拾壱石三斗弐合 大比田村 ⑧364
敦賀市中山正弥家文書
かしかまかり村
(樫曲)☆
(敦賀) 年月日未詳 〔下間性乗書状〕此方へ上りくたりのかたゝゝへ‖性乗(花押)/かしかまかり村/おや彦三郎殿 ⑧259
敦賀市春照寺・宗願寺共有文書

丹生郡

郷(里)

賀茂、野田、丹生、岡本、可知、朝津、三太、泉(東急本)、従省(同)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
曽博郷[14] 丹生郡 天平17.4.18 745 〔調貢進物付札〕越前国丹生郡曽博郷戸主牟儀都百足戸口同広足 ①294
平城京木簡
勝郷 丹生郡 天平勝宝5.6.15 753 〔仕丁送文〕【可知[15]】大屋子千虫〈年‖三〉越前国丹生郡勝郷戸主史部得足戸口 ①674
正倉院丹裏古文書
賀茂郷
弥太郷
岡本郷
丹生郡 天平神護2.10.21 766 〔越前国司解〕【賀茂】【岡本】【三太[16]】東大寺越前国庄庄立券本主注文‖謹依符旨施行、具件如前、仍具事状、即付奥麻呂等申上、謹解
‖賀茂郷戸主佐味大長
‖弥太郷戸主秦得麻呂墾
‖丹生郡岡本郷戸主佐味公入
①133
①135
①137


東南院文書
泉郷[17] 丹生北郡 嘉応1.11 1169 〔権大僧都顕―解〕【泉】請特被下 宣旨、遣官使堺四至打‖示、永被停止国使等入勘最勝寺領越前国字大蔵庄壱処状/在管丹生北郡内/四至〈東限泉郷堺〉 ①756
東大寺文書
糸生郷[18] 丹生北郡 正中2.1.23 1325 〔某袖判下文〕下/越前国丹生北郡糸生郷内大谷寺本馬免壱段小‖可永代進退領知之状執達如件 ⑤261
丹生郡朝日町越知神社文書
三富郷[19] 丹生北郡 文安2.8.4 1445 〔越前国嶋山寺東寺修造料足奉賀人数注進状〕越前国 丹生北郡 三富郷/東寺御修造奉賀人数事 ②152
東寺百合文書
野田本郷[20] (丹生) 長禄4.4.2 1460 〔足利義政袖判御教書〕越前国野田本郷‖事、所充一色七郎政熙也者 ②827
内閣文庫所蔵文書
野田郷[21] 丹生郡 寛正2.9.17 1461 〔室町幕府奉行人連署奉書写〕【野田】越前国野田郷〈千秋民部少輔入道跡〉国衙年貢事、被免許訖 ②1
京都府一色家古文書
丹生郷[22] (丹生) 大永3.11.6 1523 〔横根寺寺領田地惣目録〕毎年念仏膳 毎年呉服綿下/参段桑ヵ町 検注下弐石‖同十五日鬼宿/弐段丹生郷宮之後深田 ⑥14
武生市青山五兵衛家文書
山干飯郷☆ (丹生) 大永6.-.- 1526 〔山干飯世話人中大般若経等寄進覚〕寄進/一、大般若経 六百巻 氏子 十八ヶ村/同/一、釣鐘 氏子 三十ヶ村‖山干飯郷/世話人番□(頭ヵ) ⑥142
武生市小泉教太郎家文書
田中郷[23] (丹生) 享禄2.5.8 1529 〔越知山大谷寺神領坊領目録〕御神楽料米銭成在所〈六斗応神寺‖壱貫文田中郷鎌倉方御代官ヨリ成候〉 ⑤288
丹生郡朝日町越知神社文書

年月日 西暦 原     文 出  典
椿原村[24]
水成村
丹生郡 天平神護2.10.21 766 〔越前国司解〕東大寺越前国庄庄立券本主注文‖謹依符旨施行、具件如前、仍具事状、即付奥麻呂等申上、謹解 ①128
東南院文書
宇治江村[25] (丹生) 嘉元4.8.21 1306 〔藤原兼範寄進状案〕寄進大谷寺弘法大師御影供料田事‖在宇治江村源五郎名内 字柿木町 ⑤258
丹生郡朝日町越知神社文書
須恵村[26] (丹生) 文安3.3.26 1446 〔某大工職補任状写〕補任/鴨御祖大神宮御領越前国志津庄内須恵村惣持寺〈同諸塔頭〉大工職之事 ⑤369
丹生郡朝日町内藤源太郎家文書
江並村[27] (丹生) 宝徳1.8.10 1449 〔妙法院宮令旨〕越前国織田庄剱大明神寺社領内江並村公文国近名之事/四度祭礼法花八講料田任買得之旨、可令全社納之由、御気色之所候也 ⑤750
丹生郡織田町剱神社文書
平等村[28] (丹生) 明応2.7.8 1493 〔朝倉景親寄進状〕御神領平等村修理日供御并諸買徳、依有子細雖知行畢 ⑤752
丹生郡織田町剱神社文書
大井村[29] (丹生) 明応3.4.16 1494 〔大井常久譲状〕譲与田畠等事‖壱所越前国日野北郡[30]泉郷之内大井村武重名之内田地六段・同畠弐段 ②764
東京大学史料編纂所所蔵文書
糠口村[31]
戸部村
(丹生) 永正11.11.10 1514 〔朝倉孝景知行宛行状〕小礒部村内正賢跡・山干飯内糠口村水落左衛門太郎父子跡・同所戸部村次郎兵衛、同弟兵衛四郎跡‖可有知行者也、仍状如件 ②610
金沢市立図書館蔵斉藤文書
小河村[32]
尼か谷村[33]
(丹生) 享禄1.⑨.17 1528 〔朝倉氏府中奉行人連署書状〕越智山麓小河村三方之百姓訴訟候‖然処ニ尼か谷村之百姓等罷上、彼在所堺ニ鉾相残候之由雖申候 ⑤284
丹生郡朝日町越知神社文書
尾羽村
風巻村☆
本折村[34]
中野惣村
中野村[35]
老原村
杖立村
天谷村☆
小川村
天下村☆
別所村[36]
別畑村☆
糸生村☆
天谷上村☆
下中野村
下河去村☆
甑谷村☆
在田村☆
坪谷村☆
土居村
野口村
(丹生) 享禄2.5.8 1529 〔越知山大谷寺神領坊領目録〕越知山大谷寺所々御神領坊領目録事‖在所尾羽村/七段〈分米六石一斗/請料七百文在之〉 大般若田〈作職道円〉(以下略) ⑤286








⑤287






⑤288



丹生郡朝日町越知神社文書
広瀬村[37]
大虫之社村☆[38]
岡本村
太田野村
(丹生) 享禄2.7.19 1529 〔朝倉氏府中奉行人連署書状案〕広瀬村より大虫之社・岡本・太田野三ヶ村江輪番仁通候用水被相止候付て証文両通・同百姓目安被成御披露候 ⑥200
武生市田中四郎兵衛家文書
水谷村☆ (丹生) 享禄3.11.29 1530 〔常願兵衛田地売券〕□□(右坪ヵ)之私領ハ、我々重代相伝之下之谷□内之田地たりといへとも、依有要用‖永代売券之状如件‖永代之売主水谷村之住人 ⑤426
丹生郡朝日町野村志津雄家文書
別役村 (丹生) 天文4.11.- 1535 〔橋ツメ衛門次郎山畠売券〕永代之売主別役村之住人/橋ツメ衛門次郎 ⑤427
千田村 (丹生) 天文20.8.29 1551 〔某判物〕付千田村淨円退転ニ、彼持分為番中諸済物等致取沙汰可調候 ⑤850
丹生郡織田町山岸長家文書
冬嶋村[39] (丹生) 弘治2.7.10 1556 〔冬嶋村三郎兵衛請文〕従竜門寺越知山江御寄進候御田地年貢米‖毎年進納可申候‖冬嶋村/三郎兵衛 ⑤292
丹生郡朝日町越知神社文書
畑村 (丹生) 永禄2.6.3 1559 〔菊法師丸石宮山屋敷寄進状〕畑村政所分之内、屋敷并はいたか原山‖臨時天役諸役、一粒一銭有間敷候者也 ⑥355
武生市山口五郎右衛門家文書
四杉村☆
佐々布村
岩長村
開発村☆
金屋村☆
栗生野村[40]
(丹生) 永禄5.12.14 1562 〔朝倉氏一乗谷奉行人連署書状案〕織田御神領分令作、依年々無沙汰、自寺社度々雖催促候、不承引之趣‖太曲事候、所詮年内中急度可究済、猶於難渋者、可被加御成敗之由、仰出者也
‖四杉村/関新右衛門尉殿(以下略)
⑤779



⑤780
丹生郡織田町剱神社文書
山干飯村[41]
千合谷村[42]
(丹生) 永禄10.11.- 1567 〔立神吉藤買得地目録〕弐町壱段小 山干飯・千合谷村在家名/本役米拾石/立神新介沽却 ⑤707
丹生郡越廼村山本重信家文書
真栗村☆ (丹生) 元亀3.6.6 1572 〔岩本連満所々買徳目録〕弐段/売主真栗村□□壱件鐘推田に在之 ⑤952
丹生郡清水町明厳寺文書
末野村[43] (丹生) (天正2).-.- 1574 〔某書状〕末野村立神清右衛門与申者村人理不尽ニ討捕申。其上家中悉致監(濫)妨致放火候、殊立清儀者、去年拾月十四日ニ以墨付、御門跡様江御理為申上者之儀 ⑤707
丹生郡越廼村山本重信家文書
風尾村☆ (丹生) 天正3.9.- 1575 〔織田信長禁制〕越州風尾村/一、軍勢甲乙人等濫妨狼藉事 ③827
福井市勝鬘寺文書
山中村☆
上野村[44]
ぬしや村
下河原村☆
樫津村☆
加谷村
(丹生) 天正4.9.27 1576 〔剱大明神末社領田畠山林指出目録案〕剱大明神末社社領所々田畠山林等之事
‖山中村神田
‖上野村同堤ぬしや村
‖下河原村 神田
‖樫津村 神田
‖加谷村 神田
⑤794



⑤795
丹生郡織田町剱神社文書
三崎村[45]
院中村
市場村[46]
堤村[47]
高橋村
中村[48]
上戸村[49]
(丹生) 天正5.4.8 1577 〔剱大明神領打渡目録〕織田庄之内南料所本所分大明神相付分之事‖本所方三崎村/助左衛門‖院中村 上野村
‖市場村 堤村
‖高橋村 中村
‖上戸村‖右相渡付九所可有相違候
⑤797
丹生郡織田町剱神社文書
南江守村[50] (丹生) 天正5.8.6 1577 〔上坂佐介判物〕委(医)者之儀ニ候間、屋敷一所諸役共ニ前々相除候也‖南江守村/印牧軒 ③563
福井市仏照寺文書
轟村[51]
(とゝめき村)
西村[52]
鳥居村[53]
細野村[54]
(丹生) 天正7.10.- 1579 〔千手院領指出案〕国遠/大弐十七歩半‖轟村甚衛門‖西村小衛門‖とゝめき村預り後家
‖鳥居村藤五郎
⑤806


⑤808
⑤812
丹生郡織田町剱神社文書
山内村☆
清水畑村☆
笹谷村☆
大森村☆
上天下村☆
末村☆
滝波村☆
(丹生) 天正11.4.- 1583 〔賀茂明神由来覚〕丹生郡志津之庄賀茂下上大明神‖御建立主ハ往古北向兵部卿親王与奉申。山内村江被成御座候由申伝‖
毎年正月十四日、御神事与申儀者‖往古より氏子九ヶ村組合、壱年ニ弐ヶ村ツヽ、山内与清水畑、笹谷与本折、大森与上天下、末村与滝波
⑤928
丹生郡清水町斉藤六兵衛家文書
織田太良村[55] (丹生) 天正11.7.25 1583 〔丹羽長秀知行宛行状〕領知方/一、四拾六石九斗二升 五分一分 織田太良村 ②834
内閣文庫所蔵文書
平村[56]
御油村☆
(丹生) 天正11.8.4 1583 〔丹羽長秀知行宛行状案〕領知方‖一、三拾六石九斗一合一夕 同分平村内 ②43
京大博物館蔵寸金目録
朝日村[57]
印内村☆
(丹生) 天正11.8.21 1583 〔丹羽長秀知行宛行状〕領知方‖一、百石 権六分 朝日印内村内 ②867
埼玉県桃井雄三家文書
大丹生村 (丹生) 天正12.8.3 1584 〔丹羽長秀知行宛行状〕領知方‖一、四拾壱石七斗三升七合 大丹生村〈堤組〉 ②835
内閣文庫所蔵文書
菖蒲谷村[58]
土山村[59]
安戸村[60]
(丹生) 天正19.3.4 1591 〔菖蒲谷四郎兵衛等連署山地取極証文写〕今度菖蒲谷村与土山・安戸両村山之相論之出入在之ヲ隣郷之者共罷出、極申果郷之筋目以一書申究条之事 ⑥135
武生市願成寺文書
中山村[61]
黒川村[62]
(丹生) 文禄2.2.10 1593 〔村高割直し一件写帳〕田地割之書違/一、天正拾弐年越前守殿(丹羽長秀)御縄打ニ、当所之御高百五拾壱石八斗二合ニ被仰付候‖公方之御納所如前々高打ニ無異儀候
‖中山村 源右衛門尉
‖黒川村孫左衛門尉
⑥335
武生市宮川源右ヱ門家文書
たかもり村
(高森)☆
三又村[63]
北山おく村
(丹生) 文禄2.3.29 1593 〔横根寺寺領田地惣目録〕たかもり 太郎二郎/同村 彦五郎
‖三又 小二郎/同村 小左衛門
‖北山おく 藤三郎/同村 衛門四郎
⑥21
武生市青山五兵衛家文書
野田村☆ (丹生) 文禄4.8.3 1595 〔豊臣秀吉朱印状〕一、百参拾石 野田村内‖湯浅茂左衛門尉とのへ ②870
千葉県湯浅文書
田村☆ (丹生) 文禄4.9.15 1595 〔豊臣秀吉朱印状〕越前国大蔵庄田村内参百石事、被加御扶助畢、全可領知候也 ②868
埼玉県桃井雄三家文書
二町懸村☆ (丹生) 文禄5.6.13 1596 〔辻半介寺屋敷寄進状〕今度之御権(検)地ニ、二町懸村東ノ屋敷一所寄進申候‖東ノ御寺まいる ⑤117
鯖江市二丁掛町善勝寺文書
天王村☆ (丹生) 慶長3.7.11 1598 〔山本乙右衛門尉寺屋敷・田地寄進状〕越前国就御検地ニ、天王村木村宗左衛門尉ニ被仰付候 ⑤456
丹生郡朝日町八坂神社文書
赤井谷村[64] (丹生) 慶長3.7.18 1598 〔赤井谷村検地帳〕(表紙)慶長三歳/越前国赤井谷村御検地帳 ⑤879
丹生郡織田町山岸長家文書
横根村[65] 丹生郡 慶長3.7.18 1598 〔横根村太閤検地帳〕(表紙)慶長三年/越前国丹生郡/横根村御検地帳 ⑥28
武生市青山五兵衛家文書
下大虫村[66]
上大虫村[67]
四目村[68]
高森村[69]
丹生之郷村
北山村[70]
勾当原村☆
菅村[71]
仏谷村[72]
堀村[73]
二階堂村☆
萩原村[74]
和哥集村[75]
(若須)☆
真木村[76]
小杉村☆
曾原村☆
増谷村[77]
古屋村[78]
熊谷村[79]
安養寺村[80]
小蓮花村
(勝蓮花)☆
小野村☆
戸部杉本村☆
桜谷村☆
山田村☆
岩倉村☆
さゝ川村
(篠川)☆
くミ原村
持明寺村☆
和田村☆
北村[81]
千僧供村[82]
牧村[83]
小曾原村[84]
金糟村[85]
(丹生) 慶長3.9.- 1598 〔越前国府中郡[86]在々高目録〕(表紙)慶長参年九月吉日/越前府中郡在々高目録/大谷刑部少輔御知行分
‖一、七百八石弐斗弐升 下大虫村(以下略)
⑥274
⑥275


⑥276

⑥277
⑥279

⑥280
⑥281

⑥282



⑥283



⑥284



⑥285

⑥286







⑥288




武生市広瀬町馬場善十郎家文書
新庄村 (丹生) 年未詳.11.27 〔下間性乗奉本願寺御印書〕報恩講之為志代五十疋進上令披露候‖新庄村 にしゑもん ⑥185
武生市専応寺文書
上川去村
(上河去) ☆
(丹生) 年月日未詳[87] 〔本持五助・坂井久左衛門連署状写〕(端裏書)太閤様御検地之節/越前丹生郡上川上去村四郎左衛門へ被下候御墨付之写 ⑤455
丹生郡朝日町八坂神社文書
辻村
西之村
鎌坂村
かい谷村
北谷村
水上村
うろ村
内郡村☆
(丹生) 年月日未詳 〔織田寺社領坪付帳〕轟村/在坪ヤケヤ/大九拾歩半 弥十郎(以下略) ⑤728
⑤731
⑤734
⑤823

丹生郡織田町北野七左衛門家文書
丸岡村☆
粟生野村
土山村☆
すけ村
槙村
(丹生) 年月日未詳 〔大谷吉継府中郡知行分惣目録〕大谷刑部少輔御知行分‖参百六拾八石七斗八升 丸岡村(以下略) ⑥332


⑥333
⑥334
武生市宮川源右ヱ門家文書

今立郡

郷(里)

芹川、大屋、酒井、味真、勝戸、服部、中山、船津、曽博

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
大屋郷☆ (今立) 天平勝宝2.5.7 750 〔仕丁送文〕【大屋】秦人部床足〈年卅一、越前国丹生郡[88]大屋郷戸主秦人部国益戸口〉 ①670
正倉院丹裏古文書
芹川郷
酒井郷
(今立) 天平神護2.10.21 766 〔越前国司解〕【芹川】【酒井】東大寺越前国庄庄立券本主注文‖謹依符旨施行、具件如前、仍具事状、即付奥麻呂等申上、謹解
‖芹川郷人佐味入麻呂
‖酒井郷戸主佐味敷浪戸同玉敷女墾
①130
①134
東南院文書
船津郷[89] (今立) 元亨2.⑤.29 1322 〔貞永・包松名名主職宛行状〕【船津】宛行山本庄船津郷貞永・包松両名々主職事 ⑤22
鯖江市瓜生守邦家文書
泉郷[90] (今立) 建武4.7.10 1337 〔足利直義安堵状〕越前国山本庄内泉・船津両郷‖地頭職事、任去々年十一月八日官符并関東安堵等、可令知行給之状如件 ②858
神奈川県円覚寺文書
神郷[91] (今立) 永正17.11.12 1520 〔大滝寺寺僧等申状〕大滝寺寺僧等謹言上‖一、神郷百姓屋敷之内十四ヶ所、其内一ヶ所敦賀分と相見候 ⑥424
今立郡今立町大滝神社文書
月尾郷[92] (今立) 享禄2.8.12 1529 〔朝倉氏府中奉行人連署状〕当郷用水難得に付而、別印之河水可落下之由雖申候、彼四方依及違乱候‖月尾郷/百姓中 ⑥558
今立郡今立町矢部宮秋家文書
大滝新郷☆ (今立) 天正3.10.12 1575 〔府中三人衆連署大滝新郷紙座定〕大滝新郷紙座之事/一、上者木目を境、下者浅水之橋を境、‖如前々不可有諸役并地下夫役不可有之、山林猥不可伐採者也 ⑥444
今立郡今立町大滝神社文書
月尾村下郷 (今立) 天正12.7.12 1584 〔月尾郷縄打目録〕右立相令検地相渡上者、於後日不可有相違者也‖月尾村下郷/惣百姓中 ⑥558
今立町矢部宮秋家文書

年月日 西暦 原     文 出  典
杉前村[93] (今立) 永和3.10.17 1377 〔室町幕府管領施行状〕(端裏書)越前国□(杉ヵ)前村‖祇園社造営料所越前国杉前三ヶ村、岸五郎左衛門尉以下一類濫妨事、所被成下 綸旨也 ②432
京都八坂神社文書
水海西村[94] (今立) 文明9.10.19 1477 〔直恕名田売券〕永代売渡申江三郎名之事/合八分一者/右件之名ハ、依要用有現銭七貫文、永代売渡申処実也‖売主池田水海西村之住人 ⑥631
池田町鵜甘神社原神主家文書
水海上ノ村[95] (今立) 文明13.2.22 1481 〔めうれん名畠寄進状〕(端裏)「うわの村たうちうのきしぬ状」/永代きしぬ(寄進)の申畠の事‖右件畠ハ国末名八ふん一の内之下地なり‖きしぬ主池田下庄水海上ノ村之住人/両せいのまこ、あさなはつ、ほう名めうれん(略印) ⑥632
池田町鵜甘神社原神主家文書
月瀬村[96] (今立) 文明15.10.18 1483 〔池田時春神事料寄進状〕池田庄之内於月瀬村正瑞庵領宮之前壱石伍斗之内より弐斗五升、毎年宮廻奇(寄)進所申状如件 ⑥619
池田町上島孝治家文書
水海地さうたう村[97] (今立) 延徳1.3.15 1489 〔衛門太郎名田売券〕永代うりわたし申かう三郎名八一のぬきの事‖右かの名てんハ、わたくしちう代さうてんの下地たりとゆへ共‖うりぬし池田下庄水海地さうたう村之住人 ⑥633
池田町鵜甘神社原神主家文書
小礒部村 (今立) 永正11.11.10 1514 〔朝倉孝景知行宛行状〕庄堺之四郎左衛門跡、子春裏判目録仁入筆之条悉可落之、小礒部村内正賢跡‖孝景/斉藤与五郎殿 ②610
金沢市立図書館所蔵斉藤文書
恒安村[98] (今立) 永正18.3.13 1521 〔某袖判安堵状〕池田庄於月瀬村宗正名之内壱石三斗田地‖為内徳於末代可進退‖恒安村/清覚左衛門男 ⑥620
池田町上島孝治家文書
小原村
市村[99]
(今立) 大永4.2.27 1524 〔某袖判下知状〕池田上庄千代番(丸脱ヵ)之内、小原村を相論之事、恒案(安)村申者八幡之西大谷を堺之由一紙在之‖千代丸番/市村百姓中 ⑥621
池田町上島孝治家文書
水海村[100] (今立) 天文4.2.15 1535 〔藤五郎国末名田頭職請文〕乍恐以一帋申上候‖池田下庄水海村主(住)人 ⑥634
池田町鵜甘神社原神主家文書
岩本村[101]
貞友村[102]
新在家村[103]
不老村[104]
(今立) 天文19.1.30 1550 〔大滝寺寺庫収納田数帳〕大滝寺々庫収納田数之事‖修正月会晦夜御行之事/月尾郷‖神郷‖岩本村 樽一ツ 不老村樽一ツ/貞友村 樽一ツ 新在家村樽一ツ ⑥438
今立町大滝神社文書
鍛冶屋村 (今立) 天文19.6.- 1550 〔大滝寺寺庫収納田数帳〕大滝寺々庫収納田数之事‖先達方田数之事‖一反鍛冶屋村大工新衛門 ⑥426
今立町大滝神社文書
北野村☆ (今立) 永禄10.3.28 1567 〔小林吉長寄進状〕神明為知行分、北野村太郎衛門作分六反田之内壱反令寄進之者也 ⑤32
鯖江市瓜生守邦家文書
橋立村☆ (今立) 永禄12.9.20 1569 〔山内景秋寄進田地坪付〕拙者知行分之橋立村寄進申田地坪付之事 ⑤75
鯖江市河野茂兵衛家文書
大滝村[105]
粟田部村[106]
(今立) 天正1.8.20 1573 〔蜂屋頼隆書状〕寺家并門前濫妨狼籍(藉)放火之儀、得御意候間、拙夫者共為警固遣置候‖大滝村/粟田部村 ⑥442
今立町大滝神社文書
別印村☆ (今立) 天正1.8.- 1573 〔織田信長朱印状〕禁制 別院村千福知行方/一、濫妨狼藉事 ②734
東京大学所蔵千福文書
上宮地村 (今立) 天正1.12.27 1573 〔小四郎名田渡状〕永代渡申国末名八分一事‖上宮地村‖小四郎(略印) ⑥640
池田町鵜甘神社原神主家文書
あか谷村 (今立) 天正11.11.20 1583 〔金森長近判物〕当村田畠高頭合八拾弐石五斗也‖当村前々段銭無之在所たる間、金子半分さし置之条、残半分来月十日以前ニ可相究‖長近‖あか谷村百姓中 ⑦905
美山町平井源左衛門家文書
月尾村 (今立) 天正12.7.12 1584 〔月尾郷縄打目録〕右立相令検地相渡上者、於後日不可有相違者也‖月尾村下郷/惣百姓中 ⑥559
今立町矢部宮秋家文書
三峯村 (今立) 天正12.8.3 1584 〔丹波長秀知行宛行状〕領知方‖栗(粟)田嶋内二屋村‖大丹生村‖三峯村‖以上七百石八斗三升内七百石遣之‖越前守/長秀 ②835
内閣文庫蔵土佐国蠧簡集残篇
ゐんない村
(印内)☆
(今立) 天正17.12.21 1589 〔山手銭定書〕池田之内小あしろ山之事、当年より山手銭五十文ニ相定候‖ゐんない村/さらお/おもや(略印) ⑥652
今立郡池田町岡文雄家文書
領家村☆ (今立) 文禄4.8.3 1595 〔豊臣秀吉朱印状〕知行方目録/一、参百七拾石 越前国苻中方八鳥内 領家村‖野田村内 ②870
千葉県湯浅文書
上川はた村
別所村☆
大野村☆
(今立) 慶長3.7.28 1598 〔豊臣秀吉知行宛行状〕知行方目録‖一、千四百弐拾弐石五斗 上川はた村‖中野村‖なこむら‖安部村‖別所村‖大野村 ②878
福島県鈴木文書
鯖江村 (今立) 慶長5.5.13 1600 〔堀尾一信判物〕当寺并諸末寺、如前々諸役等令免許候‖鯖江村/誠照寺 御同宿中 ⑤112
鯖江市誠照寺文書

足羽郡

郷(里)

安味、額田、足羽、草原、小名、江上、井手、中野、岡本、江沼、野田、上家、川合、利茢、曰里

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
江下郷 足羽郡 天平勝宝9.5.2 757 〔生江臣家道女貢経文〕貢/本願経合九百巻‖願主越前国足羽郡江下郷生臣家道女 ①681
正倉院文書
上家郷[107] 足羽郡 天平神護2.9.19 766 〔越前国足羽郡司解〕【上家】足羽郡司解 申伏弁人事/別鷹山〈部下上家郷□(即ヵ)戸主〉 ①112
東南院文書
野田郷[108] 足羽郡 天平神護2.9.- 766 〔越前国足羽郡司解〕【野田】足羽郡司解 申伏弁百姓□/‖右、野田郷戸主額田国依申云 ①114
東南院文書
草原郷[109] 足羽郡 天平神護2.10.20 766 〔越前国足羽郡少領阿須波束麻呂過状〕【草原】足羽郡少領阿須波束麻呂解 申過状事‖申上国府、即依諸羽申状、下国符‖、喚草原郷人宇治智麻呂進者 ①120
東南院文書
安味郷

伊濃郷
岡本郷[110]
井出郷[111]
江上郷☆
江下郷[112]
足羽郷
少名郷[113]
川合郷
曰理郷[114]
額田郷
中野郷[115]
利苅郷☆
足羽郡 天平神護2.10.21 766 〔越前国司解〕【安味】【額田】【足羽】【小名】【江上】【井手】【中野】【岡本】【川合】【曰里】分西弐段壱拾歩〈安味郷戸主足羽布岐口分〉
‖伊濃郷戸主佐味広足口分
‖岡本郷戸主佐為広国口分
‖井出郷戸主刑部稲束口分
‖江上郷戸主県入麻呂口分
‖江下郷戸主生江広主口分
‖足羽郷戸主秦文麻呂口分
‖少名郷戸主三野小林口分
‖川合郷戸主漢人黒麻呂戸刑部茂女墾
‖曰理郷戸主足羽広耳口分
‖額田郷戸主物部兄日口分
‖中野郷戸主物部古麻呂墾
‖利苅郷戸主秦井出月麻呂口分
①137

①137
①137
①138
①138
①138
①139
①139
①140
①142
①142
①149
①152
東南院文書
安居郷 (足羽) 嘉元3.7.26 1305 〔讃岐局藤原寿子処分状案〕一通 銘曰二品/さきゞゝもし申たること候とも、このたちをもちてさため候こと‖あしハの安居郷/一期のゝちハ本庄(所)につけ候へし ②652
亀山院御凶事記
東郷 (足羽) 暦応2.12.- 1339 〔得江頼員軍忠状〕一、同廿六日、押寄西方寺域、致合戦之処、東郷内中嶋城凶徒等為後攻懸出之間、頼員懸先一陣、追掃御敵 ②703
尊経閣文庫
立町郷 (足羽) 応仁1.8.16 1467 〔某田畠等宛行状〕立町郷之内、為袴摺田地参段・畠参段・居屋敷〈壱所〉・野〈壱所〉・御百姓豊縄仁宛行者也。仍状如件 ⑤136
鯖江市馬場一郎家文書
端郷 (足羽) 天正4.11.16 1576 〔柴田勝家黒印状〕軽物・唐人座、任御朱印之旨、橘屋仁申付之条、役銭早々可其沙汰者也‖三国湊/商人中/端郷/商人中 ③440
福井市橘栄一郎家文書

年月日 西暦 原     文 出  典
糞置村[116] 足羽郡 天平宝字3.12.3 759 〔越前国足羽郡糞置村開田地図〕東大寺開田地図‖越前国足羽郡糞置村 ①101
正倉院蔵
道守村[117]
鴫野村[118]
足羽郡 天平神護2.10.10 766 〔越前国足羽郡司解案〕足羽郡司解 申応堀開東大寺田溝事/合弐処/一道守村田為漑応堀溝‖一鴫野村田為漑応堀溝 ①117
①118
東南院文書
栗川村 足羽郡 天平神護2.10.21 766 〔越前国司解〕東大寺越前国庄庄立券本主注文‖足羽郡/糞置村 栗川村 道守村/鴫野村 ①129
東南院文書
大町村[119] (足羽) 享禄4.6.6 1531 〔大町景康証状〕大町村之真証寺、同末寺吉野保内迎□(接)院領事‖於向後諸事致如在間敷候、仍後証状如件 ⑧205
敦賀市西福寺文書
二上村[120] (足羽) 天文20.6.7 1551 〔朝倉景隆寄進状〕越前国内太田保二上村国衙分半済之事、当庵江進訖 ②258
真珠庵文書
折立村 (足羽) 天正3.9.- 1575 〔金森長近禁制〕禁制 折立村之内/正明寺/一、甲乙人等濫妨狼籍 (藉)之事 ⑦899
足羽郡美山町称名寺文書
大谷村[121]
さら谷村
(佐良谷)
ところ谷村
中村☆
かこや村
けうし村
山中村
(足羽) 天正3.12.8 1575 〔佐良谷村惣代左衛門等連署証文〕当村之儀、本願寺門徒に付而、雖可被御成敗候、高田三ヶ寺江五門徒被仰付候、忝存候。然者向後いかやうにも寺役可相働候‖さら谷村堂下/惣代左衛門(略印)/ところ谷村‖中村‖大谷村‖かこや村‖けうし村‖山中村 ⑦900
足羽郡美山町称名寺文書
嶋村(島)☆
高田村☆
田尻村[122]
(足羽) 天正17.10.15 1589 〔粟田三丞等連署山抃状案〕一、水こしの山之事‖山手米毎年七斗つゝニおろし申候所実正也。我等おろし申時ハ、嶋村之与吉かりはがし、一円しばにても木にても無之候‖高田村 粟田三丞 判‖田尻村 弥九郎殿 まいる ⑦902
足羽郡美山町田尻区有文書
三尾野村☆ 足羽南郡 慶長3.6.27 1598 〔三尾野村出作検地帳〕(表紙)慶長三年/越前国足羽南郡〈立町領内三尾野村〉出作御検地帳 ⑤191
鯖江市松谷秀次郎家文書
安部村[123] (足羽) 慶長3.7.11 1598 〔小堀正次田畠寄進状〕天下静謐之御記念、為所願成就、八幡宮宮江田畠三段余并寺屋敷令寄進候‖小堀新介/正次‖越前国安部村/真蔵坊 御□(坊ヵ)中 ③569
福井市報恩寺文書
中野村[124]
なこむら
(南居)☆
別所むら☆
(足羽) 慶長3.7.28 1598 〔豊臣秀吉知行宛行状〕知行方目録‖一、弐百五拾参石八斗弐升 小堀新介打口/中野村‖なこむら‖安部村‖別所むら ②878
福島県鈴木文書
飯田村 (足羽) 慶長4.4.21 1559 〔用水江ニ付約定書〕此おとしの義ニ付而両村御地頭・御代官其他百姓以下、いかやうの申分有之いふとも‖永代相違有間敷候
‖飯田村庄屋 三衛門
‖二上村庄屋 小五郎殿
⑤551
福井市二上町加藤源内家文書
下木田村☆
羽丹生村
(足羽) 年未詳.12.18
(慶長ヵ)
〔林伝右衛門尉判物〕下木田村之内羽丹生村ニ其方先祖之屋敷、当分明候而有之付而、如先規彼屋敷其方可有身(進)退候 ③448
福井市橘栄一郎家文書

大野郡

郷(里)

大沼、大山、尾屋(東急本は毛屋)、資母、出水、加美(東急本)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
大山郷[125] (大野) 延暦9.4.2 790 〔米付札〕【大山】大山郷戸主□□部広国戸米五斗上千縄 ①308
長岡京木簡
下郷 大野郡 8C
3.2.-
〔貢進物付札〕【資母[126]】□前国大野郡下郷生荒人/五斗、三年二月 ①298
藤原京木簡
泉郷[127] 大野郡 長承2.1.22 1133 〔官宣旨案〕【出水[128]】左弁官下 越前国/応以参議右近衛権中将藤原朝臣成通領管大野郡内泉郷、為円光院庄 ①602
醍醐雑事記
牛原郷[129]
小山郷[130]
川原郷[131]
大野郡 長承2.6.14 1133 〔官宣旨案〕左弁官下醍醐寺円光院/応以大野川以西中夾為院家領‖定牓示越前国牛原庄事/在管大野郡牛原郷
‖倩案彼家申状、弥表寺領之道理也。就中彼家領小山郷内舌村・木本小山村・小山坂尻村・左開村、川原郷内折立村・川原村・味美村
①603
①604
①604
醍醐雑事記
黒谷郷[132] (大野) 弘長2.4 1262 〔鷹司伊頼置文〕譲渡/越前国小山庄内黒谷郷壱所事/右当郷者、春日御八講料所也 ②677
宮内庁書陵部所蔵文書
鍫縣郷[133]
(鍬掛郷) ☆
(大野) 弘安1.12.22 1278 〔越前国泉荘三箇郷地頭藤原長継請文〕越前国泉庄三箇郷〈除鍫縣郷〉領家与地頭与和与中分事 ②11
一乗院文書
木本本郷[134] 大野 正安1.10.18 1299 〔伊自良知内〈成知〉等連署寄進状〕奉寄進/越前国大野郡小山庄木本本郷内宝慶寺敷地事 ⑦388
大野市宝慶寺文書
井野部郷[135] (大野) 嘉元4.4.9 1306 〔某御教書〕井野部郷内金同名事、為御給分、可令知行給之由、被仰下候也 ②310
醍醐寺文書
据郷
秋宇郷[136]
佐々俣郷[137]
安居郷
(大野) 嘉元4.6.12 1306 〔永嘉門院〈瑞子女王〉使家知申状并昭慶門院〈嘉子内親王〉御領目録〕御領目録‖一、安楽寿院領/越前国小山庄‖据郷 坊門局
‖(頭書)「小山庄内黒谷郷内飯西、除秋宇・佐々俣郷、‖一、今林准后御領‖安居郷 二位局
②569


②570
竹内文平氏所蔵文書
木本郷[138]
穴間郷[139]
(大野) 嘉暦3.2.9 1328 〔伊自良知綱書状〕越前国小山庄領家方木本・穴間以下郷々請所間事、以代官信昭令言上候 ②11
一乗院文書
穴間上郷
穴間下郷
(大野) 嘉暦3.3.27 1328 〔六波羅下知状〕安楽寿院領越前国小山庄雑掌幸増申、当庄内穴間上下・秋宇・佐々俣・木本郷等請所事 ②12
一乗院文書
丁郷[140] 大野郡 嘉慶1.11.10 1387 〔醍醐寺理性院宗助書状〕丁郷天役料足寄附被仰付、代官方状進之候‖井野部郷同懸候由奉候 ②325
醍醐寺文書
庄林郷[141] 大野郡 応永2.11.22 1395 〔斯波義将書状案〕醍醐寺領越前国牛原・丁郷・庄林・井野郷等事者、可被打渡寺家雑掌也 ②326
醍醐寺文書
西小山郷 大野郡 永享12.1.8 1440 〔越前国小山荘田数諸済等帳案〕越前国/大野郡内小山庄領家方内‖西小山郷方田数并諸済等百姓等注進申入分 ②469
天理図書館蔵保井家文書
井嶋郷 大野郡 永享12.1.11 1440 〔越前国小山荘田数諸済等帳案〕御不知行分也、/井嶋郷領家方諸済先方十六人方へ沙汰分 ②470
天理図書館蔵保井家文書
舌郷[142]
新宮地郷☆
大野郡 永享12.1.13 1440 〔越前国小山荘田数諸済等帳案〕御当知行分内根本之郷/舌郷領家方田数并御年貢等事 ②471
天理図書館蔵保井家文書
深江郷 大野郡 永享12.1.- 1440 〔越前国小山荘田数諸済等帳案〕領家御方御知行分内也/深江郷○田数并御年貢等事 ②472
天理図書館蔵保井家文書
佐開郷☆ 大野郡 永享12.2.3 1440 〔越前国小山荘田数諸済等帳案〕御不知行分也/佐開郷領家御方田数并御年貢等事 ②473
天理図書館蔵保井家文書
上佐々俣郷 大野郡 永享12.2.- 1440 〔越前国小山荘田数諸済等帳案〕御不知行分也/一、上佐々俣郷領家御年貢等事 ②476
天理図書館蔵保井家文書
宇良本郷 大野郡 永享12.4.- 1440 〔越前国小山荘田数諸済等帳案〕南山家/一、石とをしろ方 公文、則石とをしろ殿と云々/五百文 御年貢悉皆分也/以上‖宇良本郷百姓 道覚 界弘 道性 性願 以上同前 ②479
天理図書館蔵保井家文書
折立郷☆ 大野郡 永享12.11.- 1440 〔越前国小山荘田数諸済等帳案〕紙山保五ヶ村内/折立郷御年貢等事 ②477
天理図書館蔵保井家文書
中夾郷 (大野) 応仁2.⑩.4 1468 〔醍醐寺方管領諸門跡等所領目録〕一、醍醐寺座主/寺領伊勢国曽祢庄、越前国牛原四ケ郷[143]〈丁、井野部、中夾、庄林〉 ②328
醍醐寺文書
中郷☆ (大野) 大永4.10.3 1524 〔平泉寺臨時児流鏑馬入用帳〕一、河おもて進退之事、中郷井川硑ヨリ鬼か瀬まて、令知行者也 ⑦646
勝山市白山神社文書
稲郷[144] (大野) 永禄12.6.16 1569 〔宝慶寺寺領納帳〕御給村‖五百文 稲郷 開円 ⑦398
大野市宝慶寺文書

年月日 西暦 原     文 出  典
弘田村
上井辺村
下井辺村
吉岡村
舌村☆
木本小山村[145]
小山坂尻村
左開村[146]
折立村☆
川原村
味美村
大野郡 長承2.6.14 1133 〔官宣旨案〕左弁官下醍醐寺円光院/応以大野川以西中夾為院家領‖定牓示越前国牛原庄事/在管大野郡牛原郷/四至〈東限大野河、南限弘田村〉
‖皆是年来寺領、狭小四至之内、上井辺・下井辺・吉岡等村也。
‖倩案彼家申状、弥表寺領之道理也。就中彼家領小山郷内舌村・木本小山村・小山坂尻村・左開村、川原郷内折立村・川原村・味美村
①603



①604




醍醐雑事記
平安遺文2278
飯雨村 (大野) 永享12.1.- 1440 〔越前国小山荘田数諸済等帳案〕飯雨村領家方田数并御年貢等事 ②473
天理図書館蔵保井家文書
友包村[147]
得永村
猪嶋村[148]
(大野) 永正1.12.25 1504 〔宝慶寺寺領目録〕越前国大野郡小山庄薦福山宝慶寺当寺納分/一、友包名 小山庄内友包村‖一、得永〈為成・清房/泉庄内得永村〉‖宝慶寺末寺土橋真善庵領分‖一、猪嶋村之内 分米弐石 ⑦391

⑦392
大野市宝慶寺文書
井口村[149] (大野) 永正13.12.3 1516 〔妙忍名田譲状〕永代譲渡家房名之内下地之事‖妙忍(略印)‖譲主井口村之住人 ⑥634
今立郡池田町鵜甘神社原神主家文書
大槻村
大田村
嶋村
護法寺村
新在家村☆
新村[150]
寺尾村☆
堂本村☆
保田村☆
片瀬村[151]
郡村☆
坂谷村[152]
滝波村[153]
上若伊野村[154]
牛原村
大矢戸村☆
遅羽村[155]
木根橋村☆
源口村
菖蒲池村[156]
中尾村[157]
中夾村[158]
袋田村[159]
細野村☆
矢戸村[160]
矢村[161]
六呂師村[162]
南村
稲見村
木本村☆[163]
清滝村☆
新保村☆
中保村☆
西俣村[164]
野波村☆
箱渡村
聖丸村[165]
松田村☆
矢戸口村☆
北市村☆
若井野村[166]
(大野) 天文8.10.18 1539 〔平泉寺賢聖院院領目録〕平泉寺賢聖院々領所々目録之事/大槻村分‖右目録之内、或不知行、或公事未落居之地等、於書加申者、可有 御勘落者也、仍如件/賢聖院/充海 ⑦646


⑦647





⑦648



⑦649













⑦650

⑦651









⑦652
勝山市白山神社文書
杉俣村☆
松ケ崎村☆
牛ケ谷村☆
中津川村[167]
別所村☆
龍谷村☆
小原村☆
(大野) 永禄11.6.2 1568 〔高村存秀買得地目録〕当知行買□□目録‖此内弐石所、杉俣村ヨリ下仁在之
‖聖丸村
‖松ケ崎村
(以下略)
⑦656
勝山市白山神社文書
平沢村[168]
今井村[169]
五条方村[170]
守正村
横枕村☆
阿難祖村[171]
中村☆
坂戸村☆
深江村
黒谷村[172]
大野郡 永禄12.6.16 1569 〔宝慶寺寺領納帳〕越前国大野郡小山庄薦福山宝慶寺/御寺領分 納帳‖平沢村‖今井五条方村(以下略) ⑦398
大野市宝慶寺文書
鍬懸村☆ (大野) 天正5.6.12 1577 〔原政茂寺領安堵状〕当寺領之儀鍬懸村ニ在之分、如前々可有御収納候‖洪泉寺 ⑦123
大野市洪水泉寺文書
友兼村☆ (大野) 天正11.11.20 1583 〔金森長近屋敷免除帳〕友兼村之内屋敷方壱縄令免許処、不可有異儀者也。仍状件御如 ⑦221
大野市専福寺文書
朝日村[173]
河合村[174]
かく野村[175]
(角野)☆
下おうなう村
前坂村[176]
(大野) 天正12.4.15 1584 〔穴馬八ケ衆連署請文〕乍恐言上仕候。仍我等身上之儀、従先々野津俣長勝寺様御門徒之儀無紛‖於向後自然構表裏如在輩於在之者、為衆中急度申付‖万一右之趣於相違者、忝茂蒙/如来聖人様之御罰候
‖河合村/末長
(以下略)
⑦702
⑦703
勝山市法勝寺文書
ひそ谷村
(桧曽谷)☆
(大野) 天正13.3.12 1585 〔れうきやう畠地売券〕永代売渡申畠事‖うりぬし/ひそ谷村/れいきやう ⑦611
勝山市津田彦左衛門家文書
とめとろ村
(「こめとろ」ヵ)
(米俵)☆
(大野) 天正17.11.22 1589 〔米俵村若山与七郎田地作職売券〕永代売渡申作職之事‖とめとろ村 口入 同介太郎 ⑦1039
岐阜県各務原市野村宗右ヱ門家文書
くそ村
(久沢)☆
(大野) 天正18.2.14 1590 〔久沢村おきくあらし作職売券〕永代売渡申作敷(職)之事‖うりぬしくそ村くすやの/おきく ⑦1040
岐阜県各務原市野村宗右ヱ門家文書
金塚村 (大野) 天正18.3.3 1590 〔中河藤八請文〕さけ(鮭) さけのうお/つる 小かも卅/右如此候御やく仕申候付而‖此儀於金塚村そむけ、さいかうニれうを仕者、此方ヨリきつと可申付候 ⑦270
大野市天満宮文書
太郎丸村
たうかう村
あらい村[177]
(荒井)☆
いんない村[178]
(大野) 天正19.6.14 1591 〔専西寺門徒等起請文〕高田□□□(専修寺)御門跡様へ専西寺帰参可仕之御諚ニ付て、何も罷出実院迄御礼申上者、於永代不可有相違候
‖さひらき村名代/四郎衛門尉(略印)
‖五てうはう村名代
‖太郎丸村名代
‖いまい村名代
‖たうかう村名代
‖阿たうそ村名代
‖黒谷村名代
‖あらい村名代
‖しやうふ池村名代
‖いんない村名代
②568









三重県専修寺文書
あせ川新村(畔川)☆ (大野) 文禄5.1.15 1596 〔武藤文右衛門尉役儀免許状写〕あせ川村之事候条、当年ハ一年法印様へ申上候て、役儀ゆるし可申候‖新村百姓中 ⑦552
勝山市久保長右衛門家文書
蕨生村☆ 大野郡 文禄5.⑦.17 1596 〔織田秀雄知行宛行状〕為扶助大野郡中荒井村‖蕨生村五百弐拾弐石三斗‖中夾村 ②697
東京都成簣堂文庫所蔵文書
稲郷村☆
本郷村☆
大野郡 文禄5.⑦.20 1596 〔織田信雄知行宛行状〕為扶助大野郡稲郷村内弐百五拾石、本郷村内弐百五拾石、都合五百石宛行畢、全可領知之条如件 ②697
東京都成簣堂文庫所蔵文書
横倉村[179] (大野) 文禄5.9.12 1596 〔下間頼賑書状〕其方事、長勝寺門徒無紛之旨候、并在所衆者存智之由候‖少弐法眼頼賑/横倉村/太郎兵衛 ⑦705
勝山市法勝寺文書
かいさら村[180]
(貝皿村)☆
後の油村
いつつき村
(伊月)☆
長野村☆
野尻村☆
市野々村
おつと村
(大野) 文禄5.11.20 1596 〔長勝寺門徒連署起請文〕乍恐申上候、仍我等之儀、従前々野津俣長勝寺様之御門徒無紛
‖かいさら村/小太郎(略印)
‖かくの村(以下略)
‖後の油村
‖いつつき村
‖長野村
‖野尻村
‖市野々村
‖おつと村
⑦706







勝山市法勝寺文書
木本領家村☆
地頭村☆
森山村☆
(大野) 慶長2.6.21 1597 〔印内村水論証文写〕指上申一札之事/一、今度印内村用水之出入、御奉行様御僉議被成、我々越度ニ罷成候処御免被成候‖木本領家村/兵衛(判)/同地頭村/三郎左衛門(判) ⑦128
大野市五畿屋文書
大月村☆ (大野) 慶長3.7.10 1598 〔大月村四方搦写〕大月村四方からみ/一、東ハ嵐山尾堺、/一、西ハ堂坂尾堺‖右之傍‖(‖示)之内、如先々大月村進退可仕候者也 ⑦346
大野市中村弥右衛門家文書
巣原村☆
美の又村[181]
小沢村☆
中嶋村
(中島)☆
温見村☆
(大野) 慶長3.7.18 1598 〔巣原村検地帳〕慶長三年七月十八日/巣原村百姓□□□地帳‖巣原村‖東西美の又村地境より小沢村地境迄、六拾仁町南北、中嶋村地境より□□落合大尾迄、五拾六丁東之足同分大尾、温見村地境まて、五拾六町 ⑦471
大野市山崎吉左衛門家文書
舞坂村 大野郡 慶長3.7.18 1598 〔朝日村検地帳〕越州大野郡朝日組之内朝日村御検地帳‖米 弐石六斗六升八合 舞坂村/五郎衛門 ⑦934
大野郡朝日助左衛門家文書
不動堂村☆ (大野) 慶長3.7.23 1598 〔不動堂四方搦〕不動堂四方がらみ/一、東ハぢぞう石大岩原境/一、西ハミやうと石尾境‖右之傍尒(牓示)之内、如先々不動堂村進退可仕候者也 ⑦216
大野市砂田弘太家文書
下荒井村☆ (大野) 慶長3.8.4 1598 〔山永代預り状〕我等此山壱ヶ所永代預り申候‖下荒井村/小五郎(略印) ⑦621
勝山市鳥山治郎兵衛家文書
小矢戸村☆
矢村☆
野中村[182]
大野郡 慶長3.8.5 1598 〔織田秀雄知行宛行状〕為扶助大野郡小矢戸村内七百六拾弐石六斗、矢村之内六百石、野中村内百四拾六石四斗、都合千五百九石宛行畢、全可領知之条如件 ②698
東京都反町英作氏所蔵文書
宝慶寺村☆ (大野) 慶長4.6.12 1599 〔田那部蔵人下代連署田地宛状〕宰相様宝慶寺江御寄進地書分、彼寺江進之由、田那部蔵人申付候間、其方両人御寺納分可為御百姓候‖宝慶寺村/正立小作はしつめ ⑦403
大野市宝慶寺文書
井山村[183] (大野) 年未詳.4.1 〔某院宣〕春日社領越前国泉庄内井山村事、停止憲俊僧都管領‖大宰権帥(草名)奉/左少弁殿 ②15
京大文学部博物館蔵一乗院文書

坂井郡[184] (坂南郡・坂北郡)

郷(里)

粟田、荒泊、高向、礒部、長畝、高屋、坪江、福留、海部、川口、余戸(東急本)、堀江(同)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
堀江郷[185] 坂井郡 天平勝宝7.3.9 755 〔越前国公験〕【堀江】□野壱伯町〈略〉部□(下)坂井郡堀江郷地/見開田参拾弐町壱段五□□歩 ①60
正倉院文書
海郷
荒墓郷[186]
坂井郡 天平宝字8.2.9 764 〔越前国公験〕合高串葦原玖町参段肆拾肆歩〈略〉部下坂井郡海郷之地/見開‖町弐段伯肆拾肆歩‖荒墓郷戸主高橋連安得 ①110
東南院文書
高向郷[187]
長畝郷[188]
粟田郷
荒伯郷[189]
赤江郷
礒部郷[190]
高屋郷
余戸郷
福留郷[191]
海部郷
質覇郷
石田里[192]
坂井郡 天平神護2.10.21 766 〔越前国司解〕【高向】【長畝】【栗田】【荒伯】【礒部】【高屋】【余戸】【福留】【海部】東大寺越前国庄庄立券本主注文‖謹依符旨施行、具件如前、仍具事状、即付奥麻呂等申上、謹解 ①145
①159
①159
①159
①159
①160
①162
①165
①167
①167
①172
①143
東南院文書
川口郷 (坂井) 8C
11.23
〔米付札〕川口郷民得名米五斗 ①315
長岡京木簡
本郷[193] (坂井) 乾元2.4.1 1303 〔越前国坂南本郷上分米送文〕運上 越前国坂南本郷半分 北方/恒例八幡上分米送文事 ②506
兵庫県日下文書
坪江郷[194] (坂井) 嘉元3.9.13 1305 〔越前国坂北庄年貢課役注進状〕坂北庄本家御年貢呉綿事/除坪江郷分定済八千二百十二両一朱/春日卅かうのれう所ニなりまいらせ候 ②398
東山御文庫記録
河南下郷 (坂井) 元弘3.8.23 1333 〔後醍醐天皇綸旨〕越前国田谷寺領河南下郷田地事、聞食畢。僧侶等可存其旨者 ③691
福井市大安寺文書
宮地郷[195] (坂井) 貞和2.⑨.5 1346 〔光厳上皇院宣〕長講堂領越前国坂北庄内宮地郷、被付水成瀬殿御影堂法花転読料所候 ②503
水無瀬宮文書
溝江郷[196] (坂井) 貞和2.10.3 1346 〔越前国河口荘溝江郷政所得分米銭等注文〕溝江郷 政所得分米銭大小色々物等注文 ②486
福智院家文書
春近郷[197] (坂井) 観応2.2.1 1351 〔足利尊氏袖判下文〕下 本郷左衛門大夫家泰/可令早領知越前国春近郷地頭職〈半分〉事 ②742
東大史料編纂所所蔵文書
兵庫郷[198] (坂井) 明徳2.9.8 1391 〔西大寺末寺帳〕越前国‖兵庫郷新宮村/長福寺 ②864
神奈川県極楽寺文書
坪江下郷[199] 坂井北郡 応永18.4.- 1411 〔滝谷寺歴代覚〕右当寺者永徳元年辛酉歳開基也‖此在所者坂北郡坪江下郷平野村之所也 ④283
坂井郡三国町滝谷寺文書
おしまの郷[200]
(小嶋)
ふなよせの郷[201](舟寄)☆
(坂井) 応永18.7.23 1411 〔足利義持御判御教書〕越前国さかの北庄おしまの郷きま・同別なう・たかむくの郷きま・同別なう・なうねの郷・同別なう・ふなよせの郷・同別なう、鹿苑院殿の御ふミにまかせて、いつれも一円に御くわんれいしさゐ候ましく候 ②630
新潟県溝口文書
荒居郷[202]
(荒井)
(坂井) 応永25.5. 1418 〔道賢書状〕道賢謹支言上/福智院栄舜申条事/一、荒居郷事、今度為寺門被糾明、道賢依無不法令落居畢 ②489
奈良県福智院家文書
新郷[203] (坂井) 文安4.2.- 1447 〔滝谷寺歴代覚〕第二代睿宥法印、従院応永十八年‖新郷内成次□□関郷内実弁講田奉供五段 ④283
坂井郡三国町滝谷寺文書
大口郷[204] (坂井) 文安5.6.12 1448 〔一切経供養衆等申状〕春日社一切経料所越前国河口庄之内大口郷事、依百姓訴訟、令改易職人朝倉但馬入道候 ②490
奈良県福智院家文書
新庄郷[205]
細呂宜郷[206]
関郷[207]
江上郷☆
布施田郷☆
(坂井) 長禄2.12.- 1458 〔称念寺并光明院等寺領惣目録〕越前国長崎称念寺并光明院等寺領塔頭領惣□□
‖一、河口新庄郷包行名田畠
‖一、河口細呂宜郷太郎丸内八段大
‖一、(河口)同関郷内古仏屋敷四間
‖一、坪江上郷内金津四段半
‖一、布施田郷内田三段半
④693
④694



坂井郡称念寺文書
本庄郷[208] (坂井) 永禄3.12.3 1560 〔本庄郷公文代周房土雑事銭請取写〕南都大□(乗)院殿土雑事銭之事‖本庄郷公文代/周房 ④414
坂井郡芦原町大連三郎左衛門家文書
坪江上郷[209] (坂井) 天正3.8.- 1575 〔越前国相越記〕一、原田備中山狩テ帰候由聞間、陣所へ為礼行。魚住案内者也。然処山狩テ一揆共切ステ仕数ノシルシニハ、鼻ソキテ持来‖多首切所へ行合事‖一入憐ニ覚テ、彼河口十郷并坪江上下郷百姓等モライ免除サセタク思、原田備中申出処、可致馳走由請条悦入者也 ③477
鯖江市山田竜治家文書
王見郷[210] (坂井) 天正3.9.3 1575 〔越前国相越記〕此十郷へ一通ツヽ并坪江上郷一通、十一通被出畢。河口庄十郷トハ/
本庄郷 新郷 王見郷 兵庫郷 大口郷 溝江郷 関郷 細呂木〈上下〉 荒居郷 新庄郷 是十郷也
③479
鯖江市山田竜治家文書
長崎郷☆ (坂井) 天正13.⑧.22 1585 〔堀秀政知行宛行状〕知行方‖一、百七拾八石弐斗弐升八合 長崎郷町方 ②728
東京都多賀家文書
上郷☆ (坂井) 年月日未詳 〔竜沢寺寺領坪付帳〕一、玉仙院寄進/乙法師名内面林、東ハ上郷之田ヲ限、西ハナワテヲ限 ④644
坂井郡金津町龍澤寺文書
但馬郷 (坂井) 年月日未詳 〔六条殿修理役支配注文〕六条殿御修理間宛/長講堂‖但馬郷 ②694
東京都成簣堂文庫所蔵文書

年月日 西暦 原     文 出  典
多加牟久村[211] (坂井) 7C 〔釈日本紀所引上宮記〕【高向】尒将下去於在祖三国命坐多加牟久村也 ①6
釈日本紀所引上宮記
細枳村 坂井郡 天平宝字1.⑧.11 757 〔越前国司解〕細枳村二条三苗田里卅一池田五段二百卌歩上‖以前、被太政官去八月十九日符偁、為検校坂井郡大領外正六位上品遅部君広耳進東大寺墾田 史料①81
東京国立博物館蔵
小海村 坂井郡 天平宝字1.12.5 757 〔東大寺諸荘文書并絵図等目録〕東大寺諸国庄々文書并絵図等目録事‖一、越前国‖桑原庄‖一通〈四枚〉天平宝字(元年脱ヵ)十二月五日 悔過分庄并田藉坂井郡小海村 ①234
東大寺文書
子見村
串方村
田宮村
吾孫石村
板(坂)井郡 天平神護2.10.21 766 〔越前国司解〕東大寺越前国庄庄立券本主注文‖謹依符旨施行、具件如前、仍具事状、即付奥麻呂等申上、謹解 ①129

東南院文書
高串村[212] 坂井郡 天平神護2.10.21 766 〔越前国坂井郡高串村東大寺大修多羅供分田地図〕越前国坂井郡高串村東大寺大修多羅供分田 ①211
奈良国立博物館蔵
小椿村 坂井郡 8C[213] 〔東大寺諸荘文書并絵図等目録〕坂井郡小椿村地卅九町四段廿歩 ①235
東大寺文書
船寄村[214] (坂井) 承安3.9 1173 〔越前国司庁宣〕庁宣 留守所/可早停止散在注入坪以本勅旨田比坪々船寄村田拾肆町‖早彼御庄傍以船寄村内十四丁田、為加納可令奉免也 ①757
高山寺文書
今村
牛屋村
山崎村☆
籌崎村
(坂井) 12C[215] 〔越前国河口庄御前帳写〕越前国河口庄御前張(帳)/抑人王六十六代御門一条院御 (宇脱)、寛弘八年、越前国自河口庄始和刕春日社御供米百石令進叙□□(云々)‖其七十七代御門(後脱ヵ)白河法皇御宇保元年中、寄進直被御勅宣下、爰興福寺衆徒伊予法眼依為惣公文、軈郷々代宮人定神講田令寄附‖勅使中納言時実判/藤原伊代法眼
‖今村小白山田五段
‖牛屋村
‖山崎村
‖籌崎村
④949
④953







坂井郡坂井町春日神社文書
曽々木村☆ (坂井) 康安1.7.28 1361 〔崇光上皇院宣〕越前国曽々木村事、被下日野宰相公 院宣、所被召返也 ②204
京都府三時智恩寺文書
新宮村☆ (坂井) 明徳2.9.28 1391 〔西大寺末寺帳〕越前国‖兵庫郷新宮村/長福寺 ②864
神奈川県極楽寺文書
平野村 (坂井) 応永18.4.- 1411 〔滝谷寺歴代覚〕右当寺者永徳元年辛酉歳開基也‖此在所者坂北郡坪江下郷平野村之所也 ④283
坂井郡三国町滝谷寺文書
簾尾村[216] 坂北郡 長禄2.11.24 1458 〔竜沢寺寺領目録〕越前国坂北郡坪江郷簾尾村竜沢寺々領目録/一、簾尾村 ④640
坂井郡金津町龍澤寺文書
包久村
福嶋村☆
但馬村
(坂井) 長禄2.12.- 1458 〔称念寺并光明院等寺領惣目録〕‖包久村畠壱丁七段〈皆免〉
‖福嶋村畠壱丁屋敷
‖長畝郷内但馬村
④693


④694
坂井郡丸岡町称念寺文書
轟村[217] (坂井) 永正17.4.- 1520 〔前波藤房田地売券写〕永代売渡申荒居郷轟村国重名之内別相田之事/合五段者 三段者 わさ地轟村のまへニあり/二段者 はん田 同村戌亥ニあり ④280
坂井郡三国町滝谷寺文書
楽間村☆
大谷村[218]
(坂井) 天文14.10.22 1545 〔志比庄下郷内闕所拾貫文分作職坪付注文〕あさぬま給/四百廿文 同(桑代) 楽間村/左衛門四郎 ④48
吉田郡永平寺文書
疋田村☆ (坂井) 天文17.12.10 1548 〔五郎左衛門・新九郎田地売券写〕永代売渡申別相伝田地之事/合壱段者〈在坪ハ疋田村ヨリ北ニ下四段田ノ内‖〉‖永代売主疋田村住人 ④251
坂井郡三国町勝授寺文書
牧村[219] (坂井) 天文22.1.28 1553 〔堀江景忠布施米銭付立〕天文廿弐年滝谷寺江可参御布施之事/下用/壱石壱斗九升三合 雑米共ニ 滝谷寺寿仙院ヨリ牧村ヘ本役堺藤兵衛尉取次 ④297
坂井郡三国町滝谷寺文書
新郷村 (坂井) 永禄3.12.3 1560 〔本庄郷公文代周房土雑事銭請取状写〕南都大□(乗)院殿土雑事銭之事/合弐百七拾壱貫文者 新郷村公文分 ④414
坂井郡芦原町大連三郎左衛門家文書
川端村[220]
中野村[221]
(坂井) 天正3.9.- 1575 〔柴田勝家定書〕荒居郷内/川端村/中野村/轟村/一、当郷百姓等早々還住事 ④954
坂井郡坂井町春日神社文書
黒目村[222]
米納津村☆
野中村[223]
下野村☆
(坂井) 天正3.10.18 1575 〔柴田勝定副状〕今度下間筑後法橋被討捕、忠節無比類付而、其方門徒帰参人之儀、可有御進退之旨、勝家折帋を被遣之候、并黒目・米納津・野中・下之此四ケ村之者共、腰力(刀)武具等致用意、弥可忠節、被申出候条、被成其心得、可被申付者也 ④274
坂井郡三国町称名寺文書
大味村☆ (坂井) 天正3.11.20 1575 〔柴田勝家判物〕当寺山林竹木不可伐採之‖大味村/西蓮寺 ③561
福井市西蓮寺文書
滝村[224]
(瀧村)
(坂井) 天正4.3.11 1576 〔柴田勝家判物〕熊坂 笹岡‖滝村‖右之在々、高田専修寺門家之由、理得其意候 ⑤690
丹生郡腰廼村法雲寺文書
ふねと村
(舟戸)
(坂井) 天正8.③.5 1580 〔本願寺教如消息〕為志銀子五枚到来候。遠路ことに今の折りふし爰元城々あひかゝへ候、悦入候‖越前/在々/竹田/お黒‖ふねと村 ④497
坂井郡芦原町福円寺文書
高柳村☆ (坂井) 天正11.8.4 1583 〔丹波長秀知行宛行状〕領知方/一、参百石 伊賀分/瀧村之内/一、三百弐拾石 権六分/平村之内/一、八拾石 同分/木戸高柳村之内 ②834
内閣文庫所蔵文書
二面村[225] (坂井) 天正12.8.3 1584 〔丹波長秀知行宛行状〕領知方/一、百五拾石 坪江郷二面村 ②727
尊経閣文庫所蔵文書
二屋村☆ (坂井) 天正12.8.3 1584 〔丹波長秀知行宛行状〕領知方/一、五拾石弐斗七升九合 栗田嶋内二屋村はし本組 ②835
内閣文庫所蔵文書
宮谷村☆ (坂井) 天正12.8.3 1584 〔丹羽長秀知行宛行状〕領知方‖一、四百四拾八石弐斗二升五号 細呂宜郷内宮谷村 ②45
京大博物館蔵蓮生寺文書
免鳥村☆ (坂井) 天正13.7.25 1585 〔某員申書状〕態以折紙令申候。仍其方敷地南おもて平山‖向後其方可為進退候。‖免鳥村/安乗坊まいる ③684
福井市専念寺文書
加戸村☆
赤尾村☆
清王村☆
下村[226]
伊井村☆
高間村
(坂井) 天正13.⑧.22 1585 〔堀秀政知行宛行状〕知行方‖可戸村之内
‖二面村
‖赤尾村
‖清王村
‖下村
‖伊井村
‖高間村
‖右令支配候、全可被領知之状如件
②728
東京都多賀家文書
田中村[227] (坂井) 天正13.12.23 1585 〔佐分利守弘書状〕御折紙令拝見候。仍大野専西寺之儀も無別儀相調申候由、先以珍重候。西光寺之儀田中村肝煎よひ申、懇ニ申付候‖仙福寺まいる/御返報 ②564
三重県専修寺文書
熊坂村☆ (坂井) 天正14.9.8 1586 〔青山三蔵等連署証文〕熊坂村御寺屋敷之事、聞分申候上者、如前々不可有相違候 ⑤692
丹生郡腰廼村法雲寺文書
吉崎村[228]
家吉村[229]
町村
八口村
新村[230]
高江村☆
(坂井) 天正15.2.8 1587 〔堀秀政知行宛行状〕覚
‖吉崎村
‖家吉村之内
‖船寄郷町村分
‖小嶋郷八口村
‖新郷内新村
‖高江村
②732
東京都武田健三氏所蔵文書
下番村☆ (坂井) 慶長2.8.10 1597 〔堀秀治定書〕定/一、川口本庄春日屋敷之内、牛馬不可入之事‖本庄ノ郷/下番村百姓中 ④418
坂井郡芦原町大連彦兵衛家文書
下之村[231]
白方村[232]
(坂井) 慶長3.7.15 1598 〔白方村検地帳〕(表紙)下之村/越前国 白方村御検地帳/しらかた村/田方 ③661
福井市白方区有文書
西はた村[233]
大くほ村[234]
おさか村
(坂井) 慶長3.7.15 1598 〔坂井郡村々塩浜検地帳〕くろめ村浜/毛付/‖西はた村/助兵衛
‖大くほ村浜
‖おさか村浜
③772
③774

③775
福井市広浜伊左衛門家文書
東長田村☆
池見村[235]
(坂井) 慶長3.8.5 1598 〔小早川秀秋知行宛行状〕於越前国知行目録/一、五百七拾七石三斗 東長田村ノ内/一、百九拾四石 池見村之内 ②497
大阪城天守閣所蔵文書
石塚村☆
今市村☆
(坂井) 慶長3.8.5 1598 〔小早川秀秋知行宛行状〕於越前国知行目録/一、参百四拾壱石 石塚村内
‖一、八拾四石 今市村
②891
岡山県松野文書
滝谷村☆ (坂井) 慶長4.8.11 1599 〔滝谷寺門前中請文〕一、対滝谷寺ヘ自然狼藉人、或不寄白昼夜中ニ、付取強盗於在之者、門前□(衆ヵ)として搦執進上可申候‖滝谷村/新左衛門(略印) ④333
坂井郡三国町滝谷寺文書
御庄村
吉谷村[236]
(坂井) 年月日未詳 〔吉谷村村名由緒覚〕越前国方上之庄 御庄村 春日大明神社領御墨印八本、右者当所在名者御庄村と申候共、一年宰相様御入国之後御伯鷹野ニ被為成御滞留内、吉谷村と御付替被為成 ⑤8
鯖江市安楽寺文書

吉田郡[237]

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
河北郷 吉田郡 建久1.6.- 1190 〔後白河院庁下文写〕可早使者国使相共堺四至打牓示為二品親王家領、/停止 勅事院事臨時国役河北郷壱処事/在管吉田郡河北郷 ②677
宮内庁書陵部所蔵文書
中郷☆[238] (吉田) 寛元5.1.15 1247 〔越前国永平寺奇瑞記〕□(志)比庄方丈不思議日記事/寛元五年〈歳次丁未〉正月十五日説戒然(マヽ)日、自末之始、至申之半分、正面障子仁有五色光、聴聞衆貴賎拝之。其中自吉田河南庄中郷企参詣、奉見之輩弐拾余人 ②642
愛知県全久院文書
藤嶋上郷☆
藤嶋下郷☆
(吉田) 建武1.9.10 1334 〔斯波高経請文〕越前国藤嶋上下郷事、所下給任 綸旨‖以此旨可有御披露候 ②733
東京都武田健三氏所蔵文書
河南下郷 (吉田) 永和5.2.24 1379 〔足利義満寄進状〕奉寄/北野社/越前国河南下郷半分事/右為天下安全、所寄進之状如件 ②873
筑波大学附属図書館蔵北野神社文書
藤嶋郷[239] (吉田) 応仁2.10.- 1468 〔朝倉景隆寄進状写〕藤嶋郷福万名之内、田数弐段分米参石‖永代竜興寺江奉寄進者也 ④243
坂井郡三国町松樹院文書
高木郷☆ (吉田) 天文2.3.23 1533 〔小泉吉宗寄進状〕永代寄進申藤嶋高木郷拙者知行分之内‖越知山大谷寺 参 ⑤290
丹生郡朝日町越知神社文書
下郷[240] (吉田) 天文14.10.22 1545 〔志比庄下郷内闕所拾貫文分作職坪付注文〕志比庄下郷御闕所之内代方拾貫文之作職注申 ④48
吉田郡永平寺文書
上郷 (吉田) 年未詳.8.4 〔朝倉孝景書状〕当方方丈上郷江越候道剪明之由、言語道断之儀候 ④48
吉田郡永平寺文書

年月日 西暦 原     文 出  典
今末村
谷口村[241]
京善村☆
(吉田) 天文14.10.22 1545 〔志比庄下郷内闕所拾貫文分作職坪付注文〕志比庄下郷御闕所之内代方拾貫文之作職注申分
‖今末村 九郎二郎
‖谷口村 馬之五郎
‖京善村 四郎左衛門
④48
吉田郡永平寺文書
曽万布村☆ (吉田[242]) 天正5.8.5 1577 〔柴田勝家知行宛行状〕曽万布村八拾九石五斗/関郷百拾壱石五斗/都合弐百石(マヽ)/右於二ケ所之内遣之条、末代領知全不可有相違之条如件 ②620
金沢市立図書館蔵、松雲公採集遺編類纂
高屋村[243] (吉田) 天正13.⑧.22 1585 〔堀秀政知行宛行状〕知行方‖一、参拾弐石 河合庄高屋村 ②728
東京都多賀家文書
上中村☆
常法寺村
(浄法寺)☆
西堀村☆
(吉田) 天正15.2.8 1587 〔堀秀政知行宛行状〕覚‖一、四拾八石 上中村之内
‖志比庄常法寺村之内
‖西堀村分
②732
東京都武田健三氏所蔵文書
傍爾岡村
(法寺岡)☆
(吉田) 慶長3.7.20 1598 〔法寺岡村検地帳〕(表紙)越前志比庄内/傍爾岡村御検地帳 ④84
吉田郡永平寺町法寺岡区有文書
八塚村 (吉田) 慶長3.8.5 1598 〔小早川秀秋知行宛行状〕於越前国知行目録/一、弐百石 八塚村之内 ②604
滋賀県綿向神社文書
上布施村
(上伏)☆
今井村☆
郡村☆
(吉田) 慶長3.8.5 1598 〔小早川秀秋知行宛行状〕於越前国知行目録‖一、七百八拾弐石九斗六升 上布施村
‖今井村
‖郡村内
②891
岡山県松野文書
古市村☆
内津室村
(吉田) 慶長5.11.21 1600 〔林伝右衛門尉判物〕近年被召置候永平寺御寺領之儀、去々年御検地之上を以、山口玄番(蕃)頭書付如被遣候、谷口村・古市内津室両村無相違可被召置候 ④51
吉田郡永平寺文書
山ムロ村
(山室)☆
(吉田) 年未詳.9.11 〔本願寺教如消息〕従十五日講中白綿一貫弐百匁到来候‖仏恩報尽の称名念仏、油断なく心にかけらるへき事肝要にて候‖越前河合庄/下ノ郷/タカヤ村/山ムロ村 ③650
福井県高屋町・山室町高屋・山室十五日講共有文書

南条郡[244]

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
志都部郷 (南条) 明応4.7.28 1495 〔足利義高袖判御教書〕越前国志都部郷〈長井大(マヽ)郎知行〉‖等事、云馳参正覚寺陣、云越中国供奉忠節之条、為勲功之賞所宛行也 ②609
金沢市立図書館所蔵吉見伝書
平葺郷
(平吹)☆
(南条) (室町時代) 〔室町幕府諸国料所方支証目録〕同(越前国)/一、平葺郷 ②830
内閣文庫所蔵文書

年月日 西暦 原     文 出  典
赤萩村[245] (南条) 元応2.3.11 1320 〔いわし谷名境定書〕伝置いわし谷名之事‖右之通赤萩村藤入道持分、子々孫々迄しんたい可有候 ⑥827
南条郡今庄町赤萩区有文書
阿久和村[246]
柚尾村[247]
宅良村[248]
(南条) 応安7.10.14 1374 〔広橋仲光奉書〕越前国杣山庄内阿久和・柚尾・宅良等村事、超光上人状〈副具書〉如此、子細見状候歟。当知行無相違候哉之由被仰下候 ②845
東京都柳原家記録
菅谷村
大谷村[249]
(南条) 永正9.7.6 1512 〔菅谷・大谷両村山境書立写〕菅谷村・大谷村山之堺目之事/東ハゆの尾さかい、のてこ岩新道だかい、立岩さかい ⑥952
南条郡河野村向山次郎右ヱ門家文書
中津原村☆ (南条) 天文6.4.16 1537 〔中津原村祢宜孫太郎等連署請文〕舟寄山預り申候ニ付而、自然塚原御百姓等一乗江訴訟申候而御尋之儀候者‖其方へ懸申間敷候‖中津原村/祢宜孫太郎(花押) ⑥857
南条郡河野村中村三之丞家文書
つかはら村[250]
(塚原)☆
(南条) 永禄2.2.4 1559 〔塚原村百姓中舟寄山作職請文案〕河野浦舟よせ山之事、御ほうしょお以、さくしきあつっかり申候といへ共、せひにおよはす候‖仍請状件如 ⑥895
南条郡河野村西野次郎兵衛家文書
高瀬村☆ (南条) 天正3.10.2 1575 〔府中三人衆連署書状〕当寺為無縁所古跡之事候、早速可有木屋懸候‖高瀬村/宝円寺/床下 ⑥293
武生市宝円寺文書
橋立村☆ (南条) 天正6.12.25 1578 〔沢崎吉次田地寄進状〕永代寄進申田地之事/合壱石五斗者〈在坪者三尾河内橋立村広谷□(口)〉 ⑧218
敦賀市西福寺文書
神村
小倉村[251]
上野村☆
(南条) 天正11.7.25 1583 〔丹羽長秀知行宛行状〕領知方‖同(杣山)神村内‖宅良小倉村‖杣山上野村 ②834
内閣文庫所蔵文書
大良村[252] (南条) 慶長3.8.8 1598 〔大良村平二郎詫状〕今度八月五日ニ我等大谷山さかへ之少ふミこし候由被申候て、つるかへ引御のほせ候てめいわくつかまつり候‖大良村/平二郎(略印) ⑥954
南条郡河野村向山次郎右ヱ門家文書
河内村☆ (南条) 慶長3.9.- 1598 〔直百姓ニ付永代証文写〕可用永代証文之事/一、今度御検地御改ニ付‖河内村 ⑥955
南条郡河野村向山次郎右ヱ門家文書
鯖波村[253]
奥野々村☆
堂村[254]
宮谷村[255]
鋳物師村[256]
西脇本村☆
東脇本村☆
下村
大塩村[257]
今宿村☆
塚原村[258]
白崎村[259]
四郎丸村☆
春日野村☆
池上村[260]
具谷村[261]
赤萩村[262]
河内村☆
池ノ大良村
下中津原村☆
湯屋村[263]
兼糟村[264]
(金粕)☆
(南条) 慶長3.9.- 1598 〔越前国府中郡[265]在々高目録〕(表紙)慶長参年九月吉日/越前府中郡在々高目録/大谷刑部少輔御知行分/
一、参百六拾五石八斗九升 鯖波村(以下略)
⑥270
⑥271




⑥272



⑥273


⑥274

⑥277



⑥278

⑥288
武生市広瀬町馬場善十郎家文書
白崎村☆ (南条) 慶長5.3.29 1600 〔白崎村惣代連判諸役免許状案〕今度御寺御立被成候‖一切諸役等之儀惣百姓として懸申間布候‖白崎村惣代/道西判 ⑥105
武生市金森穣家文書

江沼郡[266]

郷(里)

長江、忌浪、山背、竹原、額田、菅波、八田、三枝

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
山背郷[267] 江沼郡 天平宝字6.4.23 762 〔続日本紀〕【山背】勅、越前国江沼郡山背郷戸五十烟施入岡寺 ①430
続日本紀巻24
額田郷[268] 江沼郡 延暦8.10.11 789 〔米付札〕【額田】江沼郡額田郷戸主山手千山戸米五斗‖延暦八年十月十一日上□ ①306
長岡京木簡
忌浪郷[269] (江沼) 延暦8.11.3 789 〔米荷札〕【忌浪】忌浪郷戸主□(山ヵ)下豊成戸米五斗‖延暦八年十一月三日 ①306
長岡京木簡
山上郷 (江沼) 8C
8.7.15
〔米付札〕山上郷戸主山□□戸米五斗 ①305
長岡京木簡
山下郷[270] (江沼) 8C
8.7.16
〔米付札〕山下郷戸主財益国戸米五斗 ①305
長岡京木簡

年月日 西暦 原     文 出  典
幡生村 江沼郡 天平宝字3.12.3 759 〔東大寺諸荘文書并絵図等目録〕江沼郡幡生村四至?地五十町五段六十四歩 天平宝治三年十二月三日 ①235
東大寺文書

加賀郡[271]

郷(里)

大桑、大野、芹田、井家、英多、玉戈、田上

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
小坂郷 加賀郡 宝亀5.12.24 774 〔調田庭継手実〕越前国加賀郡小坂郷戸主道公人守戸口□ ①710
正倉院文書
富樫郷 (加賀) 延暦8.3ヵ 789 〔白米付札〕富樫郷戸主丸部諸上戸□□□□□□□ ①304
長岡京木簡
綾部里 香々郡 8C 〔白米付札〕越前国香々郡綾部里/□田伊支見白米五斗 ①296
平城京木簡
芹田郷 (加賀) 8C 〔白米付札〕【芹田】芹田郷戸主建部石人戸口六人□万呂 ①318
長岡京木簡
御馬河里 加賀郡 9C 〔日本霊異記[272]〕于時有京戸小野朝臣庭麿、為優婆塞‖展転彼加賀郡部内之山而修行‖其長有其郡部内御馬河里、遇行者 ①952
日本霊異記下巻、第十四
大野郷 加賀郡 9C 〔日本霊異記〕【大野】我有越前国加賀郡大野郷畝田村也横江臣成人之母也 ①953
日本霊異記下巻、第十六

年月日 西暦 原     文 出  典
畝田村 加賀郡 9C 〔日本霊異記〕我有越前国加賀郡大野郷畝田村也横江臣成人之母也 ①953
日本霊異記下巻、第十六

所属郡不明

年月日 西暦 原     文 出  典
中村
渡リ村
下村[273]
慶長3.8.5 1598 〔小早川秀秋知行宛行状〕於越前国知行目録‖一、弐百五拾石 中村之内
‖渡リ村
‖下村之内
②497
大阪城天守閣所蔵文書

  1. 「①130」は、『福井県史』資料編1 古代の頁数を示す。長大な文書については、個々の郷・村名が初見する頁数を示した。
  2. 重出:貞和2(1346).3.- 行豊御所新田売券(②35)
  3. 重出:応安2(1369).11.15山内重経寄進状(⑧135)、「櫛河郷」②600、⑧136、⑧138、139、140、141、141、142、142、142、142、144、144、144、145、146、146、148、167、「櫛川郷」⑧150、159、161、166、181、186、189、191、193、197、212
  4. 重出:貞治2(1363).12.7某袖判田地宛行状(②36)、⑧145、148、149、152、153、153、154、157、161、188、197、199、「木崎之郷」⑧208
  5. 重出:応永2(1413).3.10越前国守守護斯波義重安堵状案(⑧150)、⑧155、162、184、186、188、189、191、193、195、196、197、344、345、198、175
  6. 重出:永享2.(1430)応永29(1422).3.17越前国守守護斯波義淳西福寺寺領安堵状(⑧157)、⑧162、201
  7. 重出:永禄(1568)11.10.18越前国守護斯波義淳西福寺寺領安堵状(⑧162)、⑧185、192、210
  8. 重出:慶長3(1598)(1598).7.18木村吉信検地条目「はら村」(⑧232)
  9. 重出:宝徳4(1452).3.27和久野村平内二郎名代職請状(⑧171)、⑧195
  10. 重出:永禄1(1558).6.5善妙寺領常住分新寄進注文案「よさ村」(⑧265)、⑧267
  11. 「田結浦」として。
  12. 重出:天正15(1587).12.17高野村彦太郎田地去状「たかの村」(⑧262)
  13. 大比田浦」として。
  14. 重出:平城京木簡(①294)
  15. 「天平一七年(七四五)九月二一日付の智識優婆塞等貢進文(正倉院文書)にみえる「丹生郡勝郷」は当郷のことか」『福井県の地名』。
  16. 「弥太郷」を「みたごう」と読み、三太郷を充てた『福井県の地名』。
  17. 重出:明応3(1494).4.16大井常久譲状(②764)
  18. 重出:嘉暦2(1327).1.18某袖判下文(⑤261)、②875、⑤279、279、281、286、「糸生村」もあり。
  19. 重出:享禄2(1529).5.8越知山大谷寺神領坊領目録(⑤286)
  20. 重出:明応6(1497).11.6足利義澄袖判御教書(②685)
  21. 重出:寛正2(1790).9.17室町幕府奉行人連署奉書写(②1)、⑤286
  22. 重出:文禄2(1593).3.29横根村歩割帳(⑥19)、⑥331
  23. 重出:天正5(1577).11.21徳庵而中村宗教連署状(⑤952)
  24. 重出:大治5(1130).3.13東大寺諸荘文書并絵図等目録(①234)
  25. 重出:天正12(1584).8.3丹波長秀知行宛行状(②834)
  26. 重出:文安3(1446).5.3某大工職補任状写(⑤369)
  27. 重出:明応4(1495).11.1朝倉景儀裏封玉蔵坊領目録(⑤753)、⑤754、794
  28. 重出:元亀2(1571).5.26朝倉氏一乗谷奉行人連署状「平楽寺」として(⑤782)、⑤789、795、796、799、815
  29. 重出:文禄2(1593).3.19吉武安福書状(⑥138)、⑥138、139
  30. 越前国に「日野北郡」は所在せず、「丹生北郡」の誤りヵ。
  31. 重出:慶長3(1598).9.- 越前国府中郡在々高目録(⑥280)、⑥332
  32. 重出:享禄2(1529).5.8朝倉孝景判物(⑤285)、⑤289
  33. 重出:享禄2(1529).5.8朝倉孝景判物「尼カ谷村」(⑤286)、⑤428
  34. 重出:天正11(1583).4.- 賀茂明神田楽覚(⑤928)
  35. 重出:天正13(1585).12.24弥十郎等連署誓約状(⑤297)、⑥282、332
  36. 重出:慶長3(1598).9.- 越前国府中郡在々高目録(⑥279)、⑥332
  37. 重出:慶長3(1598).9.- 越前国府中郡在々高目録(⑥274)、⑥331
  38. 「上大虫村、下大虫村」あり。
  39. 重出:永禄12(1569).(1569).10.- 冬嶋村三郎兵衛請文(⑤294)
  40. 重出:慶長3(1598).9.- 越前国府中郡在々高目録(⑥283)
  41. 「山干飯杉本村」として。
  42. 重出:慶長3(1598).9.- 越前国府中郡在々高目録(⑥281)
  43. 「末野大谷村」として。
  44. 重出:天正5(1577).4.8剱大明神領打渡目録(⑤797)、⑤814
  45. 重出:天正10(1582).8.11千手院領指出案(⑤816)、⑤738
  46. 重出:年月日未詳 織田寺社領坪付帳 (⑤736)
  47. 重出:天正10(1582).8.11千手院領指出案(⑤816)、⑤737
  48. 重出:慶長3(1598).9.- 越前国府中郡在々高目録(⑥272)
  49. 重出:天正7(1579).10.- 千手院領指出案(⑤806)、⑤821
  50. 重出:天正12(1584).9.15荒川広忠判物(③564)、③564、565
  51. 重出:天正10(1582).8.11千手院領指出案(⑤812)、⑤723
  52. 重出:天正10(1582).8.11千手院領指出案(⑤812)、「西ノ村」⑤814
  53. 重出:天正10(1582).8.11千手院領指出案(⑤814)
  54. 重出:天正10(1582).8.11千手院領指出案(⑤812)、⑥286、⑤823
  55. 「織田村」あり。
  56. 重出:天正11.8.4丹羽長秀知行宛行状(②834)
  57. 重出:慶長3(1598).7.28豊臣秀吉朱印状(②868)
  58. 重出:慶長3(1598).9.- 越前国府中郡在々高目録(⑥281)
  59. 重出:慶長3(1598).9.- 越前国府中郡在々高目録(⑥280)
  60. 重出:慶長3(1598).9.- 越前国府中郡在々高目録(⑥280)、⑥332
  61. 重出:慶長3(1598).9.- 越前国府中郡在々高目録(⑥279)、⑥333、340
  62. 重出:慶長3(1598).9.- 越前国府中郡在々高目録(⑥284)、⑥332
  63. 重出:慶長3(1598).9.- 越前府中郡在々高目録「三俣村」(⑥276)、⑥331
  64. 重出:年月日未詳 織田寺社領坪付帳(⑤742)
  65. 重出:慶長3(1598).9.- 越前国府中郡在々高目録(⑥276)、⑥331
  66. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  67. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  68. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  69. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  70. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  71. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥332)
  72. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥332)
  73. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥332)
  74. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥332)
  75. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録「若須村」(⑥332)
  76. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥332)
  77. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥332)
  78. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥332)、⑤822
  79. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥332)、⑤822
  80. 重出:年未詳-.1.28下間性乗書状(⑥186)、⑥181、181、185、187、187、187、「あんやうし村」⑥182
  81. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  82. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  83. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  84. 重出:年未詳11.24下間性乗奉本願寺御印書「おそはら村」(⑥182)、⑥183
  85. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  86. 「織豊時代の一時期私称された郡名で、慶長三年(一五九八)のいわゆる太閤検地関係史料にその名がみえる」(『福井県の地名』)
  87. 慶長3.6.13文書の端裏
  88. 今立郡分立以前であるが、『和名庄』にしたがい、ここに収めた。
  89. 重出:建武4(1337).7.10足利直義安堵状(②858)、②858、858
  90. 重出:建武4(1337).7.10足利直義安堵状(②858)、②858、860、861、⑤23、24、
  91. 重出:天文19(1550).1.30大滝寺寺倉収納田数帳(⑥438)、⑥426、⑥409、446
  92. 重出:天文19(1550).1.30大滝寺寺倉収納田数帳(⑥438)「つきの尾郷」として、⑥558 重出:天文19(1550).1.30大滝寺寺倉収納田数帳(⑥438)「つきの尾郷」として、⑥558
  93. 「杉前三ヶ村」は、以下八坂神社文書に頻出する(②432~)
  94. 重出:「みつうみ西村」として、永正2.12.22光正・衛門連署紛失状(⑥633)、「西村」として、元亀3.1.19西村百姓等地蔵神田下状(⑥639)
  95. 「水海村」として。
  96. 重出:永正18(1046).3.13某袖判安堵状(⑥620)、ほか「月ケ瀬村、月かせ村」などとして、⑥622、622、622、623、623、「月か瀬村人中」⑥619、620とあるのは採録しなかった。
  97. 重出:天文4(1535).3.15淨観屋敷譲状「みつミ地蔵村」、(⑥635)、「水海堂村」として、⑥637、637、637、「ミつうミちさうたう村」として⑥635
  98. 重出:同日、清覚左衛門・同衛門二郎証状(⑥620)、⑥621、622、622、623、623、「つねやす村」として、⑥622
  99. 重出:永禄9(1566).1.29地下証文預状(⑥623)
  100. 重出:永禄3(1560).12.18大兵衛名田預け状(⑥636)、⑥640
  101. 重出:「いわもと村」として、天正9.2.3直勝書状(⑥444)、⑥374、374、447
  102. 重出:慶長5(1600).10.17稲垣七左衛門尉書状(⑥447)「定友村」として、⑥534
  103. 重出:慶長5(1600).10.17稲垣七左衛門尉書状(⑥447)
  104. 重出:慶長5(1600).10.17稲垣七左衛門尉書状(⑥447)
  105. 重出:天正9(1581).2.3直勝書状(⑥444)、⑥445、446、534、534、534、536、536、
  106. 重出:年未詳-.-.- 佐々成政書状写(⑥528)
  107. 重出:天平神護2(766).9.19越前国足羽郡司解(①112)①138、217
  108. 重出:天平神護2(766).10.20越前国足羽郡少領阿須波束麻呂過状(①120)、①128、156、297(平城京木簡)、491
  109. 重出:天平神護2(766).10.21越前国司解(①139)①115、218、220
  110. 重出:天平神護3(767).3.2岡本郷道守息虫女解案(①222)
  111. 重出:長岡京木簡(①309)
  112. 重出:平城京木簡(①298)、長岡京木簡(①312)
  113. 重出:「小名郷」として、天平神護3.2.22中野郷生江広成解案(①216)
  114. 重出:長岡京木簡(①309)
  115. 重出:天平神護3(767).2.22中野郷生江広成解案(①216)、①218
  116. 重出:天平神護2(766).10.21越前国司解(①129)、①205、234
  117. 重出:天平神護2(766).10.21越前国司解(①129)。同年月日「越前国足羽郡道守村開田地図」(①177-204)には、上記越前国司解に所見する「里」名が多数記載されている。
  118. 重出:天平神護2(766).10.21越前国司解(①129)
  119. 重出:天文15(1546).8.29真証寺良信書状(⑧208)
  120. 重出:慶長3(1598).6.- 二上村検地帳(③537)、③551
  121. 坂井郡にもあり。
  122. 重出:慶長3(1598).7.- 田尻村検地帳(⑦902)
  123. 重出:慶長3(1598).7.28豊臣秀吉知行宛行状(②878)
  124. 坂井郡・丹生郡にもあり。
  125. 重出:長岡京木簡(①313
  126. 訓が共通するだけであるが、姑くここに置く。
  127. 重出:長承2(1133).6.14官宣旨案(①603)
  128. 訓が共通するだけであるが、姑くここに置く。
  129. 文正1(1466).5.18日草子目録中に、「一、牛原三ヶ郷遵行一通」とある(②361)。また応仁2.⑩.4醍醐寺方管諸門跡等所領目録(②370)に、「越前国牛原四箇郷〈丁・井野部・牛原・庄林〉」とある。ほか、②326
  130. 天正2(1574).5.26織田信長朱印状に「小山七郷」とある(②626)
  131. 重出:永享12(1440).11.- 越前国小山荘田数諸済等帳案(②478)、「西河原村」として。
  132. 嘉元4(1306).6.12永嘉門院〈瑞子女王〉使家知申状并昭慶門院〈憙子内親王〉御領目録(②)569
  133. 重出:元亨3(1323).10.12文殿評定文(②498)、②498
  134. 「木本領家村」「木本地頭村」「木本新田村」等あり。
  135. 重出:徳治3(1308).9.- 越前国井野部郷年貢散用状(②310)、②310、325、325、326、326、328、333、343、343、345、348、364、365、366、367、368、369、370、371、372、375
  136. 重出:嘉暦3(1328).3.27六波羅下知状(②12)
  137. 重出:嘉暦3(1328).3.27六波羅下知状(②12)
  138. 重出:嘉暦3(1328).3.27六波羅下知状(②12)、②474
  139. 「穴間大谷村」あり。
  140. 重出:応永2(1395).11.22斯波義将書状案(②326)、②328、331、350、362、362、364、365、370
  141. 重出:応永2(1395).②.4醍醐寺方管諸門跡等所領目録(②370)、②328
  142. 重出:永正1(1046).12.25宝慶寺寺領目録(⑦392)
  143. 応永25(1418).7.10足利義持書状に「越前国牛原四ケ郷」とある(②328)、②334
  144. 「稲郷村」として。
  145. 「木本領家村」「木本地頭村」「木本新田村」等あり。
  146. 重出:永禄12(1569).6.16宝慶寺寺領納帳「左開村」(⑦398)、②567
  147. 重出:永禄12(1569).6.16宝慶寺寺納納帳(⑦399)
  148. 重出:永禄12(1569).6.16宝慶寺寺納納帳(⑦399)
  149. 重出:天文8(1539).10.18平泉寺賢聖院院領目録(⑦648)、⑥639、「井ノ口村」として、⑥641
  150. 重出:天正10(1582).2.21柴田勝安判物(⑦551)、⑦552、坂井郡にもあり。
  151. 重出:永禄11(1568).6.2高村存秀買得地目録(⑦656)
  152. 「坂谷六呂師村」として。
  153. 重出:永禄11(1568).6.2高村存秀買得地目録(⑦656)
  154. 「若猪野村」として。
  155. 「遅羽口村」として。
  156. 重出:永禄12(1569).6.16宝慶寺寺納納帳(⑦399)、「しゃうふ池村」として、⑦574
  157. 重出:天正19(1591).12.17六呂師村等稗割覚「中お村」として(⑦559)、⑦562
  158. 重出:文禄5(1596).(1596).⑦.17織田秀雄知行宛行状(②697)
  159. 重出:永禄11(1568).(1568).6.2高村存秀買得地目録(⑦656)
  160. 重出:永禄11(1568).6.2高村存秀買得地目録(⑦656)
  161. 重出:永禄11(1568).6.2高村存秀買得地目録(⑦656)、②698
  162. 重出:天正19(1591).12.17六呂師村等稗割覚「ろくろし村」として(⑦559)、⑦419、562
  163. 「木本領家村」「木本地頭村」「木本新田村」等あり。
  164. 重出:永禄11(1568).6.2高村存秀買得地目録(⑦656)
  165. 重出:永禄11(1568).6.2高村存秀買得地目録(⑦656)
  166. 「若猪野村」として。
  167. 重出:永禄12(1569).6.16宝慶寺寺納納帳(⑦400)
  168. 「平沢領家村」「平沢地頭村」あり。
  169. 重出:天正19(1591).6.14専西寺門徒等起請文(②568)
  170. 重出:天正19(1591).6.14専西寺門徒等起請文「五てうはう村」(②567)
  171. 重出:天正19(1591).6.14専西寺門徒等起請文「阿たうそ村」(②568)
  172. 重出:天正19(1591).6.4専西寺門徒等起請文(②568)
  173. 重出:慶長3(1598).7.18朝日村検地帳(⑦933)
  174. 重出:慶長3(1598).7.15河合村検地帳に「かふこふ村」「かうこ村」として(⑦559)
  175. 重出:文禄5(1596).11.20長勝寺門徒連署請文(⑦706)
  176. 「角野前坂村」「朝日前坂村」として。
  177. 重出:文禄5(1596).⑦.17織田秀雄知行宛行状「荒井村」(②697)、⑦621
  178. 重出:天正19(1591).6.14印内村水論証文写(⑦128)
  179. 重出:文禄5(1596).9.15野木賑重書状(⑦706)
  180. 『福井県の地名』に、「貝皿村」「天正一二年(一五八四)四月一五日付の長勝(ちようしよう)寺(現大野市)への帰参連判状(長勝寺文書)に「下かしさら村」とみえる」とある。
  181. 「味見野津又村」として。
  182. 坂井郡にもあり。
  183. 重出:年未詳.4.8藤氏長者宣(②15)、②16
  184. 「承久二年(一二二〇)に著された「三外往生伝」には「沙門覚勝者、住越前国坂南郡阿弥陀院」と記されており、また鎌倉末期のものとされる坪江上郷条々(大乗院文書)には、永仁六年(一二九八)奈良春日(かすが)神社の神体が御笠(みかさ)山から「越前国坂北郡坪江郷金津」に到着したということが記され、鎌倉時代以降「坂南郡」「坂北郡」に分れていたことがわかる。この両郡は江戸時代初期まで続いたが、寛文四年(一六六四)以来再び坂井郡となった」(『福井県の地名』「坂井郡」の項)
  185. 重出:天平神護2(766).10.21越前国司解(①144)
  186. 重出:天平神護2(766).10.21越前国司解(①163)、①145、299、藤原京木簡(①298)
  187. 重出:延暦8(789).11.4長岡京跡木簡(①307)、②38「高椋郷」、②192、②630「たかむくの郷」、②504、」694、728
  188. 重出:貞和4(1348).9.2光厳上皇院宣(②503)、②503、504、504、「なうねの郷」②400、630、711、②694、728、④105
  189. 重出:藤原京木簡(①298)
  190. 重出:年月日未詳「室町幕府諸国料所方支証目録」(②830)、「磯部新保村」「磯部島村」あり。
  191. 重出:延暦8(789).11.18長岡京木簡に「袋郷」として(①307)
  192. 他に、阿蘇田里 (144)、串方里、串方西里、枌谷里(145)、大口里(158)、俣井里(160)、神田里、一売墓田里(p.161)、沼辺里、片沼里 、池田里(p.165)、口利里(p.167)、社里、粟生里、馬立里(p.168)、布居里、高田里(p.171)、社田里(p.172)、宮処西新里(p.174)、味岡里
  193. 重出:文安2(1445).8.4越前国一王寺東寺修造料足奉加人数注進状(②153)、④60、61、63、242、242、「本郷村」として。
  194. 重出:長禄2(1458).12.2竜沢寺寺領目録(④640)、②405、727、894、④642
  195. 重出:延文2(1357).11.30光厳上皇院宣(②503)、②504、504
  196. 重出:天正3(1575).9.3越前国相越記(③479)、②495、④951
  197. 重出:応安5(1372).7.-「越前国河合荘雑掌申状案」(②321)、②728、「春近本堂村」として。
  198. 重出:文安4(1447).2.24玉菊丸給分注文(②490)、②16、491、492、493、493、③479、117、⑤684
  199. 重出:宝徳4(1452).1.14継舜奉書案(②491)、③477、④283、322、322、
  200. 重出:長禄2(1458).12.- 称念寺并光明院等寺領惣目録(④694)、②732
  201. 重出:長禄2(1458).12.- 称念寺并光明院等寺領惣目録(④693)、②694、732
  202. 重出:永正17(1520).4.- 前波藤房田地売券写(④280)③479、④414、952、953、954、954、「本郷荒井村」として。
  203. 重出:天文21(1552).4.3杉若吉藤陳状(②454)、②455、456、458、479、539、728、732、④417、501、949
  204. 重出:長禄2(1458).12.- 称念寺并光明院等寺領惣目録(④694)、②158、③479、④321、322、322、322、323、950
  205. 重出:天正3(1575).9.3越前国相越記(③479)、④951
  206. 重出:寛正4(1463).11.25室町幕府奉行人連署奉書(②493)、②45、③479、479、④953、「細呂木村」として。
  207. <重出:天正3(1575).9.3越前国相越記(③479)、②620、④951
  208. 重出:永禄9(1566).⑧.28福岡吉清書状(④414)、③479、④414、415、417、「本庄ノ郷」④418
  209. 重出:年未詳-.-.-越前国最勝神護寺東寺修造料足奉加人数注進状(②158)
  210. 重出:平安/鎌倉期 越前国河口庄御前帳写(④950)
  211. 『和名抄』東急本は「多加牟久」と訓ずる。『福井県の地名』は「多加牟久村」を高向郷、現坂井郡丸岡町に比定しており(40頁)、これに従った。『上宮記』の成立は7世紀段階(『岩波日本史辞典』)とされることから、7世紀に分類した。
  212. 重出:大治5(1130).3.13東大寺諸荘文書并絵図等目録(①234)
  213. 大治5.3.13東大寺文書絵図目録中に見えるが、前後関係から8世紀とした。
  214. 「船寄郷」あり参照。「舟寄村」として。
  215. 年月日未詳であるが、前文中に「其七十七代御門白河法皇(後白河の誤)」「保元年中」などの文言が見られることから、姑く12世紀に分類しておく。なお、同文書署名のうち、「勅使中納言時実」は実在せず、文書前文の再検討が必要と思われる。
  216. 重出:年月日未詳 竜沢寺寺領坪付帳(④642)、「御簾尾村」として。
  217. 重出:天正3(1575).9.- 柴田勝家定書(④954)、②604「とゝろき村」、丹生郡にも「轟村」あり。
  218. 足羽郡にも「大谷村」あり。
  219. 「大牧村」として。
  220. 重出:天正11(1583).4.- 羽柴秀吉禁制(④954)
  221. 足羽郡・丹生郡にもあり。
  222. 重出:慶長3(1598).7.15坂井郡村々塩浜検地帳(③772)
  223. 大野郡にもあり。
  224. 重出:天正11(1583).8.4丹波長秀知行宛行状(②834)
  225. 重出:天正13(1585).⑧.22堀秀政知行宛行状(②728)
  226. 吉田郡にもあり。
  227. 「田中中村」「東田中村」「一本田中村」あり。
  228. 「吉崎浦」として。
  229. 重出:慶長3(1598).11.12溝江長澄寺領寄進状(④404)
  230. 大野郡にもあり。
  231. 「下野村」として。
  232. 重出:慶長3(1598).7.15坂井郡村々塩浜検地帳(③772)
  233. 「西畑村」として。
  234. 「大窪村」として。
  235. 同文書に、所属郡未詳の「中村」「渡り村」「下村」が見える。
  236. <「山口吉谷村」として。
  237. 「吉田郡の名は、「延喜式」「和名抄」などにはみえず、古代には足羽郡の一部であったと考えられる。鎌倉時代になって足羽郡より分置されたようで、「正法眼蔵」の奥書に「寛元々年癸卯七月三日丁未書写于越州吉田郡志比庄吉峯寺院主房懐弉」とみえる。しかしその後もこの郡名はあまり使われなかったのか、「太平記」にはみえず、郡域内に構営された足利方の諸城も「足羽七城」と記している。明徳元年(一三九〇)四月二日の銘をもつ長崎道場(現坂井郡丸岡町の称念寺)の梵鐘(現丹生郡越前町浄盛寺蔵)に「当国吉田郡芝原住人」とみえ、これ以後、散見されるようになる」(『福井県の地名』)
  238. 「中郷村」として。
  239. 重出:天文2(1533).3.23小泉吉宗寄進状(⑤290)
  240. 重出:年未詳-.9.11本願寺教如消息「下ノ郷」(③650)
  241. 重出:慶長5(1600).11.21林伝右衛門尉判物(④51)
  242. 『福井県県史』資料編2 中世(p.620)は、「(足羽郡)」と注記するが、同記の坂井郡「関郷」との地理的関係、近世村への接続等から、吉田郡所属とした。
  243. 重出:年未詳-.9.11本願寺教如消息「タカヤ村」(③650)
  244. 「南条郡の名は「延喜式」「和名抄」にはみえない。「和名抄」高山寺本にみえる敦賀郡内の鹿蒜郷・従者郷(現今庄町)、またか内の岡本郷(現武生市)が旧南条郡域に比定されているところから、敦賀郡・丹生郡から割郡されて成立したと思われる。その時期は不明だが、中世も遅い頃と思われる。初めは「南仲条郡」と書かれ、慶長三年(一五九八)の検地帳にみえるのが最も早く、その郡域は同一一年頃の越前国絵図によって明らかにすることができる」(『福井県の地名』)
  245. 重出:弘治2(1556).4.5一理政勝判物(⑥827)、⑥858
  246. 重出:応安7(1374).11.2後円融天皇綸旨(②845)
  247. 重出:応安7(1374).11.2後円融天皇綸旨(②845)
  248. 重出:応安7(1374).11.2後円融天皇綸旨(②845)
  249. 重出:文禄2(1593).10.17大谷浦年貢皆済状(⑥953)、⑥953、「大谷浦」として。
  250. 重出:文禄3(1594).3.15舟寄山請山証文(⑥859)、⑥860
  251. 「小倉谷村」として。
  252. 「大良浦」として。
  253. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)、⑥677
  254. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  255. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  256. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  257. 「大塩湯谷村」として。重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  258. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  259. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  260. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  261. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥333)
  262. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥333)
  263. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥332)
  264. 重出:年月日未詳 大谷吉継府中郡知行分惣目録(⑥331)
  265. 「織豊時代の一時期私称された郡名で、慶長三年(一五九八)のいわゆる太閤検地関係史料にその名がみえる」(『福井県の地名』)
  266. 弘仁14年(823)越前国江沼郡・加賀郡が分立して加賀国に、同年6月江沼郡から能美郡を、加賀郡から石川郡を分立(『日本紀略』)
  267. 重出:「山代郷」として平城京木簡に所見(①299)
  268. 重出:長岡京木簡に「額田郷米五斗」とあり(①316)
  269. 重出:平城宮木簡(①299)
  270. 重出:長岡京木簡に「延暦□年七月六□」として(①316)、①316
  271. 弘仁14年(823)越前国江沼郡・加賀郡が分立して加賀国に、同年6月江沼郡から能美郡を、加賀郡から石川郡を分立(日本紀略)
  272. 『日本霊異記』は、弘仁年間(810-823)成立とされるため、一応9世紀に分類したが、記録・編纂物・物語・風土記等に現れる郷村名の年代比定については要検討。
  273. 重出:慶長3(1598).8.5小早川秀秋知行宛行状(②604)