「下野国」の版間の差分

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==概要==
==概要==
===概要===
===概要===
 下野国(現栃木県)は、律令制以前の下毛野国と那須国とが統合して、7世紀後半頃に成立した。陸奥・上野・常陸・下総・武蔵各国と接し、古代から現在の栃木県に至るまで、一部を除いて国境は固定されている。古代には地理的条件から対蝦夷の軍事拠点としての役割を果たしていた。源平争乱期以降、国内の武士団は全国的な広がりをもって活躍し、室町幕府を開いた源姓足利氏や鎌倉幕府の有力御家人であった小山氏・宇都宮氏などが栄えたが、江戸幕府下で大名となった家はほとんどなく、まさしく中世を特徴付ける武士団が発生した地であるといえる。<br>
 下野国(現栃木県)は、律令制以前の下毛野国と那須国とが統合して、7世紀後半頃に成立した。陸奥・上野・常陸・下総・武蔵各国と接し、古代から現在の栃木県に至るまで、一部を除いて国境は固定されている。古代には地理的条件から対蝦夷の軍事拠点としての役割を果たしていた。源平争乱期以降、国内の武士団は全国的な広がりをもって活躍し、室町幕府を開いた源姓足利氏や鎌倉幕府の有力御家人であった小山氏・宇都宮氏などが栄えたが、江戸幕府下で大名となった家はほとんどなく、まさしく中世を特徴付ける武士団が発生した地であるといえる。<br>
 『和名類聚抄』(高山寺本)には、足利・梁田・安蘇・都賀・寒川・河内・芳賀・塩屋・那須の九郡が記されており、国府は都賀郡に所在した。律令制の弛緩に伴い、国内で荘園が成立し始めるが、この流れに決定的な役割を果たしたのが天仁元年(1108)の浅間山大噴火である。火山灰の影響によって国内荘園は荒廃したが、再開発によって下野国南部が荘園化し、律令制的郡郷制が崩壊した。したがって、12世紀以降、国内では『和名抄』記載の郡名が記されることはなく、代わりに荘園名や新たな郡名(犬飼郡・東真壁郡・氏家郡など)を冠して「郷」や「村」が史料上に現れるようになるとともに、古代の郡域とは無関係に荘園や新たな郡域が設定されることとなる。
 『和名類聚抄』(高山寺本)には、足利・梁田・安蘇・都賀・寒川・河内・芳賀・塩屋・那須の九郡が記されており、国府は都賀郡に所在した。律令制の弛緩に伴い、国内で荘園が成立し始めるが、この流れに決定的な役割を果たしたのが天仁元年(1108)の浅間山大噴火である。火山灰の影響によって国内荘園は荒廃したが、再開発によって下野国南部が荘園化し、律令制的郡郷制が崩壊した。したがって、12世紀以降、国内では『和名抄』記載の郡名が記されることはなく、代わりに荘園名や新たな郡名(犬飼郡・東真壁郡・氏家郡など)を冠して「郷」や「村」が史料上に現れるようになるとともに、古代の郡域とは無関係に荘園や新たな郡域が設定されることとなる。
===典拠史料===
===典拠史料===
===凡例===
===凡例===
==郷村表==
==郷村表==
===足利郡===
===足利郡===
====郷(里)====
====郷(里)====
大窪、田部、堤田、土師
大窪、田部、堤田、土師
{|class="wikitable"
{|class="wikitable"
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! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|波自可里<ref>天平勝宝4(752).10.25造東寺司牒(「正倉院御物」、県古p.78)では「土師郷」、中世以降は「葉鹿」と記載(享徳4〈1455〉.6.8鑁阿寺仏事銭請取状〈「鑁阿寺文書」、県中1p.583〉)。</ref>☆||足利郡||(大宝3)10.22||703||〔藤原宮出土荷札木簡〕【土師】下毛野国足利郡波自可里鮎大贄一古参年十月廿二日||藤木簡1p.47<br>藤原宮出土木簡
|波自可里<ref>天平勝宝4(752).10.25造東寺司牒(「正倉院御物」、県古p.78)では「土師郷」、中世以降は「葉鹿」と記載(享徳4〈1455〉.6.8鑁阿寺仏事銭請取状〈「鑁阿寺文書」、県中1p.583〉)。</ref>☆||足利郡||(大宝3)10.22||703||〔藤原宮出土荷札木簡〕【土師】下毛野国足利郡波自可里鮎大贄一古参年十月廿二日||藤木簡1p.47<br>藤原宮出土木簡
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|高橋(郷)☆<br>田嶋郷☆||足利荘<br>(足利)||仁治2.2.-||1241||〔足利義氏下文〕(花押)/下 足利御庄公文所/可早任先例催勤堀内御堂講筵以下六斎日湯事‖一、五月廿九日〈故判官殿御忌日〉・六月十二日〈中尼御前御忌日〉・六月廿三日〈大尼御前御忌日〉御忌日事、右此忌日用途者、高橋・木戸・小曾祢・田嶋郷々先例令勤仕候歟、||県中1p.365<br>鑁阿寺文書
|高橋(郷)☆<br>田嶋郷☆||足利荘<br>(足利)||仁治2.2.-||1241||〔足利義氏下文〕(花押)/下 足利御庄公文所/可早任先例催勤堀内御堂講筵以下六斎日湯事‖一、五月廿九日〈故判官殿御忌日〉・六月十二日〈中尼御前御忌日〉・六月廿三日〈大尼御前御忌日〉御忌日事、右此忌日用途者、高橋・木戸・小曾祢・田嶋郷々先例令勤仕候歟、||県中1p.365<br>鑁阿寺文書
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|粟谷郷<ref>観応3(1352).10.22足利尊氏御判御教書(「専修寺文書」、県中2p.211)に「下野国足利庄粟谷郷」とあり。</ref>☆||(足利)||宝治2.2.-||1248||〔足利正義置文案〕定置/若宮修正・両界用途料事‖因茲、相尋供僧之間、所令出正治年中送文等已明鏡也、以不違父母之教命、為孝行之本躰、然者相分足利粟谷郷地利、永以可奉送御壇所、||県中2p.277<br>鶴岡八幡宮文書
|粟谷郷<ref>観応3(1352).10.22足利尊氏御判御教書(「専修寺文書」、県中2p.211)に「下野国足利庄粟谷郷」とあり。</ref>☆||(足利)||宝治2.2.-||1248||〔足利正義置文案〕定置/若宮修正・両界用途料事‖因茲、相尋供僧之間、所令出正治年中送文等已明鏡也、以不違父母之教命、為孝行之本躰、然者相分足利粟谷郷地利、永以可奉送御壇所、||県中2p.277<br>鶴岡八幡宮文書
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|月谷郷☆<br>樺崎郷☆||(足利)||年月日未詳||13C||〔鑁阿寺樺崎寺縁起并仏事次第〕一、多宝塔者〈左馬頭義氏御願、月谷郷之内在免田、号塔免、正月七日修正在之、請僧七口、餅百廿枚百姓所役也〉‖/一、樺崎者、上総介義兼文治年中、為泰衡〈秀衡次男〉追罰大将奥州御発向之時、自路次以使者櫻野、為御祈禱御寄進地也、〈樺崎郷者逐電跡〉||県中1p.399<br>鑁阿寺文書
|月谷郷☆<br>樺崎郷☆||(足利)||年月日未詳||13C||〔鑁阿寺樺崎寺縁起并仏事次第〕一、多宝塔者〈左馬頭義氏御願、月谷郷之内在免田、号塔免、正月七日修正在之、請僧七口、餅百廿枚百姓所役也〉‖/一、樺崎者、上総介義兼文治年中、為泰衡〈秀衡次男〉追罰大将奥州御発向之時、自路次以使者櫻野、為御祈禱御寄進地也、〈樺崎郷者逐電跡〉||県中1p.399<br>鑁阿寺文書
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|橋本郷<ref>正長4(1431).3.17橋本郷田畠目録(「鑁阿寺文書」、県中1p.411)、天正13(1585).2.11橋本郷百姓申状(「鑁阿寺文書」、県中4p.406)にも橋本郷あり。</ref>||(足利)||年月日未詳<br>(康永2.3.13書写)||13C||〔郷々寺役記<ref>「郷々寺役記」については、永村眞「鎌倉時代の鑁阿寺経営―「郷々寺役記」を通じて―」(田中大喜編『中世関東武士の研究 第9巻 下野足利氏』戎光祥出版、2013年、初出は1983年)を参照した。「郷々寺役記」は元亨~正慶期(1321~1333)の間に、法会の再興・整備や堂宇再建などの意図のもと、第十代寺務性尊が文永~永仁期(1264~1299)の寺内文書・帳簿類から抜書した注文を、康永2年(1343)に弟子の実鑁が書写したものとされる。これを踏まえ、13C(鎌倉末期)にはすでに「郷々寺役」記載の郷名が存在したものとみなし、13Cに初出するものとして扱った。</ref>〕郷々寺役事/一、牛王紙廿帖〈公文所々下、修正料〉‖段別餅六十枚〈涌釜郷役、正月護摩堂積之〉‖一、中御堂灯油仏供事/三舛六合〈小曽称(小曽祢)郷〉、二舛七合〈木戸郷〉、一舛八合〈高橋郷〉、二舛七合〈田嶋郷〉、已上油一斗八合〈此内三合者、修正中日輪灯〉、御仏供五石四斗〈白米宣旨定、高橋郷役〉、/同中御堂毎月十五日、舎利講供料事‖二石四斗荒萩郷、一石四(五)斗生河郷‖一、十二斎御仏供、白米一石四斗四舛〈宣旨定、高橋郷役〉、行日請之〈自行妙承仕之時納之云々〉、一、毎月十八日観音講供料 一石二斗〈籾、宣旨定、荒萩郷役〉、付月性房阿闍梨坊納之、‖一、三月八日一切経会用途廿貫文事/十二貫百卅七文〈橋本郷役〉/七貫八百六十三文〈借宿郷役〉、‖一、六日(月)八日御仏事用途事/皆料現銭六貫百五十文/二貫文 葉鹿郷/一貫文 荒萩郷/五百文 生河郷/五百文 朝倉郷/二貫百五十六文 涌釜郷/御仏御衣絹裹紙・経料紙同涌釜郷沙汰、/一、同十二日東御堂御仏事用途事/御布施・僧饍料共現銭三貫百三十三文高橋郷沙汰、‖一、七月十四日盂蘭盆供事/‖又苽十、涌釜郷役、||『中世関東武士の研究第9巻下野足利氏』p.373
|橋本郷<ref>正長4(1431).3.17橋本郷田畠目録(「鑁阿寺文書」、県中1p.411)、天正13(1585).2.11橋本郷百姓申状(「鑁阿寺文書」、県中4p.406)にも橋本郷あり。</ref>||(足利)||年月日未詳<br>(康永2.3.13書写)||13C||〔郷々寺役記<ref>「郷々寺役記」については、永村眞「鎌倉時代の鑁阿寺経営―「郷々寺役記」を通じて―」(田中大喜編『中世関東武士の研究 第9巻 下野足利氏』戎光祥出版、2013年、初出は1983年)を参照した。「郷々寺役記」は元亨~正慶期(1321~1333)の間に、法会の再興・整備や堂宇再建などの意図のもと、第十代寺務性尊が文永~永仁期(1264~1299)の寺内文書・帳簿類から抜書した注文を、康永2年(1343)に弟子の実鑁が書写したものとされる。これを踏まえ、13C(鎌倉末期)にはすでに「郷々寺役」記載の郷名が存在したものとみなし、13Cに初出するものとして扱った。</ref>〕郷々寺役事/一、牛王紙廿帖〈公文所々下、修正料〉‖段別餅六十枚〈涌釜郷役、正月護摩堂積之〉‖一、中御堂灯油仏供事/三舛六合〈小曽称(小曽祢)郷〉、二舛七合〈木戸郷〉、一舛八合〈高橋郷〉、二舛七合〈田嶋郷〉、已上油一斗八合〈此内三合者、修正中日輪灯〉、御仏供五石四斗〈白米宣旨定、高橋郷役〉、/同中御堂毎月十五日、舎利講供料事‖二石四斗荒萩郷、一石四(五)斗生河郷‖一、十二斎御仏供、白米一石四斗四舛〈宣旨定、高橋郷役〉、行日請之〈自行妙承仕之時納之云々〉、一、毎月十八日観音講供料 一石二斗〈籾、宣旨定、荒萩郷役〉、付月性房阿闍梨坊納之、‖一、三月八日一切経会用途廿貫文事/十二貫百卅七文〈橋本郷役〉/七貫八百六十三文〈借宿郷役〉、‖一、六日(月)八日御仏事用途事/皆料現銭六貫百五十文/二貫文 葉鹿郷/一貫文 荒萩郷/五百文 生河郷/五百文 朝倉郷/二貫百五十六文 涌釜郷/御仏御衣絹裹紙・経料紙同涌釜郷沙汰、/一、同十二日東御堂御仏事用途事/御布施・僧饍料共現銭三貫百三十三文高橋郷沙汰、‖一、七月十四日盂蘭盆供事/‖又苽十、涌釜郷役、||『中世関東武士の研究第9巻下野足利氏』p.373
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|駒庭郷<ref>この時期には、隣接する赤見郷と一体化していたようである。『天保郷帳』では駒場村。</ref>☆||足利荘<br>(足利)||乾元2.④.12||1303||〔足利貞氏下文案〕足利庄内赤見駒庭郷半分、‖木戸郷内屋敷田畠、‖加子郷内屋敷田畠〈子細同前〉、||県中3p.10<br>倉持文書
|駒庭郷<ref>この時期には、隣接する赤見郷と一体化していたようである。『天保郷帳』では駒場村。</ref>☆||足利荘<br>(足利)||乾元2.④.12||1303||〔足利貞氏下文案〕足利庄内赤見駒庭郷半分、‖木戸郷内屋敷田畠、‖加子郷内屋敷田畠〈子細同前〉、||県中3p.10<br>倉持文書
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|寺岡郷☆||足利荘<br>(足利)||正和3.3.28||1314||〔栗生敬願譲状写〕足利庄寺岡郷内屋敷・給田畠事、||県中3p.405<br>尊経閣文庫所蔵文書
|寺岡郷☆||足利荘<br>(足利)||正和3.3.28||1314||〔栗生敬願譲状写〕足利庄寺岡郷内屋敷・給田畠事、||県中3p.405<br>尊経閣文庫所蔵文書
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|五ケ郷☆||(足利)||正和5.9.-||1316||〔常行堂三昧田注文案〕注進 日光山常行堂分三昧田事/合/一丁 検校分 五ケ郷/三反 上執事 下条/七反 同 田村/一丁 同 木村/一丁 堂僧 福原/四丁 堂僧 犬飼/四丁 堂僧 菅田/一丁 堂僧 下條/三丁 堂僧 少〔小〕薬/一丁 承仕 菅田/二丁 承仕 下条/已上十九丁||県中1p.38<br>輪王寺文書
|五ケ郷☆||(足利)||正和5.9.-||1316||〔常行堂三昧田注文案〕注進 日光山常行堂分三昧田事/合/一丁 検校分 五ケ郷/三反 上執事 下条/七反 同 田村/一丁 同 木村/一丁 堂僧 福原/四丁 堂僧 犬飼/四丁 堂僧 菅田/一丁 堂僧 下條/三丁 堂僧 少〔小〕薬/一丁 承仕 菅田/二丁 承仕 下条/已上十九丁||県中1p.38<br>輪王寺文書
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|羽田郷☆||(足利)||嘉暦3.4.8||1328||〔三善貞広寄進状并寺領注文案〕永寄進上野国佐貫庄内高根郷内弘願寺領事、/在所同庄内所々名田畠在家等并下野国羽田郷等〈注文在別紙者〉、/右以所々相伝之所領田畠在家等、任注文、永代奉施□畢、||県中3p.312<br>長楽寺文書
|羽田郷☆||(足利)||嘉暦3.4.8||1328||〔三善貞広寄進状并寺領注文案〕永寄進上野国佐貫庄内高根郷内弘願寺領事、/在所同庄内所々名田畠在家等并下野国羽田郷等〈注文在別紙者〉、/右以所々相伝之所領田畠在家等、任注文、永代奉施□畢、||県中3p.312<br>長楽寺文書
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|丸木郷<ref> 「清源寺所蔵高階系図」(『近代足利市史 第三巻史料編』足利市、1979年)の高頼基の注記に「文永二年下野国足利庄内丸木郷令領知」とある。</ref>||(足利)||観応2.10.1||1351||〔鶴岡社務記録〕一日、樺崎へ丸木郷御寄進之由、自足利告申了、||鶴叢書2p.41<br>鶴岡社務記録
|丸木郷<ref> 「清源寺所蔵高階系図」(『近代足利市史 第三巻史料編』足利市、1979年)の高頼基の注記に「文永二年下野国足利庄内丸木郷令領知」とある。</ref>||(足利)||観応2.10.1||1351||〔鶴岡社務記録〕一日、樺崎へ丸木郷御寄進之由、自足利告申了、||鶴叢書2p.41<br>鶴岡社務記録
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|垣見郷☆<br>(恒見)||(足利)||文和1.1.20||1352||〔鶴岡社務記録〕廿日、赤御堂へ垣(恒)見郷御寄進状、筑州甥持参、||鶴叢書2p.42<br>鶴岡社務記録
|垣見郷☆<br>(恒見)||(足利)||文和1.1.20||1352||〔鶴岡社務記録〕廿日、赤御堂へ垣(恒)見郷御寄進状、筑州甥持参、||鶴叢書2p.42<br>鶴岡社務記録
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|大窪郷☆||足利荘<br>(足利)||正平7.2.6||1352||〔足利尊氏下文〕【大窪】可令早領知下野国足利庄内大窪郷・生河郷・戸森郷・小江郷事/右、為馴馬・梅木・白根・高岡郷々之替、所充行也、||県中4p.153<br>高文書
|大窪郷☆||足利荘<br>(足利)||正平7.2.6||1352||〔足利尊氏下文〕【大窪】可令早領知下野国足利庄内大窪郷・生河郷・戸森郷・小江郷事/右、為馴馬・梅木・白根・高岡郷々之替、所充行也、||県中4p.153<br>高文書
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|介戸郷☆||(足利)||観応3.7.24||1352||〔足利尊氏袖判下文〕右為介戸郷内紀五小太郎跡替所宛行也、||県中4p.36<br>佐野文書
|介戸郷☆||(足利)||観応3.7.24||1352||〔足利尊氏袖判下文〕右為介戸郷内紀五小太郎跡替所宛行也、||県中4p.36<br>佐野文書
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|山河郷☆||足利荘<br>(足利)||康暦2.4.10||1380||〔安芸守某打渡状〕足利庄山河郷内観音堂俗別当職・散在免田畠等事||県中4p.20<br>小川文書
|山河郷☆||足利荘<br>(足利)||康暦2.4.10||1380||〔安芸守某打渡状〕足利庄山河郷内観音堂俗別当職・散在免田畠等事||県中4p.20<br>小川文書
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|鵤木郷☆<br>西庭郷☆<br>東利保郷☆||足利荘<br>(足利)<br>||応永8.12.23||1401||〔鎌倉公方足利満兼寄進状〕下野国足利庄借宿郷道場定光寺・同庄借宿郷内・鵤木郷内・澁垂郷内・小曾祢郷内・塚嶋郷内・西庭郷内・寺岡郷内・東利保郷内笠原給・同所大前岡跡・同所大前下跡等散在分||県中1p.358<br>鑁阿寺文書
|鵤木郷☆<br>西庭郷☆<br>東利保郷☆||足利荘<br>(足利)<br>||応永8.12.23||1401||〔鎌倉公方足利満兼寄進状〕下野国足利庄借宿郷道場定光寺・同庄借宿郷内・鵤木郷内・澁垂郷内・小曾祢郷内・塚嶋郷内・西庭郷内・寺岡郷内・東利保郷内笠原給・同所大前岡跡・同所大前下跡等散在分||県中1p.358<br>鑁阿寺文書
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|山下郷☆||足利荘<br>(足利)||応永13.8.19||1406||〔鎌倉府奉行人連署奉書〕小俣寺務代猷誉申下野国足利庄山下郷内平石智光寺六供々僧時衆壱分事、||県中1p.314<br>鶏足寺文書
|山下郷☆||足利荘<br>(足利)||応永13.8.19||1406||〔鎌倉府奉行人連署奉書〕小俣寺務代猷誉申下野国足利庄山下郷内平石智光寺六供々僧時衆壱分事、||県中1p.314<br>鶏足寺文書
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|勧農郷<ref>享徳3(1454).5.1足利成氏寄進状(「鑁阿寺文書」、県中1p.400)に「足利庄勧農郷」とあり。</ref>☆||(足利)||応永29.9.2||1422||〔宥俊譲状〕譲渡 三位律師俊助/足利鑁阿寺寶塔院職半分并椛崎辻部屋職・勧農郷内〈柒際田壱段、屋敷同畠二段〉・同郷内彦部給〈但一期之後者可返俗候云々〉・同郷内桑山給田畠壱町事、||県中1p.414<br>鑁阿寺文書
|勧農郷<ref>享徳3(1454).5.1足利成氏寄進状(「鑁阿寺文書」、県中1p.400)に「足利庄勧農郷」とあり。</ref>☆||(足利)||応永29.9.2||1422||〔宥俊譲状〕譲渡 三位律師俊助/足利鑁阿寺寶塔院職半分并椛崎辻部屋職・勧農郷内〈柒際田壱段、屋敷同畠二段〉・同郷内彦部給〈但一期之後者可返俗候云々〉・同郷内桑山給田畠壱町事、||県中1p.414<br>鑁阿寺文書
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|名草郷☆||足利荘<br>(足利)||正長1.10.7||1428||〔鎌倉公方足利持氏寄進状〕寄進 鑁阿寺/下野国足利庄内名草郷参分壱〈名草兵部大輔入道跡〉事、||県中1p.375<br>鑁阿寺文書
|名草郷☆||足利荘<br>(足利)||正長1.10.7||1428||〔鎌倉公方足利持氏寄進状〕寄進 鑁阿寺/下野国足利庄内名草郷参分壱〈名草兵部大輔入道跡〉事、||県中1p.375<br>鑁阿寺文書
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|五百部郷<ref> 『天保郷帳』は「五十部(よべ)村」。『和名抄』の余戸郷を「よべ」と訓じ、五百部郷を遺称地とする説あり。</ref>☆||足利荘<br>(足利)||永享5.4.5||1433||〔珍誉譲状〕料所下野国足利庄赤見郷内田畠・同庄八日町在家壱宇、并同庄五百部郷内名草給田壱町等事、||県中2p.285<br>相承院文書
|五百部郷<ref> 『天保郷帳』は「五十部(よべ)村」。『和名抄』の余戸郷を「よべ」と訓じ、五百部郷を遺称地とする説あり。</ref>☆||足利荘<br>(足利)||永享5.4.5||1433||〔珍誉譲状〕料所下野国足利庄赤見郷内田畠・同庄八日町在家壱宇、并同庄五百部郷内名草給田壱町等事、||県中2p.285<br>相承院文書
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|稲岡郷☆||足利荘<br>(足利)||宝徳2.5.3||1450||〔小野寺朝通譲状案〕一、下野国小野寺保七ヶ村并佐野庄小中・堀籠両郷、古江・青柳両郷/一、足利庄鵤木郷大平方、同庄之内田嶋村徳応寺分、同庄稲岡郷山名分、同庄西庭分、同庄芳次塚、同庄泉郷等事、||県中1p.592<br>小野寺文書
|稲岡郷☆||足利荘<br>(足利)||宝徳2.5.3||1450||〔小野寺朝通譲状案〕一、下野国小野寺保七ヶ村并佐野庄小中・堀籠両郷、古江・青柳両郷/一、足利庄鵤木郷大平方、同庄之内田嶋村徳応寺分、同庄稲岡郷山名分、同庄西庭分、同庄芳次塚、同庄泉郷等事、||県中1p.592<br>小野寺文書
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|河崎郷☆||足利荘<br>(足利)||宝徳2.5.3||1450||〔小野寺朝通言上状〕一、同国佐野庄之内小中郷・堀籠郷/同庄古江郷・青柳郷・并渕郷・三谷郷等/一、同国足利庄河崎郷田嶋村之内徳応寺分、同庄之内鵤木郷太平方、同芳次塚、庶子分供ニ、同庄之内西庭郷、庶子方諸給分供ニ、||県中1p.593<br>小野寺文書
|河崎郷☆||足利荘<br>(足利)||宝徳2.5.3||1450||〔小野寺朝通言上状〕一、同国佐野庄之内小中郷・堀籠郷/同庄古江郷・青柳郷・并渕郷・三谷郷等/一、同国足利庄河崎郷田嶋村之内徳応寺分、同庄之内鵤木郷太平方、同芳次塚、庶子分供ニ、同庄之内西庭郷、庶子方諸給分供ニ、||県中1p.593<br>小野寺文書
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|八椚郷☆||(足利)||文明15.2.-||1483||〔鑁阿寺仏事銭請取注文案〕窪田郷納所‖八椚郷有之‖葉茗郷納所‖五百文 生河郷‖五百文 朝倉郷‖壱貫文 荒萩郷‖高橋郷納所||県中1p.418<br>鑁阿寺文書
|八椚郷☆||(足利)||文明15.2.-||1483||〔鑁阿寺仏事銭請取注文案〕窪田郷納所‖八椚郷有之‖葉茗郷納所‖五百文 生河郷‖五百文 朝倉郷‖壱貫文 荒萩郷‖高橋郷納所||県中1p.418<br>鑁阿寺文書
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|大目郷<ref>大目郷は大月郷の誤記と考えられている。</ref>☆<br>(大月)||足利荘<br>(足利)||年月日未詳||15C<ref>発給者の足利成氏は、明応6年(1497)に死没している。</ref>||〔足利成氏安堵状写〕(花押影)/赤堀亀増丸進罷預寺領事、‖一、下野国足利庄之内大目郷 浄妙寺領、/彼所之事、今度募恩賞罷預候、||県中3p.309<br>赤堀文書
|大目郷<ref>大目郷は大月郷の誤記と考えられている。</ref>☆<br>(大月)||足利荘<br>(足利)||年月日未詳||15C<ref>発給者の足利成氏は、明応6年(1497)に死没している。</ref>||〔足利成氏安堵状写〕(花押影)/赤堀亀増丸進罷預寺領事、‖一、下野国足利庄之内大目郷 浄妙寺領、/彼所之事、今度募恩賞罷預候、||県中3p.309<br>赤堀文書
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|岩井郷☆||足利荘<br>(足利)||長禄3.12.-||1549||〔高師長本領目録〕高小太郎師長本領事‖一、下野国足利庄内足澤郷 澁垂郷 小曾祢郷 山形郷 岩井郷 荒萩郷||県中3p.367<br>古文書集
|岩井郷☆||足利荘<br>(足利)||長禄3.12.-||1549||〔高師長本領目録〕高小太郎師長本領事‖一、下野国足利庄内足澤郷 澁垂郷 小曾祢郷 山形郷 岩井郷 荒萩郷||県中3p.367<br>古文書集
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|只木郷☆<br>村上郷☆||足利荘<br>(足利)||年未詳8.24||16C||〔長尾景長充行状〕赤塚之地被成在城候付而、足利庄只木郷之内五貫文之所、稲岡郷之内五貫文、村上郷之内五貫文之地、為御堪忍分、進置候、||県中4p.443<br>三浦光祥氏所蔵文書
|只木郷☆<br>村上郷☆||足利荘<br>(足利)||年未詳8.24||16C||〔長尾景長充行状〕赤塚之地被成在城候付而、足利庄只木郷之内五貫文之所、稲岡郷之内五貫文、村上郷之内五貫文之地、為御堪忍分、進置候、||県中4p.443<br>三浦光祥氏所蔵文書
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====村====
====村====
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! style="width:10%"|村!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|村!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|月谷(邑)☆<br>飯塚(邑)||(足利)||13C<br>宝永4.4.-||1707||〔鑁阿寺略縁起〕野之下州足利郡金剛山鑁阿寺略縁起‖爾後左馬頭義氏慕理眞上人、恰若代宗視玄奘、建立十二院、以月谷・飯塚両邑附之、||県中1p.396<br>鑁阿寺文書
|月谷(邑)☆<br>飯塚(邑)||(足利)||13C<br>宝永4.4.-||1707||〔鑁阿寺略縁起〕野之下州足利郡金剛山鑁阿寺略縁起‖爾後左馬頭義氏慕理眞上人、恰若代宗視玄奘、建立十二院、以月谷・飯塚両邑附之、||県中1p.396<br>鑁阿寺文書
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|大窪村☆||(足利)||年月日未詳||13C||〔鑁阿寺樺崎縁起幷仏事次第〕【大窪】因玆、帰依渇仰異于他、則為護持僧、御堀内傍構持仏堂居座、〈寄附大窪村、号御持仏堂供僧、老後彼山麓結草庵閑居云々〉||県中1p.398<br>鑁阿寺文書
|大窪村☆||(足利)||年月日未詳||13C||〔鑁阿寺樺崎縁起幷仏事次第〕【大窪】因玆、帰依渇仰異于他、則為護持僧、御堀内傍構持仏堂居座、〈寄附大窪村、号御持仏堂供僧、老後彼山麓結草庵閑居云々〉||県中1p.398<br>鑁阿寺文書
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|田嶋村<ref>宝徳2.5.3小野寺朝通言上状(「小野寺文書」、県中1p.593)に「足利庄河崎郷田嶋村」とあり。</ref>☆||足利荘<br>(足利)||宝徳2.5.3||1450||〔小野寺朝通譲状案〕一、下野国小野寺保七ヶ村并佐野庄小中・堀籠両郷、古江・青柳両郷/一足利庄鵤木郷大平方、同庄之内田嶋村徳応寺分、同庄稲岡郷山名分、同庄西庭分、同庄芳次塚、同庄泉郷等事、||県中1p.592<br>小野寺文書
|田嶋村<ref>宝徳2.5.3小野寺朝通言上状(「小野寺文書」、県中1p.593)に「足利庄河崎郷田嶋村」とあり。</ref>☆||足利荘<br>(足利)||宝徳2.5.3||1450||〔小野寺朝通譲状案〕一、下野国小野寺保七ヶ村并佐野庄小中・堀籠両郷、古江・青柳両郷/一足利庄鵤木郷大平方、同庄之内田嶋村徳応寺分、同庄稲岡郷山名分、同庄西庭分、同庄芳次塚、同庄泉郷等事、||県中1p.592<br>小野寺文書
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|山川村☆||足利郡||天正19.11.-||1591||〔徳川家康朱印状写〕下野国足利郡山川村之内弐拾石之事、||県中4p.306<br>御内書案
|山川村☆||足利郡||天正19.11.-||1591||〔徳川家康朱印状写〕下野国足利郡山川村之内弐拾石之事、||県中4p.306<br>御内書案
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===梁田郡===
===梁田郡===
====郷(里)====
====郷(里)====
太宅、深川
太宅、深川
{|class="wikitable"
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! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|深川郷||梁田郡||天平勝宝4.10.25||752||〔造東寺司牒〕【深川】芳賀郡石田郷五十戸/足利郡土師郷五十戸/梁田郡深川郷五十戸/都賀郡高栗郷五十戸/塩谷郡片岡郷五十戸||県古p.78<br>正倉院御物
|深川郷||梁田郡||天平勝宝4.10.25||752||〔造東寺司牒〕【深川】芳賀郡石田郷五十戸/足利郡土師郷五十戸/梁田郡深川郷五十戸/都賀郡高栗郷五十戸/塩谷郡片岡郷五十戸||県古p.78<br>正倉院御物
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|木戸(郷)<ref>延慶2(1309).6.16足利貞氏下文(「倉持文書」、県中3p.12)ほかに「足利庄木戸郷」とあり。なお、近世以降は矢場川の付け替えによって上野国に編入。</ref>☆<br>小曾祢(郷)☆||(梁田)<br>(足利荘)||仁治2.2.-||1241||〔足利義氏下文〕(花押)/下 足利御庄公文所/可早任先例催勤堀内御堂講筵以下六斎日湯事‖一、五月廿九日〈故判官殿御忌日〉・六月十二日〈中尼御前御忌日〉・六月廿三日〈大尼御前御忌日〉御忌日事、右此忌日用途者、高橋・木戸・小曾祢・田嶋郷々先例令勤仕候歟、||県中1p.365<br>鑁阿寺文書
|木戸(郷)<ref>延慶2(1309).6.16足利貞氏下文(「倉持文書」、県中3p.12)ほかに「足利庄木戸郷」とあり。なお、近世以降は矢場川の付け替えによって上野国に編入。</ref>☆<br>小曾祢(郷)☆||(梁田)<br>(足利荘)||仁治2.2.-||1241||〔足利義氏下文〕(花押)/下 足利御庄公文所/可早任先例催勤堀内御堂講筵以下六斎日湯事‖一、五月廿九日〈故判官殿御忌日〉・六月十二日〈中尼御前御忌日〉・六月廿三日〈大尼御前御忌日〉御忌日事、右此忌日用途者、高橋・木戸・小曾祢・田嶋郷々先例令勤仕候歟、||県中1p.365<br>鑁阿寺文書
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|荒萩郷<ref>康永3(1344).12.-鑁阿寺雑掌申状写(「鑁阿寺文書」、県中4p.406)に「当庄葉(鹿脱ヵ)・朝倉・荒萩・涌釜郷々地頭等」とあり。</ref>☆<br>生河郷<ref>正平7(1352).2.6足利尊氏下文(「高文書」、県中4p.153)に「下野国足利庄内大窪郷・生河郷・戸森郷・小江郷」とあり。</ref>☆<br>借宿郷<ref>観応2(1351).9.23鑁阿寺雑掌申状写(「鑁阿寺文書」、県中1p.374)に「下野国足利庄内借宿郷〈佐々木近江守妻跡〉」とあり。</ref>☆<br>朝倉郷☆||(梁田)||年月日未詳<br>(康永2.3.13書写)||13C||〔郷々寺役記<ref> 「郷々寺役記」については、永村眞「鎌倉時代の鑁阿寺経営―「郷々寺役記」を通じて―」(田中大喜編『中世関東武士の研究 第9巻 下野足利氏』戎光祥出版、2013年、初出は1983年)を参照した。「郷々寺役記」は元亨~正慶期(1321~1333)の間に、法会の再興・整備や堂宇再建などの意図のもと、第十代寺務性尊が文永~永仁期(1264~1299)の寺内文書・帳簿類から抜書した注文を、康永2年(1343)に弟子の実鑁が書写したものとされる。これを踏まえ、13C(鎌倉末期)にはすでに「郷々寺役」記載の郷名が存在したものとみなし、13Cに初出するものとして扱った。</ref>〕郷々寺役事/一、牛王紙廿帖〈公文所々下、修正料〉‖段別餅六十枚〈涌釜郷役、正月護摩堂積之〉‖一、中御堂灯油仏供事/三舛六合〈小曽称(小曽祢)郷〉、二舛七合〈木戸郷〉、一舛八合〈高橋郷〉、二舛七合〈田嶋郷〉、已上油一斗八合〈此内三合者、修正中日輪灯〉、御仏供五石四斗〈白米宣旨定、高橋郷役〉、/同中御堂毎月十五日、舎利講供料事‖二石四斗荒萩郷、一石四(五)斗生河郷‖一、十二斎御仏供、白米一石四斗四舛〈宣旨定、高橋郷役〉、行日請之〈自行妙承仕之時納之云々〉、一、毎月十八日観音講供料 一石二斗〈籾、宣旨定、荒萩郷役〉、付月性房阿闍梨坊納之、‖一、三月八日一切経会用途廿貫文事/十二貫百卅七文〈橋本郷役〉/七貫八百六十三文〈借宿郷役〉、‖一、六日(月)八日御仏事用途事/皆料現銭六貫百五十文/二貫文 葉鹿郷/一貫文 荒萩郷/五百文 生河郷/五百文 朝倉郷/二貫百五十六文 涌釜郷/御仏御衣絹裹紙・経料紙同涌釜郷沙汰、/一、同十二日東御堂御仏事用途事/御布施・僧饍料共現銭三貫百三十三文高橋郷沙汰、‖一、七月十四日盂蘭盆供事/‖又苽十、涌釜郷役、||『中世関東武士の研究第9巻下野足利氏』p.373
|荒萩郷<ref>康永3(1344).12.-鑁阿寺雑掌申状写(「鑁阿寺文書」、県中4p.406)に「当庄葉(鹿脱ヵ)・朝倉・荒萩・涌釜郷々地頭等」とあり。</ref>☆<br>生河郷<ref>正平7(1352).2.6足利尊氏下文(「高文書」、県中4p.153)に「下野国足利庄内大窪郷・生河郷・戸森郷・小江郷」とあり。</ref>☆<br>借宿郷<ref>観応2(1351).9.23鑁阿寺雑掌申状写(「鑁阿寺文書」、県中1p.374)に「下野国足利庄内借宿郷〈佐々木近江守妻跡〉」とあり。</ref>☆<br>朝倉郷☆||(梁田)||年月日未詳<br>(康永2.3.13書写)||13C||〔郷々寺役記<ref> 「郷々寺役記」については、永村眞「鎌倉時代の鑁阿寺経営―「郷々寺役記」を通じて―」(田中大喜編『中世関東武士の研究 第9巻 下野足利氏』戎光祥出版、2013年、初出は1983年)を参照した。「郷々寺役記」は元亨~正慶期(1321~1333)の間に、法会の再興・整備や堂宇再建などの意図のもと、第十代寺務性尊が文永~永仁期(1264~1299)の寺内文書・帳簿類から抜書した注文を、康永2年(1343)に弟子の実鑁が書写したものとされる。これを踏まえ、13C(鎌倉末期)にはすでに「郷々寺役」記載の郷名が存在したものとみなし、13Cに初出するものとして扱った。</ref>〕郷々寺役事/一、牛王紙廿帖〈公文所々下、修正料〉‖段別餅六十枚〈涌釜郷役、正月護摩堂積之〉‖一、中御堂灯油仏供事/三舛六合〈小曽称(小曽祢)郷〉、二舛七合〈木戸郷〉、一舛八合〈高橋郷〉、二舛七合〈田嶋郷〉、已上油一斗八合〈此内三合者、修正中日輪灯〉、御仏供五石四斗〈白米宣旨定、高橋郷役〉、/同中御堂毎月十五日、舎利講供料事‖二石四斗荒萩郷、一石四(五)斗生河郷‖一、十二斎御仏供、白米一石四斗四舛〈宣旨定、高橋郷役〉、行日請之〈自行妙承仕之時納之云々〉、一、毎月十八日観音講供料 一石二斗〈籾、宣旨定、荒萩郷役〉、付月性房阿闍梨坊納之、‖一、三月八日一切経会用途廿貫文事/十二貫百卅七文〈橋本郷役〉/七貫八百六十三文〈借宿郷役〉、‖一、六日(月)八日御仏事用途事/皆料現銭六貫百五十文/二貫文 葉鹿郷/一貫文 荒萩郷/五百文 生河郷/五百文 朝倉郷/二貫百五十六文 涌釜郷/御仏御衣絹裹紙・経料紙同涌釜郷沙汰、/一、同十二日東御堂御仏事用途事/御布施・僧饍料共現銭三貫百三十三文高橋郷沙汰、‖一、七月十四日盂蘭盆供事/‖又苽十、涌釜郷役、||『中世関東武士の研究第9巻下野足利氏』p.373
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|加子郷☆||足利荘<br>(梁田)||乾元2.④.12||1303||〔足利貞氏下文案〕足利庄内赤見・駒庭郷半分、‖木戸郷内屋敷田畠、‖加子郷内屋敷田畠〈子細同前〉||県中3p.10<br>倉持文書
|加子郷☆||足利荘<br>(梁田)||乾元2.④.12||1303||〔足利貞氏下文案〕足利庄内赤見・駒庭郷半分、‖木戸郷内屋敷田畠、‖加子郷内屋敷田畠〈子細同前〉||県中3p.10<br>倉持文書
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|縣郷<ref>応安1.8.3皇大神宮権禰宜承房契状(「宝珠庵文書」、県中2p.295)に「太神宮御領簗田御厨〈号□□庄〉縣郷」とあり。</ref>☆||足利荘<br>(梁田)||貞治1.12.25||1362||〔鎌倉公方足利基氏御判御教書〕下野国足利庄内縣郷〈縣下総入道跡〉事、為本領之間所還補也、||県中3p.350<br>神田孝平氏所蔵文書
|縣郷<ref>応安1.8.3皇大神宮権禰宜承房契状(「宝珠庵文書」、県中2p.295)に「太神宮御領簗田御厨〈号□□庄〉縣郷」とあり。</ref>☆||足利荘<br>(梁田)||貞治1.12.25||1362||〔鎌倉公方足利基氏御判御教書〕下野国足利庄内縣郷〈縣下総入道跡〉事、為本領之間所還補也、||県中3p.350<br>神田孝平氏所蔵文書
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|澁垂郷☆||足利荘<br>(梁田)||応永8.12.23||1401||〔鎌倉公方足利満兼寄進状〕下野国足利庄借宿郷内・鵤木郷内・澁垂郷内・小曾根郷内・塚嶋郷内・西庭郷内・寺岡郷内・東利保郷内笠原給・同所大前岡跡・同所大前下跡等散在分、||県中1p.358<br>鑁阿寺文書
|澁垂郷☆||足利荘<br>(梁田)||応永8.12.23||1401||〔鎌倉公方足利満兼寄進状〕下野国足利庄借宿郷内・鵤木郷内・澁垂郷内・小曾根郷内・塚嶋郷内・西庭郷内・寺岡郷内・東利保郷内笠原給・同所大前岡跡・同所大前下跡等散在分、||県中1p.358<br>鑁阿寺文書
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|塚嶋郷||足利荘<br>(梁田ヵ)||応永8.12.23||1401||〔鎌倉公方足利満兼寄進状〕下野国足利庄借宿郷内・鵤木郷内・澁垂郷内・小曾根郷内・塚嶋郷内・西庭郷内・寺岡郷内・東利保郷内笠原給・同所大前岡跡・同所大前下跡等散在分、||県中1p.358<br>鑁阿寺文書
|塚嶋郷||足利荘<br>(梁田ヵ)||応永8.12.23||1401||〔鎌倉公方足利満兼寄進状〕下野国足利庄借宿郷内・鵤木郷内・澁垂郷内・小曾根郷内・塚嶋郷内・西庭郷内・寺岡郷内・東利保郷内笠原給・同所大前岡跡・同所大前下跡等散在分、||県中1p.358<br>鑁阿寺文書
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|太沼田郷☆<br>(大沼田)||(梁田)||年月日未詳<br>(応永末年)||15C||〔鑁阿寺什書目録〕一、借宿給内太沼田郷内大田参段長尾々州渡状一通、定光寺渡状一通、同香川下野守渡状其外吉野以下状数通、||県中1p.385<br>鑁阿寺文書
|太沼田郷☆<br>(大沼田)||(梁田)||年月日未詳<br>(応永末年)||15C||〔鑁阿寺什書目録〕一、借宿給内太沼田郷内大田参段長尾々州渡状一通、定光寺渡状一通、同香川下野守渡状其外吉野以下状数通、||県中1p.385<br>鑁阿寺文書
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|西窪田郷☆||(梁田)||嘉吉2.-.-||1442||〔鑁阿寺六月八日仏事銭請取状案〕葉鹿郷弁分、所納如件、‖生河郷五百文〈使料五十文〉 朝倉郷五百文〈使料五十文〉‖荒萩郷壱貫文〈使料一貫〉‖涌釜郷/三月八日 西窪田郷弁分等||県中1p.358<br>鑁阿寺文書
|西窪田郷☆||(梁田)||嘉吉2.-.-||1442||〔鑁阿寺六月八日仏事銭請取状案〕葉鹿郷弁分、所納如件、‖生河郷五百文〈使料五十文〉 朝倉郷五百文〈使料五十文〉‖荒萩郷壱貫文〈使料一貫〉‖涌釜郷/三月八日 西窪田郷弁分等||県中1p.358<br>鑁阿寺文書
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|泉郷☆||足利荘<br>(梁田)||宝徳2.5.3||1450||〔小野寺朝通譲状案〕一、下野国小野寺保七ヶ村并佐野庄小中・堀籠両郷、古江・青柳両郷/一、足利庄鵤木郷大平方、同庄之内田嶋村徳応寺分、同庄稲岡郷山名分、同庄西庭分、同庄芳次塚、同庄泉郷等事、||県中1p.592<br>小野寺文書
|泉郷☆||足利荘<br>(梁田)||宝徳2.5.3||1450||〔小野寺朝通譲状案〕一、下野国小野寺保七ヶ村并佐野庄小中・堀籠両郷、古江・青柳両郷/一、足利庄鵤木郷大平方、同庄之内田嶋村徳応寺分、同庄稲岡郷山名分、同庄西庭分、同庄芳次塚、同庄泉郷等事、||県中1p.592<br>小野寺文書
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|窪田郷☆<br>葉茗郷<ref>『天保郷帳』では「羽苅村」。</ref>☆<br>(葉苅)||(梁田)||文明15.2.-||1483||〔鑁阿寺仏事銭請取注文案〕窪田郷納所‖八椚郷有之‖葉茗郷納所‖五百文 生河郷‖五百文 朝倉郷‖壱貫文 荒萩郷‖高橋郷納所||県中1p.418<br>鑁阿寺文書
|窪田郷☆<br>葉茗郷<ref>『天保郷帳』では「羽苅村」。</ref>☆<br>(葉苅)||(梁田)||文明15.2.-||1483||〔鑁阿寺仏事銭請取注文案〕窪田郷納所‖八椚郷有之‖葉茗郷納所‖五百文 生河郷‖五百文 朝倉郷‖壱貫文 荒萩郷‖高橋郷納所||県中1p.418<br>鑁阿寺文書
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|足澤郷<ref>『慶安郷帳』までは下野国梁田郡足次村とあるが、その後上野国邑楽郡に編入。現館林市に所在。</ref>☆<br>(足次)||足利荘<br>(梁田)||長禄3.12.-||1549||〔高師長本領目録〕高小太郎師長本領事‖一、下野国足利庄内足澤郷 澁垂郷 小曾祢郷 山形郷 岩井郷 荒萩郷||県中3p.367<br>古文書集
|足澤郷<ref>『慶安郷帳』までは下野国梁田郡足次村とあるが、その後上野国邑楽郡に編入。現館林市に所在。</ref>☆<br>(足次)||足利荘<br>(梁田)||長禄3.12.-||1549||〔高師長本領目録〕高小太郎師長本領事‖一、下野国足利庄内足澤郷 澁垂郷 小曾祢郷 山形郷 岩井郷 荒萩郷||県中3p.367<br>古文書集
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|野田郷☆||(梁田)||永禄4.4.5||1561||〔長尾景長充行状〕野田郷之内拾五貫所、介戸郷之内拾五貫地、差添上州渡瀬之内参拾五貫之所、為御堪忍分任置候、||県中4p.397<br>秋間正二氏所蔵文書
|野田郷☆||(梁田)||永禄4.4.5||1561||〔長尾景長充行状〕野田郷之内拾五貫所、介戸郷之内拾五貫地、差添上州渡瀬之内参拾五貫之所、為御堪忍分任置候、||県中4p.397<br>秋間正二氏所蔵文書
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===安蘇郡===
===安蘇郡===
====郷(里)====
====郷(里)====
安蘇、談多、意部、麻続
安蘇、談多、意部、麻続
{|class="wikitable"
{|class="wikitable"
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! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|栃木郷☆<br>(栃本)||(安蘇)||正嘉2.7.10||1258||〔吾妻鏡〕泉又太郎蔵人義信与安房四郎頼綱相論下野国栃木郷事、||県中5p.934<br>吾妻鏡
|栃木郷☆<br>(栃本)||(安蘇)||正嘉2.7.10||1258||〔吾妻鏡〕泉又太郎蔵人義信与安房四郎頼綱相論下野国栃木郷事、||県中5p.934<br>吾妻鏡
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|小見郷<ref>永仁4.3.1下野守護使源某証状(「小曾戸文書」、県中1p.624)に「下野国佐野庄小見郷」とあり。</ref>☆||(安蘇)||文永8.8.9||1271||〔生蓮譲状〕【麻続】譲与 小見郷内陸少分屋敷田六段事、||県中1p.622<br>小曾戸文書
|小見郷<ref>永仁4.3.1下野守護使源某証状(「小曾戸文書」、県中1p.624)に「下野国佐野庄小見郷」とあり。</ref>☆||(安蘇)||文永8.8.9||1271||〔生蓮譲状〕【麻続】譲与 小見郷内陸少分屋敷田六段事、||県中1p.622<br>小曾戸文書
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|阿曾沼郷<ref>『天保郷帳』では「浅沼村」。</ref>☆||阿曾郡<br>(安蘇)||年月日未詳<br>(承久3~建治2ヵ)||13C||〔小山朝政所領注文案〕【安蘇】嫡子所領分之事/一、下野国‖国府郡内 日向野郷 菅田郷 蕗嶋郷‖阿曾郡郷阿曾沼郷地頭職事‖東武家郷||県中1p.207<br>小山文書
|阿曾沼郷<ref>『天保郷帳』では「浅沼村」。</ref>☆||阿曾郡<br>(安蘇)||年月日未詳<br>(承久3~建治2ヵ)||13C||〔小山朝政所領注文案〕【安蘇】嫡子所領分之事/一、下野国‖国府郡内 日向野郷 菅田郷 蕗嶋郷‖阿曾郡郷阿曾沼郷地頭職事‖東武家郷||県中1p.207<br>小山文書
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|涌釜郷<ref>康永3(1344).12.-鑁阿寺雑掌申状写(「鑁阿寺文書」、県中4p.405)に「当庄公文所幷涌釜・小曾根・木戸郷々頭地(地頭)等」とあり。</ref>||(安蘇)||年月日未詳<br>(康永2.3.13書写)||13C||〔郷々寺役記<ref> 「郷々寺役記」については、永村眞「鎌倉時代の鑁阿寺経営―「郷々寺役記」を通じて―」(田中大喜編『中世関東武士の研究 第9巻 下野足利氏』戎光祥出版、2013年、初出は1983年)を参照した。「郷々寺役記」は元亨~正慶期(1321~1333)の間に、法会の再興・整備や堂宇再建などの意図のもと、第十代寺務性尊が文永~永仁期(1264~1299)の寺内文書・帳簿類から抜書した注文を、康永2年(1343)に弟子の実鑁が書写したものとされる。これを踏まえ、13C(鎌倉末期)にはすでに「郷々寺役」記載の郷名が存在したものとみなし、13Cに初出するものとして扱った。</ref>〕郷々寺役事/一、牛王紙廿帖〈公文所々下、修正料〉‖段別餅六十枚〈涌釜郷役、正月護摩堂積之〉‖一、中御堂灯油仏供事/三舛六合〈小曽称(小曽祢)郷〉、二舛七合〈木戸郷〉、一舛八合〈高橋郷〉、二舛七合〈田嶋郷〉、已上油一斗八合〈此内三合者、修正中日輪灯〉、御仏供五石四斗〈白米宣旨定、高橋郷役〉、/同中御堂毎月十五日、舎利講供料事‖二石四斗荒萩郷、一石四(五)斗生河郷‖一、十二斎御仏供、白米一石四斗四舛〈宣旨定、高橋郷役〉、行日請之〈自行妙承仕之時納之云々〉、一、毎月十八日観音講供料 一石二斗〈籾、宣旨定、荒萩郷役〉、付月性房阿闍梨坊納之、‖一、三月八日一切経会用途廿貫文事/十二貫百卅七文〈橋本郷役〉/七貫八百六十三文〈借宿郷役〉、‖一、六日(月)八日御仏事用途事/皆料現銭六貫百五十文/二貫文 葉鹿郷/一貫文 荒萩郷/五百文 生河郷/五百文 朝倉郷/二貫百五十六文 涌釜郷/御仏御衣絹裹紙・経料紙同涌釜郷沙汰、/一、同十二日東御堂御仏事用途事/御布施・僧饍料共現銭三貫百三十三文高橋郷沙汰、‖一、七月十四日盂蘭盆供事/‖又苽十、涌釜郷役、||『中世関東武士の研究第9巻下野足利氏』p.373
|涌釜郷<ref>康永3(1344).12.-鑁阿寺雑掌申状写(「鑁阿寺文書」、県中4p.405)に「当庄公文所幷涌釜・小曾根・木戸郷々頭地(地頭)等」とあり。</ref>||(安蘇)||年月日未詳<br>(康永2.3.13書写)||13C||〔郷々寺役記<ref> 「郷々寺役記」については、永村眞「鎌倉時代の鑁阿寺経営―「郷々寺役記」を通じて―」(田中大喜編『中世関東武士の研究 第9巻 下野足利氏』戎光祥出版、2013年、初出は1983年)を参照した。「郷々寺役記」は元亨~正慶期(1321~1333)の間に、法会の再興・整備や堂宇再建などの意図のもと、第十代寺務性尊が文永~永仁期(1264~1299)の寺内文書・帳簿類から抜書した注文を、康永2年(1343)に弟子の実鑁が書写したものとされる。これを踏まえ、13C(鎌倉末期)にはすでに「郷々寺役」記載の郷名が存在したものとみなし、13Cに初出するものとして扱った。</ref>〕郷々寺役事/一、牛王紙廿帖〈公文所々下、修正料〉‖段別餅六十枚〈涌釜郷役、正月護摩堂積之〉‖一、中御堂灯油仏供事/三舛六合〈小曽称(小曽祢)郷〉、二舛七合〈木戸郷〉、一舛八合〈高橋郷〉、二舛七合〈田嶋郷〉、已上油一斗八合〈此内三合者、修正中日輪灯〉、御仏供五石四斗〈白米宣旨定、高橋郷役〉、/同中御堂毎月十五日、舎利講供料事‖二石四斗荒萩郷、一石四(五)斗生河郷‖一、十二斎御仏供、白米一石四斗四舛〈宣旨定、高橋郷役〉、行日請之〈自行妙承仕之時納之云々〉、一、毎月十八日観音講供料 一石二斗〈籾、宣旨定、荒萩郷役〉、付月性房阿闍梨坊納之、‖一、三月八日一切経会用途廿貫文事/十二貫百卅七文〈橋本郷役〉/七貫八百六十三文〈借宿郷役〉、‖一、六日(月)八日御仏事用途事/皆料現銭六貫百五十文/二貫文 葉鹿郷/一貫文 荒萩郷/五百文 生河郷/五百文 朝倉郷/二貫百五十六文 涌釜郷/御仏御衣絹裹紙・経料紙同涌釜郷沙汰、/一、同十二日東御堂御仏事用途事/御布施・僧饍料共現銭三貫百三十三文高橋郷沙汰、‖一、七月十四日盂蘭盆供事/‖又苽十、涌釜郷役、||『中世関東武士の研究第9巻下野足利氏』p.373
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|赤見(郷)<ref>この時期には、隣接する駒場郷と一体化していたようである。なお、赤見郷については、応永5(1398).3.-俊誉申状案(「相承院文書」、県中2p.284)、永享5(1433).4.5珍誉譲状(「相承院文書」、県中2p.285)がある。</ref>☆||足利荘<br>(安蘇)||乾元2.④.12||1303||〔足利貞氏下文案〕足利庄内赤見駒庭郷半分、‖木戸郷内屋敷田畠、‖加子郷内屋敷田畠〈子細同前〉、||県中3p.10<br>倉持文書
|赤見(郷)<ref>この時期には、隣接する駒場郷と一体化していたようである。なお、赤見郷については、応永5(1398).3.-俊誉申状案(「相承院文書」、県中2p.284)、永享5(1433).4.5珍誉譲状(「相承院文書」、県中2p.285)がある。</ref>☆||足利荘<br>(安蘇)||乾元2.④.12||1303||〔足利貞氏下文案〕足利庄内赤見駒庭郷半分、‖木戸郷内屋敷田畠、‖加子郷内屋敷田畠〈子細同前〉、||県中3p.10<br>倉持文書
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|なかむらのかう<ref>元応1(1319).5.23鎌倉幕府問注所裁許状(「武澤文書」、県中1p.630)では、「中郷」と記載。</ref>☆<br>(中村)||佐野荘<br>(安蘇)||正和5.2.21||1316||〔鳥居戸五郎次郎売券〕ようゝゝあるによんてうりわたすしもつけのくにさのゝしやうなかむらのかうのうちに、とりいとのやちらハふん、||県中1p.624<br>小曾戸文書
|なかむらのかう<ref>元応1(1319).5.23鎌倉幕府問注所裁許状(「武澤文書」、県中1p.630)では、「中郷」と記載。</ref>☆<br>(中村)||佐野荘<br>(安蘇)||正和5.2.21||1316||〔鳥居戸五郎次郎売券〕ようゝゝあるによんてうりわたすしもつけのくにさのゝしやうなかむらのかうのうちに、とりいとのやちらハふん、||県中1p.624<br>小曾戸文書
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|多奈和見郷<ref>『天保郷帳』では「田名網村」。近世以降、下野国都賀郡に編入。</ref>☆||佐野荘<br>(安蘇)||文保2.4.28||1318||〔関東下知状〕右、佐野孫次郎顕綱以当庄多奈和見郷内肆段・在家壱宇、||県中1p.628<br>武澤文書
|多奈和見郷<ref>『天保郷帳』では「田名網村」。近世以降、下野国都賀郡に編入。</ref>☆||佐野荘<br>(安蘇)||文保2.4.28||1318||〔関東下知状〕右、佐野孫次郎顕綱以当庄多奈和見郷内肆段・在家壱宇、||県中1p.628<br>武澤文書
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|石塚郷☆||佐野荘<br>(安蘇)||元亨1.9.18||1321||〔佐野増綱・藤原義綱和与状案〕下野国佐野庄内石塚郷内平三郎入道跡在家壱宇・田六反大事、||県中1p.625<br>小曾戸文書
|石塚郷☆||佐野荘<br>(安蘇)||元亨1.9.18||1321||〔佐野増綱・藤原義綱和与状案〕下野国佐野庄内石塚郷内平三郎入道跡在家壱宇・田六反大事、||県中1p.625<br>小曾戸文書
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|堀籠郷☆||佐野荘<br>(安蘇)||元亨1.12.-||1321||〔日本寺梵鐘〕下野州佐野庄堀籠郷/応龍山天宝禅寺/住持沙門大朴玄淳/大檀那/中務尉藤原朝臣通義/堀籠宮内左衛門尉源有元/大工/甲斐権守 卜部助光/元亨元年〈辛酉〉十二月日||佐野市史資料編1p.823
|堀籠郷☆||佐野荘<br>(安蘇)||元亨1.12.-||1321||〔日本寺梵鐘〕下野州佐野庄堀籠郷/応龍山天宝禅寺/住持沙門大朴玄淳/大檀那/中務尉藤原朝臣通義/堀籠宮内左衛門尉源有元/大工/甲斐権守 卜部助光/元亨元年〈辛酉〉十二月日||佐野市史資料編1p.823
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|小中郷☆||佐野荘<br>(安蘇)||暦応1.6.18||1338||〔小野寺通氏譲状〕一、下野国小野寺七ヶ村并佐野庄之内小中郷・堀籠郷、同国足利庄之内河崎三ヶ村、同国之内牧野十弐ヶ村等、||県中1p.591<br>小野寺文書
|小中郷☆||佐野荘<br>(安蘇)||暦応1.6.18||1338||〔小野寺通氏譲状〕一、下野国小野寺七ヶ村并佐野庄之内小中郷・堀籠郷、同国足利庄之内河崎三ヶ村、同国之内牧野十弐ヶ村等、||県中1p.591<br>小野寺文書
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|足黒郷||(安蘇ヵ)||元(文)和3.6.7||1354||〔後光厳天皇綸旨写〕下野国足黒郷‖右所々領掌不可有相違者、||県中4p.253<br>佐々木文書
|足黒郷||(安蘇ヵ)||元(文)和3.6.7||1354||〔後光厳天皇綸旨写〕下野国足黒郷‖右所々領掌不可有相違者、||県中4p.253<br>佐々木文書
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|にいさとのかう☆<br>(新里)||佐野荘<br>(安蘇)||応永15.2.9||1408||〔基高寄進状〕下野国さのゝしやうにいさとのかうの内さいけ二けん、||県中4p.353<br>改訂新編相州古文書
|にいさとのかう☆<br>(新里)||佐野荘<br>(安蘇)||応永15.2.9||1408||〔基高寄進状〕下野国さのゝしやうにいさとのかうの内さいけ二けん、||県中4p.353<br>改訂新編相州古文書
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|馬門郷☆||阿曾郡<br>(安蘇)||永享6.8.9||1434||〔宗貞宛行状〕下野国阿曾郡馬門郷浅田宮笛吹免之事、||県中3p.286<br>健田須賀神社文書
|馬門郷☆||阿曾郡<br>(安蘇)||永享6.8.9||1434||〔宗貞宛行状〕下野国阿曾郡馬門郷浅田宮笛吹免之事、||県中3p.286<br>健田須賀神社文書
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|富地郷<ref>年月日未詳足利荘・佐野荘内鶴岡八幡宮神領注文(「鑁阿寺文書」、県中1p.584)に「藤郷」とあり。</ref>☆||佐野荘<br>(安蘇)||永享8.5.26||1436||〔海上頼胤寄進状〕奉寄進/鶴岡 八幡宮/下野国佐野庄内富地郷半分事、右為 当社毎月本地供七ケ日之料所、永所奉寄附也、||県中2p.280<br>鶴岡八幡宮文書
|富地郷<ref>年月日未詳足利荘・佐野荘内鶴岡八幡宮神領注文(「鑁阿寺文書」、県中1p.584)に「藤郷」とあり。</ref>☆||佐野荘<br>(安蘇)||永享8.5.26||1436||〔海上頼胤寄進状〕奉寄進/鶴岡 八幡宮/下野国佐野庄内富地郷半分事、右為 当社毎月本地供七ケ日之料所、永所奉寄附也、||県中2p.280<br>鶴岡八幡宮文書
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|古江(郷)☆<br>青柳(郷) ||佐野荘<br>(安蘇)||宝徳2.5.3||1450||〔小野寺朝通譲状案〕一、下野国小野寺保并佐野庄小中・堀籠両郷、古江・青柳両郷/一、足利庄鵤木郷大平方、同庄之内田嶋村徳応寺分、同庄稲岡郷山名分、同庄西庭分、同庄芳次塚、同庄泉郷等事、||県中1p.592<br>小野寺文書
|古江(郷)☆<br>青柳(郷) ||佐野荘<br>(安蘇)||宝徳2.5.3||1450||〔小野寺朝通譲状案〕一、下野国小野寺保并佐野庄小中・堀籠両郷、古江・青柳両郷/一、足利庄鵤木郷大平方、同庄之内田嶋村徳応寺分、同庄稲岡郷山名分、同庄西庭分、同庄芳次塚、同庄泉郷等事、||県中1p.592<br>小野寺文書
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|并渕郷<ref>近世の「奈良淵村」に比定されている。</ref>☆||佐野荘<br>(安蘇)||宝徳2.5.3||1450||〔小野寺朝通言上状〕一、同国佐野庄之内小中郷・堀籠郷/同庄古江郷・青柳郷・并渕郷・三谷郷等/一、同国足利庄河崎郷田嶋村之内徳応寺分、同庄之内鵤木郷太平方、同芳次塚、庶子分供ニ、同庄之内西庭郷、庶子方諸給分供ニ、||県中1p.593<br>小野寺文書
|并渕郷<ref>近世の「奈良淵村」に比定されている。</ref>☆||佐野荘<br>(安蘇)||宝徳2.5.3||1450||〔小野寺朝通言上状〕一、同国佐野庄之内小中郷・堀籠郷/同庄古江郷・青柳郷・并渕郷・三谷郷等/一、同国足利庄河崎郷田嶋村之内徳応寺分、同庄之内鵤木郷太平方、同芳次塚、庶子分供ニ、同庄之内西庭郷、庶子方諸給分供ニ、||県中1p.593<br>小野寺文書
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|山形郷☆||足利荘<br>(安蘇)||長禄3.12.-||1459||〔高師長本領目録〕高小太郎師長本領事‖一、下野国足利庄内足澤郷 澁垂郷 小曾祢郷 山形郷 岩井郷 荒萩郷||県中3p.367<br>古文書集
|山形郷☆||足利荘<br>(安蘇)||長禄3.12.-||1459||〔高師長本領目録〕高小太郎師長本領事‖一、下野国足利庄内足澤郷 澁垂郷 小曾祢郷 山形郷 岩井郷 荒萩郷||県中3p.367<br>古文書集
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|糟尾郷☆||(安蘇)||永録(禄)7.4.27||1564||〔佐野昌綱宛行状写〕糟尾郷先年入手之砌、一所可出之由雖約束候、兎角取紛、無其儀候、||県中4p.243<br>島津文書
|糟尾郷☆||(安蘇)||永録(禄)7.4.27||1564||〔佐野昌綱宛行状写〕糟尾郷先年入手之砌、一所可出之由雖約束候、兎角取紛、無其儀候、||県中4p.243<br>島津文書
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|戸奈良郷☆||(安蘇)||永禄11.4.5||1568||〔実衍(佐野房綱)朱印状〕戸奈良郷之内、岸本大膳亮抱分拾貫文、||県中4p.397<br>石井善太郎氏所蔵文書
|戸奈良郷☆||(安蘇)||永禄11.4.5||1568||〔実衍(佐野房綱)朱印状〕戸奈良郷之内、岸本大膳亮抱分拾貫文、||県中4p.397<br>石井善太郎氏所蔵文書
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|飯富郷<ref>本郷名は『栃木県の地名』、『角川日本地名辞典9栃木』いずれにも立項されていない。羽根田郷は足利郡羽田郷。羽田郷の北は安蘇郡免鳥郷(現佐野市免鳥町)であり、『和名抄』記載の安蘇郡意部郷 (訓は「おぶ」)の比定地を、現佐野市中心部から同市並木町・免鳥町付近とする説(「日本地理志料」)がある。飯富郷の訓は不明だが「おぶ」と読めば、安蘇郡意部郷の遺称地の可能性がある。</ref>||(安蘇)||永禄13.2.28||1570||〔上杉輝虎知行充行状写〕館林領之内羽根田之郷・飯富之郷、佐野筑前守・小安隠岐守ニ出置候也、||県中3p.217<br>歴代古案
|飯富郷<ref>本郷名は『栃木県の地名』、『角川日本地名辞典9栃木』いずれにも立項されていない。羽根田郷は足利郡羽田郷。羽田郷の北は安蘇郡免鳥郷(現佐野市免鳥町)であり、『和名抄』記載の安蘇郡意部郷 (訓は「おぶ」)の比定地を、現佐野市中心部から同市並木町・免鳥町付近とする説(「日本地理志料」)がある。飯富郷の訓は不明だが「おぶ」と読めば、安蘇郡意部郷の遺称地の可能性がある。</ref>||(安蘇)||永禄13.2.28||1570||〔上杉輝虎知行充行状写〕館林領之内羽根田之郷・飯富之郷、佐野筑前守・小安隠岐守ニ出置候也、||県中3p.217<br>歴代古案
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|吉水郷☆<br>多田郷<ref>『和名抄』に記載された「談多」郷の遺称地との説あり。</ref>☆||(安蘇)||元亀2.8.6||1571||〔大庵寺々領目録〕角打郷/大河掃部助分之内‖吉水郷之内/岡藤次良分‖葛生郷之内‖多田郷之内||県中1p.612<br>大庵寺文書
|吉水郷☆<br>多田郷<ref>『和名抄』に記載された「談多」郷の遺称地との説あり。</ref>☆||(安蘇)||元亀2.8.6||1571||〔大庵寺々領目録〕角打郷/大河掃部助分之内‖吉水郷之内/岡藤次良分‖葛生郷之内‖多田郷之内||県中1p.612<br>大庵寺文書
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|免鳥郷☆||(安蘇)||天正19.7.24||1591||〔寶衍(佐野房綱)充行状〕(黒印)/弐百廿三貫文 免鳥郷/卅貫文 羽田水代/右合弐百五十三貫文之所出候者也、||県中4p.30<br>山崎文書
|免鳥郷☆||(安蘇)||天正19.7.24||1591||〔寶衍(佐野房綱)充行状〕(黒印)/弐百廿三貫文 免鳥郷/卅貫文 羽田水代/右合弐百五十三貫文之所出候者也、||県中4p.30<br>山崎文書
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====村====
====村====
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! style="width:10%"|村!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|釜谷村<br>(金屋<ref>年未詳足利義詮御内書案(「佐々木文書」、県中4p.254)に「下野国足黒郷内金屋村地頭職事」とあり。</ref>||(安蘇ヵ)||文和4.4.8||1355||〔足利義詮御判御教書案〕下野国足黒郷内釜谷(金谷)村・同国石塚郷内荒居村等事、||県中4p.253<br>佐々木文書
|釜谷村<br>(金屋<ref>年未詳足利義詮御内書案(「佐々木文書」、県中4p.254)に「下野国足黒郷内金屋村地頭職事」とあり。</ref>)||(安蘇ヵ)||文和4.4.8||1355||〔足利義詮御判御教書案〕下野国足黒郷内釜谷(金谷)村・同国石塚郷内荒居村等事、||県中4p.253<br>佐々木文書
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|荒居村||(安蘇)||文和4.4.8||1355||〔足利義詮御判御教書案〕下野国足黒郷内釜谷(金谷)村・同国石塚郷内荒居村等事、||県中4p.253<br>佐々木文書
|荒居村||(安蘇)||文和4.4.8||1355||〔足利義詮御判御教書案〕下野国足黒郷内釜谷(金谷)村・同国石塚郷内荒居村等事、||県中4p.253<br>佐々木文書
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|梅薗村☆||足利荘<br>(安蘇)||年未詳9.27||14C中<ref>足利尊氏の没年は延文3年(1358)、名宛人の仁木頼章は延文4年に没。本文書の下限は延文3年となる。なお、年次のはっきりした梅薗村の初見は永徳2(1382).4.18斯波義将書下(「佐野文書」、県中4p.39)である。</ref>||〔足利尊氏御内書〕佐野新左衛門尉秀綱申、下野国足利庄内梅薗村事、赤見新兵衛入道先日掠申御書之由歎申、所詮任御下文旨、可有其沙汰候也、||県中4p.37<br>佐野文書
|梅薗村☆||足利荘<br>(安蘇)||年未詳9.27||14C中<ref>足利尊氏の没年は延文3年(1358)、名宛人の仁木頼章は延文4年に没。本文書の下限は延文3年となる。なお、年次のはっきりした梅薗村の初見は永徳2(1382).4.18斯波義将書下(「佐野文書」、県中4p.39)である。</ref>||〔足利尊氏御内書〕佐野新左衛門尉秀綱申、下野国足利庄内梅薗村事、赤見新兵衛入道先日掠申御書之由歎申、所詮任御下文旨、可有其沙汰候也、||県中4p.37<br>佐野文書
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===都賀郡===
===都賀郡===
====郷(里)====
====郷(里)====
布多、高家、山後、山人、田後、生馬、秀文、高栗、小山、三嶋
布多、高家、山後、山人、田後、生馬、秀文、高栗、小山、三嶋
{|class="wikitable"
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! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|高栗郷||都賀郡||天平勝宝4.10.25||752||〔造東寺司牒〕【高栗】芳賀郡石田郷五十戸/足利郡土師郷五十戸/梁田郡深川郷五十戸/都賀郡高栗郷五十戸/塩谷郡片岡郷五十戸||県古p.78<br>正倉院御物
|高栗郷||都賀郡||天平勝宝4.10.25||752||〔造東寺司牒〕【高栗】芳賀郡石田郷五十戸/足利郡土師郷五十戸/梁田郡深川郷五十戸/都賀郡高栗郷五十戸/塩谷郡片岡郷五十戸||県古p.78<br>正倉院御物
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|薗部郷☆||(都賀)||応保2.3.7||1162||〔下野国司庁宣〕庁宣 留守所/可早以薗部郷為東大寺御封便補保事、||県古p.717<br>東南院文書
|薗部郷☆||(都賀)||応保2.3.7||1162||〔下野国司庁宣〕庁宣 留守所/可早以薗部郷為東大寺御封便補保事、||県古p.717<br>東南院文書
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|戸矢子(郷)||(都賀)||長寛2.6.20||1164||〔下野国司庁宣〕庁宣 留守所/可令早以薗部・戸矢子両郷、為東大寺御封代便補保事、||県古p.719<br>百巻本東大寺文書
|戸矢子(郷)||(都賀)||長寛2.6.20||1164||〔下野国司庁宣〕庁宣 留守所/可令早以薗部・戸矢子両郷、為東大寺御封代便補保事、||県古p.719<br>百巻本東大寺文書
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|日向野郷<ref>(承久3~建治2ヵ)小山朝政所領注文案(「小山文書」、県中1p.207)に「国苻郡内日向野郷」とあり。</ref>||(都賀)||寿永2.8.-<br>建久3.9.12||1183<br>1192||〔将軍家(源頼朝)政所下文〕将軍家政所下 下野国日向野郷住人/補任地頭職事/左衛門尉藤原朝政/右、寿永二年八月 日御下文云、以件人補任彼職者、||県中2p.159<br>松平基則氏所蔵文書
|日向野郷<ref>(承久3~建治2ヵ)小山朝政所領注文案(「小山文書」、県中1p.207)に「国苻郡内日向野郷」とあり。</ref>||(都賀)||寿永2.8.-<br>建久3.9.12||1183<br>1192||〔将軍家(源頼朝)政所下文〕将軍家政所下 下野国日向野郷住人/補任地頭職事/左衛門尉藤原朝政/右、寿永二年八月 日御下文云、以件人補任彼職者、||県中2p.159<br>松平基則氏所蔵文書
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|阿志土郷<ref>網戸郷。本文書より、文治3年時点で網戸郷が寒川郡内の郷ではなかったことが指摘されている。位置的に都賀郡と推定されるため、都賀郡内に採録しておく。なお、天文24(1555)1.15結城政勝寄進状(「高椅神社文書」、県中1p.244)では「納戸郷」と記される。</ref>☆||(都賀ヵ)||文治3.12.1||1187||〔源頼朝袖判下文〕下 下野国寒河郡幷阿志土郷/可早以小山七郎朝光母堂為地頭職事||県中1p.172<br>皆川文書
|阿志土郷<ref>網戸郷。本文書より、文治3年時点で網戸郷が寒川郡内の郷ではなかったことが指摘されている。位置的に都賀郡と推定されるため、都賀郡内に採録しておく。なお、天文24(1555)1.15結城政勝寄進状(「高椅神社文書」、県中1p.244)では「納戸郷」と記される。</ref>☆||(都賀ヵ)||文治3.12.1||1187||〔源頼朝袖判下文〕下 下野国寒河郡幷阿志土郷/可早以小山七郎朝光母堂為地頭職事||県中1p.172<br>皆川文書
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|菅田郷<br>蕗嶋郷||国府郡<br>(都賀)||寛喜2.2.20||1230||〔生西(小山朝政)譲状〕一、下野国‖国府郡内/日向野郷 菅田郷 蕗嶋郷‖東武家郷||県中1p.217<br>小山文書
|菅田郷<br>蕗嶋郷||国府郡<br>(都賀)||寛喜2.2.20||1230||〔生西(小山朝政)譲状〕一、下野国‖国府郡内/日向野郷 菅田郷 蕗嶋郷‖東武家郷||県中1p.217<br>小山文書
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|東武家郷<ref>東武井郷とも(弘治3〈1557〉.5.23古河公方足利義氏安堵状〈「小山文書」、県中1p.214〉)。『天保郷帳』の「武井村」に比定。</ref>☆||(都賀)||寛喜2.2.20||1230||〔生西(小山朝政)譲状〕一、下野国‖国府郡内/日向野郷 菅田郷 蕗嶋郷‖東武家郷||県中1p.217<br>小山文書
|東武家郷<ref>東武井郷とも(弘治3〈1557〉.5.23古河公方足利義氏安堵状〈「小山文書」、県中1p.214〉)。『天保郷帳』の「武井村」に比定。</ref>☆||(都賀)||寛喜2.2.20||1230||〔生西(小山朝政)譲状〕一、下野国‖国府郡内/日向野郷 菅田郷 蕗嶋郷‖東武家郷||県中1p.217<br>小山文書
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|小薬郷☆||(都賀)||寛喜2.8.13||1230||〔長沼宗政譲状〕下野国長沼庄、同国小薬郷‖右於所領等者、相副御下文等、永所譲与于時宗也、||県中1p.152<br>皆川文書
|小薬郷☆||(都賀)||寛喜2.8.13||1230||〔長沼宗政譲状〕下野国長沼庄、同国小薬郷‖右於所領等者、相副御下文等、永所譲与于時宗也、||県中1p.152<br>皆川文書
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|冨吉東西郷☆||中泉荘<br>(都賀)||弘安6.4.5||1283||〔大見行定置文〕下野国中泉西荒居富吉東西郷、||県中4p.429<br>中条家文書
|冨吉東西郷☆||中泉荘<br>(都賀)||弘安6.4.5||1283||〔大見行定置文〕下野国中泉西荒居富吉東西郷、||県中4p.429<br>中条家文書
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|上長田郷||犬飼郡<br>(都賀)||永仁3.5.5||1295||〔覚誉寄進状〕以私領深町壱町〈在下野国犬飼郡上長田郷内〉所当銭五貫陸拾文、||県中1p.36<br>輪王寺文書
|上長田郷||犬飼郡<br>(都賀)||永仁3.5.5||1295||〔覚誉寄進状〕以私領深町壱町〈在下野国犬飼郡上長田郷内〉所当銭五貫陸拾文、||県中1p.36<br>輪王寺文書
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|板橋郷☆||(都賀)||正安2||1300||〔今宮祭祀録〕正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖廻楼之事‖一、東之分、二間ハ大窪村、一間ハ佐々嶋、二間ハ山田之郷、二間ハ泉之村、二間ハ肘内郷、二間ハ上平村、一間ハ佐貫之村、二間ハ大宮・給分、二間ハ比留嶋、一間ハ板橋郷、一間ハ寺渡戸村、/右、東西合テ四十二間也、||氏家古・中p322<br>今宮祭祀録
|板橋郷☆||(都賀)||正安2||1300||〔今宮祭祀録〕正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖廻楼之事‖一、東之分、二間ハ大窪村、一間ハ佐々嶋、二間ハ山田之郷、二間ハ泉之村、二間ハ肘内郷、二間ハ上平村、一間ハ佐貫之村、二間ハ大宮・給分、二間ハ比留嶋、一間ハ板橋郷、一間ハ寺渡戸村、/右、東西合テ四十二間也、||氏家古・中p322<br>今宮祭祀録
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|泉川郷☆||中泉荘<br>(都賀)||延元3.9.5||1338||〔北畠親房御教書写〕可令早小山次郎左衛門尉政景領知中泉庄泉川郷・皆河庄息居郷事、||県中4p.300<br>光明寺旧記
|泉川郷☆||中泉荘<br>(都賀)||延元3.9.5||1338||〔北畠親房御教書写〕可令早小山次郎左衛門尉政景領知中泉庄泉川郷・皆河庄息居郷事、||県中4p.300<br>光明寺旧記
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|息居郷<ref>「荒居郷」の誤写と考えられており、近世の新井村に比定されている。</ref>☆<br>(荒居)||皆河荘<br>(都賀)||延元3.9.5||1338||〔北畠親房御教書写〕可令早小山次郎左衛門尉政景領知中泉庄泉川郷・皆河庄息居郷事、||県中4p.300<br>光明寺旧記
|息居郷<ref>「荒居郷」の誤写と考えられており、近世の新井村に比定されている。</ref>☆<br>(荒居)||皆河荘<br>(都賀)||延元3.9.5||1338||〔北畠親房御教書写〕可令早小山次郎左衛門尉政景領知中泉庄泉川郷・皆河庄息居郷事、||県中4p.300<br>光明寺旧記
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|賀薗郷☆||(都賀)||貞和5.4.25||1349||〔薬師如来座像底板墨書銘〕下野州賀菌■<ref>■の文字は耳+郎。</ref>(賀薗郷)東園寺本尊薬師如来像敬奉加金泥之荘厳畢 貞和五年〈己丑〉四月廿五日/大旦那藤原/公綱/住持比丘了詮||宇都宮2中世p.446<br>興源寺
|賀薗郷☆||(都賀)||貞和5.4.25||1349||〔薬師如来座像底板墨書銘〕下野州賀菌■<ref>■の文字は耳+郎。</ref>(賀薗郷)東園寺本尊薬師如来像敬奉加金泥之荘厳畢 貞和五年〈己丑〉四月廿五日/大旦那藤原/公綱/住持比丘了詮||宇都宮2中世p.446<br>興源寺
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|犬飼郷||(都賀)<br>(犬飼)||延文5.5.15||1360||〔豊田幹家軍忠状写〕下野国犬飼郷豊田小太郎入道宗西子息又三郎幹家申軍忠事、||県中3p.298<br>武家雲箋
|犬飼郷||(都賀)<br>(犬飼)||延文5.5.15||1360||〔豊田幹家軍忠状写〕下野国犬飼郷豊田小太郎入道宗西子息又三郎幹家申軍忠事、||県中3p.298<br>武家雲箋
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|押切郷☆||(都賀)||永徳1.8.25||1381||〔沙弥禅助(上杉朝宗)禁制〕法雲寺領下野国押切郷事、||県中3p.302<br>法雲寺文書
|押切郷☆||(都賀)||永徳1.8.25||1381||〔沙弥禅助(上杉朝宗)禁制〕法雲寺領下野国押切郷事、||県中3p.302<br>法雲寺文書
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|苻所郷☆||(都賀)||(至徳1)8.18||1384||〔常行堂見衆等申状案〕今年初苻所郷分拾七貫九百八十三文、||県中1p.53<br>輪王寺文書
|苻所郷☆||(都賀)||(至徳1)8.18||1384||〔常行堂見衆等申状案〕今年初苻所郷分拾七貫九百八十三文、||県中1p.53<br>輪王寺文書
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|今泉郷☆||中泉荘<br>(都賀)||年月日未詳<ref>鎌倉末期と推定されている。</ref>||14Cヵ||〔某書状断簡〕□□(下野)国中泉本庄内今泉郷事、[   ]所者、下総前司入道書入証文[   ]功候上者、有限年記之旨は[   ]有子細(後闕)||県中3p.474<br>金澤文庫古文書
|今泉郷☆||中泉荘<br>(都賀)||年月日未詳<ref>鎌倉末期と推定されている。</ref>||14Cヵ||〔某書状断簡〕□□(下野)国中泉本庄内今泉郷事、[   ]所者、下総前司入道書入証文[   ]功候上者、有限年記之旨は[   ]有子細(後闕)||県中3p.474<br>金澤文庫古文書
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|嶋田郷☆<br>来本郷<ref>『天保郷帳』では「黒本村」。応永24(1417).7.24某書下(「松平基則氏所蔵文書」、県中2p.163)にもあり。</ref>☆||小山荘<br>(都賀)||応永12.12.27||1405||〔彦八願文〕下野国山田長光寺大弐之阿闍梨御弟子輔公(花押)/旦那はんぬき彦八(花押)/下野国小山庄嶋田郷荒河侍従阿(花押)/下野国小山庄内来本郷信濃阿(花押)||県中4p.198<br>米良文書
|嶋田郷☆<br>来本郷<ref>『天保郷帳』では「黒本村」。応永24(1417).7.24某書下(「松平基則氏所蔵文書」、県中2p.163)にもあり。</ref>☆||小山荘<br>(都賀)||応永12.12.27||1405||〔彦八願文〕下野国山田長光寺大弐之阿闍梨御弟子輔公(花押)/旦那はんぬき彦八(花押)/下野国小山庄嶋田郷荒河侍従阿(花押)/下野国小山庄内来本郷信濃阿(花押)||県中4p.198<br>米良文書
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|大和田郷☆||(都賀)||応永18.11.8||1411||〔宇都宮持綱寄進状〕寄進/西方内大和田郷半分事/右彼所者、為西刑部郷内平塚村代、所令寄附一向寺也、||県中1p.1<br>一向寺文書
|大和田郷☆||(都賀)||応永18.11.8||1411||〔宇都宮持綱寄進状〕寄進/西方内大和田郷半分事/右彼所者、為西刑部郷内平塚村代、所令寄附一向寺也、||県中1p.1<br>一向寺文書
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|美濃郷☆||(都賀)||年月日未詳(応永22ヵ)||1415ヵ||〔所役配分注文案〕五口 飯山郷/三口壱貫三百 石那田郷/二口半 美濃郷/二口 苻所郷/三口 塩室郷/一口 大桑郷||県中1p.58<br>輪王寺文書
|美濃郷☆||(都賀)||年月日未詳(応永22ヵ)||1415ヵ||〔所役配分注文案〕五口 飯山郷/三口壱貫三百 石那田郷/二口半 美濃郷/二口 苻所郷/三口 塩室郷/一口 大桑郷||県中1p.58<br>輪王寺文書
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|富田郷☆<br>下皆河郷☆||西御荘<br>(都賀)||応永24.7.24||1417||〔某書下〕小山庄内来本郷并西御庄内富田郷・同庄下皆河郷等事、||県中2p.163<br>松平基則氏所蔵文書
|富田郷☆<br>下皆河郷☆||西御荘<br>(都賀)||応永24.7.24||1417||〔某書下〕小山庄内来本郷并西御庄内富田郷・同庄下皆河郷等事、||県中2p.163<br>松平基則氏所蔵文書
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|明神郷☆||(都賀)||応永26.5.9||1419||〔慶守書下状〕依苻所郷河成、衣服料令闕如之間、‖以明神郷御正作御年貢可給云々、||県中1p.62<br>輪王寺文書
|明神郷☆||(都賀)||応永26.5.9||1419||〔慶守書下状〕依苻所郷河成、衣服料令闕如之間、‖以明神郷御正作御年貢可給云々、||県中1p.62<br>輪王寺文書
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|富岡郷☆||(都賀)||(応永26ヵ)5.13||1419ヵ||〔某書状〕苻所郷供米不足分‖自当年以富岡郷土貢之内、地下興行之間、可令下行之由、||県中1p.64<br>輪王寺文書
|富岡郷☆||(都賀)||(応永26ヵ)5.13||1419ヵ||〔某書状〕苻所郷供米不足分‖自当年以富岡郷土貢之内、地下興行之間、可令下行之由、||県中1p.64<br>輪王寺文書
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|奈良部郷☆||(都賀)||応永29.5.15||1422||〔日光山座主昌■<ref>■の文字は、王+兪。</ref>御教書〕就常行堂御修理用脚、已前御寄進之外、重〈而〉四ヶ年之寄附、奈良部郷御年貢之内、至当年為何ヶ年哉、||県中1p.67<br>輪王寺文書
|奈良部郷☆||(都賀)||応永29.5.15||1422||〔日光山座主昌■<ref>■の文字は、王+兪。</ref>御教書〕就常行堂御修理用脚、已前御寄進之外、重〈而〉四ヶ年之寄附、奈良部郷御年貢之内、至当年為何ヶ年哉、||県中1p.67<br>輪王寺文書
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|西鹿沼郷☆||(都賀)||(正長1)7.29||1428||〔沙弥道慶書状〕抑常行堂御念仏々供之事、自西鹿沼郷、致沙汰候也、||県中1p.68<br>輪王寺文書
|西鹿沼郷☆||(都賀)||(正長1)7.29||1428||〔沙弥道慶書状〕抑常行堂御念仏々供之事、自西鹿沼郷、致沙汰候也、||県中1p.68<br>輪王寺文書
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|三谷郷☆||佐野荘<br>(都賀)||宝徳2.5.3||1450||〔小野寺朝通言上状〕一、同国佐野庄之内小中・堀籠郷/同庄古江郷・青柳郷并渕郷・三谷郷等/一、同国足利庄河崎郷田嶋村之内徳応寺分、同庄之内鵤木郷太平方、同芳志塚、庶子分供ニ、同庄之内西庭郷、庶子方諸給分供ニ、||県中1p.593<br>小野寺文書
|三谷郷☆||佐野荘<br>(都賀)||宝徳2.5.3||1450||〔小野寺朝通言上状〕一、同国佐野庄之内小中・堀籠郷/同庄古江郷・青柳郷并渕郷・三谷郷等/一、同国足利庄河崎郷田嶋村之内徳応寺分、同庄之内鵤木郷太平方、同芳志塚、庶子分供ニ、同庄之内西庭郷、庶子方諸給分供ニ、||県中1p.593<br>小野寺文書
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|家中郷☆||(都賀)||(享徳1)⑧.12||1452||〔小山持政書状〕雖細少之地候、家中郷大和田村〈細井中務丞知行分〉可有御成敗候、||県中3p.25<br>白川文書
|家中郷☆||(都賀)||(享徳1)⑧.12||1452||〔小山持政書状〕雖細少之地候、家中郷大和田村〈細井中務丞知行分〉可有御成敗候、||県中3p.25<br>白川文書
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|大河嶋郷☆||中泉荘<br>(都賀)||享徳1.11.15||1452||〔小山持政寄進状〕下野国中泉庄大河嶋郷内三拾貫文下地事、||県中1p.194<br>青木文書
|大河嶋郷☆||中泉荘<br>(都賀)||享徳1.11.15||1452||〔小山持政寄進状〕下野国中泉庄大河嶋郷内三拾貫文下地事、||県中1p.194<br>青木文書
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|三澤郷||(都賀)||延徳4.10.2||1492||〔宇都宮成綱等寄進状〕成高寺大内庄之内大根田半郷、西方三澤郷之内福恩寺分并慶蔵院分、西形部(刑部)郷之内福聚寺分、||県中2p.41<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
|三澤郷||(都賀)||延徳4.10.2||1492||〔宇都宮成綱等寄進状〕成高寺大内庄之内大根田半郷、西方三澤郷之内福恩寺分并慶蔵院分、西形部(刑部)郷之内福聚寺分、||県中2p.41<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
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|延嶋郷☆||(都賀)||延徳4.11.8||1492||〔多賀谷朝泰寄進状〕下條之延嶋郷之内堀内弐千疋分、||県中3p.249<br>安穏寺文書
|延嶋郷☆||(都賀)||延徳4.11.8||1492||〔多賀谷朝泰寄進状〕下條之延嶋郷之内堀内弐千疋分、||県中3p.249<br>安穏寺文書
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|野田郷☆||小山荘<br>(都賀)||明応3.4.11||1494||〔小山成長安堵状〕下野国小山庄野田郷寺社之内、||県中1p.197<br>青木文書
|野田郷☆||小山荘<br>(都賀)||明応3.4.11||1494||〔小山成長安堵状〕下野国小山庄野田郷寺社之内、||県中1p.197<br>青木文書
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|牧野々郷<ref>『栃木県の地名』では都賀郡内に牧野郷ないし牧野村で立項されてはいないが、「牧野庄」がこれにあたるか。牧野村は芳賀郡にもあるが、ここでは小薬郷と一緒に記されていることから小山氏旧領と推定され、都賀郡内に比定しておく。</ref>||(都賀)||年月日未詳||15C||〔岩松持国闕所注文写〕上野国/一、藤河郷 藤河五郎四郎知行分、‖下野国/一、牧野々郷 木戸兵部少輔知行分、/一、小薬郷 梶原五郎右衛門尉知行分、/以上/岩松右京大夫申也、||県中3p.318<br>正木文書
|牧野々郷<ref>『栃木県の地名』では都賀郡内に牧野郷ないし牧野村で立項されてはいないが、「牧野庄」がこれにあたるか。牧野村は芳賀郡にもあるが、ここでは小薬郷と一緒に記されていることから小山氏旧領と推定され、都賀郡内に比定しておく。</ref>||(都賀)||年月日未詳||15C||〔岩松持国闕所注文写〕上野国/一、藤河郷 藤河五郎四郎知行分、‖下野国/一、牧野々郷 木戸兵部少輔知行分、/一、小薬郷 梶原五郎右衛門尉知行分、/以上/岩松右京大夫申也、||県中3p.318<br>正木文書
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|西水代郷☆||中泉荘<br>(都賀)||文亀2.10.21||1502||〔古河公方足利政氏安堵状〕当寺領下野国中泉庄内西水代郷事、||県中1p.258<br>大中寺文書
|西水代郷☆||中泉荘<br>(都賀)||文亀2.10.21||1502||〔古河公方足利政氏安堵状〕当寺領下野国中泉庄内西水代郷事、||県中1p.258<br>大中寺文書
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|下稲葉(郷)☆<br>大井出(郷) ||犬飼井郡<br>(都賀)||文亀3.12.22||1503||〔宇都宮成綱寄進状写〕犬飼井郡之内下稲葉之郷并大井出之郷・下平出之郷奉寄付候、||県中2p.42<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
|下稲葉(郷)☆<br>大井出(郷) ||犬飼井郡<br>(都賀)||文亀3.12.22||1503||〔宇都宮成綱寄進状写〕犬飼井郡之内下稲葉之郷并大井出之郷・下平出之郷奉寄付候、||県中2p.42<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
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|酒谷(郷)☆||(都賀)||永正18.7.6||1521||〔芳賀高孝寄進状写〕長宗為菩提、酒谷之郷之内東音寺、雖少所候、先以奉寄進候、||県中3p.378<br>寺社古状
|酒谷(郷)☆||(都賀)||永正18.7.6||1521||〔芳賀高孝寄進状写〕長宗為菩提、酒谷之郷之内東音寺、雖少所候、先以奉寄進候、||県中3p.378<br>寺社古状
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|惣社郷☆||国府郡<br>(都賀)||天文9.4.27||1540||〔小山高朝寄進状〕立願成就之上、当国々府郡惣社郷之内二貫之所、令寄進候、||県中1p.201<br>阿房神社文書
|惣社郷☆||国府郡<br>(都賀)||天文9.4.27||1540||〔小山高朝寄進状〕立願成就之上、当国々府郡惣社郷之内二貫之所、令寄進候、||県中1p.201<br>阿房神社文書
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|上石塚郷☆||(都賀)||天文22.12.28||1553||〔小山高朝安堵状〕上石塚郷之内廿貫之所、先々成敗不可有相違之状如件、||県中2p.193<br>岩上文書
|上石塚郷☆||(都賀)||天文22.12.28||1553||〔小山高朝安堵状〕上石塚郷之内廿貫之所、先々成敗不可有相違之状如件、||県中2p.193<br>岩上文書
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|飯田(郷)☆<br>志鳥(郷)☆<br>粟宮(郷)☆<br>塩澤(郷)☆<br>尼賀谷(郷)<ref>天正3(1575).3.15孝哲(小山秀綱)充行状(「秋田藩家蔵文書」、県中3p.149)では「天賀谷郷」とあり。『天保郷帳』では「雨ヶ谷村」。</ref>☆<br>横倉(郷)☆<br>犬塚(郷)☆<br>中久木(郷)<ref>『天保郷帳』では「中久喜村」。</ref>☆<br>多摩(郷)<ref>『天保郷帳』では「田間村」。</ref>☆<br>塚崎(郷)☆<br>武井(郷)☆||(都賀)||天文23.12.24||1554||〔足利義氏充行状〕【秀文<ref>訓は「しとり」。『下野国誌』は「秀文」を「委文」の誤りとする。</ref>】先御落居之地廿五郷/向五郷 栗橋 小手指 上伊坂 下伊坂 上中田 下中田 牛谷 小堤 大野 下井 網代 中里 大輪 飯田 若林 乙女 儘田 早河野 志鳥 稲穂/以上廿五郷/重而御落居之地/栗山 菅谷 久野生/以上/小山領十一郷/粟宮 塩澤 野田 尼賀谷 横倉〈自結城被申上候儀候者、御替地可被下候也、〉 犬塚〈自結城被申上候者、御替地可被下候也、〉 中久木 小田 多摩 塚崎 武井/右之地被充行者也、尚以小山領之儀者、永代不可有御相違候、||県中3p.421<br>野田家文書
|飯田(郷)☆<br>志鳥(郷)☆<br>粟宮(郷)☆<br>塩澤(郷)☆<br>尼賀谷(郷)<ref>天正3(1575).3.15孝哲(小山秀綱)充行状(「秋田藩家蔵文書」、県中3p.149)では「天賀谷郷」とあり。『天保郷帳』では「雨ヶ谷村」。</ref>☆<br>横倉(郷)☆<br>犬塚(郷)☆<br>中久木(郷)<ref>『天保郷帳』では「中久喜村」。</ref>☆<br>多摩(郷)<ref>『天保郷帳』では「田間村」。</ref>☆<br>塚崎(郷)☆<br>武井(郷)☆||(都賀)||天文23.12.24||1554||〔足利義氏充行状〕【秀文<ref>訓は「しとり」。『下野国誌』は「秀文」を「委文」の誤りとする。</ref>】先御落居之地廿五郷/向五郷 栗橋 小手指 上伊坂 下伊坂 上中田 下中田 牛谷 小堤 大野 下井 網代 中里 大輪 飯田 若林 乙女 儘田 早河野 志鳥 稲穂/以上廿五郷/重而御落居之地/栗山 菅谷 久野生/以上/小山領十一郷/粟宮 塩澤 野田 尼賀谷 横倉〈自結城被申上候儀候者、御替地可被下候也、〉 犬塚〈自結城被申上候者、御替地可被下候也、〉 中久木 小田 多摩 塚崎 武井/右之地被充行者也、尚以小山領之儀者、永代不可有御相違候、||県中3p.421<br>野田家文書
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|緑川郷☆<br>下高嶋郷☆||(都賀)||弘治3.5.23||1557||〔古河公方足利義氏安堵状〕緑川郷・下高嶋郷・東武井郷、如近年不可有相違之状如件、||県中1p.214<br>小山文書
|緑川郷☆<br>下高嶋郷☆||(都賀)||弘治3.5.23||1557||〔古河公方足利義氏安堵状〕緑川郷・下高嶋郷・東武井郷、如近年不可有相違之状如件、||県中1p.214<br>小山文書
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|上泉郷<ref>『喜連川家料所記』(「喜連川文書」、県中2p.275)には「上飯富郷」とある。</ref>☆||(都賀)||永禄3.2.26||1560||〔小山高朝安堵状〕榎本至于本意ニ者、上泉郷之事成敗可被致之候、||県中2p.194<br>岩上文書
|上泉郷<ref>『喜連川家料所記』(「喜連川文書」、県中2p.275)には「上飯富郷」とある。</ref>☆||(都賀)||永禄3.2.26||1560||〔小山高朝安堵状〕榎本至于本意ニ者、上泉郷之事成敗可被致之候、||県中2p.194<br>岩上文書
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|葛生郷☆||(都賀)||元亀2.8.6||1571||〔大庵寺々領目録〕角打郷/大河掃部助分之内‖吉水郷之内/岡藤次良分‖葛生郷之内‖多田郷之内||県中1p.612<br>大庵寺文書
|葛生郷☆||(都賀)||元亀2.8.6||1571||〔大庵寺々領目録〕角打郷/大河掃部助分之内‖吉水郷之内/岡藤次良分‖葛生郷之内‖多田郷之内||県中1p.612<br>大庵寺文書
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|野田郷<ref>都賀郡内に「野田郷」は二箇所ある。ここでいう野田郷は、明応3(1494).4.11小山成長安堵状(「青木文書」、県中1p.197)の野田郷(現小山市)ではなく、現栃木市(旧大平町)と比定される。</ref>☆<br>眞弓郷☆<br>本澤郷<ref>現小山市上泉に字本沢がある。</ref><br>小林郷<ref>『栃木県の地名』では、現真岡市内の「小林(こばやし)」と、現小山市内の「小林(おばやし)」と両方を本史料の「小林郷」に比定するなど混乱がみられるが、位置的に考えて現小山市内の小林(おばやし)に比定するのが適当と考えられる。</ref>☆<br>与恒郷<ref>『天保郷帳』では「戸恒村」。</ref>☆<br>澁江郷<ref>『天保郷帳』では「渋井村」。</ref>☆||(都賀)||(天正2ヵ)4.15||1574||〔喜連川家料所記〕小山押領之地共/友沼郷 生井郷 赤塚郷〈先年簗田ニ被下候、〉 丸林郷 潤嶋之村 寒河郷 鏡郷 中里郷 井岡郷 已上/抜本領<ref>「榎本領」の誤り。</ref>之内/野田郷 眞弓郷 上飯富郷 本澤郷 小林郷 押切郷 大河嶋 与恒郷 澁江郷 已上/右関宿御座之時分去庚申歳<ref>永禄3年(1560)のこと。</ref>迄、無相違御料所共ニ候、||県中2p.275<br>喜連川文書
|野田郷<ref>都賀郡内に「野田郷」は二箇所ある。ここでいう野田郷は、明応3(1494).4.11小山成長安堵状(「青木文書」、県中1p.197)の野田郷(現小山市)ではなく、現栃木市(旧大平町)と比定される。</ref>☆<br>眞弓郷☆<br>本澤郷<ref>現小山市上泉に字本沢がある。</ref><br>小林郷<ref>『栃木県の地名』では、現真岡市内の「小林(こばやし)」と、現小山市内の「小林(おばやし)」と両方を本史料の「小林郷」に比定するなど混乱がみられるが、位置的に考えて現小山市内の小林(おばやし)に比定するのが適当と考えられる。</ref>☆<br>与恒郷<ref>『天保郷帳』では「戸恒村」。</ref>☆<br>澁江郷<ref>『天保郷帳』では「渋井村」。</ref>☆||(都賀)||(天正2ヵ)4.15||1574||〔喜連川家料所記〕小山押領之地共/友沼郷 生井郷 赤塚郷〈先年簗田ニ被下候、〉 丸林郷 潤嶋之村 寒河郷 鏡郷 中里郷 井岡郷 已上/抜本領<ref>「榎本領」の誤り。</ref>之内/野田郷 眞弓郷 上飯富郷 本澤郷 小林郷 押切郷 大河嶋 与恒郷 澁江郷 已上/右関宿御座之時分去庚申歳<ref>永禄3年(1560)のこと。</ref>迄、無相違御料所共ニ候、||県中2p.275<br>喜連川文書
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|下出井郷☆||(都賀)||天正5.8.24||1577||〔伊勢千代丸(小山高朝)書状〕祇園江帰城之為祈念、大御供 伊勢掛立願候、仍下出井郷、永代奉寄進候、||県中2p.381<br>佐八文書
|下出井郷☆||(都賀)||天正5.8.24||1577||〔伊勢千代丸(小山高朝)書状〕祇園江帰城之為祈念、大御供 伊勢掛立願候、仍下出井郷、永代奉寄進候、||県中2p.381<br>佐八文書
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|尻内之郷☆||(都賀)||天正16.12.20||1588||〔佐野氏忠印判状〕書出/右尻内之郷代官星野民部ニ申付候、然者彼代官其方ニ申付ニ付而者、自今以後年貢少も無申事、如高辻無々沙汰可相調候、||県中4p.240<br>島津文書
|尻内之郷☆||(都賀)||天正16.12.20||1588||〔佐野氏忠印判状〕書出/右尻内之郷代官星野民部ニ申付候、然者彼代官其方ニ申付ニ付而者、自今以後年貢少も無申事、如高辻無々沙汰可相調候、||県中4p.240<br>島津文書
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|星野郷☆||(都賀)||天正16.12.20||1588||〔佐野氏忠軍勢催促状写〕書出/弐百貫文 星野郷/此着到/五騎 馬上、指物四方可指、||県中4p.244<br>島津文書
|星野郷☆||(都賀)||天正16.12.20||1588||〔佐野氏忠軍勢催促状写〕書出/弐百貫文 星野郷/此着到/五騎 馬上、指物四方可指、||県中4p.244<br>島津文書
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|栃木之郷☆||都賀郡||天正19.11.-||1591||〔徳川家康朱印状写〕寄進 円通寺/下野国都賀郡栃木之郷之内拾石之事、||県中4p.306<br>御朱印留
|栃木之郷☆||都賀郡||天正19.11.-||1591||〔徳川家康朱印状写〕寄進 円通寺/下野国都賀郡栃木之郷之内拾石之事、||県中4p.306<br>御朱印留
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|栃窪郷☆||(都賀)||年未詳10.20||(室町期ヵ)||〔法印行専奉書〕常行堂承仕三人内、第三承仕御恩栃窪郷所当事、||県中1p.92<br>輪王寺文書
|栃窪郷☆||(都賀)||年未詳10.20||(室町期ヵ)||〔法印行専奉書〕常行堂承仕三人内、第三承仕御恩栃窪郷所当事、||県中1p.92<br>輪王寺文書
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|にしたけい之郷☆<br>(西武井)||(都賀)||年未詳7.2||||〔塚田俊行書状〕返々、にしたけい之郷寺者之事、先々のことくワたし進之候、よくゝゝ御きたうあるへき事、可然候、||県中1p.198<br>青木文書
|にしたけい之郷☆<br>(西武井)||(都賀)||年未詳7.2||||〔塚田俊行書状〕返々、にしたけい之郷寺者之事、先々のことくワたし進之候、よくゝゝ御きたうあるへき事、可然候、||県中1p.198<br>青木文書
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|瓦田郷<ref>『天保郷帳』では「川原田村」。</ref>☆||(都賀)||年未詳7.15||||〔某安堵状写〕相州曾比郷・千津嶋村、野州瓦田郷、上総国造細郷等事、知行不可有相違候、||県中4p.265<br>士林証文
|瓦田郷<ref>『天保郷帳』では「川原田村」。</ref>☆||(都賀)||年未詳7.15||||〔某安堵状写〕相州曾比郷・千津嶋村、野州瓦田郷、上総国造細郷等事、知行不可有相違候、||県中4p.265<br>士林証文
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|風野郷☆||(都賀)||年未詳12.12||||〔神山治持書状写〕〈村井之地より百疋/栃窪之地より百疋〉合弐百疋/風野本意之上、弐百疋地行上申候間、‖追而、風野郷之たて御地田之内弐百疋、年々奉上候、いよゝゝ繁昌可申候、||県中2p.447<br>佐八文書
|風野郷☆||(都賀)||年未詳12.12||||〔神山治持書状写〕〈村井之地より百疋/栃窪之地より百疋〉合弐百疋/風野本意之上、弐百疋地行上申候間、‖追而、風野郷之たて御地田之内弐百疋、年々奉上候、いよゝゝ繁昌可申候、||県中2p.447<br>佐八文書
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|都可郷||(都賀)||年未詳||8C~9Cヵ||〔下野国府跡出土木簡〕都可郷進藤一荷||木研究4p.52<br>下野国府跡出土木簡
|都可郷||(都賀)||年未詳||8C~9Cヵ||〔下野国府跡出土木簡〕都可郷進藤一荷||木研究4p.52<br>下野国府跡出土木簡
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====村====
====村====
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! style="width:10%"|村!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|村!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|長方村<ref>『天保郷帳』では「仲方村」。</ref>☆||木村保<br>(都賀)||応永6.12.-||1399||〔島津道祐等言上状〕早下野国戸矢子保内梅澤村・同千手村・同寺尾村、同国木村保内長方村本知行分者、||県中3p.388<br>島津文書
|長方村<ref>『天保郷帳』では「仲方村」。</ref>☆||木村保<br>(都賀)||応永6.12.-||1399||〔島津道祐等言上状〕早下野国戸矢子保内梅澤村・同千手村・同寺尾村、同国木村保内長方村本知行分者、||県中3p.388<br>島津文書
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|梅澤村☆<br>千手村☆<br>寺尾村||戸矢子保<br>(都賀)||応永6.12.-||1399||〔島津道祐等言上状〕早下野国戸矢子保内梅澤村・同千手村・同寺尾村、同国木村保内長方村本知行分者、||県中3p.388<br>島津文書
|梅澤村☆<br>千手村☆<br>寺尾村||戸矢子保<br>(都賀)||応永6.12.-||1399||〔島津道祐等言上状〕早下野国戸矢子保内梅澤村・同千手村・同寺尾村、同国木村保内長方村本知行分者、||県中3p.388<br>島津文書
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|家務之村<ref>『栃木県の地名』に項目なし。家中郷が都賀郡に属することから、都賀郡と推定しておく。</ref>||犬飼井郡<br>(都賀)||文亀3.12.22||1503||〔芳賀高勝施行状写<ref>同日付の宇都宮成綱寄進状写(成高寺宛、「寺社古状」、県中3p.376)あり。</ref>〕犬飼井郡之内下稲葉之郷幷大井出之郷家中内家務之村之事、寄進致申上者、||県中3p.375<br>寺社古状
|家務之村<ref>『栃木県の地名』に項目なし。家中郷が都賀郡に属することから、都賀郡と推定しておく。</ref>||犬飼井郡<br>(都賀)||文亀3.12.22||1503||〔芳賀高勝施行状写<ref>同日付の宇都宮成綱寄進状写(成高寺宛、「寺社古状」、県中3p.376)あり。</ref>〕犬飼井郡之内下稲葉之郷幷大井出之郷家中内家務之村之事、寄進致申上者、||県中3p.375<br>寺社古状
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|大和田村☆||(都賀)||(享徳1)⑧.12||1542||〔小山持政書状〕雖細少之地候、家中郷大和田村〈細井中務丞知行分〉可有御成敗候、||県中3p.25<br>白川文書
|大和田村☆||(都賀)||(享徳1)⑧.12||1542||〔小山持政書状〕雖細少之地候、家中郷大和田村〈細井中務丞知行分〉可有御成敗候、||県中3p.25<br>白川文書
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|梓村☆||(都賀)||弘治3.8.7||1557||〔北条氏政禁制写〕禁制/一於梓村・中方村指合狼藉之事、||県中4p.385<br>豊前氏古文書抄
|梓村☆||(都賀)||弘治3.8.7||1557||〔北条氏政禁制写〕禁制/一於梓村・中方村指合狼藉之事、||県中4p.385<br>豊前氏古文書抄
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|細井(村)☆<br>(細谷)<br>橋本村☆||(都賀)||天正18.9.20||1590||〔豊臣秀吉朱印状〕下野国小山領之内大宮千五百六十七石并細井・橋本村四百八十二石、都合弐千五十石事、||県中3p.410<br>多賀谷文書
|細井(村)☆<br>(細谷)<br>橋本村☆||(都賀)||天正18.9.20||1590||〔豊臣秀吉朱印状〕下野国小山領之内大宮千五百六十七石并細井・橋本村四百八十二石、都合弐千五十石事、||県中3p.410<br>多賀谷文書
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===寒川郡===
===寒川郡===
====郷(里)====
====郷(里)====
真木、池邉、奴宜
真木、池邉、奴宜
{|class="wikitable"
{|class="wikitable"
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! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|さんかはのかう<ref>天文23(1554).9.20小山高朝安堵状(「秋田藩家蔵文書」、県中3p.114)に「寒川郷」あり。</ref>☆<br>(寒川)<br>かゝみのかう☆<br>(鏡)<br>しもさんかはのかう☆<br>(下寒川)<br>なかさとのかう☆<br>(中里)<br>はさまたのかう☆<br>(迫間田)||(寒川)||年月日未詳||14Cヵ||〔某譲状〕ゆつりわたす所りやうの事/合/一、しもつけのくにさんかはのかう、かゝみのかう、たゝし□□□‖一、しもさんかはのかう、みな□□/なかさとのかう□□□に□□/はさまたのかう□□□(後闕)||県中3p.477<br>金澤文庫古文書
|さんかはのかう<ref>天文23(1554).9.20小山高朝安堵状(「秋田藩家蔵文書」、県中3p.114)に「寒川郷」あり。</ref>☆<br>(寒川)<br>かゝみのかう☆<br>(鏡)<br>しもさんかはのかう☆<br>(下寒川)<br>なかさとのかう☆<br>(中里)<br>はさまたのかう☆<br>(迫間田)||(寒川)||年月日未詳||14Cヵ||〔某譲状〕ゆつりわたす所りやうの事/合/一、しもつけのくにさんかはのかう、かゝみのかう、たゝし□□□‖一、しもさんかはのかう、みな□□/なかさとのかう□□□に□□/はさまたのかう□□□(後闕)||県中3p.477<br>金澤文庫古文書
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|乙妻(郷)☆<br>眞々田(郷)☆||小山荘<br>(寒川)||建武4.7.9||1337||〔茂木知政軍忠状〕於小山庄内乙妻・眞々田両郷合戦之時、||県中2p.83<br>茂木文書
|乙妻(郷)☆<br>眞々田(郷)☆||小山荘<br>(寒川)||建武4.7.9||1337||〔茂木知政軍忠状〕於小山庄内乙妻・眞々田両郷合戦之時、||県中2p.83<br>茂木文書
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|若林郷<ref>近世以降、都賀郡に所属。</ref>☆<br>早河野郷<ref>近世以降、都賀郡に所属。『天保郷帳』では「佐川野村」。</ref>☆<br>||(寒川)||天文23.12.24||1554||〔足利義氏充行状〕先御落居之地廿五郷/向五郷 栗橋 小手指 上伊坂 下伊坂 上中田 下中田 牛谷 小堤 大野 下井 網代 中里 大輪 飯田 若林 乙女 儘田 早河野 志鳥 稲穂/以上廿五郷/重而御落居之地/栗山 菅谷 久野生/以上/小山領十一郷/粟宮 塩澤 野田 尼賀谷 横倉〈自結城被申上候儀候者、御替地可被下候也、〉 犬塚〈自結城被申上候者、御替地可被下候也、〉 中久木 小田 多摩 塚崎 武井/右之地被充行者也、尚以小山領之儀者、永代不可有御相違候、||県中3p.421<br>野田家文書
|若林郷<ref>近世以降、都賀郡に所属。</ref>☆<br>早河野郷<ref>近世以降、都賀郡に所属。『天保郷帳』では「佐川野村」。</ref>☆<br>||(寒川)||天文23.12.24||1554||〔足利義氏充行状〕先御落居之地廿五郷/向五郷 栗橋 小手指 上伊坂 下伊坂 上中田 下中田 牛谷 小堤 大野 下井 網代 中里 大輪 飯田 若林 乙女 儘田 早河野 志鳥 稲穂/以上廿五郷/重而御落居之地/栗山 菅谷 久野生/以上/小山領十一郷/粟宮 塩澤 野田 尼賀谷 横倉〈自結城被申上候儀候者、御替地可被下候也、〉 犬塚〈自結城被申上候者、御替地可被下候也、〉 中久木 小田 多摩 塚崎 武井/右之地被充行者也、尚以小山領之儀者、永代不可有御相違候、||県中3p.421<br>野田家文書
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|馬場(郷)☆<br>奈良木(郷)☆<br>(楢木)||(寒川)||弘治3.6.17||1557||〔足利義氏朱印状〕一、馬場・奈良木両郷手本〈仁〉閣、網戸宮内大輔等綺之儀、不可有相違事、||県中3p.421<br>野田家文書
|馬場(郷)☆<br>奈良木(郷)☆<br>(楢木)||(寒川)||弘治3.6.17||1557||〔足利義氏朱印状〕一、馬場・奈良木両郷手本〈仁〉閣、網戸宮内大輔等綺之儀、不可有相違事、||県中3p.421<br>野田家文書
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|新葉郷<ref>『天保郷帳』では「新波村」(にっぱむら)。</ref>☆||寒河郡||永禄3.11.26||1560||〔小山高朝安堵状〕寒河郡之内新葉郷除寺社〈於〉、成敗不可有相違候、||県中2p.194<br>岩上文書
|新葉郷<ref>『天保郷帳』では「新波村」(にっぱむら)。</ref>☆||寒河郡||永禄3.11.26||1560||〔小山高朝安堵状〕寒河郡之内新葉郷除寺社〈於〉、成敗不可有相違候、||県中2p.194<br>岩上文書
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|友沼郷<ref>天正5(1577).10.19大石信濃守奉書写(「晃程文書」、県中3p.357)にも「友沼之郷」とみえる。近世以降、都賀郡に所属。</ref>☆<br>生井郷☆<br>赤塚郷<ref>近世以降、都賀郡に所属。</ref>☆<br>丸林郷<ref>近世以降、都賀郡に所属。</ref>☆<br>井岡郷<ref>『天保郷帳』では「井岡村」。</ref>☆||(寒川)||(天正2ヵ)4.15||1574||〔喜連川家料所記〕小山押領之地共/友沼郷 生井郷 赤塚郷〈先年簗田ニ被下候、〉 丸林郷 潤嶋之村 寒河郷 鏡郷 中里郷 井岡郷 已上/抜本領<ref>「榎本領」の誤り。</ref>之内/野田郷 眞弓郷 上飯富郷 本澤郷 小林郷 押切郷 大河嶋 与恒郷 澁江郷 已上/右関宿御座之時分去庚申歳<ref>永禄3年(1560)。</ref>迄、無相違御料所共ニ候、||県中2p.275<br>喜連川文書
|友沼郷<ref>天正5(1577).10.19大石信濃守奉書写(「晃程文書」、県中3p.357)にも「友沼之郷」とみえる。近世以降、都賀郡に所属。</ref>☆<br>生井郷☆<br>赤塚郷<ref>近世以降、都賀郡に所属。</ref>☆<br>丸林郷<ref>近世以降、都賀郡に所属。</ref>☆<br>井岡郷<ref>『天保郷帳』では「井岡村」。</ref>☆||(寒川)||(天正2ヵ)4.15||1574||〔喜連川家料所記〕小山押領之地共/友沼郷 生井郷 赤塚郷〈先年簗田ニ被下候、〉 丸林郷 潤嶋之村 寒河郷 鏡郷 中里郷 井岡郷 已上/抜本領<ref>「榎本領」の誤り。</ref>之内/野田郷 眞弓郷 上飯富郷 本澤郷 小林郷 押切郷 大河嶋 与恒郷 澁江郷 已上/右関宿御座之時分去庚申歳<ref>永禄3年(1560)。</ref>迄、無相違御料所共ニ候、||県中2p.275<br>喜連川文書
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|野木郷<ref>近世以降、都賀郡に所属。『天保郷帳』では「本野木町」。</ref>☆||(寒川)||年未詳7.23||||〔古河公方足利政氏安堵状〕【奴宜】野木郷・瀬下郷并楢木郷之事、成敗不可有相違候、||県中1p.209<br>小山文書
|野木郷<ref>近世以降、都賀郡に所属。『天保郷帳』では「本野木町」。</ref>☆||(寒川)||年未詳7.23||||〔古河公方足利政氏安堵状〕【奴宜】野木郷・瀬下郷并楢木郷之事、成敗不可有相違候、||県中1p.209<br>小山文書
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====村====
====村====
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! style="width:10%"|村!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|村!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|上名間井村☆||三河郡<br>(寒川)||長享3.4.25||1489||〔澁垂小四郎申状写〕一、下野国足利庄澁垂郷内佐野給/一、同国三河(寒河)郡内上名間井村||県中3p.278<br>澁垂文書
|上名間井村☆||三河郡<br>(寒川)||長享3.4.25||1489||〔澁垂小四郎申状写〕一、下野国足利庄澁垂郷内佐野給/一、同国三河(寒河)郡内上名間井村||県中3p.278<br>澁垂文書
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|潤嶋之村<ref>近世以降、都賀郡に所属。『天保郷帳』では閏島村。</ref>☆||(寒川)||(天正2ヵ)4.15||1574||〔喜連川家料所記〕小山押領之地共/友沼郷 生井郷 赤塚郷〈先年簗田ニ被下候、〉 丸林郷 潤嶋之村 寒河郷 鏡郷 中里郷 井岡郷 已上/抜本領<ref>「榎本領」の誤り。</ref>之内/野田郷 眞弓郷 上飯富郷 本澤郷 小林郷 押切郷 大河嶋 与恒郷 澁江郷 已上/右関宿御座之時分去庚申歳<ref>永禄3(1560)のこと。</ref>迄、無相違御料所共ニ候、||県中2p.275<br>喜連川文書
|潤嶋之村<ref>近世以降、都賀郡に所属。『天保郷帳』では閏島村。</ref>☆||(寒川)||(天正2ヵ)4.15||1574||〔喜連川家料所記〕小山押領之地共/友沼郷 生井郷 赤塚郷〈先年簗田ニ被下候、〉 丸林郷 潤嶋之村 寒河郷 鏡郷 中里郷 井岡郷 已上/抜本領<ref>「榎本領」の誤り。</ref>之内/野田郷 眞弓郷 上飯富郷 本澤郷 小林郷 押切郷 大河嶋 与恒郷 澁江郷 已上/右関宿御座之時分去庚申歳<ref>永禄3(1560)のこと。</ref>迄、無相違御料所共ニ候、||県中2p.275<br>喜連川文書
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|野木村☆||(寒川)||文禄5.1.20||1596||〔結城秀康知行充行状写〕【奴宜】高弐百石者 小山領野木村内、||県中3p.118<br>秋田藩家蔵文書
|野木村☆||(寒川)||文禄5.1.20||1596||〔結城秀康知行充行状写〕【奴宜】高弐百石者 小山領野木村内、||県中3p.118<br>秋田藩家蔵文書
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===河内郡===
===河内郡===
====郷(里)====
====郷(里)====
丈部、刑部、大続、酒部、三川、財部、真壁、軽部、池邉、衣川
丈部、刑部、大続、酒部、三川、財部、真壁、軽部、池邉、衣川
{|class="wikitable"
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! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|財部郷||河内郡||年月日未詳||8C<ref>本木簡は下端部の欠損のため、内容・年月日とも不明だが、同時に出土した他の木簡には天平勝宝4年(752)、同5年の年紀があるものもあり、8Cと推測される。</ref>||〔秋田城跡出土木簡〕【財部】下野国河内郡□(財)部郷□||木研究1p.43<br>秋田城跡出土木簡
|財部郷||河内郡||年月日未詳||8C<ref>本木簡は下端部の欠損のため、内容・年月日とも不明だが、同時に出土した他の木簡には天平勝宝4年(752)、同5年の年紀があるものもあり、8Cと推測される。</ref>||〔秋田城跡出土木簡〕【財部】下野国河内郡□(財)部郷□||木研究1p.43<br>秋田城跡出土木簡
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|小池郷☆||(河内)||観応2.8.18||1351||〔重俊置文案〕小池郷衣服料五貫八百十四文||県中1p.39<br>輪王寺文書
|小池郷☆||(河内)||観応2.8.18||1351||〔重俊置文案〕小池郷衣服料五貫八百十四文||県中1p.39<br>輪王寺文書
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|福田(郷)<br>平塚(郷)||薬師寺荘<br>(河内)||明徳2.9.8||1391||〔関東管領上杉朝宗施行状〕下野国薬師寺庄半分〈除福田・平塚両郷、逸見中務大輔寄進地〉事、||県中2p.296<br>別願寺文書
|福田(郷)<br>平塚(郷)||薬師寺荘<br>(河内)||明徳2.9.8||1391||〔関東管領上杉朝宗施行状〕下野国薬師寺庄半分〈除福田・平塚両郷、逸見中務大輔寄進地〉事、||県中2p.296<br>別願寺文書
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|簗瀬郷☆||(河内)||応□□.10.7||(14C)||〔宇都宮氏綱寄進状〕寄附/簗瀬郷内鷺谷給分跡之事、||県中1p.2<br>一向寺文書
|簗瀬郷☆||(河内)||応□□.10.7||(14C)||〔宇都宮氏綱寄進状〕寄附/簗瀬郷内鷺谷給分跡之事、||県中1p.2<br>一向寺文書
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|中さとの郷<ref>永正9(1512).3.7宇都宮忠綱安堵状(「寺社古状」、県中3p.373)に「中里郷」とあり。</ref>☆<br>(中里)||(河内)||応永8.11.21||1401||〔日高戸某奉書写〕興禅寺りよう中さとの郷の百姓等毎年てうさん候、結句宮春辺にきよちうの事、これを其所地頭名主かれらをおかれ候事、猶向後不可有者也、||県中3p.372<br>寺社古状
|中さとの郷<ref>永正9(1512).3.7宇都宮忠綱安堵状(「寺社古状」、県中3p.373)に「中里郷」とあり。</ref>☆<br>(中里)||(河内)||応永8.11.21||1401||〔日高戸某奉書写〕興禅寺りよう中さとの郷の百姓等毎年てうさん候、結句宮春辺にきよちうの事、これを其所地頭名主かれらをおかれ候事、猶向後不可有者也、||県中3p.372<br>寺社古状
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|上平出郷☆<br>宿之郷☆<br>砥上郷☆||(河内)||応永9.4.11||1402||〔宇都宮満綱寄進状写〕寄進/上平出郷‖宿之郷‖砥上郷||県中3p.372<br>寺社古状
|上平出郷☆<br>宿之郷☆<br>砥上郷☆||(河内)||応永9.4.11||1402||〔宇都宮満綱寄進状写〕寄進/上平出郷‖宿之郷‖砥上郷||県中3p.372<br>寺社古状
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|西刑部郷☆||(河内)||応永18.11.8||1411||〔宇都宮持綱寄進状〕【刑部】寄進/西方内大和田郷半分事/右彼所者、為西刑部郷内平塚村代、所令寄附一向寺也、||県中1p.1<br>一向寺文書
|西刑部郷☆||(河内)||応永18.11.8||1411||〔宇都宮持綱寄進状〕【刑部】寄進/西方内大和田郷半分事/右彼所者、為西刑部郷内平塚村代、所令寄附一向寺也、||県中1p.1<br>一向寺文書
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|岡本郷<ref>『今宮祭祀録』によれば、永禄8年(1565)に「其年宮大頭岡本郷」とあり。</ref>☆||(河内)||応永18.12.8||1411||〔宇都宮持綱公事免除状〕一向寺領/岡本郷内給分并西方大和田半分諸役等事、||県中1p.2<br>一向寺文書
|岡本郷<ref>『今宮祭祀録』によれば、永禄8年(1565)に「其年宮大頭岡本郷」とあり。</ref>☆||(河内)||応永18.12.8||1411||〔宇都宮持綱公事免除状〕一向寺領/岡本郷内給分并西方大和田半分諸役等事、||県中1p.2<br>一向寺文書
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|荊沢郷☆<br>(驚沢)||(河内)||応永19||1412||〔今宮祭祀録〕同(応永)十九〈壬辰〉 〔持綱殿始テ御出仕也〕氏家頭 荊沢郷 御代官滝九郎/同下頭/上平村百姓けいくわん坊と申物ニ差候所ニ、辞退仕候間、御/直文ニまかせ、郷催之事勤分、頭人事ハ惣百姓中ニテ、御望ニまかせ遣され候坊勤分、||氏家古・中p.330<br>今宮祭祀録
|荊沢郷☆<br>(驚沢)||(河内)||応永19||1412||〔今宮祭祀録〕同(応永)十九〈壬辰〉 〔持綱殿始テ御出仕也〕氏家頭 荊沢郷 御代官滝九郎/同下頭/上平村百姓けいくわん坊と申物ニ差候所ニ、辞退仕候間、御/直文ニまかせ、郷催之事勤分、頭人事ハ惣百姓中ニテ、御望ニまかせ遣され候坊勤分、||氏家古・中p.330<br>今宮祭祀録
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|飯山郷☆<br>石那田郷☆<br>塩室郷<ref>『天保郷帳』では「塩野室村」。</ref>☆<br>大桑郷<ref>『天保郷帳』では「大桒村」。</ref>☆||(河内)||年月日未詳(応永22ヵ)||1415ヵ||〔所役配分注文案〕五口 飯山郷/三口壱貫三百 石那田郷/二口半 美濃郷/二口 苻所郷/三口 塩室郷/一口 大桑郷||県中1p.58<br>輪王寺文書
|飯山郷☆<br>石那田郷☆<br>塩室郷<ref>『天保郷帳』では「塩野室村」。</ref>☆<br>大桑郷<ref>『天保郷帳』では「大桒村」。</ref>☆||(河内)||年月日未詳(応永22ヵ)||1415ヵ||〔所役配分注文案〕五口 飯山郷/三口壱貫三百 石那田郷/二口半 美濃郷/二口 苻所郷/三口 塩室郷/一口 大桑郷||県中1p.58<br>輪王寺文書
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|小林郷☆||(河内)||(文明3ヵ)8.18||1471ヵ||〔昌宣衣服料送文〕大桑郷‖飯山郷‖小池郷‖苻所郷‖明神郷‖小林郷||県中4p.412<br>輪王寺文書
|小林郷☆||(河内)||(文明3ヵ)8.18||1471ヵ||〔昌宣衣服料送文〕大桑郷‖飯山郷‖小池郷‖苻所郷‖明神郷‖小林郷||県中4p.412<br>輪王寺文書
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|瓦屋郷<ref>『天保郷帳』では「川原谷村」。</ref>☆||(河内)||明応4.8.11||1495||〔宇都宮成綱充行状写〕連々忠信感悦候、就中依今度一段之時宜、速申上之条、忠儀無比類候、然者瓦屋郷之番料足廿二貫文所免許也、||県中3p.119<br>秋田藩家蔵文書
|瓦屋郷<ref>『天保郷帳』では「川原谷村」。</ref>☆||(河内)||明応4.8.11||1495||〔宇都宮成綱充行状写〕連々忠信感悦候、就中依今度一段之時宜、速申上之条、忠儀無比類候、然者瓦屋郷之番料足廿二貫文所免許也、||県中3p.119<br>秋田藩家蔵文書
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|下平出之郷☆||(河内)||文亀3.12.22||1503||〔宇都宮成綱寄進状写〕犬飼井郡之内下稲葉之郷并大井出之郷・下平出之郷奉寄付候、||県中2p.42<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
|下平出之郷☆||(河内)||文亀3.12.22||1503||〔宇都宮成綱寄進状写〕犬飼井郡之内下稲葉之郷并大井出之郷・下平出之郷奉寄付候、||県中2p.42<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
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|刑部之郷☆||(河内)||文亀4.8.26||1504||〔芳賀高勝宛行状写〕【刑部】連々奉公神妙之至ニ候、仍在宮之事其外條々有旨趣、依望申、刑部之郷之内鴨端分之事、為新恩宛行之候、||県中2p.11<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
|刑部之郷☆||(河内)||文亀4.8.26||1504||〔芳賀高勝宛行状写〕【刑部】連々奉公神妙之至ニ候、仍在宮之事其外條々有旨趣、依望申、刑部之郷之内鴨端分之事、為新恩宛行之候、||県中2p.11<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
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|神主郷☆||(河内)||永正10.4.26||1513||〔芳賀高孝寄進状写〕為亡父忠翁之志、神主郷之内直心庵給分、令寄付于当寺候、||県中3p.377<br>寺社古状
|神主郷☆||(河内)||永正10.4.26||1513||〔芳賀高孝寄進状写〕為亡父忠翁之志、神主郷之内直心庵給分、令寄付于当寺候、||県中3p.377<br>寺社古状
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|上桑嶋之郷☆||(河内)||天文4.7.3||1535||〔芳賀高孝寄進状写〕為香田、奉寄付慶室妙賀買得之地上桑嶋之郷之内野志賀之内土貢八貫文・三季役銭弐貫百文、||県中3p.380<br>寺社古状
|上桑嶋之郷☆||(河内)||天文4.7.3||1535||〔芳賀高孝寄進状写〕為香田、奉寄付慶室妙賀買得之地上桑嶋之郷之内野志賀之内土貢八貫文・三季役銭弐貫百文、||県中3p.380<br>寺社古状
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|新里郷☆||(河内)||弘治2.11.12||1556||〔壬生綱雄書状写〕新里郷之年貢三年之末綱雄参宮申迄弐百疋可奉進納候、||県中2p.444<br>佐八文書
|新里郷☆||(河内)||弘治2.11.12||1556||〔壬生綱雄書状写〕新里郷之年貢三年之末綱雄参宮申迄弐百疋可奉進納候、||県中2p.444<br>佐八文書
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|長岡之郷☆||(河内)||天正13.2.4||1585||〔宇都宮国綱寄進状〕以天為御香典長岡之郷分斗足之内五貫文令寄付之状如件、||県中4p.19<br>華光院文書
|長岡之郷☆||(河内)||天正13.2.4||1585||〔宇都宮国綱寄進状〕以天為御香典長岡之郷分斗足之内五貫文令寄付之状如件、||県中4p.19<br>華光院文書
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|東木代郷☆||(河内)||年未詳3.5||(16C)||〔芳賀高定宛行状〕雖少所候、東木代郷之事、成敗不可相違候、||県中3p.116<br>秋田藩家蔵文書
|東木代郷☆||(河内)||年未詳3.5||(16C)||〔芳賀高定宛行状〕雖少所候、東木代郷之事、成敗不可相違候、||県中3p.116<br>秋田藩家蔵文書
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|薬師寺郷☆||(河内)||年未詳6.19||||〔古河公方足利政氏宛行状〕依被存中心、薬師寺郷之事、被任下知之条、感荷之至候、為其改替、天明之事、被宛行候、||県中1p.211<br>小山文書
|薬師寺郷☆||(河内)||年未詳6.19||||〔古河公方足利政氏宛行状〕依被存中心、薬師寺郷之事、被任下知之条、感荷之至候、為其改替、天明之事、被宛行候、||県中1p.211<br>小山文書
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====村====
====村====
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! style="width:10%"|村!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|村!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|河内村||(河内)||応永9||1402||〔今宮祭祀録〕応永九〈壬午〉 氏家頭 河内村 岡本将監入道/宮下頭迫田 〔下頭〕大田彦清次||氏家古・中p.328<br>今宮祭祀録
|河内村||(河内)||応永9||1402||〔今宮祭祀録〕応永九〈壬午〉 氏家頭 河内村 岡本将監入道/宮下頭迫田 〔下頭〕大田彦清次||氏家古・中p.328<br>今宮祭祀録
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|平塚村☆||(河内)||応永18.11.8||1411||〔宇都宮持綱寄進状〕寄進/西方内大和田郷半分事/右彼所者、為西刑部郷内平塚村代、所令寄附一向寺也、||県中1p.1<br>一向寺文書
|平塚村☆||(河内)||応永18.11.8||1411||〔宇都宮持綱寄進状〕寄進/西方内大和田郷半分事/右彼所者、為西刑部郷内平塚村代、所令寄附一向寺也、||県中1p.1<br>一向寺文書
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|下坪山村☆||(河内)||天正18.10.12||1590||〔結城秀康寄進状〕結城領之内於下坪山村五十三石、為新寄進知行不可有相違之状、仍如件、||南河内町史史料篇3、14号<br>安穏寺所蔵文書
|下坪山村☆||(河内)||天正18.10.12||1590||〔結城秀康寄進状〕結城領之内於下坪山村五十三石、為新寄進知行不可有相違之状、仍如件、||南河内町史史料篇3、14号<br>安穏寺所蔵文書
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===芳賀郡===
===芳賀郡===
====郷(里)====
====郷(里)====
古家、廣妹、遠妹、物部、芳賀、若続、承舎、石田、氏家、丈部、財部、川口、真壁、新田
古家、廣妹、遠妹、物部、芳賀、若続、承舎、石田、氏家、丈部、財部、川口、真壁、新田
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! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|石田郷||芳賀郡||天平勝宝4.10.25||752||〔造東寺司牒〕【石田】芳賀郡石田郷五十戸/足利郡土師郷五十戸/梁田郡深川郷五十戸/都賀郡高栗郷五十戸/塩谷郡片岡郷五十戸||県古p.78<br>正倉院御物
|石田郷||芳賀郡||天平勝宝4.10.25||752||〔造東寺司牒〕【石田】芳賀郡石田郷五十戸/足利郡土師郷五十戸/梁田郡深川郷五十戸/都賀郡高栗郷五十戸/塩谷郡片岡郷五十戸||県古p.78<br>正倉院御物
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|仲泉(郷)<br>塩屋(郷)||仲村荘<br>(芳賀)||建長5.10.21||1253||〔近衛家所領目録写〕下野国仲村庄〈仲泉・塩屋此内別郷<ref>ここでは仲村荘のうちの「別郷」として仲泉・塩屋が挙がっているが、仲泉・塩屋は摂関家領の中泉荘(都賀郡)・塩屋荘(塩屋郡)である。ここではあえて芳賀郡の郷村表に入れておいた。</ref>也〉||県中4p.101<br>近衛家文書
|仲泉(郷)<br>塩屋(郷)||仲村荘<br>(芳賀)||建長5.10.21||1253||〔近衛家所領目録写〕下野国仲村庄〈仲泉・塩屋此内別郷<ref>ここでは仲村荘のうちの「別郷」として仲泉・塩屋が挙がっているが、仲泉・塩屋は摂関家領の中泉荘(都賀郡)・塩屋荘(塩屋郡)である。ここではあえて芳賀郡の郷村表に入れておいた。</ref>也〉||県中4p.101<br>近衛家文書
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|鮎田(郷)☆<br>藤和(郷)☆<br>(藤縄)<br>坂井(郷)☆||東眞壁郡<br>(芳賀)||建長8.3.15||1256||〔茂木家証文写〕一所 在下野国東眞壁郡内五箇郷内四箇郷〈鮎田、□□、藤和、坂井〉、||県中2p.68<br>茂木文書
|鮎田(郷)☆<br>藤和(郷)☆<br>(藤縄)<br>坂井(郷)☆||東眞壁郡<br>(芳賀)||建長8.3.15||1256||〔茂木家証文写〕一所 在下野国東眞壁郡内五箇郷内四箇郷〈鮎田、□□、藤和、坂井〉、||県中2p.68<br>茂木文書
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|小井土(郷)☆||東眞壁郡<br>(芳賀)||正嘉2.12.2||1258||〔将軍家(宗尊親王)政所下文〕可令早領知下野国東真壁郡内四箇郷〈鮎田‖小井土、藤和、坂井〉||県中2p.76<br>茂木文書
|小井土(郷)☆||東眞壁郡<br>(芳賀)||正嘉2.12.2||1258||〔将軍家(宗尊親王)政所下文〕可令早領知下野国東真壁郡内四箇郷〈鮎田‖小井土、藤和、坂井〉||県中2p.76<br>茂木文書
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|青野郷☆<br>(青谷・大谷)<br>大田之郷☆<br>(太田)<br>中阿久津郷☆<br>八木之郷☆||(芳賀)<br>(氏家)||正安2||1300||〔今宮祭祀録〕正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖廻楼之事/一、西之分、三間ハ青野郷、三間者大田之郷、二間ハ前高野、三間ハ関俣村、二間ハ風見村、二間ハ金枝村、一間ハ有隅村、二間ハ増渕村、一間ハ中高野村、二間ハ西宿、二間ハ大麻村、‖一、三嶋けんざ役にて候、日光堂ハ別当よりの役ニ候、高尾神ハ祢宜太夫役ニ而候、御橋ハけんざ役ニ而候、りやう御門神ハ上下小政所ノ役也、御橋ヨリ下馬場にゑぎまてのくうしハ中阿久津郷ノ役ニ候也、‖一、御屋形様、秋御参の御時、御篭所ノ御座ハ八木之郷役ニ而参候、||
|青野郷☆<br>(青谷・大谷)<br>大田之郷☆<br>(太田)<br>中阿久津郷☆<br>八木之郷☆||(芳賀)<br>(氏家)||正安2||1300||〔今宮祭祀録〕正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖廻楼之事/一、西之分、三間ハ青野郷、三間者大田之郷、二間ハ前高野、三間ハ関俣村、二間ハ風見村、二間ハ金枝村、一間ハ有隅村、二間ハ増渕村、一間ハ中高野村、二間ハ西宿、二間ハ大麻村、‖一、三嶋けんざ役にて候、日光堂ハ別当よりの役ニ候、高尾神ハ祢宜太夫役ニ而候、御橋ハけんざ役ニ而候、りやう御門神ハ上下小政所ノ役也、御橋ヨリ下馬場にゑぎまてのくうしハ中阿久津郷ノ役ニ候也、‖一、御屋形様、秋御参の御時、御篭所ノ御座ハ八木之郷役ニ而参候、||
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|関俣郷☆||(芳賀)<br>(氏家)||正安2||1300||〔今宮祭祀録〕正安二〈庚子〉 氏家頭 関俣郷 橘次左衛門尉||氏家古・中p.327<br>今宮祭祀録
|関俣郷☆||(芳賀)<br>(氏家)||正安2||1300||〔今宮祭祀録〕正安二〈庚子〉 氏家頭 関俣郷 橘次左衛門尉||氏家古・中p.327<br>今宮祭祀録
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|平田郷☆||(芳賀)<br>(氏家)||正安3||1301||〔今宮祭祀録〕正安三〈辛丑〉 氏家頭 平田郷 六郎入道||氏家古・中p.327<br>今宮祭祀録
|平田郷☆||(芳賀)<br>(氏家)||正安3||1301||〔今宮祭祀録〕正安三〈辛丑〉 氏家頭 平田郷 六郎入道||氏家古・中p.327<br>今宮祭祀録
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|かんの井(郷)☆<br>(神井<ref>「神江」とも(建武4〈1337〉.7.3足利直義下文〈「茂木文書」、県中2p.81〉)。</ref>||茂木郡<br>(芳賀)||正和2.2.10||1313||〔茂木知氏譲状并関東下知状写〕一所 下つけの国もて木のこほりかんの井かうのうちもりさこ田やしき〈上下二う〉、||県中4p.415<br>秋田藩家蔵文書
|かんの井(郷)☆<br>(神井<ref>「神江」とも(建武4〈1337〉.7.3足利直義下文〈「茂木文書」、県中2p.81〉)。</ref>)||茂木郡<br>(芳賀)||正和2.2.10||1313||〔茂木知氏譲状并関東下知状写〕一所 下つけの国もて木のこほりかんの井かうのうちもりさこ田やしき〈上下二う〉、||県中4p.415<br>秋田藩家蔵文書
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|林郷☆||東茂木郡<br>(芳賀)||文和2.6.10||1353||〔茂木家証文写〕下野国東茂木郡内飯野村□□・同河口・井河瀬両村、林郷内檜山□□・茂木郷内小堀・小井戸・牧野□□・馬籠同野内、||県中2p.71<br>茂木文書
|林郷☆||東茂木郡<br>(芳賀)||文和2.6.10||1353||〔茂木家証文写〕下野国東茂木郡内飯野村□□・同河口・井河瀬両村、林郷内檜山□□・茂木郷内小堀・小井戸・牧野□□・馬籠同野内、||県中2p.71<br>茂木文書
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|茂木郷||東茂木郡<br>(芳賀)||文和2.6.10||1353||〔茂木家証文写〕下野国東茂木郡内飯野村□□・同河口・井河瀬両村、林郷内檜山□□・茂木郷内小堀・小井戸・牧野□□・馬籠同野内、||県中2p.71<br>茂木文書
|茂木郷||東茂木郡<br>(芳賀)||文和2.6.10||1353||〔茂木家証文写〕下野国東茂木郡内飯野村□□・同河口・井河瀬両村、林郷内檜山□□・茂木郷内小堀・小井戸・牧野□□・馬籠同野内、||県中2p.71<br>茂木文書
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|小深(郷)☆||(芳賀)||□(延)文5.2.27||1360||〔足利義詮御内書〕□(茂)木越中入道賢安申□□(下野)国東茂木内小深・□□(小高)倉両郷事、賢安南方□(発)向之最中、那須遠江守□押領云々、太以不可然候歟、||県中2p.87<br>茂木文書
|小深(郷)☆||(芳賀)||□(延)文5.2.27||1360||〔足利義詮御内書〕□(茂)木越中入道賢安申□□(下野)国東茂木内小深・□□(小高)倉両郷事、賢安南方□(発)向之最中、那須遠江守□押領云々、太以不可然候歟、||県中2p.87<br>茂木文書
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|小高倉郷<ref>康安2(1362).4.15那須資高譲状(「結城小峰文書」、県中4p.66)にも「東茂木内小高倉郷」あり。</ref>||(芳賀ヵ)||□(延)文5.2.27||1360||〔足利義詮御内書〕□(茂)木越中入道賢安申□□(下野)国東茂木内小深・□□(小高)倉両郷事、賢安南方□(発)向之最中、那須遠江守□押領云々、太以不可然候歟、||県中2p.87<br>茂木文書
|小高倉郷<ref>康安2(1362).4.15那須資高譲状(「結城小峰文書」、県中4p.66)にも「東茂木内小高倉郷」あり。</ref>||(芳賀ヵ)||□(延)文5.2.27||1360||〔足利義詮御内書〕□(茂)木越中入道賢安申□□(下野)国東茂木内小深・□□(小高)倉両郷事、賢安南方□(発)向之最中、那須遠江守□押領云々、太以不可然候歟、||県中2p.87<br>茂木文書
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|飯野郷☆<br>河口郷||茂木郡<br>(芳賀)||康安2.9.29||1362||〔茂木家証文写〕【川口】茂木郡東西内飯野郷・河口郷并井河瀬、檜山村、小井土郷内馬瀧野内事、||県中2p.74<br>茂木文書
|飯野郷☆<br>河口郷||茂木郡<br>(芳賀)||康安2.9.29||1362||〔茂木家証文写〕【川口】茂木郡東西内飯野郷・河口郷并井河瀬、檜山村、小井土郷内馬瀧野内事、||県中2p.74<br>茂木文書
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|高橋郷☆<br>田井郷☆||大内荘<br>(芳賀)||永徳3.4.19||1383||〔梶原貞景打渡状〕鹿嶋御神領下野国大内庄内高橋三郎跡〈高橋郷、同庄内田井郷并葛嶋村、‖〉半分事、||県中3p.291<br>塙文書
|高橋郷☆<br>田井郷☆||大内荘<br>(芳賀)||永徳3.4.19||1383||〔梶原貞景打渡状〕鹿嶋御神領下野国大内庄内高橋三郎跡〈高橋郷、同庄内田井郷并葛嶋村、‖〉半分事、||県中3p.291<br>塙文書
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|馬門郷☆||茂木荘<br>(芳賀)||至徳1.12.13||1384||〔茂木家証文写〕一所下野国茂木庄内東西内□□坂井郷〈方志戸瀧内〉・神井郷内知茂□□林郷内檜山・馬門郷内河口、||県中2p.75<br>茂木文書
|馬門郷☆||茂木荘<br>(芳賀)||至徳1.12.13||1384||〔茂木家証文写〕一所下野国茂木庄内東西内□□坂井郷〈方志戸瀧内〉・神井郷内知茂□□林郷内檜山・馬門郷内河口、||県中2p.75<br>茂木文書
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|東田井郷<ref>応永32(1425).2.-大宮司某目安案(「鹿島神宮文書」、県中3p.254)には「下野国大内庄内東田井郷」とある。</ref>☆||(芳賀)||至徳2.12.20||1385||〔東田井郷百姓足分帳〕東田井郷百姓足分張(帳)事、||県中3p.253<br>鹿島神宮文書
|東田井郷<ref>応永32(1425).2.-大宮司某目安案(「鹿島神宮文書」、県中3p.254)には「下野国大内庄内東田井郷」とある。</ref>☆||(芳賀)||至徳2.12.20||1385||〔東田井郷百姓足分帳〕東田井郷百姓足分張(帳)事、||県中3p.253<br>鹿島神宮文書
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|上石礎郷☆||(芳賀)<br>(氏家)||応永10||1403||〔今宮祭祀録〕同(応永)十〈癸未〉 氏家頭 上石礎郷 若色掃部助/青窪村巡年タリトイエヘトモ寺領之間、暫クサシヲクヘキ旨、上意ニ任セ延引、||氏家古・中p.328<br>今宮祭祀録
|上石礎郷☆||(芳賀)<br>(氏家)||応永10||1403||〔今宮祭祀録〕同(応永)十〈癸未〉 氏家頭 上石礎郷 若色掃部助/青窪村巡年タリトイエヘトモ寺領之間、暫クサシヲクヘキ旨、上意ニ任セ延引、||氏家古・中p.328<br>今宮祭祀録
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|文捽郷☆<br>(文挟)||(芳賀)<br>(氏家)||応永12||1405||〔今宮祭祀録〕同(応永)十二〈乙酉〉 〔宮頭阿久津代阿久津和泉守〕氏家頭 舟生郷 舟生修理亮/〔下頭〕飯岡六郎/文捽郷御頭トイヘトモ、致二御懸合一当給人拝領イクホドナキニヨツテ、次舟生郷ツトメテ、||氏家古・中p.328<br>今宮祭祀録
|文捽郷☆<br>(文挟)||(芳賀)<br>(氏家)||応永12||1405||〔今宮祭祀録〕同(応永)十二〈乙酉〉 〔宮頭阿久津代阿久津和泉守〕氏家頭 舟生郷 舟生修理亮/〔下頭〕飯岡六郎/文捽郷御頭トイヘトモ、致二御懸合一当給人拝領イクホドナキニヨツテ、次舟生郷ツトメテ、||氏家古・中p.328<br>今宮祭祀録
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|栗嶋郷 <ref>大永6(1526).8.1佐八定栄書状写(「佐八文書」、県中2p.438)に「神領栗嶋之郷」、天文4(1535).11.5(9ヵ)宇都宮俊綱安堵状写(「内宮神官所持古文書」、県中4p.64)に「氏家郡之内栗嶋郷」とある。</ref>☆<br>(栗ケ島)||(芳賀)<br>(氏家)||応永18||1411||〔今宮祭祀録〕同(応永)十八〈辛卯〉 〔宮ノ下頭料足百貫文進懸〕氏家頭 栗嶋郷 御代官小次郎/〔下頭〕驚沢浄願||氏家古・中p.330<br>今宮祭祀録
|栗嶋郷 <ref>大永6(1526).8.1佐八定栄書状写(「佐八文書」、県中2p.438)に「神領栗嶋之郷」、天文4(1535).11.5(9ヵ)宇都宮俊綱安堵状写(「内宮神官所持古文書」、県中4p.64)に「氏家郡之内栗嶋郷」とある。</ref>☆<br>(栗ケ島)||(芳賀)<br>(氏家)||応永18||1411||〔今宮祭祀録〕同(応永)十八〈辛卯〉 〔宮ノ下頭料足百貫文進懸〕氏家頭 栗嶋郷 御代官小次郎/〔下頭〕驚沢浄願||氏家古・中p.330<br>今宮祭祀録
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|東高橋郷☆||(芳賀)||応永18.11.16||1411||〔宇都宮持綱寄進状写〕東高橋郷番料足十一貫文事、||県中3p.373<br>寺社古状
|東高橋郷☆||(芳賀)||応永18.11.16||1411||〔宇都宮持綱寄進状写〕東高橋郷番料足十一貫文事、||県中3p.373<br>寺社古状
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|上阿久津郷☆||(芳賀)<br>(氏家)||応永20||1413||〔今宮祭祀録〕同(応永)廿〈癸巳〉 〔宮ノ頭八木郷代 舟生修理之亮〕/氏家頭 上阿久津郷 阿久津五郎/〔下頭〕下阿久津の孫八||氏家古・中p.330<br>今宮祭祀録
|上阿久津郷☆||(芳賀)<br>(氏家)||応永20||1413||〔今宮祭祀録〕同(応永)廿〈癸巳〉 〔宮ノ頭八木郷代 舟生修理之亮〕/氏家頭 上阿久津郷 阿久津五郎/〔下頭〕下阿久津の孫八||氏家古・中p.330<br>今宮祭祀録
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|大曾郷☆||(芳賀)||応永23.10.5||1416||〔鎌倉公方足利持氏御判御教書案〕下野国長沼庄‖同国大曾郷木戸駿河守跡、||県中1p.162<br>皆川文書
|大曾郷☆||(芳賀)||応永23.10.5||1416||〔鎌倉公方足利持氏御判御教書案〕下野国長沼庄‖同国大曾郷木戸駿河守跡、||県中1p.162<br>皆川文書
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|堺郷☆||(芳賀)||応永24.4.4||1417||〔沙弥禅貴(結城基光)遵行状案〕下野国長沼庄‖大曾郷・堺郷等事、早任去年十月五日御下文・去二月廿七日御施行之旨、可沙汰付下地於長沼淡路入道代状如件、||県中1p.162<br>皆川文書
|堺郷☆||(芳賀)||応永24.4.4||1417||〔沙弥禅貴(結城基光)遵行状案〕下野国長沼庄‖大曾郷・堺郷等事、早任去年十月五日御下文・去二月廿七日御施行之旨、可沙汰付下地於長沼淡路入道代状如件、||県中1p.162<br>皆川文書
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|混布嶋郷<br>泉郷<br>青田郷☆||長沼荘<br>(芳賀)||(応永25)7.12||1418||〔足利持氏書状〕下野国長沼庄内混布嶋郷并同庄泉郷半分・青田郷半分等事、||県中1p.178<br>皆川文書
|混布嶋郷<br>泉郷<br>青田郷☆||長沼荘<br>(芳賀)||(応永25)7.12||1418||〔足利持氏書状〕下野国長沼庄内混布嶋郷并同庄泉郷半分・青田郷半分等事、||県中1p.178<br>皆川文書
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|下阿久津郷☆||(芳賀)<br>(氏家)||享徳2||1453||〔今宮祭祀録〕同(享徳)二〈壬申〉 宇都宮頭 下阿久津郷 大長井八郎/氏家頭 舟生郷 神長土佐守/〔下頭〕舟生郷 道久||氏家古・中p.332<br>今宮祭祀録
|下阿久津郷☆||(芳賀)<br>(氏家)||享徳2||1453||〔今宮祭祀録〕同(享徳)二〈壬申〉 宇都宮頭 下阿久津郷 大長井八郎/氏家頭 舟生郷 神長土佐守/〔下頭〕舟生郷 道久||氏家古・中p.332<br>今宮祭祀録
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|白金郷<br>増井郷☆||(芳賀)||文明14.11.-||1482||〔茂木家臣給分注文〕殿原給分‖坂井郷松本〈公田〉、‖藤縄郷切付、‖白金郷切付、‖飯野郷畠、‖小井土郷檜木、‖林郷堀内分、‖神井郷堀内、‖増井郷□、||県中2p.93<br>茂木文書
|白金郷<br>増井郷☆||(芳賀)||文明14.11.-||1482||〔茂木家臣給分注文〕殿原給分‖坂井郷松本〈公田〉、‖藤縄郷切付、‖白金郷切付、‖飯野郷畠、‖小井土郷檜木、‖林郷堀内分、‖神井郷堀内、‖増井郷□、||県中2p.93<br>茂木文書
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|氏家郷<ref>年未詳2.26某書状写(「小田部庄右衛門氏所蔵文書」、県中2p.34)に「氏家下郷」とある。</ref>☆||(芳賀)<br>(氏家)||長享3.4.10||1489||[今宮明神棟札写〕【氏家】長享三年〈大歳己酉〉卯月十日/氏家郷今宮大明神御社壇/祢宜大夫宗保、大工大蔵丞宗久/御神主前下野守藤原朝臣成綱(花押)/清原朝臣綱高(花押)||氏家古・中p.151<br>今宮神社蔵
|氏家郷<ref>年未詳2.26某書状写(「小田部庄右衛門氏所蔵文書」、県中2p.34)に「氏家下郷」とある。</ref>☆||(芳賀)<br>(氏家)||長享3.4.10||1489||[今宮明神棟札写〕【氏家】長享三年〈大歳己酉〉卯月十日/氏家郷今宮大明神御社壇/祢宜大夫宗保、大工大蔵丞宗久/御神主前下野守藤原朝臣成綱(花押)/清原朝臣綱高(花押)||氏家古・中p.151<br>今宮神社蔵
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|大根田(郷)☆||大内荘<br>(芳賀)||延徳4.10.2||1492||〔宇都宮成綱等寄進状〕成高寺大内庄之内大根田半郷、西方三澤郷之内福恩寺分并慶蔵院分、西形部郷之内福聚寺分、||県中2p.41<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
|大根田(郷)☆||大内荘<br>(芳賀)||延徳4.10.2||1492||〔宇都宮成綱等寄進状〕成高寺大内庄之内大根田半郷、西方三澤郷之内福恩寺分并慶蔵院分、西形部郷之内福聚寺分、||県中2p.41<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
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|乙連郷||(芳賀)||永正9.9.11||1512||〔芳賀高孝寄進状写〕為花隠志、乙連郷之内如意院給分之事、奉寄進候、||県中3p.377<br>寺社古状
|乙連郷||(芳賀)||永正9.9.11||1512||〔芳賀高孝寄進状写〕為花隠志、乙連郷之内如意院給分之事、奉寄進候、||県中3p.377<br>寺社古状
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|山内郷☆||(芳賀)||永正10.8.30||1513||〔佐竹義舜充行状〕下野国山内郷并小深郷、此度遣進置候者也、||県中2p.99<br>茂木文書
|山内郷☆||(芳賀)||永正10.8.30||1513||〔佐竹義舜充行状〕下野国山内郷并小深郷、此度遣進置候者也、||県中2p.99<br>茂木文書
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|若色郷<ref>『和名抄』「若続郷」の遺称地とする説がある。</ref>||(芳賀)||永正11.10.14||1514||〔塩谷義綱寄進状〕左候間為長澗為焼香分、若色郷之梁内、専修寺へ寄進申候、||県中4p.13<br>法雲寺文書
|若色郷<ref>『和名抄』「若続郷」の遺称地とする説がある。</ref>||(芳賀)||永正11.10.14||1514||〔塩谷義綱寄進状〕左候間為長澗為焼香分、若色郷之梁内、専修寺へ寄進申候、||県中4p.13<br>法雲寺文書
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|下稲毛田(郷)☆<br>上高根澤郷☆||(芳賀)||大永2.8.18||1522||〔宇都宮忠綱寄進状写〕上高根澤郷番料足為替地、下稲毛田之郷番料足拾壱貫文、||県中2p.41<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
|下稲毛田(郷)☆<br>上高根澤郷☆||(芳賀)||大永2.8.18||1522||〔宇都宮忠綱寄進状写〕上高根澤郷番料足為替地、下稲毛田之郷番料足拾壱貫文、||県中2p.41<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
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|中里郷||仲村荘<br>(芳賀)||大永3.12.-||1523||〔越前守某充行状<ref>本文書については「研究の余地あり」とされる。</ref>〕中村庄中里郷内六郎左衛門内之事、||県中1p.99<br>石川文書
|中里郷||仲村荘<br>(芳賀)||大永3.12.-||1523||〔越前守某充行状<ref>本文書については「研究の余地あり」とされる。</ref>〕中村庄中里郷内六郎左衛門内之事、||県中1p.99<br>石川文書
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|西台(郷)<ref>『天保郷帳』では「西田井村」。</ref>☆<br>厚木(郷)<br>添谷(郷)||大内荘<br>(芳賀)||大永8.2.7||1528||〔宇都宮興綱寄進状〕大内之庄西台之郷田銭七貫文・厚木之郷六貫文・添谷之郷壱貫五百文・横堀壱貫文、||県中1p.103<br>海潮寺文書
|西台(郷)<ref>『天保郷帳』では「西田井村」。</ref>☆<br>厚木(郷)<br>添谷(郷)||大内荘<br>(芳賀)||大永8.2.7||1528||〔宇都宮興綱寄進状〕大内之庄西台之郷田銭七貫文・厚木之郷六貫文・添谷之郷壱貫五百文・横堀壱貫文、||県中1p.103<br>海潮寺文書
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|前高野郷☆<br>(前高谷)||(芳賀)<br>(氏家)||享禄4||1531||〔今宮祭祀録〕同(享禄)四〈辛卯〉 氏家頭 驚沢郷‖同宮之御頭、前高野郷平出修理亮被勤、||氏家古・中p.337<br>今宮祭祀録
|前高野郷☆<br>(前高谷)||(芳賀)<br>(氏家)||享禄4||1531||〔今宮祭祀録〕同(享禄)四〈辛卯〉 氏家頭 驚沢郷‖同宮之御頭、前高野郷平出修理亮被勤、||氏家古・中p.337<br>今宮祭祀録
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|大田和(郷)☆||(芳賀)||天文5.10.24||1536||〔芳賀建高寄進状〕同名式部少輔法名永存為菩提、大田和之郷寂主庵免、奉寄付候、||県中1p.103<br>海潮寺文書
|大田和(郷)☆||(芳賀)||天文5.10.24||1536||〔芳賀建高寄進状〕同名式部少輔法名永存為菩提、大田和之郷寂主庵免、奉寄付候、||県中1p.103<br>海潮寺文書
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|大田郷☆||(芳賀)||(天文9)2.27||1540||〔程緻充行状写〕長沼大田郷之内年貢弐拾貫文并西原ニ菊地分拾貫文之所進之候、||県中2p.10<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
|大田郷☆||(芳賀)||(天文9)2.27||1540||〔程緻充行状写〕長沼大田郷之内年貢弐拾貫文并西原ニ菊地分拾貫文之所進之候、||県中2p.10<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
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|沼和久郷<ref> 『天保郷帳』では「東沼村」・「西沼村」(『慶安郷帳』の時点では「沼和久村」)。</ref>☆||(芳賀)||天文20.7.12||1551||〔芳賀高定寄進状〕雖少所候、沼和久郷之内三間之事、奉寄進候、||県中1p.104<br>海潮寺文書
|沼和久郷<ref> 『天保郷帳』では「東沼村」・「西沼村」(『慶安郷帳』の時点では「沼和久村」)。</ref>☆||(芳賀)||天文20.7.12||1551||〔芳賀高定寄進状〕雖少所候、沼和久郷之内三間之事、奉寄進候、||県中1p.104<br>海潮寺文書
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|長沼郷||(芳賀)||永禄7.8.10||1564||〔結城晴朝充行状〕於大峯為祈念、長沼郷之内堀込村拾五貫文所并居屋敷宛行候、||県中1p.110<br>金剛院文書
|長沼郷||(芳賀)||永禄7.8.10||1564||〔結城晴朝充行状〕於大峯為祈念、長沼郷之内堀込村拾五貫文所并居屋敷宛行候、||県中1p.110<br>金剛院文書
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|高岡之郷<ref>「高岡」という地名は芳賀郡内に二ヶ所ある(現真岡市内、現茂木町)が、この高岡郷は、真岡城を根拠とする芳賀高定発給文書である点から、現真岡市内と考えられる。</ref>☆||(芳賀)||永禄8.2.3||1565||〔芳賀高定預状写〕高岡之郷為料所預置候、所役等無々沙汰可申付之状如件、||県中3p.121<br>秋田藩家蔵文書
|高岡之郷<ref>「高岡」という地名は芳賀郡内に二ヶ所ある(現真岡市内、現茂木町)が、この高岡郷は、真岡城を根拠とする芳賀高定発給文書である点から、現真岡市内と考えられる。</ref>☆||(芳賀)||永禄8.2.3||1565||〔芳賀高定預状写〕高岡之郷為料所預置候、所役等無々沙汰可申付之状如件、||県中3p.121<br>秋田藩家蔵文書
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|稲毛田郷☆||(芳賀)||永禄11.3.18||1568||〔芳賀高継充行状写〕稲毛田郷迎之内田地之事、当行候、年貢諸役等不可致無沙汰候、土貢之内六貫文為恩賞充行候、||県中2p.5<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
|稲毛田郷☆||(芳賀)||永禄11.3.18||1568||〔芳賀高継充行状写〕稲毛田郷迎之内田地之事、当行候、年貢諸役等不可致無沙汰候、土貢之内六貫文為恩賞充行候、||県中2p.5<br>小田部庄右衛門氏所蔵文書
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|益子郷☆||(芳賀)||(天正2)6.28||1574||〔勧修寺晴右書状案〕就益子郷大澤山円通寺上洛参内候、||県中1p.130<br>円通寺文書
|益子郷☆||(芳賀)||(天正2)6.28||1574||〔勧修寺晴右書状案〕就益子郷大澤山円通寺上洛参内候、||県中1p.130<br>円通寺文書
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|飯淵之郷||(芳賀)||天正15.10.19||1587||〔芳賀高継書状写〕飛山致在城ニ付而、飯淵之郷土貢之内千疋充行候、陣参之嗜如何ニも厳重ニ可走廻候、||県中3p.112<br>秋田藩家蔵文書
|飯淵之郷||(芳賀)||天正15.10.19||1587||〔芳賀高継書状写〕飛山致在城ニ付而、飯淵之郷土貢之内千疋充行候、陣参之嗜如何ニも厳重ニ可走廻候、||県中3p.112<br>秋田藩家蔵文書
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|桜野郷☆||(芳賀)<br>(氏家)||天正17||1589||〔今宮祭祀録〕同(天正)十七〈己丑〉 氏家御頭/桜野郷、糟谷源兵衛老母、八月九日ニ遠行致シ候得共、其子藤三郎、上衣着伸シ候間、御七五三下ヲバ祭リ押詰メ、讒(ママ)ニ七日の精進ニ而御座候、殊ニハ堺目殊之外事、六ケ敷候故、大方水斗ニテ勤役被申候、於向後、此引懸有間敷候、御神殿ヘ、一戦ヲ奉相納候也、||氏家古・中p.353<br>今宮祭祀録
|桜野郷☆||(芳賀)<br>(氏家)||天正17||1589||〔今宮祭祀録〕同(天正)十七〈己丑〉 氏家御頭/桜野郷、糟谷源兵衛老母、八月九日ニ遠行致シ候得共、其子藤三郎、上衣着伸シ候間、御七五三下ヲバ祭リ押詰メ、讒(ママ)ニ七日の精進ニ而御座候、殊ニハ堺目殊之外事、六ケ敷候故、大方水斗ニテ勤役被申候、於向後、此引懸有間敷候、御神殿ヘ、一戦ヲ奉相納候也、||氏家古・中p.353<br>今宮祭祀録
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====村====
====村====
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! style="width:10%"|村!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|村!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|埴埼村||(芳賀ヵ)||保元□.8.-||12C||〔東大寺下野国寺領荘園文書目録〕埴埼村田十二町九段十四歩、十一月十六日阿弥陀悔過料、||県古p.696<br>東大寺文書
|埴埼村||(芳賀ヵ)||保元□.8.-||12C||〔東大寺下野国寺領荘園文書目録〕埴埼村田十二町九段十四歩、十一月十六日阿弥陀悔過料、||県古p.696<br>東大寺文書
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|鮎田(村)☆<br>神江(村)☆<br>(神井)<br>藤和(村)☆<br>(藤縄)<br>坂井(村)☆||東眞壁郡<br>(芳賀)||承久4.2.21||1222||〔茂木家証文写〕壱所 在下野国東真壁郡内五箇村〈鮎田 神江□□ 藤和 坂井□□〉、/副渡故鎌倉右大将殿親父故筑後入道給御□□□并譲状者、||県中2p.67<br>茂木文書
|鮎田(村)☆<br>神江(村)☆<br>(神井)<br>藤和(村)☆<br>(藤縄)<br>坂井(村)☆||東眞壁郡<br>(芳賀)||承久4.2.21||1222||〔茂木家証文写〕壱所 在下野国東真壁郡内五箇村〈鮎田 神江□□ 藤和 坂井□□〉、/副渡故鎌倉右大将殿親父故筑後入道給御□□□并譲状者、||県中2p.67<br>茂木文書
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|石末村☆<br>(石礎)<br>関俣村☆<br>中高野村<br>寺渡戸村☆||(芳賀)<br>(氏家)||正安2||1300||〔今宮祭祀録〕正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖御拝殿者、一間ハ舟生郷、一間ハ石末村也、一間ハ飯岡郷也、‖廻楼之事/一、西之分、三間ハ青野郷、三間者大田之郷、二間ハ前高野、三間ハ関俣村、二間ハ風見村、二間ハ金枝村、一間ハ有隅村、二間ハ増渕村、一間ハ中高野村、二間ハ西宿、二間ハ大麻村、/一、東之分、二間ハ大窪村、一間ハ佐々嶋、二間ハ山田之郷、二間ハ泉之村、二間ハ肘内郷、二間ハ上平村、一間ハ佐貫之村、二間ハ大宮・給分、二間ハ比留嶋、一間ハ板橋郷、一間ハ寺渡戸村、/右、東西合テ四十二間也、||氏家古・中p.321<br>今宮祭祀録
|石末村☆<br>(石礎)<br>関俣村☆<br>中高野村<br>寺渡戸村☆||(芳賀)<br>(氏家)||正安2||1300||〔今宮祭祀録〕正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖御拝殿者、一間ハ舟生郷、一間ハ石末村也、一間ハ飯岡郷也、‖廻楼之事/一、西之分、三間ハ青野郷、三間者大田之郷、二間ハ前高野、三間ハ関俣村、二間ハ風見村、二間ハ金枝村、一間ハ有隅村、二間ハ増渕村、一間ハ中高野村、二間ハ西宿、二間ハ大麻村、/一、東之分、二間ハ大窪村、一間ハ佐々嶋、二間ハ山田之郷、二間ハ泉之村、二間ハ肘内郷、二間ハ上平村、一間ハ佐貫之村、二間ハ大宮・給分、二間ハ比留嶋、一間ハ板橋郷、一間ハ寺渡戸村、/右、東西合テ四十二間也、||氏家古・中p.321<br>今宮祭祀録
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|増井村☆||東茂木保<br>(芳賀)||康永4.10.2||1345||〔藤原某等連署書下契状案〕下野国東茂木保七ヶ村□増井村地頭職事、||県中2p.85<br>茂木文書
|増井村☆||東茂木保<br>(芳賀)||康永4.10.2||1345||〔藤原某等連署書下契状案〕下野国東茂木保七ヶ村□増井村地頭職事、||県中2p.85<br>茂木文書
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|小深(村)☆||茂木保<br>(芳賀)||貞和3.4.15||1347||〔足利尊氏袖判下文〕下 茂木越中権守 法□□□□/可令早領知下野国茂木保〈除小深・小高倉両村〉/右以人、為勲功之賞宛行也、||県中2p.86<br>茂木文書
|小深(村)☆||茂木保<br>(芳賀)||貞和3.4.15||1347||〔足利尊氏袖判下文〕下 茂木越中権守 法□□□□/可令早領知下野国茂木保〈除小深・小高倉両村〉/右以人、為勲功之賞宛行也、||県中2p.86<br>茂木文書
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|小高倉(村)||茂木保<br>(芳賀ヵ)||貞和3.4.15||1347||〔足利尊氏袖判下文〕下 茂木越中権守 法□□□□/可令早領知下野国茂木保〈除小深・小高倉両村〉/右以人、為勲功之賞宛行也、||県中2p.86<br>茂木文書
|小高倉(村)||茂木保<br>(芳賀ヵ)||貞和3.4.15||1347||〔足利尊氏袖判下文〕下 茂木越中権守 法□□□□/可令早領知下野国茂木保〈除小深・小高倉両村〉/右以人、為勲功之賞宛行也、||県中2p.86<br>茂木文書
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|檜山村☆||茂木郡<br>(芳賀)||文和2.6.10||1353||〔茂木家証文写〕譲渡 所領等事/嫡子弥三郎知世所/一所 下野国茂木郡東 西内/藤輪 坂井 小井土〈除馬籠野内〉 神□/鮎田 茂木〈除前小堀〉 林〈除檜山村〉 増井 馬□、 ||県中2p.70<br>茂木文書
|檜山村☆||茂木郡<br>(芳賀)||文和2.6.10||1353||〔茂木家証文写〕譲渡 所領等事/嫡子弥三郎知世所/一所 下野国茂木郡東 西内/藤輪 坂井 小井土〈除馬籠野内〉 神□/鮎田 茂木〈除前小堀〉 林〈除檜山村〉 増井 馬□、 ||県中2p.70<br>茂木文書
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|飯野村☆<br>河口(村)<br>井河瀬(村)||東茂木郡<br>(芳賀)||文和2.6.10||1353||〔茂木家証文写〕【川口】下野国東茂木郡内飯野村□□・同河口・井河瀬両村、林郷内檜山□□・茂木郷内小堀・小井戸・牧野□□・馬籠同野内、||県中2p.71<br>茂木文書
|飯野村☆<br>河口(村)<br>井河瀬(村)||東茂木郡<br>(芳賀)||文和2.6.10||1353||〔茂木家証文写〕【川口】下野国東茂木郡内飯野村□□・同河口・井河瀬両村、林郷内檜山□□・茂木郷内小堀・小井戸・牧野□□・馬籠同野内、||県中2p.71<br>茂木文書
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|葛嶋村||大内荘<br>(芳賀ヵ)||永徳3.4.19||1383||〔梶原貞景打渡状〕鹿嶋御神領下野国大内庄内高橋三郎跡〈高橋郷、同庄内田井郷并葛嶋村、‖〉半分事、||県中3p.291<br>塙文書
|葛嶋村||大内荘<br>(芳賀ヵ)||永徳3.4.19||1383||〔梶原貞景打渡状〕鹿嶋御神領下野国大内庄内高橋三郎跡〈高橋郷、同庄内田井郷并葛嶋村、‖〉半分事、||県中3p.291<br>塙文書
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|田谷村||茂木保<br>(芳賀)||応永30.12.29||1423||〔将軍家(足利義持)御教書〕茂木越中三郎満知申下野国茂木保坂井郷内田谷村事、||県中2p.90<br>茂木文書
|田谷村||茂木保<br>(芳賀)||応永30.12.29||1423||〔将軍家(足利義持)御教書〕茂木越中三郎満知申下野国茂木保坂井郷内田谷村事、||県中2p.90<br>茂木文書
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|上石末村☆||(芳賀)<br>(氏家)||永正8||1511||〔今宮祭祀録〕同(永正)八〈辛未〉 氏家頭 上石末村||氏家古・中p334<br>今宮祭祀録
|上石末村☆||(芳賀)<br>(氏家)||永正8||1511||〔今宮祭祀録〕同(永正)八〈辛未〉 氏家頭 上石末村||氏家古・中p334<br>今宮祭祀録
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|中阿久津村☆||(芳賀)<br>(氏家)||永正9||1512||〔今宮祭祀録〕同(永正)九〈壬申〉 氏家頭 中阿久津村||氏家古・中p334<br>今宮祭祀録
|中阿久津村☆||(芳賀)<br>(氏家)||永正9||1512||〔今宮祭祀録〕同(永正)九〈壬申〉 氏家頭 中阿久津村||氏家古・中p334<br>今宮祭祀録
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|堀込村☆||(芳賀)||(永禄7)8.10||1564||〔結城晴朝充行状〕於大峯為祈念、長沼郷之内堀込村拾五貫文所并居屋敷宛行候、||県中1p.110<br>金剛院文書
|堀込村☆||(芳賀)||(永禄7)8.10||1564||〔結城晴朝充行状〕於大峯為祈念、長沼郷之内堀込村拾五貫文所并居屋敷宛行候、||県中1p.110<br>金剛院文書
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|菅之谷村||(芳賀)||文禄1.3.7||1592||〔西方綱吉契状〕右菅之谷村者上之原・二子塚先廉引替之儀ニ候得共、||県中1p.13<br>横堀卓氏所蔵文書
|菅之谷村||(芳賀)||文禄1.3.7||1592||〔西方綱吉契状〕右菅之谷村者上之原・二子塚先廉引替之儀ニ候得共、||県中1p.13<br>横堀卓氏所蔵文書
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|ふはさミ村<ref>都賀郡にある文挟宿とは別。</ref>☆<br>(文挟)||(芳賀)||年未詳5.3||16C<ref>『栃木県の地名』によれば、天正年間(1573~1592)末と推定されている。</ref>||〔増田長盛書状〕ふはさミ村四拾五石餘之事、岡本讃岐と出入御座候條、遂糺明候處ニ、国朝御領分ニ候間、無異儀可被成御知行旨、可有御披露候、||県中2p.255<br>喜連川文書
|ふはさミ村<ref>都賀郡にある文挟宿とは別。</ref>☆<br>(文挟)||(芳賀)||年未詳5.3||16C<ref>『栃木県の地名』によれば、天正年間(1573~1592)末と推定されている。</ref>||〔増田長盛書状〕ふはさミ村四拾五石餘之事、岡本讃岐と出入御座候條、遂糺明候處ニ、国朝御領分ニ候間、無異儀可被成御知行旨、可有御披露候、||県中2p.255<br>喜連川文書
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===塩屋(谷)郡===
===塩屋(谷)郡===
====郷(里)====
====郷(里)====
山上、片岡、河會、散伎
山上、片岡、河會、散伎
{|class="wikitable"
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! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|片岡郷||塩谷郡||天平勝宝4.10.25||752||〔造東寺司牒〕【片岡】芳賀郡石田郷五十戸/足利郡土師郷五十戸/梁田郡深川郷五十戸/都賀郡高栗郷五十戸/塩谷郡片岡郷五十戸||県古p.78<br>正倉院御物
|片岡郷||塩谷郡||天平勝宝4.10.25||752||〔造東寺司牒〕【片岡】芳賀郡石田郷五十戸/足利郡土師郷五十戸/梁田郡深川郷五十戸/都賀郡高栗郷五十戸/塩谷郡片岡郷五十戸||県古p.78<br>正倉院御物
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|讃岐郷☆||氏家郡<br>(塩屋)||建保5.2.-||1217||〔佐貫大悲窟銅版阿弥陀曼荼羅銘〕【散伎】下野国氏家郡讃岐郷巌堀(掘)修造事、勧進沙門満阿弥陀仏、大檀那右兵衛尉橘公頼、建保五年丁丑二月彼岸第三日、金銅仏奉堀(掘)出畢、||塩谷2中近p.128
|讃岐郷☆||氏家郡<br>(塩屋)||建保5.2.-||1217||〔佐貫大悲窟銅版阿弥陀曼荼羅銘〕【散伎】下野国氏家郡讃岐郷巌堀(掘)修造事、勧進沙門満阿弥陀仏、大檀那右兵衛尉橘公頼、建保五年丁丑二月彼岸第三日、金銅仏奉堀(掘)出畢、||塩谷2中近p.128
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|舟生郷☆<br>飯岡郷☆<br>山田之郷☆<br>肘内郷☆<br>玉生之郷<ref>大永3(1523).3.27宇都宮忠綱寄進状写(「寺社古状」、県中3p.379)に「玉生郷」とあり。</ref>☆||(塩屋)<br>(氏家)||正安2||1300||〔今宮祭祀録〕正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖一、御拝殿者、一間ハ舟生郷、一間ハ石末村也、一間ハ飯岡郷也、‖廻楼之事‖一、東之分、二間ハ大窪村、一間ハ佐々嶋、二間ハ山田之郷、二間ハ泉之村、二間ハ肘内郷、二間ハ上平村、一間ハ佐貫之村、二間ハ大宮・給分、二間ハ比留嶋、一間ハ板橋郷、一間ハ寺渡戸村、/右、東西合テ四十二間也、/一、平重門ハ東西共ニ玉生之郷之役也、||氏家古・中p.321<br>今宮祭祀録
|舟生郷☆<br>飯岡郷☆<br>山田之郷☆<br>肘内郷☆<br>玉生之郷<ref>大永3(1523).3.27宇都宮忠綱寄進状写(「寺社古状」、県中3p.379)に「玉生郷」とあり。</ref>☆||(塩屋)<br>(氏家)||正安2||1300||〔今宮祭祀録〕正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖一、御拝殿者、一間ハ舟生郷、一間ハ石末村也、一間ハ飯岡郷也、‖廻楼之事‖一、東之分、二間ハ大窪村、一間ハ佐々嶋、二間ハ山田之郷、二間ハ泉之村、二間ハ肘内郷、二間ハ上平村、一間ハ佐貫之村、二間ハ大宮・給分、二間ハ比留嶋、一間ハ板橋郷、一間ハ寺渡戸村、/右、東西合テ四十二間也、/一、平重門ハ東西共ニ玉生之郷之役也、||氏家古・中p.321<br>今宮祭祀録
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|大窪郷☆<br>(大久保・青窪)||(塩屋)<br>(氏家)||嘉元1||1303||〔今宮祭祀録〕嘉元元〈癸卯〉 氏家頭人 柏崎藤内左衛門/長草村巡年タリトイヘトモ荒レ所之間、暫サシヲクベキヨシ、上意ニ依テ延引、次年大窪郷ニツトメテ、||氏家古・中p.327<br>今宮祭祀録
|大窪郷☆<br>(大久保・青窪)||(塩屋)<br>(氏家)||嘉元1||1303||〔今宮祭祀録〕嘉元元〈癸卯〉 氏家頭人 柏崎藤内左衛門/長草村巡年タリトイヘトモ荒レ所之間、暫サシヲクベキヨシ、上意ニ依テ延引、次年大窪郷ニツトメテ、||氏家古・中p.327<br>今宮祭祀録
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|大麻郷☆<br>(上沢・上麻)||(塩屋)<br>(氏家)||応永14||1407||〔今宮祭祀録〕同(応永)十四〈丁亥〉 氏家頭〔宮下頭八木郷〕 大麻郷 大麻入道/〔下頭〕舟生郷六郎三郎||氏家古・中p.329<br>今宮祭祀録
|大麻郷☆<br>(上沢・上麻)||(塩屋)<br>(氏家)||応永14||1407||〔今宮祭祀録〕同(応永)十四〈丁亥〉 氏家頭〔宮下頭八木郷〕 大麻郷 大麻入道/〔下頭〕舟生郷六郎三郎||氏家古・中p.329<br>今宮祭祀録
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|金枝郷☆||(塩屋)<br>(氏家)||宝徳2||1450||〔今宮祭祀録〕同(宝徳)二〈庚午〉 氏家頭 金枝郷 神長能登入道/〔下頭〕上平之彦七||氏家古・中p.332<br>今宮祭祀録
|金枝郷☆||(塩屋)<br>(氏家)||宝徳2||1450||〔今宮祭祀録〕同(宝徳)二〈庚午〉 氏家頭 金枝郷 神長能登入道/〔下頭〕上平之彦七||氏家古・中p.332<br>今宮祭祀録
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|三依郷<ref>年未詳12.22上杉憲実書状(「皆川文書」、県中1p.183)に「下野国塩原庄内三依郷」とあり。</ref>☆||(塩屋)||年未詳9.9||15C||〔足利持氏書状〕下野国三依郷事、||県中1p.179<br>皆川文書
|三依郷<ref>年未詳12.22上杉憲実書状(「皆川文書」、県中1p.183)に「下野国塩原庄内三依郷」とあり。</ref>☆||(塩屋)||年未詳9.9||15C||〔足利持氏書状〕下野国三依郷事、||県中1p.179<br>皆川文書
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|賀佐美郷☆<br>(風見)||(塩屋)<br>(氏家)||天文17||1548||〔今宮祭祀録〕同(天文)十七〈戊申〉 氏家御頭 賀佐美郷 賀佐美出雲守/彼郷モ二百年ニ及懈怠候所ニ、是モ/俊綱公、以二御意ヲ一勤被申候、||氏家古・中p.342<br>今宮祭祀録
|賀佐美郷☆<br>(風見)||(塩屋)<br>(氏家)||天文17||1548||〔今宮祭祀録〕同(天文)十七〈戊申〉 氏家御頭 賀佐美郷 賀佐美出雲守/彼郷モ二百年ニ及懈怠候所ニ、是モ/俊綱公、以二御意ヲ一勤被申候、||氏家古・中p.342<br>今宮祭祀録
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|平野郷☆||(塩屋)||(永禄7)1.9||1564||〔塩谷義孝書状〕然者、不成一重忠信、既祖父ニ被渡候播磨守方舎兄両所被捨一命ヲ、忠却前代未聞無比類候、彼段々令不相忘候、此時も平野之郷如以前御成敗之義、則雖可申届候、近年当庄為体種々成替候、只今者手前言語無力公用事餘様体、左候間、先手本ニ相拘候、至于時澤村之地手ニ入候、雖然彼境目も于今半途、爰元是非之一途元来藤井大塚如前々成敗無疑候、其上者平野郷可進之候、||県中3p.147<br>塩谷文書
|平野郷☆||(塩屋)||(永禄7)1.9||1564||〔塩谷義孝書状〕然者、不成一重忠信、既祖父ニ被渡候播磨守方舎兄両所被捨一命ヲ、忠却前代未聞無比類候、彼段々令不相忘候、此時も平野之郷如以前御成敗之義、則雖可申届候、近年当庄為体種々成替候、只今者手前言語無力公用事餘様体、左候間、先手本ニ相拘候、至于時澤村之地手ニ入候、雖然彼境目も于今半途、爰元是非之一途元来藤井大塚如前々成敗無疑候、其上者平野郷可進之候、||県中3p.147<br>塩谷文書
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|泉郷☆<br>(和泉)||(塩屋)<br>(氏家)||永禄9||1566||〔今宮祭祀録〕同(永禄)九〈丙寅〉 氏家御頭 泉郷/御頭懈怠、子細ハ塩ノ谷左衛門殿御持候、指申候得共、大風五年ヨリ以後ニ、ライシハカリニテ勤役申事ハ、余ニハヽカリニ候トテ、シキリニ侘言ヲナサレ御頭無之候也、||氏家古・中p347<br>今宮祭祀録
|泉郷☆<br>(和泉)||(塩屋)<br>(氏家)||永禄9||1566||〔今宮祭祀録〕同(永禄)九〈丙寅〉 氏家御頭 泉郷/御頭懈怠、子細ハ塩ノ谷左衛門殿御持候、指申候得共、大風五年ヨリ以後ニ、ライシハカリニテ勤役申事ハ、余ニハヽカリニ候トテ、シキリニ侘言ヲナサレ御頭無之候也、||氏家古・中p347<br>今宮祭祀録
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|大蔵崎郷||(塩屋)||永禄10.9.26||1567||〔伊勢松丸書状写〕如毎年為寄進之地喜連川大蔵崎郷道西内奉進納候、||県中2p.446<br>佐八文書
|大蔵崎郷||(塩屋)||永禄10.9.26||1567||〔伊勢松丸書状写〕如毎年為寄進之地喜連川大蔵崎郷道西内奉進納候、||県中2p.446<br>佐八文書
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|新鷲宿(郷)☆||(塩屋)||天正14.2.7||1586||〔塩谷義綱書状〕仍以前之御社領相違之間、新鷲宿之郷桑原内奉進納候、||県中2p.429<br>佐八文書
|新鷲宿(郷)☆||(塩屋)||天正14.2.7||1586||〔塩谷義綱書状〕仍以前之御社領相違之間、新鷲宿之郷桑原内奉進納候、||県中2p.429<br>佐八文書
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|鷲宿之郷☆||(塩屋)||天正16.11.20||1588||〔塩谷義綱充行状写〕此度小幡之地ニ籠候而、辛身無比類候、就之ニ為褒美与鷲宿之郷西川原内知行ニ相重、是を当行者也、||県中4p.365<br>常陸遺文
|鷲宿之郷☆||(塩屋)||天正16.11.20||1588||〔塩谷義綱充行状写〕此度小幡之地ニ籠候而、辛身無比類候、就之ニ為褒美与鷲宿之郷西川原内知行ニ相重、是を当行者也、||県中4p.365<br>常陸遺文
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====村====
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|風見村☆<br>金枝村☆<br>大麻村☆<br>(上沢・上麻)<br>大窪村☆<br>泉之村☆<br>上平村☆<br>佐貫之村☆||(塩屋)<br>(氏家)||正安2||1300||〔今宮祭祀録〕【散伎】正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖廻楼之事/一、西之分、三間ハ青野郷、三間者大田之郷、二間ハ前高野、三間ハ関俣村、二間ハ風見村、二間ハ金枝村、一間ハ有隅村、二間ハ増渕村、一間ハ中高野村、二間ハ西宿、二間ハ大麻村、/一、東之分、二間ハ大窪村、一間ハ佐々嶋、二間ハ山田之郷、二間ハ泉之村、二間ハ肘内郷、二間ハ上平村、一間ハ佐貫之村、二間ハ大宮・給分、二間ハ比留嶋、一間ハ板橋郷、一間ハ寺渡戸村、/右、東西合テ四十二間也、||氏家古・中p.322<br>今宮祭祀録
|風見村☆<br>金枝村☆<br>大麻村☆<br>(上沢・上麻)<br>大窪村☆<br>泉之村☆<br>上平村☆<br>佐貫之村☆||(塩屋)<br>(氏家)||正安2||1300||〔今宮祭祀録〕【散伎】正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖廻楼之事/一、西之分、三間ハ青野郷、三間者大田之郷、二間ハ前高野、三間ハ関俣村、二間ハ風見村、二間ハ金枝村、一間ハ有隅村、二間ハ増渕村、一間ハ中高野村、二間ハ西宿、二間ハ大麻村、/一、東之分、二間ハ大窪村、一間ハ佐々嶋、二間ハ山田之郷、二間ハ泉之村、二間ハ肘内郷、二間ハ上平村、一間ハ佐貫之村、二間ハ大宮・給分、二間ハ比留嶋、一間ハ板橋郷、一間ハ寺渡戸村、/右、東西合テ四十二間也、||氏家古・中p.322<br>今宮祭祀録
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|上塩原村☆||塩谷荘<br>(塩屋)||応永9.7.1||1402||〔宇都宮満綱寄進状写〕塩谷庄内上塩原村湯本等之事、/右彼所者、依為武家相伝之地、所令知行也、然間令停止諸公事所為湯料所、奉寄附興禅寺訖、||県中3p.372<br>寺社古状
|上塩原村☆||塩谷荘<br>(塩屋)||応永9.7.1||1402||〔宇都宮満綱寄進状写〕塩谷庄内上塩原村湯本等之事、/右彼所者、依為武家相伝之地、所令知行也、然間令停止諸公事所為湯料所、奉寄附興禅寺訖、||県中3p.372<br>寺社古状
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|ひぢ内村☆<br>(肘内)||(塩屋)<br>(氏家)||天文12||1543||〔今宮祭祀録〕同(天文)十二〈癸卯〉 氏家頭 上阿久津郷 岡本但馬守‖屋形様の御座ハひやうふ、やつぎ、左右わきの御座ハひぢ内村、||氏家古・中p.341<br>今宮祭祀録
|ひぢ内村☆<br>(肘内)||(塩屋)<br>(氏家)||天文12||1543||〔今宮祭祀録〕同(天文)十二〈癸卯〉 氏家頭 上阿久津郷 岡本但馬守‖屋形様の御座ハひやうふ、やつぎ、左右わきの御座ハひぢ内村、||氏家古・中p.341<br>今宮祭祀録
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|土屋村☆||(塩谷)||天正13.3.28||1585||〔宇都宮国綱宛行状写〕当廿五日薄葉原之為戦功土屋村令充行者也、弥子孫可被申伝候、仍如件、||塩谷2中近p.56<br>川上吉弥家文書
|土屋村☆||(塩谷)||天正13.3.28||1585||〔宇都宮国綱宛行状写〕当廿五日薄葉原之為戦功土屋村令充行者也、弥子孫可被申伝候、仍如件、||塩谷2中近p.56<br>川上吉弥家文書
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===那須郡===
===那須郡===
====郷(里)====
====郷(里)====
大笥、能田、方田、山田、大野、茂武、三和、全倉、大井、石上、黒川
大笥、能田、方田、山田、大野、茂武、三和、全倉、大井、石上、黒川
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! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|熊田郷☆||那須郡||天平13.10.-||741||〔正倉院古裂銘文集成〕【能田】<ref>『和名抄』高山寺本では「能田」とするが、東急本は「熊田」としており、後者が正しい。</ref>下野国那須郡熊田郷□子部黒田長布一端||県古p.66<br>正倉院古裂銘文集成
|熊田郷☆||那須郡||天平13.10.-||741||〔正倉院古裂銘文集成〕【能田】<ref>『和名抄』高山寺本では「能田」とするが、東急本は「熊田」としており、後者が正しい。</ref>下野国那須郡熊田郷□子部黒田長布一端||県古p.66<br>正倉院古裂銘文集成
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|横岡郷☆||那須上荘<br>(那須)||延元3.6.15||1338||〔某充行状写〕下野国那須上庄内横岡郷地頭代職、||県中3p.444<br>結城古文書写
|横岡郷☆||那須上荘<br>(那須)||延元3.6.15||1338||〔某充行状写〕下野国那須上庄内横岡郷地頭代職、||県中3p.444<br>結城古文書写
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|大桶郷☆||(那須)||暦応2.9.23||1339||〔下野守護小山朝氏請文〕【大笥】下野国中山村事、‖当国大桶郷内当知行無相違候、||県中1p.369<br>鑁阿寺文書
|大桶郷☆||(那須)||暦応2.9.23||1339||〔下野守護小山朝氏請文〕【大笥】下野国中山村事、‖当国大桶郷内当知行無相違候、||県中1p.369<br>鑁阿寺文書
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|伊王野郷☆<br>野上郷☆||那須北條郡<br>(那須)||康安2.4.15||1362||〔那須資高譲状〕下野国那須北條郡内/一所 伊王野郷/一所 五カ郷内野上郷/一所 東茂木内小高倉郷‖一所 那須上庄小川郷内梅薗村||県中4p.66<br>結城小峰文書
|伊王野郷☆<br>野上郷☆||那須北條郡<br>(那須)||康安2.4.15||1362||〔那須資高譲状〕下野国那須北條郡内/一所 伊王野郷/一所 五カ郷内野上郷/一所 東茂木内小高倉郷‖一所 那須上庄小川郷内梅薗村||県中4p.66<br>結城小峰文書
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|小川郷☆||那須北條郡<br>那須上荘<br>(那須)||康安2.4.15||1362||〔那須資高譲状〕下野国那須北條郡内/一所 伊王野郷/一所 五カ郷内野上郷/一所 東茂木内小高倉郷‖一所 那須上庄小川郷内梅薗村||県中4p.66<br>結城小峰文書
|小川郷☆||那須北條郡<br>那須上荘<br>(那須)||康安2.4.15||1362||〔那須資高譲状〕下野国那須北條郡内/一所 伊王野郷/一所 五カ郷内野上郷/一所 東茂木内小高倉郷‖一所 那須上庄小川郷内梅薗村||県中4p.66<br>結城小峰文書
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|武茂郷||(那須)||文安4.10.14||1447||〔某山城等願文〕【茂武】下野州宇都宮武茂郷‖同州那須庄小河郷、||県中4p.200<br>米良文書
|武茂郷||(那須)||文安4.10.14||1447||〔某山城等願文〕【茂武】下野州宇都宮武茂郷‖同州那須庄小河郷、||県中4p.200<br>米良文書
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|比恵田郷<ref>『天保郷帳』では「稈田村」。</ref>☆||(那須)||永禄6.11.14||1563||〔塩谷義孝書状写〕此度澤村之地□属本意候、畢竟於 御神前被抽御精誠故候、従来年比恵田郷土貢五百疋宛可令進納候、||県中2p.446<br>佐八文書
|比恵田郷<ref>『天保郷帳』では「稈田村」。</ref>☆||(那須)||永禄6.11.14||1563||〔塩谷義孝書状写〕此度澤村之地□属本意候、畢竟於 御神前被抽御精誠故候、従来年比恵田郷土貢五百疋宛可令進納候、||県中2p.446<br>佐八文書
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====村====
====村====
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! style="width:10%"|村!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|村!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|中山村☆||(那須)||暦応2.4.15||1339||〔足利尊氏寄進状写〕寄付‖下野国中山村事、||県中1p.353<br>鑁阿寺文書
|中山村☆||(那須)||暦応2.4.15||1339||〔足利尊氏寄進状写〕寄付‖下野国中山村事、||県中1p.353<br>鑁阿寺文書
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|梅薗村||那須上荘<br>(那須)||康安2.4.15||1362||〔那須資高譲状〕下野国那須北條郡内/一所 伊王野郷/一所 五カ郷内野上郷/一所 東茂木内小高倉郷‖一所 那須上庄小川郷内梅薗村、||県中4p.66<br>結城小峰文書
|梅薗村||那須上荘<br>(那須)||康安2.4.15||1362||〔那須資高譲状〕下野国那須北條郡内/一所 伊王野郷/一所 五カ郷内野上郷/一所 東茂木内小高倉郷‖一所 那須上庄小川郷内梅薗村、||県中4p.66<br>結城小峰文書
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|大山田村☆||(那須)<br>(武茂荘)||永享11.2.13||1439||〔結城直朝寄進状写〕下野国茂武(武茂)大山田村/や八郎在家/分銭二百貫文、||県中3p.243<br>八槻文書
|大山田村☆||(那須)<br>(武茂荘)||永享11.2.13||1439||〔結城直朝寄進状写〕下野国茂武(武茂)大山田村/や八郎在家/分銭二百貫文、||県中3p.243<br>八槻文書
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|興野(村)☆<br>大澤(村)☆||(那須)||文明4.4.28||1472||〔那須資持充行状〕那須之内興野・大澤両村、||県中3p.324<br>平沼伊兵衛氏所蔵文書
|興野(村)☆<br>大澤(村)☆||(那須)||文明4.4.28||1472||〔那須資持充行状〕那須之内興野・大澤両村、||県中3p.324<br>平沼伊兵衛氏所蔵文書
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|大木須村☆||(那須)||大永2.3.23||1522||〔那須資房充行状〕此度与岩城常陸山田村縄釣両度之合戦、貴殿軍法故、味方悉得勝利、‖後代為亀鏡大木須村永代令当行者也、||県中3p.324<br>平沼伊兵衛氏所蔵文書
|大木須村☆||(那須)||大永2.3.23||1522||〔那須資房充行状〕此度与岩城常陸山田村縄釣両度之合戦、貴殿軍法故、味方悉得勝利、‖後代為亀鏡大木須村永代令当行者也、||県中3p.324<br>平沼伊兵衛氏所蔵文書
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|小木須村☆||(那須)||(天文18)9.11||1549||〔那須高資預状〕内々申合候通、我等娘、吉日之間当十八日其元へ可遣候間、兼而心得可被致候、殊更おとよ一代貴殿知行之間、小木須村預ケ置候、||県中3p.326<br>平沼伊兵衛氏所蔵文書
|小木須村☆||(那須)||(天文18)9.11||1549||〔那須高資預状〕内々申合候通、我等娘、吉日之間当十八日其元へ可遣候間、兼而心得可被致候、殊更おとよ一代貴殿知行之間、小木須村預ケ置候、||県中3p.326<br>平沼伊兵衛氏所蔵文書
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|横枕村☆||(那須)||天文18.9.28||1549||〔那須高資充行状写<ref>本文書については「研究の余地あり」とされる。</ref>〕為亀鏡横枕村令宛行者也、||県中1p.11<br>益子文書
|横枕村☆||(那須)||天文18.9.28||1549||〔那須高資充行状写<ref>本文書については「研究の余地あり」とされる。</ref>〕為亀鏡横枕村令宛行者也、||県中1p.11<br>益子文書
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|澤村<ref>『那須記』巻三「資隆所領配分事」によれば、文治3年(1187)に那須満隆が当地を譲与されている。</ref>☆||(那須)||永禄6.11.14||1563||〔塩谷義孝書状写〕此度澤村之地□属本意候、畢竟於 御神前被抽御精誠故候、従来年比恵田郷土貢五百疋宛可令進納候、||県中2p.446<br>佐八文書
|澤村<ref>『那須記』巻三「資隆所領配分事」によれば、文治3年(1187)に那須満隆が当地を譲与されている。</ref>☆||(那須)||永禄6.11.14||1563||〔塩谷義孝書状写〕此度澤村之地□属本意候、畢竟於 御神前被抽御精誠故候、従来年比恵田郷土貢五百疋宛可令進納候、||県中2p.446<br>佐八文書
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|熊田村☆||(那須)||天正13.3.26||1585||〔那須資晴充行状〕【能田】於熊田村永楽五百疋之地知行可被致候、||県中3p.325<br>平沼伊兵衛氏所蔵文書
|熊田村☆||(那須)||天正13.3.26||1585||〔那須資晴充行状〕【能田】於熊田村永楽五百疋之地知行可被致候、||県中3p.325<br>平沼伊兵衛氏所蔵文書
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|下神長村☆||(那須)||天正13.3.28||1585||〔那須資晴充行状〕下神長村之内永楽三百疋之地可令充行候、||県中1p.4<br>澤瀬貫一氏所蔵文書
|下神長村☆||(那須)||天正13.3.28||1585||〔那須資晴充行状〕下神長村之内永楽三百疋之地可令充行候、||県中1p.4<br>澤瀬貫一氏所蔵文書
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|たき村<ref>『天保郷帳』では「上滝村」・「下滝村」がみえる。この「たき村」がいずれかは不明。</ref>☆<br>(滝)||(那須)||天正19.5.6||1591||〔那須資景知行目録〕知行方目録/一、六拾五石五斗 下さくら井‖一、三百九拾石壱斗七升 たき村/一、百弐拾三石七升 同‖合五千石||県中2p.120<br>那須文書
|たき村<ref>『天保郷帳』では「上滝村」・「下滝村」がみえる。この「たき村」がいずれかは不明。</ref>☆<br>(滝)||(那須)||天正19.5.6||1591||〔那須資景知行目録〕知行方目録/一、六拾五石五斗 下さくら井‖一、三百九拾石壱斗七升 たき村/一、百弐拾三石七升 同‖合五千石||県中2p.120<br>那須文書
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|向田村☆||(那須)||年未詳○.11<ref>本文書の日付は「閏月十一日」となっており、年未詳文書のため何月かは不明である。ただ、結城(白川)義親の発給で、佐竹義重の名がみえること、名宛人の那須資胤が天正11年(1583)に死去していることから、16Cのものと判断される。</ref>||16Cヵ||〔白川義親書状〕如承意之、今般向田村義重被致出張候間、愚之事も令同陣候、||県中1p.302<br>瀧田文書
|向田村☆||(那須)||年未詳○.11<ref>本文書の日付は「閏月十一日」となっており、年未詳文書のため何月かは不明である。ただ、結城(白川)義親の発給で、佐竹義重の名がみえること、名宛人の那須資胤が天正11年(1583)に死去していることから、16Cのものと判断される。</ref>||16Cヵ||〔白川義親書状〕如承意之、今般向田村義重被致出張候間、愚之事も令同陣候、||県中1p.302<br>瀧田文書
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===所属郡不明===
===所属郡不明===
====郷(里)====
====郷(里)====
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! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
! style="width:10%"|郷(里)!! style="width:10%"|郡!! style="width:10%"|年月日!! style="width:5%"|西暦!! style="width:55%|原     文!! style="width:10%"|出  典
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|渥籠郷||||年月日未詳||13Cヵ||〔動垂国光申状〕下野国渥籠郷住人動垂弥太郎国光畏言上/欲任道理被返しいなの尼御前御内、無其謂被号国光継父かうし房負物故、被召馬質子細事/||県中4p.443<br>中山法華経寺文書
|渥籠郷||||年月日未詳||13Cヵ||〔動垂国光申状〕下野国渥籠郷住人動垂弥太郎国光畏言上/欲任道理被返しいなの尼御前御内、無其謂被号国光継父かうし房負物故、被召馬質子細事/||県中4p.443<br>中山法華経寺文書
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|金□郷<br>(金屋ヵ)||氏家郡||永徳2.3.6||1382||〔晃山秘誌所収鰐口銘〕中禅寺鰐口一口、永徳二年壬戌三月六日、大檀那氏家郡金□(屋ヵ)郷、僧祐房、道善房||氏家古・中p132<br>晃山秘誌
|金□郷<br>(金屋ヵ)||氏家郡||永徳2.3.6||1382||〔晃山秘誌所収鰐口銘〕中禅寺鰐口一口、永徳二年壬戌三月六日、大檀那氏家郡金□(屋ヵ)郷、僧祐房、道善房||氏家古・中p132<br>晃山秘誌
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|下井(郷)<br>網代(郷)<br>大輪(郷)<br>稲穂(郷)<br>||所属国不明||天文23.12.24||1554||〔足利義氏充行状〕先御落居之地廿五郷/向五郷 栗橋 小手指 上伊坂 下伊坂 上中田 下中田 牛谷 小堤 大野 下井 網代 中里 大輪 飯田 若林 乙女 儘田 早河野 志鳥 稲穂/以上廿五郷/重而御落居之地/栗山 菅谷 久野生/以上/小山領十一郷/粟宮 塩澤 野田 尼賀谷 横倉〈自結城被申上候儀候者、御替地可被下候也、〉 犬塚〈自結城被申上候者、御替地可被下候也、〉 中久木 小田 多摩 塚崎 武井/右之地被充行者也、尚以小山領之儀者、永代不可有御相違候、||県中3p.421<br>野田家文書
|下井(郷)<br>網代(郷)<br>大輪(郷)<br>稲穂(郷)<br>||所属国不明||天文23.12.24||1554||〔足利義氏充行状〕先御落居之地廿五郷/向五郷 栗橋 小手指 上伊坂 下伊坂 上中田 下中田 牛谷 小堤 大野 下井 網代 中里 大輪 飯田 若林 乙女 儘田 早河野 志鳥 稲穂/以上廿五郷/重而御落居之地/栗山 菅谷 久野生/以上/小山領十一郷/粟宮 塩澤 野田 尼賀谷 横倉〈自結城被申上候儀候者、御替地可被下候也、〉 犬塚〈自結城被申上候者、御替地可被下候也、〉 中久木 小田 多摩 塚崎 武井/右之地被充行者也、尚以小山領之儀者、永代不可有御相違候、||県中3p.421<br>野田家文書
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|小田(郷)||||天文23.12.24||1554||〔足利義氏充行状〕先御落居之地廿五郷/向五郷 栗橋 小手指 上伊坂 下伊坂 上中田 下中田 牛谷 小堤 大野 下井 網代 中里 大輪 飯田 若林 乙女 儘田 早河野 志鳥 稲穂/以上廿五郷/重而御落居之地/栗山 菅谷 久野生/以上/小山領十一郷/粟宮 塩澤 野田 尼賀谷 横倉〈自結城被申上候儀候者、御替地可被下候也、〉 犬塚〈自結城被申上候者、御替地可被下候也、〉 中久木 小田 多摩 塚崎 武井/右之地被充行者也、尚以小山領之儀者、永代不可有御相違候、||県中3p.421<br>野田家文書
|小田(郷)||||天文23.12.24||1554||〔足利義氏充行状〕先御落居之地廿五郷/向五郷 栗橋 小手指 上伊坂 下伊坂 上中田 下中田 牛谷 小堤 大野 下井 網代 中里 大輪 飯田 若林 乙女 儘田 早河野 志鳥 稲穂/以上廿五郷/重而御落居之地/栗山 菅谷 久野生/以上/小山領十一郷/粟宮 塩澤 野田 尼賀谷 横倉〈自結城被申上候儀候者、御替地可被下候也、〉 犬塚〈自結城被申上候者、御替地可被下候也、〉 中久木 小田 多摩 塚崎 武井/右之地被充行者也、尚以小山領之儀者、永代不可有御相違候、||県中3p.421<br>野田家文書
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|瀬下郷<ref>年未詳7.23古河公方足利政氏安堵状に「野木郷・瀬下郷并楢木郷」、年未詳6.13足利政氏書状(県中1p.220)に「小薬并瀬下」とあり、都賀郡ないし寒川郡に所在した可能性が高い。</ref>||||年未詳7.23||||〔古河公方足利政氏安堵状〕野木郷・瀬下郷并楢木郷之事、成敗不可有相違候、||県中1p.209<br>小山文書
|瀬下郷<ref>年未詳7.23古河公方足利政氏安堵状に「野木郷・瀬下郷并楢木郷」、年未詳6.13足利政氏書状(県中1p.220)に「小薬并瀬下」とあり、都賀郡ないし寒川郡に所在した可能性が高い。</ref>||||年未詳7.23||||〔古河公方足利政氏安堵状〕野木郷・瀬下郷并楢木郷之事、成敗不可有相違候、||県中1p.209<br>小山文書
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|青木郷<ref>常陸国真壁郡の扇郷(青木村に比定)か。</ref>||||年未詳2.3||||〔小田氏治書状〕□一義当分無相応之地候□首尾迄ニ青木郷渡遣之候、委細信太伊勢守・同掃部助可申哉、||県中2p.101<br>茂木文書
|青木郷<ref>常陸国真壁郡の扇郷(青木村に比定)か。</ref>||||年未詳2.3||||〔小田氏治書状〕□一義当分無相応之地候□首尾迄ニ青木郷渡遣之候、委細信太伊勢守・同掃部助可申哉、||県中2p.101<br>茂木文書
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|帋敷郷<ref>都賀郡ヵ『栃木県の地名』に項目なし。</ref>||||年月日未詳||||〔喜連川家料所記〕小山押領之内野田拘之分/乙女郷 間々田郷 早河野郷 野田郷 飯田郷 若林郷 帋敷郷 馬場郷 楢木郷 納戸但馬寄/右郷名去庚申之歳<ref>永禄3年(1560)。</ref>迄、野田致知行候、||県中2p.275<br>喜連川文書
|帋敷郷<ref>都賀郡ヵ『栃木県の地名』に項目なし。</ref>||||年月日未詳||||〔喜連川家料所記〕小山押領之内野田拘之分/乙女郷 間々田郷 早河野郷 野田郷 飯田郷 若林郷 帋敷郷 馬場郷 楢木郷 納戸但馬寄/右郷名去庚申之歳<ref>永禄3年(1560)。</ref>迄、野田致知行候、||県中2p.275<br>喜連川文書
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====村====
====村====

2018年9月28日 (金) 17:56時点における最新版

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本データベースは、未だ試験的な運用段階にあり、これから改良・整備しながら、掲載国数を徐々に増やしていく予定です。
また、郷村表はもともと各国担当者によってWordで作成されており、これを、「ムラの戸籍簿」研究会事務局で集約して公開用に変換しております。
変換作業上、特殊な文字や史料表記について、やむをえず作成者の作成した文字データが反映されていない部分のありますことをご承知おきいただけましたら幸いです。
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作成者:花田卓司

郷村名郡別世紀別初出表

概要

概要

 下野国(現栃木県)は、律令制以前の下毛野国と那須国とが統合して、7世紀後半頃に成立した。陸奥・上野・常陸・下総・武蔵各国と接し、古代から現在の栃木県に至るまで、一部を除いて国境は固定されている。古代には地理的条件から対蝦夷の軍事拠点としての役割を果たしていた。源平争乱期以降、国内の武士団は全国的な広がりをもって活躍し、室町幕府を開いた源姓足利氏や鎌倉幕府の有力御家人であった小山氏・宇都宮氏などが栄えたが、江戸幕府下で大名となった家はほとんどなく、まさしく中世を特徴付ける武士団が発生した地であるといえる。
 『和名類聚抄』(高山寺本)には、足利・梁田・安蘇・都賀・寒川・河内・芳賀・塩屋・那須の九郡が記されており、国府は都賀郡に所在した。律令制の弛緩に伴い、国内で荘園が成立し始めるが、この流れに決定的な役割を果たしたのが天仁元年(1108)の浅間山大噴火である。火山灰の影響によって国内荘園は荒廃したが、再開発によって下野国南部が荘園化し、律令制的郡郷制が崩壊した。したがって、12世紀以降、国内では『和名抄』記載の郡名が記されることはなく、代わりに荘園名や新たな郡名(犬飼郡・東真壁郡・氏家郡など)を冠して「郷」や「村」が史料上に現れるようになるとともに、古代の郡域とは無関係に荘園や新たな郡域が設定されることとなる。

典拠史料

凡例

郷村表

足利郡

郷(里)

大窪、田部、堤田、土師

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
波自可里[1] 足利郡 (大宝3)10.22 703 〔藤原宮出土荷札木簡〕【土師】下毛野国足利郡波自可里鮎大贄一古参年十月廿二日 藤木簡1p.47
藤原宮出土木簡
高橋(郷)☆
田嶋郷☆
足利荘
(足利)
仁治2.2.- 1241 〔足利義氏下文〕(花押)/下 足利御庄公文所/可早任先例催勤堀内御堂講筵以下六斎日湯事‖一、五月廿九日〈故判官殿御忌日〉・六月十二日〈中尼御前御忌日〉・六月廿三日〈大尼御前御忌日〉御忌日事、右此忌日用途者、高橋・木戸・小曾祢・田嶋郷々先例令勤仕候歟、 県中1p.365
鑁阿寺文書
粟谷郷[2] (足利) 宝治2.2.- 1248 〔足利正義置文案〕定置/若宮修正・両界用途料事‖因茲、相尋供僧之間、所令出正治年中送文等已明鏡也、以不違父母之教命、為孝行之本躰、然者相分足利粟谷郷地利、永以可奉送御壇所、 県中2p.277
鶴岡八幡宮文書
月谷郷☆
樺崎郷☆
(足利) 年月日未詳 13C 〔鑁阿寺樺崎寺縁起并仏事次第〕一、多宝塔者〈左馬頭義氏御願、月谷郷之内在免田、号塔免、正月七日修正在之、請僧七口、餅百廿枚百姓所役也〉‖/一、樺崎者、上総介義兼文治年中、為泰衡〈秀衡次男〉追罰大将奥州御発向之時、自路次以使者櫻野、為御祈禱御寄進地也、〈樺崎郷者逐電跡〉 県中1p.399
鑁阿寺文書
橋本郷[3] (足利) 年月日未詳
(康永2.3.13書写)
13C 〔郷々寺役記[4]〕郷々寺役事/一、牛王紙廿帖〈公文所々下、修正料〉‖段別餅六十枚〈涌釜郷役、正月護摩堂積之〉‖一、中御堂灯油仏供事/三舛六合〈小曽称(小曽祢)郷〉、二舛七合〈木戸郷〉、一舛八合〈高橋郷〉、二舛七合〈田嶋郷〉、已上油一斗八合〈此内三合者、修正中日輪灯〉、御仏供五石四斗〈白米宣旨定、高橋郷役〉、/同中御堂毎月十五日、舎利講供料事‖二石四斗荒萩郷、一石四(五)斗生河郷‖一、十二斎御仏供、白米一石四斗四舛〈宣旨定、高橋郷役〉、行日請之〈自行妙承仕之時納之云々〉、一、毎月十八日観音講供料 一石二斗〈籾、宣旨定、荒萩郷役〉、付月性房阿闍梨坊納之、‖一、三月八日一切経会用途廿貫文事/十二貫百卅七文〈橋本郷役〉/七貫八百六十三文〈借宿郷役〉、‖一、六日(月)八日御仏事用途事/皆料現銭六貫百五十文/二貫文 葉鹿郷/一貫文 荒萩郷/五百文 生河郷/五百文 朝倉郷/二貫百五十六文 涌釜郷/御仏御衣絹裹紙・経料紙同涌釜郷沙汰、/一、同十二日東御堂御仏事用途事/御布施・僧饍料共現銭三貫百三十三文高橋郷沙汰、‖一、七月十四日盂蘭盆供事/‖又苽十、涌釜郷役、 『中世関東武士の研究第9巻下野足利氏』p.373
駒庭郷[5] 足利荘
(足利)
乾元2.④.12 1303 〔足利貞氏下文案〕足利庄内赤見駒庭郷半分、‖木戸郷内屋敷田畠、‖加子郷内屋敷田畠〈子細同前〉、 県中3p.10
倉持文書
寺岡郷☆ 足利荘
(足利)
正和3.3.28 1314 〔栗生敬願譲状写〕足利庄寺岡郷内屋敷・給田畠事、 県中3p.405
尊経閣文庫所蔵文書
五ケ郷☆ (足利) 正和5.9.- 1316 〔常行堂三昧田注文案〕注進 日光山常行堂分三昧田事/合/一丁 検校分 五ケ郷/三反 上執事 下条/七反 同 田村/一丁 同 木村/一丁 堂僧 福原/四丁 堂僧 犬飼/四丁 堂僧 菅田/一丁 堂僧 下條/三丁 堂僧 少〔小〕薬/一丁 承仕 菅田/二丁 承仕 下条/已上十九丁 県中1p.38
輪王寺文書
羽田郷☆ (足利) 嘉暦3.4.8 1328 〔三善貞広寄進状并寺領注文案〕永寄進上野国佐貫庄内高根郷内弘願寺領事、/在所同庄内所々名田畠在家等并下野国羽田郷等〈注文在別紙者〉、/右以所々相伝之所領田畠在家等、任注文、永代奉施□畢、 県中3p.312
長楽寺文書
丸木郷[6] (足利) 観応2.10.1 1351 〔鶴岡社務記録〕一日、樺崎へ丸木郷御寄進之由、自足利告申了、 鶴叢書2p.41
鶴岡社務記録
垣見郷☆
(恒見)
(足利) 文和1.1.20 1352 〔鶴岡社務記録〕廿日、赤御堂へ垣(恒)見郷御寄進状、筑州甥持参、 鶴叢書2p.42
鶴岡社務記録
大窪郷☆ 足利荘
(足利)
正平7.2.6 1352 〔足利尊氏下文〕【大窪】可令早領知下野国足利庄内大窪郷・生河郷・戸森郷・小江郷事/右、為馴馬・梅木・白根・高岡郷々之替、所充行也、 県中4p.153
高文書
介戸郷☆ (足利) 観応3.7.24 1352 〔足利尊氏袖判下文〕右為介戸郷内紀五小太郎跡替所宛行也、 県中4p.36
佐野文書
山河郷☆ 足利荘
(足利)
康暦2.4.10 1380 〔安芸守某打渡状〕足利庄山河郷内観音堂俗別当職・散在免田畠等事 県中4p.20
小川文書
鵤木郷☆
西庭郷☆
東利保郷☆
足利荘
(足利)
応永8.12.23 1401 〔鎌倉公方足利満兼寄進状〕下野国足利庄借宿郷道場定光寺・同庄借宿郷内・鵤木郷内・澁垂郷内・小曾祢郷内・塚嶋郷内・西庭郷内・寺岡郷内・東利保郷内笠原給・同所大前岡跡・同所大前下跡等散在分 県中1p.358
鑁阿寺文書
山下郷☆ 足利荘
(足利)
応永13.8.19 1406 〔鎌倉府奉行人連署奉書〕小俣寺務代猷誉申下野国足利庄山下郷内平石智光寺六供々僧時衆壱分事、 県中1p.314
鶏足寺文書
勧農郷[7] (足利) 応永29.9.2 1422 〔宥俊譲状〕譲渡 三位律師俊助/足利鑁阿寺寶塔院職半分并椛崎辻部屋職・勧農郷内〈柒際田壱段、屋敷同畠二段〉・同郷内彦部給〈但一期之後者可返俗候云々〉・同郷内桑山給田畠壱町事、 県中1p.414
鑁阿寺文書
名草郷☆ 足利荘
(足利)
正長1.10.7 1428 〔鎌倉公方足利持氏寄進状〕寄進 鑁阿寺/下野国足利庄内名草郷参分壱〈名草兵部大輔入道跡〉事、 県中1p.375
鑁阿寺文書
五百部郷[8] 足利荘
(足利)
永享5.4.5 1433 〔珍誉譲状〕料所下野国足利庄赤見郷内田畠・同庄八日町在家壱宇、并同庄五百部郷内名草給田壱町等事、 県中2p.285
相承院文書
稲岡郷☆ 足利荘
(足利)
宝徳2.5.3 1450 〔小野寺朝通譲状案〕一、下野国小野寺保七ヶ村并佐野庄小中・堀籠両郷、古江・青柳両郷/一、足利庄鵤木郷大平方、同庄之内田嶋村徳応寺分、同庄稲岡郷山名分、同庄西庭分、同庄芳次塚、同庄泉郷等事、 県中1p.592
小野寺文書
河崎郷☆ 足利荘
(足利)
宝徳2.5.3 1450 〔小野寺朝通言上状〕一、同国佐野庄之内小中郷・堀籠郷/同庄古江郷・青柳郷・并渕郷・三谷郷等/一、同国足利庄河崎郷田嶋村之内徳応寺分、同庄之内鵤木郷太平方、同芳次塚、庶子分供ニ、同庄之内西庭郷、庶子方諸給分供ニ、 県中1p.593
小野寺文書
八椚郷☆ (足利) 文明15.2.- 1483 〔鑁阿寺仏事銭請取注文案〕窪田郷納所‖八椚郷有之‖葉茗郷納所‖五百文 生河郷‖五百文 朝倉郷‖壱貫文 荒萩郷‖高橋郷納所 県中1p.418
鑁阿寺文書
大目郷[9]
(大月)
足利荘
(足利)
年月日未詳 15C[10] 〔足利成氏安堵状写〕(花押影)/赤堀亀増丸進罷預寺領事、‖一、下野国足利庄之内大目郷 浄妙寺領、/彼所之事、今度募恩賞罷預候、 県中3p.309
赤堀文書
岩井郷☆ 足利荘
(足利)
長禄3.12.- 1549 〔高師長本領目録〕高小太郎師長本領事‖一、下野国足利庄内足澤郷 澁垂郷 小曾祢郷 山形郷 岩井郷 荒萩郷 県中3p.367
古文書集
只木郷☆
村上郷☆
足利荘
(足利)
年未詳8.24 16C 〔長尾景長充行状〕赤塚之地被成在城候付而、足利庄只木郷之内五貫文之所、稲岡郷之内五貫文、村上郷之内五貫文之地、為御堪忍分、進置候、 県中4p.443
三浦光祥氏所蔵文書

年月日 西暦 原     文 出  典
月谷(邑)☆
飯塚(邑)
(足利) 13C
宝永4.4.-
1707 〔鑁阿寺略縁起〕野之下州足利郡金剛山鑁阿寺略縁起‖爾後左馬頭義氏慕理眞上人、恰若代宗視玄奘、建立十二院、以月谷・飯塚両邑附之、 県中1p.396
鑁阿寺文書
大窪村☆ (足利) 年月日未詳 13C 〔鑁阿寺樺崎縁起幷仏事次第〕【大窪】因玆、帰依渇仰異于他、則為護持僧、御堀内傍構持仏堂居座、〈寄附大窪村、号御持仏堂供僧、老後彼山麓結草庵閑居云々〉 県中1p.398
鑁阿寺文書
田嶋村[11] 足利荘
(足利)
宝徳2.5.3 1450 〔小野寺朝通譲状案〕一、下野国小野寺保七ヶ村并佐野庄小中・堀籠両郷、古江・青柳両郷/一足利庄鵤木郷大平方、同庄之内田嶋村徳応寺分、同庄稲岡郷山名分、同庄西庭分、同庄芳次塚、同庄泉郷等事、 県中1p.592
小野寺文書
山川村☆ 足利郡 天正19.11.- 1591 〔徳川家康朱印状写〕下野国足利郡山川村之内弐拾石之事、 県中4p.306
御内書案

梁田郡

郷(里)

太宅、深川

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
深川郷 梁田郡 天平勝宝4.10.25 752 〔造東寺司牒〕【深川】芳賀郡石田郷五十戸/足利郡土師郷五十戸/梁田郡深川郷五十戸/都賀郡高栗郷五十戸/塩谷郡片岡郷五十戸 県古p.78
正倉院御物
木戸(郷)[12]
小曾祢(郷)☆
(梁田)
(足利荘)
仁治2.2.- 1241 〔足利義氏下文〕(花押)/下 足利御庄公文所/可早任先例催勤堀内御堂講筵以下六斎日湯事‖一、五月廿九日〈故判官殿御忌日〉・六月十二日〈中尼御前御忌日〉・六月廿三日〈大尼御前御忌日〉御忌日事、右此忌日用途者、高橋・木戸・小曾祢・田嶋郷々先例令勤仕候歟、 県中1p.365
鑁阿寺文書
荒萩郷[13]
生河郷[14]
借宿郷[15]
朝倉郷☆
(梁田) 年月日未詳
(康永2.3.13書写)
13C 〔郷々寺役記[16]〕郷々寺役事/一、牛王紙廿帖〈公文所々下、修正料〉‖段別餅六十枚〈涌釜郷役、正月護摩堂積之〉‖一、中御堂灯油仏供事/三舛六合〈小曽称(小曽祢)郷〉、二舛七合〈木戸郷〉、一舛八合〈高橋郷〉、二舛七合〈田嶋郷〉、已上油一斗八合〈此内三合者、修正中日輪灯〉、御仏供五石四斗〈白米宣旨定、高橋郷役〉、/同中御堂毎月十五日、舎利講供料事‖二石四斗荒萩郷、一石四(五)斗生河郷‖一、十二斎御仏供、白米一石四斗四舛〈宣旨定、高橋郷役〉、行日請之〈自行妙承仕之時納之云々〉、一、毎月十八日観音講供料 一石二斗〈籾、宣旨定、荒萩郷役〉、付月性房阿闍梨坊納之、‖一、三月八日一切経会用途廿貫文事/十二貫百卅七文〈橋本郷役〉/七貫八百六十三文〈借宿郷役〉、‖一、六日(月)八日御仏事用途事/皆料現銭六貫百五十文/二貫文 葉鹿郷/一貫文 荒萩郷/五百文 生河郷/五百文 朝倉郷/二貫百五十六文 涌釜郷/御仏御衣絹裹紙・経料紙同涌釜郷沙汰、/一、同十二日東御堂御仏事用途事/御布施・僧饍料共現銭三貫百三十三文高橋郷沙汰、‖一、七月十四日盂蘭盆供事/‖又苽十、涌釜郷役、 『中世関東武士の研究第9巻下野足利氏』p.373
加子郷☆ 足利荘
(梁田)
乾元2.④.12 1303 〔足利貞氏下文案〕足利庄内赤見・駒庭郷半分、‖木戸郷内屋敷田畠、‖加子郷内屋敷田畠〈子細同前〉 県中3p.10
倉持文書
縣郷[17] 足利荘
(梁田)
貞治1.12.25 1362 〔鎌倉公方足利基氏御判御教書〕下野国足利庄内縣郷〈縣下総入道跡〉事、為本領之間所還補也、 県中3p.350
神田孝平氏所蔵文書
澁垂郷☆ 足利荘
(梁田)
応永8.12.23 1401 〔鎌倉公方足利満兼寄進状〕下野国足利庄借宿郷内・鵤木郷内・澁垂郷内・小曾根郷内・塚嶋郷内・西庭郷内・寺岡郷内・東利保郷内笠原給・同所大前岡跡・同所大前下跡等散在分、 県中1p.358
鑁阿寺文書
塚嶋郷 足利荘
(梁田ヵ)
応永8.12.23 1401 〔鎌倉公方足利満兼寄進状〕下野国足利庄借宿郷内・鵤木郷内・澁垂郷内・小曾根郷内・塚嶋郷内・西庭郷内・寺岡郷内・東利保郷内笠原給・同所大前岡跡・同所大前下跡等散在分、 県中1p.358
鑁阿寺文書
太沼田郷☆
(大沼田)
(梁田) 年月日未詳
(応永末年)
15C 〔鑁阿寺什書目録〕一、借宿給内太沼田郷内大田参段長尾々州渡状一通、定光寺渡状一通、同香川下野守渡状其外吉野以下状数通、 県中1p.385
鑁阿寺文書
西窪田郷☆ (梁田) 嘉吉2.-.- 1442 〔鑁阿寺六月八日仏事銭請取状案〕葉鹿郷弁分、所納如件、‖生河郷五百文〈使料五十文〉 朝倉郷五百文〈使料五十文〉‖荒萩郷壱貫文〈使料一貫〉‖涌釜郷/三月八日 西窪田郷弁分等 県中1p.358
鑁阿寺文書
泉郷☆ 足利荘
(梁田)
宝徳2.5.3 1450 〔小野寺朝通譲状案〕一、下野国小野寺保七ヶ村并佐野庄小中・堀籠両郷、古江・青柳両郷/一、足利庄鵤木郷大平方、同庄之内田嶋村徳応寺分、同庄稲岡郷山名分、同庄西庭分、同庄芳次塚、同庄泉郷等事、 県中1p.592
小野寺文書
窪田郷☆
葉茗郷[18]
(葉苅)
(梁田) 文明15.2.- 1483 〔鑁阿寺仏事銭請取注文案〕窪田郷納所‖八椚郷有之‖葉茗郷納所‖五百文 生河郷‖五百文 朝倉郷‖壱貫文 荒萩郷‖高橋郷納所 県中1p.418
鑁阿寺文書
足澤郷[19]
(足次)
足利荘
(梁田)
長禄3.12.- 1549 〔高師長本領目録〕高小太郎師長本領事‖一、下野国足利庄内足澤郷 澁垂郷 小曾祢郷 山形郷 岩井郷 荒萩郷 県中3p.367
古文書集
野田郷☆ (梁田) 永禄4.4.5 1561 〔長尾景長充行状〕野田郷之内拾五貫所、介戸郷之内拾五貫地、差添上州渡瀬之内参拾五貫之所、為御堪忍分任置候、 県中4p.397
秋間正二氏所蔵文書

安蘇郡

郷(里)

安蘇、談多、意部、麻続

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
栃木郷☆
(栃本)
(安蘇) 正嘉2.7.10 1258 〔吾妻鏡〕泉又太郎蔵人義信与安房四郎頼綱相論下野国栃木郷事、 県中5p.934
吾妻鏡
小見郷[20] (安蘇) 文永8.8.9 1271 〔生蓮譲状〕【麻続】譲与 小見郷内陸少分屋敷田六段事、 県中1p.622
小曾戸文書
阿曾沼郷[21] 阿曾郡
(安蘇)
年月日未詳
(承久3~建治2ヵ)
13C 〔小山朝政所領注文案〕【安蘇】嫡子所領分之事/一、下野国‖国府郡内 日向野郷 菅田郷 蕗嶋郷‖阿曾郡郷阿曾沼郷地頭職事‖東武家郷 県中1p.207
小山文書
涌釜郷[22] (安蘇) 年月日未詳
(康永2.3.13書写)
13C 〔郷々寺役記[23]〕郷々寺役事/一、牛王紙廿帖〈公文所々下、修正料〉‖段別餅六十枚〈涌釜郷役、正月護摩堂積之〉‖一、中御堂灯油仏供事/三舛六合〈小曽称(小曽祢)郷〉、二舛七合〈木戸郷〉、一舛八合〈高橋郷〉、二舛七合〈田嶋郷〉、已上油一斗八合〈此内三合者、修正中日輪灯〉、御仏供五石四斗〈白米宣旨定、高橋郷役〉、/同中御堂毎月十五日、舎利講供料事‖二石四斗荒萩郷、一石四(五)斗生河郷‖一、十二斎御仏供、白米一石四斗四舛〈宣旨定、高橋郷役〉、行日請之〈自行妙承仕之時納之云々〉、一、毎月十八日観音講供料 一石二斗〈籾、宣旨定、荒萩郷役〉、付月性房阿闍梨坊納之、‖一、三月八日一切経会用途廿貫文事/十二貫百卅七文〈橋本郷役〉/七貫八百六十三文〈借宿郷役〉、‖一、六日(月)八日御仏事用途事/皆料現銭六貫百五十文/二貫文 葉鹿郷/一貫文 荒萩郷/五百文 生河郷/五百文 朝倉郷/二貫百五十六文 涌釜郷/御仏御衣絹裹紙・経料紙同涌釜郷沙汰、/一、同十二日東御堂御仏事用途事/御布施・僧饍料共現銭三貫百三十三文高橋郷沙汰、‖一、七月十四日盂蘭盆供事/‖又苽十、涌釜郷役、 『中世関東武士の研究第9巻下野足利氏』p.373
赤見(郷)[24] 足利荘
(安蘇)
乾元2.④.12 1303 〔足利貞氏下文案〕足利庄内赤見駒庭郷半分、‖木戸郷内屋敷田畠、‖加子郷内屋敷田畠〈子細同前〉、 県中3p.10
倉持文書
なかむらのかう[25]
(中村)
佐野荘
(安蘇)
正和5.2.21 1316 〔鳥居戸五郎次郎売券〕ようゝゝあるによんてうりわたすしもつけのくにさのゝしやうなかむらのかうのうちに、とりいとのやちらハふん、 県中1p.624
小曾戸文書
多奈和見郷[26] 佐野荘
(安蘇)
文保2.4.28 1318 〔関東下知状〕右、佐野孫次郎顕綱以当庄多奈和見郷内肆段・在家壱宇、 県中1p.628
武澤文書
石塚郷☆ 佐野荘
(安蘇)
元亨1.9.18 1321 〔佐野増綱・藤原義綱和与状案〕下野国佐野庄内石塚郷内平三郎入道跡在家壱宇・田六反大事、 県中1p.625
小曾戸文書
堀籠郷☆ 佐野荘
(安蘇)
元亨1.12.- 1321 〔日本寺梵鐘〕下野州佐野庄堀籠郷/応龍山天宝禅寺/住持沙門大朴玄淳/大檀那/中務尉藤原朝臣通義/堀籠宮内左衛門尉源有元/大工/甲斐権守 卜部助光/元亨元年〈辛酉〉十二月日 佐野市史資料編1p.823
小中郷☆ 佐野荘
(安蘇)
暦応1.6.18 1338 〔小野寺通氏譲状〕一、下野国小野寺七ヶ村并佐野庄之内小中郷・堀籠郷、同国足利庄之内河崎三ヶ村、同国之内牧野十弐ヶ村等、 県中1p.591
小野寺文書
足黒郷 (安蘇ヵ) 元(文)和3.6.7 1354 〔後光厳天皇綸旨写〕下野国足黒郷‖右所々領掌不可有相違者、 県中4p.253
佐々木文書
にいさとのかう☆
(新里)
佐野荘
(安蘇)
応永15.2.9 1408 〔基高寄進状〕下野国さのゝしやうにいさとのかうの内さいけ二けん、 県中4p.353
改訂新編相州古文書
馬門郷☆ 阿曾郡
(安蘇)
永享6.8.9 1434 〔宗貞宛行状〕下野国阿曾郡馬門郷浅田宮笛吹免之事、 県中3p.286
健田須賀神社文書
富地郷[27] 佐野荘
(安蘇)
永享8.5.26 1436 〔海上頼胤寄進状〕奉寄進/鶴岡 八幡宮/下野国佐野庄内富地郷半分事、右為 当社毎月本地供七ケ日之料所、永所奉寄附也、 県中2p.280
鶴岡八幡宮文書
古江(郷)☆
青柳(郷)
佐野荘
(安蘇)
宝徳2.5.3 1450 〔小野寺朝通譲状案〕一、下野国小野寺保并佐野庄小中・堀籠両郷、古江・青柳両郷/一、足利庄鵤木郷大平方、同庄之内田嶋村徳応寺分、同庄稲岡郷山名分、同庄西庭分、同庄芳次塚、同庄泉郷等事、 県中1p.592
小野寺文書
并渕郷[28] 佐野荘
(安蘇)
宝徳2.5.3 1450 〔小野寺朝通言上状〕一、同国佐野庄之内小中郷・堀籠郷/同庄古江郷・青柳郷・并渕郷・三谷郷等/一、同国足利庄河崎郷田嶋村之内徳応寺分、同庄之内鵤木郷太平方、同芳次塚、庶子分供ニ、同庄之内西庭郷、庶子方諸給分供ニ、 県中1p.593
小野寺文書
山形郷☆ 足利荘
(安蘇)
長禄3.12.- 1459 〔高師長本領目録〕高小太郎師長本領事‖一、下野国足利庄内足澤郷 澁垂郷 小曾祢郷 山形郷 岩井郷 荒萩郷 県中3p.367
古文書集
糟尾郷☆ (安蘇) 永録(禄)7.4.27 1564 〔佐野昌綱宛行状写〕糟尾郷先年入手之砌、一所可出之由雖約束候、兎角取紛、無其儀候、 県中4p.243
島津文書
戸奈良郷☆ (安蘇) 永禄11.4.5 1568 〔実衍(佐野房綱)朱印状〕戸奈良郷之内、岸本大膳亮抱分拾貫文、 県中4p.397
石井善太郎氏所蔵文書
飯富郷[29] (安蘇) 永禄13.2.28 1570 〔上杉輝虎知行充行状写〕館林領之内羽根田之郷・飯富之郷、佐野筑前守・小安隠岐守ニ出置候也、 県中3p.217
歴代古案
吉水郷☆
多田郷[30]
(安蘇) 元亀2.8.6 1571 〔大庵寺々領目録〕角打郷/大河掃部助分之内‖吉水郷之内/岡藤次良分‖葛生郷之内‖多田郷之内 県中1p.612
大庵寺文書
免鳥郷☆ (安蘇) 天正19.7.24 1591 〔寶衍(佐野房綱)充行状〕(黒印)/弐百廿三貫文 免鳥郷/卅貫文 羽田水代/右合弐百五十三貫文之所出候者也、 県中4p.30
山崎文書

年月日 西暦 原     文 出  典
釜谷村
(金屋[31])
(安蘇ヵ) 文和4.4.8 1355 〔足利義詮御判御教書案〕下野国足黒郷内釜谷(金谷)村・同国石塚郷内荒居村等事、 県中4p.253
佐々木文書
荒居村 (安蘇) 文和4.4.8 1355 〔足利義詮御判御教書案〕下野国足黒郷内釜谷(金谷)村・同国石塚郷内荒居村等事、 県中4p.253
佐々木文書
梅薗村☆ 足利荘
(安蘇)
年未詳9.27 14C中[32] 〔足利尊氏御内書〕佐野新左衛門尉秀綱申、下野国足利庄内梅薗村事、赤見新兵衛入道先日掠申御書之由歎申、所詮任御下文旨、可有其沙汰候也、 県中4p.37
佐野文書

都賀郡

郷(里)

布多、高家、山後、山人、田後、生馬、秀文、高栗、小山、三嶋

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
高栗郷 都賀郡 天平勝宝4.10.25 752 〔造東寺司牒〕【高栗】芳賀郡石田郷五十戸/足利郡土師郷五十戸/梁田郡深川郷五十戸/都賀郡高栗郷五十戸/塩谷郡片岡郷五十戸 県古p.78
正倉院御物
薗部郷☆ (都賀) 応保2.3.7 1162 〔下野国司庁宣〕庁宣 留守所/可早以薗部郷為東大寺御封便補保事、 県古p.717
東南院文書
戸矢子(郷) (都賀) 長寛2.6.20 1164 〔下野国司庁宣〕庁宣 留守所/可令早以薗部・戸矢子両郷、為東大寺御封代便補保事、 県古p.719
百巻本東大寺文書
日向野郷[33] (都賀) 寿永2.8.-
建久3.9.12
1183
1192
〔将軍家(源頼朝)政所下文〕将軍家政所下 下野国日向野郷住人/補任地頭職事/左衛門尉藤原朝政/右、寿永二年八月 日御下文云、以件人補任彼職者、 県中2p.159
松平基則氏所蔵文書
阿志土郷[34] (都賀ヵ) 文治3.12.1 1187 〔源頼朝袖判下文〕下 下野国寒河郡幷阿志土郷/可早以小山七郎朝光母堂為地頭職事 県中1p.172
皆川文書
菅田郷
蕗嶋郷
国府郡
(都賀)
寛喜2.2.20 1230 〔生西(小山朝政)譲状〕一、下野国‖国府郡内/日向野郷 菅田郷 蕗嶋郷‖東武家郷 県中1p.217
小山文書
東武家郷[35] (都賀) 寛喜2.2.20 1230 〔生西(小山朝政)譲状〕一、下野国‖国府郡内/日向野郷 菅田郷 蕗嶋郷‖東武家郷 県中1p.217
小山文書
小薬郷☆ (都賀) 寛喜2.8.13 1230 〔長沼宗政譲状〕下野国長沼庄、同国小薬郷‖右於所領等者、相副御下文等、永所譲与于時宗也、 県中1p.152
皆川文書
冨吉東西郷☆ 中泉荘
(都賀)
弘安6.4.5 1283 〔大見行定置文〕下野国中泉西荒居富吉東西郷、 県中4p.429
中条家文書
上長田郷 犬飼郡
(都賀)
永仁3.5.5 1295 〔覚誉寄進状〕以私領深町壱町〈在下野国犬飼郡上長田郷内〉所当銭五貫陸拾文、 県中1p.36
輪王寺文書
板橋郷☆ (都賀) 正安2 1300 〔今宮祭祀録〕正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖廻楼之事‖一、東之分、二間ハ大窪村、一間ハ佐々嶋、二間ハ山田之郷、二間ハ泉之村、二間ハ肘内郷、二間ハ上平村、一間ハ佐貫之村、二間ハ大宮・給分、二間ハ比留嶋、一間ハ板橋郷、一間ハ寺渡戸村、/右、東西合テ四十二間也、 氏家古・中p322
今宮祭祀録
泉川郷☆ 中泉荘
(都賀)
延元3.9.5 1338 〔北畠親房御教書写〕可令早小山次郎左衛門尉政景領知中泉庄泉川郷・皆河庄息居郷事、 県中4p.300
光明寺旧記
息居郷[36]
(荒居)
皆河荘
(都賀)
延元3.9.5 1338 〔北畠親房御教書写〕可令早小山次郎左衛門尉政景領知中泉庄泉川郷・皆河庄息居郷事、 県中4p.300
光明寺旧記
賀薗郷☆ (都賀) 貞和5.4.25 1349 〔薬師如来座像底板墨書銘〕下野州賀菌■[37](賀薗郷)東園寺本尊薬師如来像敬奉加金泥之荘厳畢 貞和五年〈己丑〉四月廿五日/大旦那藤原/公綱/住持比丘了詮 宇都宮2中世p.446
興源寺
犬飼郷 (都賀)
(犬飼)
延文5.5.15 1360 〔豊田幹家軍忠状写〕下野国犬飼郷豊田小太郎入道宗西子息又三郎幹家申軍忠事、 県中3p.298
武家雲箋
押切郷☆ (都賀) 永徳1.8.25 1381 〔沙弥禅助(上杉朝宗)禁制〕法雲寺領下野国押切郷事、 県中3p.302
法雲寺文書
苻所郷☆ (都賀) (至徳1)8.18 1384 〔常行堂見衆等申状案〕今年初苻所郷分拾七貫九百八十三文、 県中1p.53
輪王寺文書
今泉郷☆ 中泉荘
(都賀)
年月日未詳[38] 14Cヵ 〔某書状断簡〕□□(下野)国中泉本庄内今泉郷事、[   ]所者、下総前司入道書入証文[   ]功候上者、有限年記之旨は[   ]有子細(後闕) 県中3p.474
金澤文庫古文書
嶋田郷☆
来本郷[39]
小山荘
(都賀)
応永12.12.27 1405 〔彦八願文〕下野国山田長光寺大弐之阿闍梨御弟子輔公(花押)/旦那はんぬき彦八(花押)/下野国小山庄嶋田郷荒河侍従阿(花押)/下野国小山庄内来本郷信濃阿(花押) 県中4p.198
米良文書
大和田郷☆ (都賀) 応永18.11.8 1411 〔宇都宮持綱寄進状〕寄進/西方内大和田郷半分事/右彼所者、為西刑部郷内平塚村代、所令寄附一向寺也、 県中1p.1
一向寺文書
美濃郷☆ (都賀) 年月日未詳(応永22ヵ) 1415ヵ 〔所役配分注文案〕五口 飯山郷/三口壱貫三百 石那田郷/二口半 美濃郷/二口 苻所郷/三口 塩室郷/一口 大桑郷 県中1p.58
輪王寺文書
富田郷☆
下皆河郷☆
西御荘
(都賀)
応永24.7.24 1417 〔某書下〕小山庄内来本郷并西御庄内富田郷・同庄下皆河郷等事、 県中2p.163
松平基則氏所蔵文書
明神郷☆ (都賀) 応永26.5.9 1419 〔慶守書下状〕依苻所郷河成、衣服料令闕如之間、‖以明神郷御正作御年貢可給云々、 県中1p.62
輪王寺文書
富岡郷☆ (都賀) (応永26ヵ)5.13 1419ヵ 〔某書状〕苻所郷供米不足分‖自当年以富岡郷土貢之内、地下興行之間、可令下行之由、 県中1p.64
輪王寺文書
奈良部郷☆ (都賀) 応永29.5.15 1422 〔日光山座主昌■[40]御教書〕就常行堂御修理用脚、已前御寄進之外、重〈而〉四ヶ年之寄附、奈良部郷御年貢之内、至当年為何ヶ年哉、 県中1p.67
輪王寺文書
西鹿沼郷☆ (都賀) (正長1)7.29 1428 〔沙弥道慶書状〕抑常行堂御念仏々供之事、自西鹿沼郷、致沙汰候也、 県中1p.68
輪王寺文書
三谷郷☆ 佐野荘
(都賀)
宝徳2.5.3 1450 〔小野寺朝通言上状〕一、同国佐野庄之内小中・堀籠郷/同庄古江郷・青柳郷并渕郷・三谷郷等/一、同国足利庄河崎郷田嶋村之内徳応寺分、同庄之内鵤木郷太平方、同芳志塚、庶子分供ニ、同庄之内西庭郷、庶子方諸給分供ニ、 県中1p.593
小野寺文書
家中郷☆ (都賀) (享徳1)⑧.12 1452 〔小山持政書状〕雖細少之地候、家中郷大和田村〈細井中務丞知行分〉可有御成敗候、 県中3p.25
白川文書
大河嶋郷☆ 中泉荘
(都賀)
享徳1.11.15 1452 〔小山持政寄進状〕下野国中泉庄大河嶋郷内三拾貫文下地事、 県中1p.194
青木文書
三澤郷 (都賀) 延徳4.10.2 1492 〔宇都宮成綱等寄進状〕成高寺大内庄之内大根田半郷、西方三澤郷之内福恩寺分并慶蔵院分、西形部(刑部)郷之内福聚寺分、 県中2p.41
小田部庄右衛門氏所蔵文書
延嶋郷☆ (都賀) 延徳4.11.8 1492 〔多賀谷朝泰寄進状〕下條之延嶋郷之内堀内弐千疋分、 県中3p.249
安穏寺文書
野田郷☆ 小山荘
(都賀)
明応3.4.11 1494 〔小山成長安堵状〕下野国小山庄野田郷寺社之内、 県中1p.197
青木文書
牧野々郷[41] (都賀) 年月日未詳 15C 〔岩松持国闕所注文写〕上野国/一、藤河郷 藤河五郎四郎知行分、‖下野国/一、牧野々郷 木戸兵部少輔知行分、/一、小薬郷 梶原五郎右衛門尉知行分、/以上/岩松右京大夫申也、 県中3p.318
正木文書
西水代郷☆ 中泉荘
(都賀)
文亀2.10.21 1502 〔古河公方足利政氏安堵状〕当寺領下野国中泉庄内西水代郷事、 県中1p.258
大中寺文書
下稲葉(郷)☆
大井出(郷)
犬飼井郡
(都賀)
文亀3.12.22 1503 〔宇都宮成綱寄進状写〕犬飼井郡之内下稲葉之郷并大井出之郷・下平出之郷奉寄付候、 県中2p.42
小田部庄右衛門氏所蔵文書
酒谷(郷)☆ (都賀) 永正18.7.6 1521 〔芳賀高孝寄進状写〕長宗為菩提、酒谷之郷之内東音寺、雖少所候、先以奉寄進候、 県中3p.378
寺社古状
惣社郷☆ 国府郡
(都賀)
天文9.4.27 1540 〔小山高朝寄進状〕立願成就之上、当国々府郡惣社郷之内二貫之所、令寄進候、 県中1p.201
阿房神社文書
上石塚郷☆ (都賀) 天文22.12.28 1553 〔小山高朝安堵状〕上石塚郷之内廿貫之所、先々成敗不可有相違之状如件、 県中2p.193
岩上文書
飯田(郷)☆
志鳥(郷)☆
粟宮(郷)☆
塩澤(郷)☆
尼賀谷(郷)[42]
横倉(郷)☆
犬塚(郷)☆
中久木(郷)[43]
多摩(郷)[44]
塚崎(郷)☆
武井(郷)☆
(都賀) 天文23.12.24 1554 〔足利義氏充行状〕【秀文[45]】先御落居之地廿五郷/向五郷 栗橋 小手指 上伊坂 下伊坂 上中田 下中田 牛谷 小堤 大野 下井 網代 中里 大輪 飯田 若林 乙女 儘田 早河野 志鳥 稲穂/以上廿五郷/重而御落居之地/栗山 菅谷 久野生/以上/小山領十一郷/粟宮 塩澤 野田 尼賀谷 横倉〈自結城被申上候儀候者、御替地可被下候也、〉 犬塚〈自結城被申上候者、御替地可被下候也、〉 中久木 小田 多摩 塚崎 武井/右之地被充行者也、尚以小山領之儀者、永代不可有御相違候、 県中3p.421
野田家文書
緑川郷☆
下高嶋郷☆
(都賀) 弘治3.5.23 1557 〔古河公方足利義氏安堵状〕緑川郷・下高嶋郷・東武井郷、如近年不可有相違之状如件、 県中1p.214
小山文書
上泉郷[46] (都賀) 永禄3.2.26 1560 〔小山高朝安堵状〕榎本至于本意ニ者、上泉郷之事成敗可被致之候、 県中2p.194
岩上文書
葛生郷☆ (都賀) 元亀2.8.6 1571 〔大庵寺々領目録〕角打郷/大河掃部助分之内‖吉水郷之内/岡藤次良分‖葛生郷之内‖多田郷之内 県中1p.612
大庵寺文書
野田郷[47]
眞弓郷☆
本澤郷[48]
小林郷[49]
与恒郷[50]
澁江郷[51]
(都賀) (天正2ヵ)4.15 1574 〔喜連川家料所記〕小山押領之地共/友沼郷 生井郷 赤塚郷〈先年簗田ニ被下候、〉 丸林郷 潤嶋之村 寒河郷 鏡郷 中里郷 井岡郷 已上/抜本領[52]之内/野田郷 眞弓郷 上飯富郷 本澤郷 小林郷 押切郷 大河嶋 与恒郷 澁江郷 已上/右関宿御座之時分去庚申歳[53]迄、無相違御料所共ニ候、 県中2p.275
喜連川文書
下出井郷☆ (都賀) 天正5.8.24 1577 〔伊勢千代丸(小山高朝)書状〕祇園江帰城之為祈念、大御供 伊勢掛立願候、仍下出井郷、永代奉寄進候、 県中2p.381
佐八文書
尻内之郷☆ (都賀) 天正16.12.20 1588 〔佐野氏忠印判状〕書出/右尻内之郷代官星野民部ニ申付候、然者彼代官其方ニ申付ニ付而者、自今以後年貢少も無申事、如高辻無々沙汰可相調候、 県中4p.240
島津文書
星野郷☆ (都賀) 天正16.12.20 1588 〔佐野氏忠軍勢催促状写〕書出/弐百貫文 星野郷/此着到/五騎 馬上、指物四方可指、 県中4p.244
島津文書
栃木之郷☆ 都賀郡 天正19.11.- 1591 〔徳川家康朱印状写〕寄進 円通寺/下野国都賀郡栃木之郷之内拾石之事、 県中4p.306
御朱印留
栃窪郷☆ (都賀) 年未詳10.20 (室町期ヵ) 〔法印行専奉書〕常行堂承仕三人内、第三承仕御恩栃窪郷所当事、 県中1p.92
輪王寺文書
にしたけい之郷☆
(西武井)
(都賀) 年未詳7.2 〔塚田俊行書状〕返々、にしたけい之郷寺者之事、先々のことくワたし進之候、よくゝゝ御きたうあるへき事、可然候、 県中1p.198
青木文書
瓦田郷[54] (都賀) 年未詳7.15 〔某安堵状写〕相州曾比郷・千津嶋村、野州瓦田郷、上総国造細郷等事、知行不可有相違候、 県中4p.265
士林証文
風野郷☆ (都賀) 年未詳12.12 〔神山治持書状写〕〈村井之地より百疋/栃窪之地より百疋〉合弐百疋/風野本意之上、弐百疋地行上申候間、‖追而、風野郷之たて御地田之内弐百疋、年々奉上候、いよゝゝ繁昌可申候、 県中2p.447
佐八文書
都可郷 (都賀) 年未詳 8C~9Cヵ 〔下野国府跡出土木簡〕都可郷進藤一荷 木研究4p.52
下野国府跡出土木簡

年月日 西暦 原     文 出  典
長方村[55] 木村保
(都賀)
応永6.12.- 1399 〔島津道祐等言上状〕早下野国戸矢子保内梅澤村・同千手村・同寺尾村、同国木村保内長方村本知行分者、 県中3p.388
島津文書
梅澤村☆
千手村☆
寺尾村
戸矢子保
(都賀)
応永6.12.- 1399 〔島津道祐等言上状〕早下野国戸矢子保内梅澤村・同千手村・同寺尾村、同国木村保内長方村本知行分者、 県中3p.388
島津文書
家務之村[56] 犬飼井郡
(都賀)
文亀3.12.22 1503 〔芳賀高勝施行状写[57]〕犬飼井郡之内下稲葉之郷幷大井出之郷家中内家務之村之事、寄進致申上者、 県中3p.375
寺社古状
大和田村☆ (都賀) (享徳1)⑧.12 1542 〔小山持政書状〕雖細少之地候、家中郷大和田村〈細井中務丞知行分〉可有御成敗候、 県中3p.25
白川文書
梓村☆ (都賀) 弘治3.8.7 1557 〔北条氏政禁制写〕禁制/一於梓村・中方村指合狼藉之事、 県中4p.385
豊前氏古文書抄
細井(村)☆
(細谷)
橋本村☆
(都賀) 天正18.9.20 1590 〔豊臣秀吉朱印状〕下野国小山領之内大宮千五百六十七石并細井・橋本村四百八十二石、都合弐千五十石事、 県中3p.410
多賀谷文書

寒川郡

郷(里)

真木、池邉、奴宜

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
さんかはのかう[58]
(寒川)
かゝみのかう☆
(鏡)
しもさんかはのかう☆
(下寒川)
なかさとのかう☆
(中里)
はさまたのかう☆
(迫間田)
(寒川) 年月日未詳 14Cヵ 〔某譲状〕ゆつりわたす所りやうの事/合/一、しもつけのくにさんかはのかう、かゝみのかう、たゝし□□□‖一、しもさんかはのかう、みな□□/なかさとのかう□□□に□□/はさまたのかう□□□(後闕) 県中3p.477
金澤文庫古文書
乙妻(郷)☆
眞々田(郷)☆
小山荘
(寒川)
建武4.7.9 1337 〔茂木知政軍忠状〕於小山庄内乙妻・眞々田両郷合戦之時、 県中2p.83
茂木文書
若林郷[59]
早河野郷[60]
(寒川) 天文23.12.24 1554 〔足利義氏充行状〕先御落居之地廿五郷/向五郷 栗橋 小手指 上伊坂 下伊坂 上中田 下中田 牛谷 小堤 大野 下井 網代 中里 大輪 飯田 若林 乙女 儘田 早河野 志鳥 稲穂/以上廿五郷/重而御落居之地/栗山 菅谷 久野生/以上/小山領十一郷/粟宮 塩澤 野田 尼賀谷 横倉〈自結城被申上候儀候者、御替地可被下候也、〉 犬塚〈自結城被申上候者、御替地可被下候也、〉 中久木 小田 多摩 塚崎 武井/右之地被充行者也、尚以小山領之儀者、永代不可有御相違候、 県中3p.421
野田家文書
馬場(郷)☆
奈良木(郷)☆
(楢木)
(寒川) 弘治3.6.17 1557 〔足利義氏朱印状〕一、馬場・奈良木両郷手本〈仁〉閣、網戸宮内大輔等綺之儀、不可有相違事、 県中3p.421
野田家文書
新葉郷[61] 寒河郡 永禄3.11.26 1560 〔小山高朝安堵状〕寒河郡之内新葉郷除寺社〈於〉、成敗不可有相違候、 県中2p.194
岩上文書
友沼郷[62]
生井郷☆
赤塚郷[63]
丸林郷[64]
井岡郷[65]
(寒川) (天正2ヵ)4.15 1574 〔喜連川家料所記〕小山押領之地共/友沼郷 生井郷 赤塚郷〈先年簗田ニ被下候、〉 丸林郷 潤嶋之村 寒河郷 鏡郷 中里郷 井岡郷 已上/抜本領[66]之内/野田郷 眞弓郷 上飯富郷 本澤郷 小林郷 押切郷 大河嶋 与恒郷 澁江郷 已上/右関宿御座之時分去庚申歳[67]迄、無相違御料所共ニ候、 県中2p.275
喜連川文書
野木郷[68] (寒川) 年未詳7.23 〔古河公方足利政氏安堵状〕【奴宜】野木郷・瀬下郷并楢木郷之事、成敗不可有相違候、 県中1p.209
小山文書

年月日 西暦 原     文 出  典
上名間井村☆ 三河郡
(寒川)
長享3.4.25 1489 〔澁垂小四郎申状写〕一、下野国足利庄澁垂郷内佐野給/一、同国三河(寒河)郡内上名間井村 県中3p.278
澁垂文書
潤嶋之村[69] (寒川) (天正2ヵ)4.15 1574 〔喜連川家料所記〕小山押領之地共/友沼郷 生井郷 赤塚郷〈先年簗田ニ被下候、〉 丸林郷 潤嶋之村 寒河郷 鏡郷 中里郷 井岡郷 已上/抜本領[70]之内/野田郷 眞弓郷 上飯富郷 本澤郷 小林郷 押切郷 大河嶋 与恒郷 澁江郷 已上/右関宿御座之時分去庚申歳[71]迄、無相違御料所共ニ候、 県中2p.275
喜連川文書
野木村☆ (寒川) 文禄5.1.20 1596 〔結城秀康知行充行状写〕【奴宜】高弐百石者 小山領野木村内、 県中3p.118
秋田藩家蔵文書

河内郡

郷(里)

丈部、刑部、大続、酒部、三川、財部、真壁、軽部、池邉、衣川

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
財部郷 河内郡 年月日未詳 8C[72] 〔秋田城跡出土木簡〕【財部】下野国河内郡□(財)部郷□ 木研究1p.43
秋田城跡出土木簡
小池郷☆ (河内) 観応2.8.18 1351 〔重俊置文案〕小池郷衣服料五貫八百十四文 県中1p.39
輪王寺文書
福田(郷)
平塚(郷)
薬師寺荘
(河内)
明徳2.9.8 1391 〔関東管領上杉朝宗施行状〕下野国薬師寺庄半分〈除福田・平塚両郷、逸見中務大輔寄進地〉事、 県中2p.296
別願寺文書
簗瀬郷☆ (河内) 応□□.10.7 (14C) 〔宇都宮氏綱寄進状〕寄附/簗瀬郷内鷺谷給分跡之事、 県中1p.2
一向寺文書
中さとの郷[73]
(中里)
(河内) 応永8.11.21 1401 〔日高戸某奉書写〕興禅寺りよう中さとの郷の百姓等毎年てうさん候、結句宮春辺にきよちうの事、これを其所地頭名主かれらをおかれ候事、猶向後不可有者也、 県中3p.372
寺社古状
上平出郷☆
宿之郷☆
砥上郷☆
(河内) 応永9.4.11 1402 〔宇都宮満綱寄進状写〕寄進/上平出郷‖宿之郷‖砥上郷 県中3p.372
寺社古状
西刑部郷☆ (河内) 応永18.11.8 1411 〔宇都宮持綱寄進状〕【刑部】寄進/西方内大和田郷半分事/右彼所者、為西刑部郷内平塚村代、所令寄附一向寺也、 県中1p.1
一向寺文書
岡本郷[74] (河内) 応永18.12.8 1411 〔宇都宮持綱公事免除状〕一向寺領/岡本郷内給分并西方大和田半分諸役等事、 県中1p.2
一向寺文書
荊沢郷☆
(驚沢)
(河内) 応永19 1412 〔今宮祭祀録〕同(応永)十九〈壬辰〉 〔持綱殿始テ御出仕也〕氏家頭 荊沢郷 御代官滝九郎/同下頭/上平村百姓けいくわん坊と申物ニ差候所ニ、辞退仕候間、御/直文ニまかせ、郷催之事勤分、頭人事ハ惣百姓中ニテ、御望ニまかせ遣され候坊勤分、 氏家古・中p.330
今宮祭祀録
飯山郷☆
石那田郷☆
塩室郷[75]
大桑郷[76]
(河内) 年月日未詳(応永22ヵ) 1415ヵ 〔所役配分注文案〕五口 飯山郷/三口壱貫三百 石那田郷/二口半 美濃郷/二口 苻所郷/三口 塩室郷/一口 大桑郷 県中1p.58
輪王寺文書
小林郷☆ (河内) (文明3ヵ)8.18 1471ヵ 〔昌宣衣服料送文〕大桑郷‖飯山郷‖小池郷‖苻所郷‖明神郷‖小林郷 県中4p.412
輪王寺文書
瓦屋郷[77] (河内) 明応4.8.11 1495 〔宇都宮成綱充行状写〕連々忠信感悦候、就中依今度一段之時宜、速申上之条、忠儀無比類候、然者瓦屋郷之番料足廿二貫文所免許也、 県中3p.119
秋田藩家蔵文書
下平出之郷☆ (河内) 文亀3.12.22 1503 〔宇都宮成綱寄進状写〕犬飼井郡之内下稲葉之郷并大井出之郷・下平出之郷奉寄付候、 県中2p.42
小田部庄右衛門氏所蔵文書
刑部之郷☆ (河内) 文亀4.8.26 1504 〔芳賀高勝宛行状写〕【刑部】連々奉公神妙之至ニ候、仍在宮之事其外條々有旨趣、依望申、刑部之郷之内鴨端分之事、為新恩宛行之候、 県中2p.11
小田部庄右衛門氏所蔵文書
神主郷☆ (河内) 永正10.4.26 1513 〔芳賀高孝寄進状写〕為亡父忠翁之志、神主郷之内直心庵給分、令寄付于当寺候、 県中3p.377
寺社古状
上桑嶋之郷☆ (河内) 天文4.7.3 1535 〔芳賀高孝寄進状写〕為香田、奉寄付慶室妙賀買得之地上桑嶋之郷之内野志賀之内土貢八貫文・三季役銭弐貫百文、 県中3p.380
寺社古状
新里郷☆ (河内) 弘治2.11.12 1556 〔壬生綱雄書状写〕新里郷之年貢三年之末綱雄参宮申迄弐百疋可奉進納候、 県中2p.444
佐八文書
長岡之郷☆ (河内) 天正13.2.4 1585 〔宇都宮国綱寄進状〕以天為御香典長岡之郷分斗足之内五貫文令寄付之状如件、 県中4p.19
華光院文書
東木代郷☆ (河内) 年未詳3.5 (16C) 〔芳賀高定宛行状〕雖少所候、東木代郷之事、成敗不可相違候、 県中3p.116
秋田藩家蔵文書
薬師寺郷☆ (河内) 年未詳6.19 〔古河公方足利政氏宛行状〕依被存中心、薬師寺郷之事、被任下知之条、感荷之至候、為其改替、天明之事、被宛行候、 県中1p.211
小山文書

年月日 西暦 原     文 出  典
河内村 (河内) 応永9 1402 〔今宮祭祀録〕応永九〈壬午〉 氏家頭 河内村 岡本将監入道/宮下頭迫田 〔下頭〕大田彦清次 氏家古・中p.328
今宮祭祀録
平塚村☆ (河内) 応永18.11.8 1411 〔宇都宮持綱寄進状〕寄進/西方内大和田郷半分事/右彼所者、為西刑部郷内平塚村代、所令寄附一向寺也、 県中1p.1
一向寺文書
下坪山村☆ (河内) 天正18.10.12 1590 〔結城秀康寄進状〕結城領之内於下坪山村五十三石、為新寄進知行不可有相違之状、仍如件、 南河内町史史料篇3、14号
安穏寺所蔵文書

芳賀郡

郷(里)

古家、廣妹、遠妹、物部、芳賀、若続、承舎、石田、氏家、丈部、財部、川口、真壁、新田

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
石田郷 芳賀郡 天平勝宝4.10.25 752 〔造東寺司牒〕【石田】芳賀郡石田郷五十戸/足利郡土師郷五十戸/梁田郡深川郷五十戸/都賀郡高栗郷五十戸/塩谷郡片岡郷五十戸 県古p.78
正倉院御物
仲泉(郷)
塩屋(郷)
仲村荘
(芳賀)
建長5.10.21 1253 〔近衛家所領目録写〕下野国仲村庄〈仲泉・塩屋此内別郷[78]也〉 県中4p.101
近衛家文書
鮎田(郷)☆
藤和(郷)☆
(藤縄)
坂井(郷)☆
東眞壁郡
(芳賀)
建長8.3.15 1256 〔茂木家証文写〕一所 在下野国東眞壁郡内五箇郷内四箇郷〈鮎田、□□、藤和、坂井〉、 県中2p.68
茂木文書
小井土(郷)☆ 東眞壁郡
(芳賀)
正嘉2.12.2 1258 〔将軍家(宗尊親王)政所下文〕可令早領知下野国東真壁郡内四箇郷〈鮎田‖小井土、藤和、坂井〉 県中2p.76
茂木文書
青野郷☆
(青谷・大谷)
大田之郷☆
(太田)
中阿久津郷☆
八木之郷☆
(芳賀)
(氏家)
正安2 1300 〔今宮祭祀録〕正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖廻楼之事/一、西之分、三間ハ青野郷、三間者大田之郷、二間ハ前高野、三間ハ関俣村、二間ハ風見村、二間ハ金枝村、一間ハ有隅村、二間ハ増渕村、一間ハ中高野村、二間ハ西宿、二間ハ大麻村、‖一、三嶋けんざ役にて候、日光堂ハ別当よりの役ニ候、高尾神ハ祢宜太夫役ニ而候、御橋ハけんざ役ニ而候、りやう御門神ハ上下小政所ノ役也、御橋ヨリ下馬場にゑぎまてのくうしハ中阿久津郷ノ役ニ候也、‖一、御屋形様、秋御参の御時、御篭所ノ御座ハ八木之郷役ニ而参候、
関俣郷☆ (芳賀)
(氏家)
正安2 1300 〔今宮祭祀録〕正安二〈庚子〉 氏家頭 関俣郷 橘次左衛門尉 氏家古・中p.327
今宮祭祀録
平田郷☆ (芳賀)
(氏家)
正安3 1301 〔今宮祭祀録〕正安三〈辛丑〉 氏家頭 平田郷 六郎入道 氏家古・中p.327
今宮祭祀録
かんの井(郷)☆
(神井[79])
茂木郡
(芳賀)
正和2.2.10 1313 〔茂木知氏譲状并関東下知状写〕一所 下つけの国もて木のこほりかんの井かうのうちもりさこ田やしき〈上下二う〉、 県中4p.415
秋田藩家蔵文書
林郷☆ 東茂木郡
(芳賀)
文和2.6.10 1353 〔茂木家証文写〕下野国東茂木郡内飯野村□□・同河口・井河瀬両村、林郷内檜山□□・茂木郷内小堀・小井戸・牧野□□・馬籠同野内、 県中2p.71
茂木文書
茂木郷 東茂木郡
(芳賀)
文和2.6.10 1353 〔茂木家証文写〕下野国東茂木郡内飯野村□□・同河口・井河瀬両村、林郷内檜山□□・茂木郷内小堀・小井戸・牧野□□・馬籠同野内、 県中2p.71
茂木文書
小深(郷)☆ (芳賀) □(延)文5.2.27 1360 〔足利義詮御内書〕□(茂)木越中入道賢安申□□(下野)国東茂木内小深・□□(小高)倉両郷事、賢安南方□(発)向之最中、那須遠江守□押領云々、太以不可然候歟、 県中2p.87
茂木文書
小高倉郷[80] (芳賀ヵ) □(延)文5.2.27 1360 〔足利義詮御内書〕□(茂)木越中入道賢安申□□(下野)国東茂木内小深・□□(小高)倉両郷事、賢安南方□(発)向之最中、那須遠江守□押領云々、太以不可然候歟、 県中2p.87
茂木文書
飯野郷☆
河口郷
茂木郡
(芳賀)
康安2.9.29 1362 〔茂木家証文写〕【川口】茂木郡東西内飯野郷・河口郷并井河瀬、檜山村、小井土郷内馬瀧野内事、 県中2p.74
茂木文書
高橋郷☆
田井郷☆
大内荘
(芳賀)
永徳3.4.19 1383 〔梶原貞景打渡状〕鹿嶋御神領下野国大内庄内高橋三郎跡〈高橋郷、同庄内田井郷并葛嶋村、‖〉半分事、 県中3p.291
塙文書
馬門郷☆ 茂木荘
(芳賀)
至徳1.12.13 1384 〔茂木家証文写〕一所下野国茂木庄内東西内□□坂井郷〈方志戸瀧内〉・神井郷内知茂□□林郷内檜山・馬門郷内河口、 県中2p.75
茂木文書
東田井郷[81] (芳賀) 至徳2.12.20 1385 〔東田井郷百姓足分帳〕東田井郷百姓足分張(帳)事、 県中3p.253
鹿島神宮文書
上石礎郷☆ (芳賀)
(氏家)
応永10 1403 〔今宮祭祀録〕同(応永)十〈癸未〉 氏家頭 上石礎郷 若色掃部助/青窪村巡年タリトイエヘトモ寺領之間、暫クサシヲクヘキ旨、上意ニ任セ延引、 氏家古・中p.328
今宮祭祀録
文捽郷☆
(文挟)
(芳賀)
(氏家)
応永12 1405 〔今宮祭祀録〕同(応永)十二〈乙酉〉 〔宮頭阿久津代阿久津和泉守〕氏家頭 舟生郷 舟生修理亮/〔下頭〕飯岡六郎/文捽郷御頭トイヘトモ、致二御懸合一当給人拝領イクホドナキニヨツテ、次舟生郷ツトメテ、 氏家古・中p.328
今宮祭祀録
栗嶋郷 [82]
(栗ケ島)
(芳賀)
(氏家)
応永18 1411 〔今宮祭祀録〕同(応永)十八〈辛卯〉 〔宮ノ下頭料足百貫文進懸〕氏家頭 栗嶋郷 御代官小次郎/〔下頭〕驚沢浄願 氏家古・中p.330
今宮祭祀録
東高橋郷☆ (芳賀) 応永18.11.16 1411 〔宇都宮持綱寄進状写〕東高橋郷番料足十一貫文事、 県中3p.373
寺社古状
上阿久津郷☆ (芳賀)
(氏家)
応永20 1413 〔今宮祭祀録〕同(応永)廿〈癸巳〉 〔宮ノ頭八木郷代 舟生修理之亮〕/氏家頭 上阿久津郷 阿久津五郎/〔下頭〕下阿久津の孫八 氏家古・中p.330
今宮祭祀録
大曾郷☆ (芳賀) 応永23.10.5 1416 〔鎌倉公方足利持氏御判御教書案〕下野国長沼庄‖同国大曾郷木戸駿河守跡、 県中1p.162
皆川文書
堺郷☆ (芳賀) 応永24.4.4 1417 〔沙弥禅貴(結城基光)遵行状案〕下野国長沼庄‖大曾郷・堺郷等事、早任去年十月五日御下文・去二月廿七日御施行之旨、可沙汰付下地於長沼淡路入道代状如件、 県中1p.162
皆川文書
混布嶋郷
泉郷
青田郷☆
長沼荘
(芳賀)
(応永25)7.12 1418 〔足利持氏書状〕下野国長沼庄内混布嶋郷并同庄泉郷半分・青田郷半分等事、 県中1p.178
皆川文書
下阿久津郷☆ (芳賀)
(氏家)
享徳2 1453 〔今宮祭祀録〕同(享徳)二〈壬申〉 宇都宮頭 下阿久津郷 大長井八郎/氏家頭 舟生郷 神長土佐守/〔下頭〕舟生郷 道久 氏家古・中p.332
今宮祭祀録
白金郷
増井郷☆
(芳賀) 文明14.11.- 1482 〔茂木家臣給分注文〕殿原給分‖坂井郷松本〈公田〉、‖藤縄郷切付、‖白金郷切付、‖飯野郷畠、‖小井土郷檜木、‖林郷堀内分、‖神井郷堀内、‖増井郷□、 県中2p.93
茂木文書
氏家郷[83] (芳賀)
(氏家)
長享3.4.10 1489 [今宮明神棟札写〕【氏家】長享三年〈大歳己酉〉卯月十日/氏家郷今宮大明神御社壇/祢宜大夫宗保、大工大蔵丞宗久/御神主前下野守藤原朝臣成綱(花押)/清原朝臣綱高(花押) 氏家古・中p.151
今宮神社蔵
大根田(郷)☆ 大内荘
(芳賀)
延徳4.10.2 1492 〔宇都宮成綱等寄進状〕成高寺大内庄之内大根田半郷、西方三澤郷之内福恩寺分并慶蔵院分、西形部郷之内福聚寺分、 県中2p.41
小田部庄右衛門氏所蔵文書
乙連郷 (芳賀) 永正9.9.11 1512 〔芳賀高孝寄進状写〕為花隠志、乙連郷之内如意院給分之事、奉寄進候、 県中3p.377
寺社古状
山内郷☆ (芳賀) 永正10.8.30 1513 〔佐竹義舜充行状〕下野国山内郷并小深郷、此度遣進置候者也、 県中2p.99
茂木文書
若色郷[84] (芳賀) 永正11.10.14 1514 〔塩谷義綱寄進状〕左候間為長澗為焼香分、若色郷之梁内、専修寺へ寄進申候、 県中4p.13
法雲寺文書
下稲毛田(郷)☆
上高根澤郷☆
(芳賀) 大永2.8.18 1522 〔宇都宮忠綱寄進状写〕上高根澤郷番料足為替地、下稲毛田之郷番料足拾壱貫文、 県中2p.41
小田部庄右衛門氏所蔵文書
中里郷 仲村荘
(芳賀)
大永3.12.- 1523 〔越前守某充行状[85]〕中村庄中里郷内六郎左衛門内之事、 県中1p.99
石川文書
西台(郷)[86]
厚木(郷)
添谷(郷)
大内荘
(芳賀)
大永8.2.7 1528 〔宇都宮興綱寄進状〕大内之庄西台之郷田銭七貫文・厚木之郷六貫文・添谷之郷壱貫五百文・横堀壱貫文、 県中1p.103
海潮寺文書
前高野郷☆
(前高谷)
(芳賀)
(氏家)
享禄4 1531 〔今宮祭祀録〕同(享禄)四〈辛卯〉 氏家頭 驚沢郷‖同宮之御頭、前高野郷平出修理亮被勤、 氏家古・中p.337
今宮祭祀録
大田和(郷)☆ (芳賀) 天文5.10.24 1536 〔芳賀建高寄進状〕同名式部少輔法名永存為菩提、大田和之郷寂主庵免、奉寄付候、 県中1p.103
海潮寺文書
大田郷☆ (芳賀) (天文9)2.27 1540 〔程緻充行状写〕長沼大田郷之内年貢弐拾貫文并西原ニ菊地分拾貫文之所進之候、 県中2p.10
小田部庄右衛門氏所蔵文書
沼和久郷[87] (芳賀) 天文20.7.12 1551 〔芳賀高定寄進状〕雖少所候、沼和久郷之内三間之事、奉寄進候、 県中1p.104
海潮寺文書
長沼郷 (芳賀) 永禄7.8.10 1564 〔結城晴朝充行状〕於大峯為祈念、長沼郷之内堀込村拾五貫文所并居屋敷宛行候、 県中1p.110
金剛院文書
高岡之郷[88] (芳賀) 永禄8.2.3 1565 〔芳賀高定預状写〕高岡之郷為料所預置候、所役等無々沙汰可申付之状如件、 県中3p.121
秋田藩家蔵文書
稲毛田郷☆ (芳賀) 永禄11.3.18 1568 〔芳賀高継充行状写〕稲毛田郷迎之内田地之事、当行候、年貢諸役等不可致無沙汰候、土貢之内六貫文為恩賞充行候、 県中2p.5
小田部庄右衛門氏所蔵文書
益子郷☆ (芳賀) (天正2)6.28 1574 〔勧修寺晴右書状案〕就益子郷大澤山円通寺上洛参内候、 県中1p.130
円通寺文書
飯淵之郷 (芳賀) 天正15.10.19 1587 〔芳賀高継書状写〕飛山致在城ニ付而、飯淵之郷土貢之内千疋充行候、陣参之嗜如何ニも厳重ニ可走廻候、 県中3p.112
秋田藩家蔵文書
桜野郷☆ (芳賀)
(氏家)
天正17 1589 〔今宮祭祀録〕同(天正)十七〈己丑〉 氏家御頭/桜野郷、糟谷源兵衛老母、八月九日ニ遠行致シ候得共、其子藤三郎、上衣着伸シ候間、御七五三下ヲバ祭リ押詰メ、讒(ママ)ニ七日の精進ニ而御座候、殊ニハ堺目殊之外事、六ケ敷候故、大方水斗ニテ勤役被申候、於向後、此引懸有間敷候、御神殿ヘ、一戦ヲ奉相納候也、 氏家古・中p.353
今宮祭祀録

年月日 西暦 原     文 出  典
埴埼村 (芳賀ヵ) 保元□.8.- 12C 〔東大寺下野国寺領荘園文書目録〕埴埼村田十二町九段十四歩、十一月十六日阿弥陀悔過料、 県古p.696
東大寺文書
鮎田(村)☆
神江(村)☆
(神井)
藤和(村)☆
(藤縄)
坂井(村)☆
東眞壁郡
(芳賀)
承久4.2.21 1222 〔茂木家証文写〕壱所 在下野国東真壁郡内五箇村〈鮎田 神江□□ 藤和 坂井□□〉、/副渡故鎌倉右大将殿親父故筑後入道給御□□□并譲状者、 県中2p.67
茂木文書
石末村☆
(石礎)
関俣村☆
中高野村
寺渡戸村☆
(芳賀)
(氏家)
正安2 1300 〔今宮祭祀録〕正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖御拝殿者、一間ハ舟生郷、一間ハ石末村也、一間ハ飯岡郷也、‖廻楼之事/一、西之分、三間ハ青野郷、三間者大田之郷、二間ハ前高野、三間ハ関俣村、二間ハ風見村、二間ハ金枝村、一間ハ有隅村、二間ハ増渕村、一間ハ中高野村、二間ハ西宿、二間ハ大麻村、/一、東之分、二間ハ大窪村、一間ハ佐々嶋、二間ハ山田之郷、二間ハ泉之村、二間ハ肘内郷、二間ハ上平村、一間ハ佐貫之村、二間ハ大宮・給分、二間ハ比留嶋、一間ハ板橋郷、一間ハ寺渡戸村、/右、東西合テ四十二間也、 氏家古・中p.321
今宮祭祀録
増井村☆ 東茂木保
(芳賀)
康永4.10.2 1345 〔藤原某等連署書下契状案〕下野国東茂木保七ヶ村□増井村地頭職事、 県中2p.85
茂木文書
小深(村)☆ 茂木保
(芳賀)
貞和3.4.15 1347 〔足利尊氏袖判下文〕下 茂木越中権守 法□□□□/可令早領知下野国茂木保〈除小深・小高倉両村〉/右以人、為勲功之賞宛行也、 県中2p.86
茂木文書
小高倉(村) 茂木保
(芳賀ヵ)
貞和3.4.15 1347 〔足利尊氏袖判下文〕下 茂木越中権守 法□□□□/可令早領知下野国茂木保〈除小深・小高倉両村〉/右以人、為勲功之賞宛行也、 県中2p.86
茂木文書
檜山村☆ 茂木郡
(芳賀)
文和2.6.10 1353 〔茂木家証文写〕譲渡 所領等事/嫡子弥三郎知世所/一所 下野国茂木郡東 西内/藤輪 坂井 小井土〈除馬籠野内〉 神□/鮎田 茂木〈除前小堀〉 林〈除檜山村〉 増井 馬□、  県中2p.70
茂木文書
飯野村☆
河口(村)
井河瀬(村)
東茂木郡
(芳賀)
文和2.6.10 1353 〔茂木家証文写〕【川口】下野国東茂木郡内飯野村□□・同河口・井河瀬両村、林郷内檜山□□・茂木郷内小堀・小井戸・牧野□□・馬籠同野内、 県中2p.71
茂木文書
葛嶋村 大内荘
(芳賀ヵ)
永徳3.4.19 1383 〔梶原貞景打渡状〕鹿嶋御神領下野国大内庄内高橋三郎跡〈高橋郷、同庄内田井郷并葛嶋村、‖〉半分事、 県中3p.291
塙文書
田谷村 茂木保
(芳賀)
応永30.12.29 1423 〔将軍家(足利義持)御教書〕茂木越中三郎満知申下野国茂木保坂井郷内田谷村事、 県中2p.90
茂木文書
上石末村☆ (芳賀)
(氏家)
永正8 1511 〔今宮祭祀録〕同(永正)八〈辛未〉 氏家頭 上石末村 氏家古・中p334
今宮祭祀録
中阿久津村☆ (芳賀)
(氏家)
永正9 1512 〔今宮祭祀録〕同(永正)九〈壬申〉 氏家頭 中阿久津村 氏家古・中p334
今宮祭祀録
堀込村☆ (芳賀) (永禄7)8.10 1564 〔結城晴朝充行状〕於大峯為祈念、長沼郷之内堀込村拾五貫文所并居屋敷宛行候、 県中1p.110
金剛院文書
菅之谷村 (芳賀) 文禄1.3.7 1592 〔西方綱吉契状〕右菅之谷村者上之原・二子塚先廉引替之儀ニ候得共、 県中1p.13
横堀卓氏所蔵文書
ふはさミ村[89]
(文挟)
(芳賀) 年未詳5.3 16C[90] 〔増田長盛書状〕ふはさミ村四拾五石餘之事、岡本讃岐と出入御座候條、遂糺明候處ニ、国朝御領分ニ候間、無異儀可被成御知行旨、可有御披露候、 県中2p.255
喜連川文書

塩屋(谷)郡

郷(里)

山上、片岡、河會、散伎

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
片岡郷 塩谷郡 天平勝宝4.10.25 752 〔造東寺司牒〕【片岡】芳賀郡石田郷五十戸/足利郡土師郷五十戸/梁田郡深川郷五十戸/都賀郡高栗郷五十戸/塩谷郡片岡郷五十戸 県古p.78
正倉院御物
讃岐郷☆ 氏家郡
(塩屋)
建保5.2.- 1217 〔佐貫大悲窟銅版阿弥陀曼荼羅銘〕【散伎】下野国氏家郡讃岐郷巌堀(掘)修造事、勧進沙門満阿弥陀仏、大檀那右兵衛尉橘公頼、建保五年丁丑二月彼岸第三日、金銅仏奉堀(掘)出畢、 塩谷2中近p.128
舟生郷☆
飯岡郷☆
山田之郷☆
肘内郷☆
玉生之郷[91]
(塩屋)
(氏家)
正安2 1300 〔今宮祭祀録〕正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖一、御拝殿者、一間ハ舟生郷、一間ハ石末村也、一間ハ飯岡郷也、‖廻楼之事‖一、東之分、二間ハ大窪村、一間ハ佐々嶋、二間ハ山田之郷、二間ハ泉之村、二間ハ肘内郷、二間ハ上平村、一間ハ佐貫之村、二間ハ大宮・給分、二間ハ比留嶋、一間ハ板橋郷、一間ハ寺渡戸村、/右、東西合テ四十二間也、/一、平重門ハ東西共ニ玉生之郷之役也、 氏家古・中p.321
今宮祭祀録
大窪郷☆
(大久保・青窪)
(塩屋)
(氏家)
嘉元1 1303 〔今宮祭祀録〕嘉元元〈癸卯〉 氏家頭人 柏崎藤内左衛門/長草村巡年タリトイヘトモ荒レ所之間、暫サシヲクベキヨシ、上意ニ依テ延引、次年大窪郷ニツトメテ、 氏家古・中p.327
今宮祭祀録
大麻郷☆
(上沢・上麻)
(塩屋)
(氏家)
応永14 1407 〔今宮祭祀録〕同(応永)十四〈丁亥〉 氏家頭〔宮下頭八木郷〕 大麻郷 大麻入道/〔下頭〕舟生郷六郎三郎 氏家古・中p.329
今宮祭祀録
金枝郷☆ (塩屋)
(氏家)
宝徳2 1450 〔今宮祭祀録〕同(宝徳)二〈庚午〉 氏家頭 金枝郷 神長能登入道/〔下頭〕上平之彦七 氏家古・中p.332
今宮祭祀録
三依郷[92] (塩屋) 年未詳9.9 15C 〔足利持氏書状〕下野国三依郷事、 県中1p.179
皆川文書
賀佐美郷☆
(風見)
(塩屋)
(氏家)
天文17 1548 〔今宮祭祀録〕同(天文)十七〈戊申〉 氏家御頭 賀佐美郷 賀佐美出雲守/彼郷モ二百年ニ及懈怠候所ニ、是モ/俊綱公、以二御意ヲ一勤被申候、 氏家古・中p.342
今宮祭祀録
平野郷☆ (塩屋) (永禄7)1.9 1564 〔塩谷義孝書状〕然者、不成一重忠信、既祖父ニ被渡候播磨守方舎兄両所被捨一命ヲ、忠却前代未聞無比類候、彼段々令不相忘候、此時も平野之郷如以前御成敗之義、則雖可申届候、近年当庄為体種々成替候、只今者手前言語無力公用事餘様体、左候間、先手本ニ相拘候、至于時澤村之地手ニ入候、雖然彼境目も于今半途、爰元是非之一途元来藤井大塚如前々成敗無疑候、其上者平野郷可進之候、 県中3p.147
塩谷文書
泉郷☆
(和泉)
(塩屋)
(氏家)
永禄9 1566 〔今宮祭祀録〕同(永禄)九〈丙寅〉 氏家御頭 泉郷/御頭懈怠、子細ハ塩ノ谷左衛門殿御持候、指申候得共、大風五年ヨリ以後ニ、ライシハカリニテ勤役申事ハ、余ニハヽカリニ候トテ、シキリニ侘言ヲナサレ御頭無之候也、 氏家古・中p347
今宮祭祀録
大蔵崎郷 (塩屋) 永禄10.9.26 1567 〔伊勢松丸書状写〕如毎年為寄進之地喜連川大蔵崎郷道西内奉進納候、 県中2p.446
佐八文書
新鷲宿(郷)☆ (塩屋) 天正14.2.7 1586 〔塩谷義綱書状〕仍以前之御社領相違之間、新鷲宿之郷桑原内奉進納候、 県中2p.429
佐八文書
鷲宿之郷☆ (塩屋) 天正16.11.20 1588 〔塩谷義綱充行状写〕此度小幡之地ニ籠候而、辛身無比類候、就之ニ為褒美与鷲宿之郷西川原内知行ニ相重、是を当行者也、 県中4p.365
常陸遺文

年月日 西暦 原     文 出  典
風見村☆
金枝村☆
大麻村☆
(上沢・上麻)
大窪村☆
泉之村☆
上平村☆
佐貫之村☆
(塩屋)
(氏家)
正安2 1300 〔今宮祭祀録〕【散伎】正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖廻楼之事/一、西之分、三間ハ青野郷、三間者大田之郷、二間ハ前高野、三間ハ関俣村、二間ハ風見村、二間ハ金枝村、一間ハ有隅村、二間ハ増渕村、一間ハ中高野村、二間ハ西宿、二間ハ大麻村、/一、東之分、二間ハ大窪村、一間ハ佐々嶋、二間ハ山田之郷、二間ハ泉之村、二間ハ肘内郷、二間ハ上平村、一間ハ佐貫之村、二間ハ大宮・給分、二間ハ比留嶋、一間ハ板橋郷、一間ハ寺渡戸村、/右、東西合テ四十二間也、 氏家古・中p.322
今宮祭祀録
上塩原村☆ 塩谷荘
(塩屋)
応永9.7.1 1402 〔宇都宮満綱寄進状写〕塩谷庄内上塩原村湯本等之事、/右彼所者、依為武家相伝之地、所令知行也、然間令停止諸公事所為湯料所、奉寄附興禅寺訖、 県中3p.372
寺社古状
ひぢ内村☆
(肘内)
(塩屋)
(氏家)
天文12 1543 〔今宮祭祀録〕同(天文)十二〈癸卯〉 氏家頭 上阿久津郷 岡本但馬守‖屋形様の御座ハひやうふ、やつぎ、左右わきの御座ハひぢ内村、 氏家古・中p.341
今宮祭祀録
土屋村☆ (塩谷) 天正13.3.28 1585 〔宇都宮国綱宛行状写〕当廿五日薄葉原之為戦功土屋村令充行者也、弥子孫可被申伝候、仍如件、 塩谷2中近p.56
川上吉弥家文書

那須郡

郷(里)

大笥、能田、方田、山田、大野、茂武、三和、全倉、大井、石上、黒川

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
熊田郷☆ 那須郡 天平13.10.- 741 〔正倉院古裂銘文集成〕【能田】[93]下野国那須郡熊田郷□子部黒田長布一端 県古p.66
正倉院古裂銘文集成
横岡郷☆ 那須上荘
(那須)
延元3.6.15 1338 〔某充行状写〕下野国那須上庄内横岡郷地頭代職、 県中3p.444
結城古文書写
大桶郷☆ (那須) 暦応2.9.23 1339 〔下野守護小山朝氏請文〕【大笥】下野国中山村事、‖当国大桶郷内当知行無相違候、 県中1p.369
鑁阿寺文書
伊王野郷☆
野上郷☆
那須北條郡
(那須)
康安2.4.15 1362 〔那須資高譲状〕下野国那須北條郡内/一所 伊王野郷/一所 五カ郷内野上郷/一所 東茂木内小高倉郷‖一所 那須上庄小川郷内梅薗村 県中4p.66
結城小峰文書
小川郷☆ 那須北條郡
那須上荘
(那須)
康安2.4.15 1362 〔那須資高譲状〕下野国那須北條郡内/一所 伊王野郷/一所 五カ郷内野上郷/一所 東茂木内小高倉郷‖一所 那須上庄小川郷内梅薗村 県中4p.66
結城小峰文書
武茂郷 (那須) 文安4.10.14 1447 〔某山城等願文〕【茂武】下野州宇都宮武茂郷‖同州那須庄小河郷、 県中4p.200
米良文書
比恵田郷[94] (那須) 永禄6.11.14 1563 〔塩谷義孝書状写〕此度澤村之地□属本意候、畢竟於 御神前被抽御精誠故候、従来年比恵田郷土貢五百疋宛可令進納候、 県中2p.446
佐八文書

年月日 西暦 原     文 出  典
中山村☆ (那須) 暦応2.4.15 1339 〔足利尊氏寄進状写〕寄付‖下野国中山村事、 県中1p.353
鑁阿寺文書
梅薗村 那須上荘
(那須)
康安2.4.15 1362 〔那須資高譲状〕下野国那須北條郡内/一所 伊王野郷/一所 五カ郷内野上郷/一所 東茂木内小高倉郷‖一所 那須上庄小川郷内梅薗村、 県中4p.66
結城小峰文書
大山田村☆ (那須)
(武茂荘)
永享11.2.13 1439 〔結城直朝寄進状写〕下野国茂武(武茂)大山田村/や八郎在家/分銭二百貫文、 県中3p.243
八槻文書
興野(村)☆
大澤(村)☆
(那須) 文明4.4.28 1472 〔那須資持充行状〕那須之内興野・大澤両村、 県中3p.324
平沼伊兵衛氏所蔵文書
大木須村☆ (那須) 大永2.3.23 1522 〔那須資房充行状〕此度与岩城常陸山田村縄釣両度之合戦、貴殿軍法故、味方悉得勝利、‖後代為亀鏡大木須村永代令当行者也、 県中3p.324
平沼伊兵衛氏所蔵文書
小木須村☆ (那須) (天文18)9.11 1549 〔那須高資預状〕内々申合候通、我等娘、吉日之間当十八日其元へ可遣候間、兼而心得可被致候、殊更おとよ一代貴殿知行之間、小木須村預ケ置候、 県中3p.326
平沼伊兵衛氏所蔵文書
横枕村☆ (那須) 天文18.9.28 1549 〔那須高資充行状写[95]〕為亀鏡横枕村令宛行者也、 県中1p.11
益子文書
澤村[96] (那須) 永禄6.11.14 1563 〔塩谷義孝書状写〕此度澤村之地□属本意候、畢竟於 御神前被抽御精誠故候、従来年比恵田郷土貢五百疋宛可令進納候、 県中2p.446
佐八文書
熊田村☆ (那須) 天正13.3.26 1585 〔那須資晴充行状〕【能田】於熊田村永楽五百疋之地知行可被致候、 県中3p.325
平沼伊兵衛氏所蔵文書
下神長村☆ (那須) 天正13.3.28 1585 〔那須資晴充行状〕下神長村之内永楽三百疋之地可令充行候、 県中1p.4
澤瀬貫一氏所蔵文書
たき村[97]
(滝)
(那須) 天正19.5.6 1591 〔那須資景知行目録〕知行方目録/一、六拾五石五斗 下さくら井‖一、三百九拾石壱斗七升 たき村/一、百弐拾三石七升 同‖合五千石 県中2p.120
那須文書
向田村☆ (那須) 年未詳○.11[98] 16Cヵ 〔白川義親書状〕如承意之、今般向田村義重被致出張候間、愚之事も令同陣候、 県中1p.302
瀧田文書

所属郡不明

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
渥籠郷 年月日未詳 13Cヵ 〔動垂国光申状〕下野国渥籠郷住人動垂弥太郎国光畏言上/欲任道理被返しいなの尼御前御内、無其謂被号国光継父かうし房負物故、被召馬質子細事/ 県中4p.443
中山法華経寺文書
金□郷
(金屋ヵ)
氏家郡 永徳2.3.6 1382 〔晃山秘誌所収鰐口銘〕中禅寺鰐口一口、永徳二年壬戌三月六日、大檀那氏家郡金□(屋ヵ)郷、僧祐房、道善房 氏家古・中p132
晃山秘誌
下井(郷)
網代(郷)
大輪(郷)
稲穂(郷)
所属国不明 天文23.12.24 1554 〔足利義氏充行状〕先御落居之地廿五郷/向五郷 栗橋 小手指 上伊坂 下伊坂 上中田 下中田 牛谷 小堤 大野 下井 網代 中里 大輪 飯田 若林 乙女 儘田 早河野 志鳥 稲穂/以上廿五郷/重而御落居之地/栗山 菅谷 久野生/以上/小山領十一郷/粟宮 塩澤 野田 尼賀谷 横倉〈自結城被申上候儀候者、御替地可被下候也、〉 犬塚〈自結城被申上候者、御替地可被下候也、〉 中久木 小田 多摩 塚崎 武井/右之地被充行者也、尚以小山領之儀者、永代不可有御相違候、 県中3p.421
野田家文書
小田(郷) 天文23.12.24 1554 〔足利義氏充行状〕先御落居之地廿五郷/向五郷 栗橋 小手指 上伊坂 下伊坂 上中田 下中田 牛谷 小堤 大野 下井 網代 中里 大輪 飯田 若林 乙女 儘田 早河野 志鳥 稲穂/以上廿五郷/重而御落居之地/栗山 菅谷 久野生/以上/小山領十一郷/粟宮 塩澤 野田 尼賀谷 横倉〈自結城被申上候儀候者、御替地可被下候也、〉 犬塚〈自結城被申上候者、御替地可被下候也、〉 中久木 小田 多摩 塚崎 武井/右之地被充行者也、尚以小山領之儀者、永代不可有御相違候、 県中3p.421
野田家文書
瀬下郷[99] 年未詳7.23 〔古河公方足利政氏安堵状〕野木郷・瀬下郷并楢木郷之事、成敗不可有相違候、 県中1p.209
小山文書
青木郷[100] 年未詳2.3 〔小田氏治書状〕□一義当分無相応之地候□首尾迄ニ青木郷渡遣之候、委細信太伊勢守・同掃部助可申哉、 県中2p.101
茂木文書
帋敷郷[101] 年月日未詳 〔喜連川家料所記〕小山押領之内野田拘之分/乙女郷 間々田郷 早河野郷 野田郷 飯田郷 若林郷 帋敷郷 馬場郷 楢木郷 納戸但馬寄/右郷名去庚申之歳[102]迄、野田致知行候、 県中2p.275
喜連川文書

年月日 西暦 原     文 出  典
有隅村
増渕村
正安2 1300 〔今宮祭祀録〕正安〈庚子〉二年 氏家公宗御代、今宮神事始之、前々当社今宮社家役、各々郷村ヨリ勤申事、‖廻楼之事/一、西之分、三間ハ青野郷、三間者大田之郷、二間ハ前高野、三間ハ関俣村、二間ハ風見村、二間ハ金枝村、一間ハ有隅村、二間ハ増渕村、一間ハ中高野村、二間ハ西宿、二間ハ大麻村、 氏家古・中p.322
今宮祭祀録
長草村 嘉元1 1303 〔今宮祭祀録〕嘉元元〈癸卯〉 氏家頭人 柏崎藤内左衛門/長草村巡年タリトイヘトモ荒レ所之間、暫サシヲクベキヨシ、上意ニ依テ延引、次年大窪郷ニツトメテ、 氏家古・中p.327
今宮祭祀録

  1. 天平勝宝4(752).10.25造東寺司牒(「正倉院御物」、県古p.78)では「土師郷」、中世以降は「葉鹿」と記載(享徳4〈1455〉.6.8鑁阿寺仏事銭請取状〈「鑁阿寺文書」、県中1p.583〉)。
  2. 観応3(1352).10.22足利尊氏御判御教書(「専修寺文書」、県中2p.211)に「下野国足利庄粟谷郷」とあり。
  3. 正長4(1431).3.17橋本郷田畠目録(「鑁阿寺文書」、県中1p.411)、天正13(1585).2.11橋本郷百姓申状(「鑁阿寺文書」、県中4p.406)にも橋本郷あり。
  4. 「郷々寺役記」については、永村眞「鎌倉時代の鑁阿寺経営―「郷々寺役記」を通じて―」(田中大喜編『中世関東武士の研究 第9巻 下野足利氏』戎光祥出版、2013年、初出は1983年)を参照した。「郷々寺役記」は元亨~正慶期(1321~1333)の間に、法会の再興・整備や堂宇再建などの意図のもと、第十代寺務性尊が文永~永仁期(1264~1299)の寺内文書・帳簿類から抜書した注文を、康永2年(1343)に弟子の実鑁が書写したものとされる。これを踏まえ、13C(鎌倉末期)にはすでに「郷々寺役」記載の郷名が存在したものとみなし、13Cに初出するものとして扱った。
  5. この時期には、隣接する赤見郷と一体化していたようである。『天保郷帳』では駒場村。
  6. 「清源寺所蔵高階系図」(『近代足利市史 第三巻史料編』足利市、1979年)の高頼基の注記に「文永二年下野国足利庄内丸木郷令領知」とある。
  7. 享徳3(1454).5.1足利成氏寄進状(「鑁阿寺文書」、県中1p.400)に「足利庄勧農郷」とあり。
  8. 『天保郷帳』は「五十部(よべ)村」。『和名抄』の余戸郷を「よべ」と訓じ、五百部郷を遺称地とする説あり。
  9. 大目郷は大月郷の誤記と考えられている。
  10. 発給者の足利成氏は、明応6年(1497)に死没している。
  11. 宝徳2.5.3小野寺朝通言上状(「小野寺文書」、県中1p.593)に「足利庄河崎郷田嶋村」とあり。
  12. 延慶2(1309).6.16足利貞氏下文(「倉持文書」、県中3p.12)ほかに「足利庄木戸郷」とあり。なお、近世以降は矢場川の付け替えによって上野国に編入。
  13. 康永3(1344).12.-鑁阿寺雑掌申状写(「鑁阿寺文書」、県中4p.406)に「当庄葉(鹿脱ヵ)・朝倉・荒萩・涌釜郷々地頭等」とあり。
  14. 正平7(1352).2.6足利尊氏下文(「高文書」、県中4p.153)に「下野国足利庄内大窪郷・生河郷・戸森郷・小江郷」とあり。
  15. 観応2(1351).9.23鑁阿寺雑掌申状写(「鑁阿寺文書」、県中1p.374)に「下野国足利庄内借宿郷〈佐々木近江守妻跡〉」とあり。
  16. 「郷々寺役記」については、永村眞「鎌倉時代の鑁阿寺経営―「郷々寺役記」を通じて―」(田中大喜編『中世関東武士の研究 第9巻 下野足利氏』戎光祥出版、2013年、初出は1983年)を参照した。「郷々寺役記」は元亨~正慶期(1321~1333)の間に、法会の再興・整備や堂宇再建などの意図のもと、第十代寺務性尊が文永~永仁期(1264~1299)の寺内文書・帳簿類から抜書した注文を、康永2年(1343)に弟子の実鑁が書写したものとされる。これを踏まえ、13C(鎌倉末期)にはすでに「郷々寺役」記載の郷名が存在したものとみなし、13Cに初出するものとして扱った。
  17. 応安1.8.3皇大神宮権禰宜承房契状(「宝珠庵文書」、県中2p.295)に「太神宮御領簗田御厨〈号□□庄〉縣郷」とあり。
  18. 『天保郷帳』では「羽苅村」。
  19. 『慶安郷帳』までは下野国梁田郡足次村とあるが、その後上野国邑楽郡に編入。現館林市に所在。
  20. 永仁4.3.1下野守護使源某証状(「小曾戸文書」、県中1p.624)に「下野国佐野庄小見郷」とあり。
  21. 『天保郷帳』では「浅沼村」。
  22. 康永3(1344).12.-鑁阿寺雑掌申状写(「鑁阿寺文書」、県中4p.405)に「当庄公文所幷涌釜・小曾根・木戸郷々頭地(地頭)等」とあり。
  23. 「郷々寺役記」については、永村眞「鎌倉時代の鑁阿寺経営―「郷々寺役記」を通じて―」(田中大喜編『中世関東武士の研究 第9巻 下野足利氏』戎光祥出版、2013年、初出は1983年)を参照した。「郷々寺役記」は元亨~正慶期(1321~1333)の間に、法会の再興・整備や堂宇再建などの意図のもと、第十代寺務性尊が文永~永仁期(1264~1299)の寺内文書・帳簿類から抜書した注文を、康永2年(1343)に弟子の実鑁が書写したものとされる。これを踏まえ、13C(鎌倉末期)にはすでに「郷々寺役」記載の郷名が存在したものとみなし、13Cに初出するものとして扱った。
  24. この時期には、隣接する駒場郷と一体化していたようである。なお、赤見郷については、応永5(1398).3.-俊誉申状案(「相承院文書」、県中2p.284)、永享5(1433).4.5珍誉譲状(「相承院文書」、県中2p.285)がある。
  25. 元応1(1319).5.23鎌倉幕府問注所裁許状(「武澤文書」、県中1p.630)では、「中郷」と記載。
  26. 『天保郷帳』では「田名網村」。近世以降、下野国都賀郡に編入。
  27. 年月日未詳足利荘・佐野荘内鶴岡八幡宮神領注文(「鑁阿寺文書」、県中1p.584)に「藤郷」とあり。
  28. 近世の「奈良淵村」に比定されている。
  29. 本郷名は『栃木県の地名』、『角川日本地名辞典9栃木』いずれにも立項されていない。羽根田郷は足利郡羽田郷。羽田郷の北は安蘇郡免鳥郷(現佐野市免鳥町)であり、『和名抄』記載の安蘇郡意部郷 (訓は「おぶ」)の比定地を、現佐野市中心部から同市並木町・免鳥町付近とする説(「日本地理志料」)がある。飯富郷の訓は不明だが「おぶ」と読めば、安蘇郡意部郷の遺称地の可能性がある。
  30. 『和名抄』に記載された「談多」郷の遺称地との説あり。
  31. 年未詳足利義詮御内書案(「佐々木文書」、県中4p.254)に「下野国足黒郷内金屋村地頭職事」とあり。
  32. 足利尊氏の没年は延文3年(1358)、名宛人の仁木頼章は延文4年に没。本文書の下限は延文3年となる。なお、年次のはっきりした梅薗村の初見は永徳2(1382).4.18斯波義将書下(「佐野文書」、県中4p.39)である。
  33. (承久3~建治2ヵ)小山朝政所領注文案(「小山文書」、県中1p.207)に「国苻郡内日向野郷」とあり。
  34. 網戸郷。本文書より、文治3年時点で網戸郷が寒川郡内の郷ではなかったことが指摘されている。位置的に都賀郡と推定されるため、都賀郡内に採録しておく。なお、天文24(1555)1.15結城政勝寄進状(「高椅神社文書」、県中1p.244)では「納戸郷」と記される。
  35. 東武井郷とも(弘治3〈1557〉.5.23古河公方足利義氏安堵状〈「小山文書」、県中1p.214〉)。『天保郷帳』の「武井村」に比定。
  36. 「荒居郷」の誤写と考えられており、近世の新井村に比定されている。
  37. ■の文字は耳+郎。
  38. 鎌倉末期と推定されている。
  39. 『天保郷帳』では「黒本村」。応永24(1417).7.24某書下(「松平基則氏所蔵文書」、県中2p.163)にもあり。
  40. ■の文字は、王+兪。
  41. 『栃木県の地名』では都賀郡内に牧野郷ないし牧野村で立項されてはいないが、「牧野庄」がこれにあたるか。牧野村は芳賀郡にもあるが、ここでは小薬郷と一緒に記されていることから小山氏旧領と推定され、都賀郡内に比定しておく。
  42. 天正3(1575).3.15孝哲(小山秀綱)充行状(「秋田藩家蔵文書」、県中3p.149)では「天賀谷郷」とあり。『天保郷帳』では「雨ヶ谷村」。
  43. 『天保郷帳』では「中久喜村」。
  44. 『天保郷帳』では「田間村」。
  45. 訓は「しとり」。『下野国誌』は「秀文」を「委文」の誤りとする。
  46. 『喜連川家料所記』(「喜連川文書」、県中2p.275)には「上飯富郷」とある。
  47. 都賀郡内に「野田郷」は二箇所ある。ここでいう野田郷は、明応3(1494).4.11小山成長安堵状(「青木文書」、県中1p.197)の野田郷(現小山市)ではなく、現栃木市(旧大平町)と比定される。
  48. 現小山市上泉に字本沢がある。
  49. 『栃木県の地名』では、現真岡市内の「小林(こばやし)」と、現小山市内の「小林(おばやし)」と両方を本史料の「小林郷」に比定するなど混乱がみられるが、位置的に考えて現小山市内の小林(おばやし)に比定するのが適当と考えられる。
  50. 『天保郷帳』では「戸恒村」。
  51. 『天保郷帳』では「渋井村」。
  52. 「榎本領」の誤り。
  53. 永禄3年(1560)のこと。
  54. 『天保郷帳』では「川原田村」。
  55. 『天保郷帳』では「仲方村」。
  56. 『栃木県の地名』に項目なし。家中郷が都賀郡に属することから、都賀郡と推定しておく。
  57. 同日付の宇都宮成綱寄進状写(成高寺宛、「寺社古状」、県中3p.376)あり。
  58. 天文23(1554).9.20小山高朝安堵状(「秋田藩家蔵文書」、県中3p.114)に「寒川郷」あり。
  59. 近世以降、都賀郡に所属。
  60. 近世以降、都賀郡に所属。『天保郷帳』では「佐川野村」。
  61. 『天保郷帳』では「新波村」(にっぱむら)。
  62. 天正5(1577).10.19大石信濃守奉書写(「晃程文書」、県中3p.357)にも「友沼之郷」とみえる。近世以降、都賀郡に所属。
  63. 近世以降、都賀郡に所属。
  64. 近世以降、都賀郡に所属。
  65. 『天保郷帳』では「井岡村」。
  66. 「榎本領」の誤り。
  67. 永禄3年(1560)。
  68. 近世以降、都賀郡に所属。『天保郷帳』では「本野木町」。
  69. 近世以降、都賀郡に所属。『天保郷帳』では閏島村。
  70. 「榎本領」の誤り。
  71. 永禄3(1560)のこと。
  72. 本木簡は下端部の欠損のため、内容・年月日とも不明だが、同時に出土した他の木簡には天平勝宝4年(752)、同5年の年紀があるものもあり、8Cと推測される。
  73. 永正9(1512).3.7宇都宮忠綱安堵状(「寺社古状」、県中3p.373)に「中里郷」とあり。
  74. 『今宮祭祀録』によれば、永禄8年(1565)に「其年宮大頭岡本郷」とあり。
  75. 『天保郷帳』では「塩野室村」。
  76. 『天保郷帳』では「大桒村」。
  77. 『天保郷帳』では「川原谷村」。
  78. ここでは仲村荘のうちの「別郷」として仲泉・塩屋が挙がっているが、仲泉・塩屋は摂関家領の中泉荘(都賀郡)・塩屋荘(塩屋郡)である。ここではあえて芳賀郡の郷村表に入れておいた。
  79. 「神江」とも(建武4〈1337〉.7.3足利直義下文〈「茂木文書」、県中2p.81〉)。
  80. 康安2(1362).4.15那須資高譲状(「結城小峰文書」、県中4p.66)にも「東茂木内小高倉郷」あり。
  81. 応永32(1425).2.-大宮司某目安案(「鹿島神宮文書」、県中3p.254)には「下野国大内庄内東田井郷」とある。
  82. 大永6(1526).8.1佐八定栄書状写(「佐八文書」、県中2p.438)に「神領栗嶋之郷」、天文4(1535).11.5(9ヵ)宇都宮俊綱安堵状写(「内宮神官所持古文書」、県中4p.64)に「氏家郡之内栗嶋郷」とある。
  83. 年未詳2.26某書状写(「小田部庄右衛門氏所蔵文書」、県中2p.34)に「氏家下郷」とある。
  84. 『和名抄』「若続郷」の遺称地とする説がある。
  85. 本文書については「研究の余地あり」とされる。
  86. 『天保郷帳』では「西田井村」。
  87. 『天保郷帳』では「東沼村」・「西沼村」(『慶安郷帳』の時点では「沼和久村」)。
  88. 「高岡」という地名は芳賀郡内に二ヶ所ある(現真岡市内、現茂木町)が、この高岡郷は、真岡城を根拠とする芳賀高定発給文書である点から、現真岡市内と考えられる。
  89. 都賀郡にある文挟宿とは別。
  90. 『栃木県の地名』によれば、天正年間(1573~1592)末と推定されている。
  91. 大永3(1523).3.27宇都宮忠綱寄進状写(「寺社古状」、県中3p.379)に「玉生郷」とあり。
  92. 年未詳12.22上杉憲実書状(「皆川文書」、県中1p.183)に「下野国塩原庄内三依郷」とあり。
  93. 『和名抄』高山寺本では「能田」とするが、東急本は「熊田」としており、後者が正しい。
  94. 『天保郷帳』では「稈田村」。
  95. 本文書については「研究の余地あり」とされる。
  96. 『那須記』巻三「資隆所領配分事」によれば、文治3年(1187)に那須満隆が当地を譲与されている。
  97. 『天保郷帳』では「上滝村」・「下滝村」がみえる。この「たき村」がいずれかは不明。
  98. 本文書の日付は「閏月十一日」となっており、年未詳文書のため何月かは不明である。ただ、結城(白川)義親の発給で、佐竹義重の名がみえること、名宛人の那須資胤が天正11年(1583)に死去していることから、16Cのものと判断される。
  99. 年未詳7.23古河公方足利政氏安堵状に「野木郷・瀬下郷并楢木郷」、年未詳6.13足利政氏書状(県中1p.220)に「小薬并瀬下」とあり、都賀郡ないし寒川郡に所在した可能性が高い。
  100. 常陸国真壁郡の扇郷(青木村に比定)か。
  101. 都賀郡ヵ『栃木県の地名』に項目なし。
  102. 永禄3年(1560)。