播磨国
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郷村名郡別世紀別初出表
概要
概要
参考文献
典拠史料
『兵庫県史』史料編 古代1~3、中世1~9、近世1
凡例
出典欄における『兵庫県史』の表記は、県史古・県史中にした。
郷村表
明石郡
郷(里)
葛江、明石、住吉、邑美、垂水
郷(里) | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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葛江里(藤江)☆ | (明石) | 和銅7.-.- | 714 | 〔木簡〕【葛江】朋郡葛江里/丹人卩由毛万呂俵 | 県史古1p.499 平城宮出土木簡概報10 |
垂水郷☆[1] | 明石郡 | 天平20.11.23 | 748 | 〔巻六封戸水田章第八〕【垂水】雑格中巻云/太政官符 播磨国守正五位下、多治比真人国人等、/明石郡垂水郷塩山地三百六十町、〈東寒河、南海辺路/西垂水河/北太山/堺〉/右奉十一月廿日勅旨偁、件地入東大寺者、国宜承/知、准勅施行、以状下、 | 県史古1p.133 東大寺要録 |
大海里(邑美)☆[2] | 明石郡 | 8C | 〔風土記〕【邑美】賀眉里〈大海山/荒田村〉土下上、右由居川上、為名/所以号大海者、昔明石郡大海里人、到来居於此山底、故曰大海山、生松、 | 県史古1p.539 播磨国風土記 | |
明石郷☆[3] | (明石) | 保延3.4.21 | 1137 | 〔宗岡重貞等連署畠地施入状写〕【明石】一、小寺畠/明石郷領宗岡重貞等/合柒段〈在十七条十方廿坪/東限原、南限寺畠/西限溝、北限沢>/右件畠、重貞相伝所領也、然太山寺新堂仁限永年、眼/是安穏為後生𦬠、奉施入仕者也、 | 県史中2p69 太山寺文文書2 |
神出之郷☆[4] | (明石) | 延文2.2.11 | 1357 | 〔播磨国司庁宣〕播磨国近江寺領上之保ハ、従先規之奇附之地、於諸国/所々朝敵追散シ、数度抽軍忠之条、為恩賞、今度神出/之郷奇附之畢、尚以御祈禱可被精誠旨、仍仰執達如件、 | 県史中2p.8 近江寺文書5 |
村
村 | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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船木村☆[5] 黒田村 辟田村 |
明石郡 | 9C | 〔住吉大社神代記〕一、御封奉寄初/明石郡封元所寄進、/船木村、為頭船木連宇麻呂戸五烟進依、又田二/百代/黒田村、為頭船木連鼠緒戸十烟進依、田百代/辟田村、為頭船木連弓手戸十烟進依、田四百代、 | 県史古1p.581 住吉大社神代記 | |
垂水村☆ | 明石郡 | 天暦4.11.20 | 950 | 〔東大寺封戸荘園并寺用雑物目録〕【垂水】播磨国五十戸〈餝磨西郡〉/塩山五百六十町〈三百六十町播麻国明石郡垂水村、二百町紀伊/国海部郡賀田村 | 県史古2.p99 東南院文書 |
開発村☆[6] | (明石) (伊河庄) |
正安1.11.- | 1299 | 〔地頭代官僧某田地寄進状写〕開発村清水尻 四拾代/右田者、為堂宇修造、為香花燈明、任寺僧申請、令寄/附処也、早為彼免田、且致当時之興隆、宜励未際御祈/禱、庄家承知敢勿違失、仍寄進之状如件、 | 県史中2p.80 太山寺文書32 |
布施畑村☆ | (明石) | 康永2.11.19 | 1343 | 〔領家奉行等連署奉書写〕布施畑村地頭方万雑公事以下諸事寄免間事/右崇敬仏事神社者、家門繁昌・所願成就之源、然間奉/寄進薬師如来・鎮守熊野・金峯・白山三所権現処也、/彼村者寄附仏陀之上者、可令各別也、 | 県史中2p.88 太山寺文書58 |
ハやしさきのむら(林崎) | 五个庄 (明石) |
観応2.10.15 | 1351 | 〔四条姫宮譲状〕はりまの国五个庄の内ハやしさきのむらハ、あとゝさ/うてんの所にて候程に、もんしよをくして、妙覚寺に/永代きしんしまいらせ候、後世まても心やすく御とふ/らひさふらふへし、 | 県史中7p.472 大徳寺文書164 |
にしのむら(西岡)☆ 中むら |
魚住庄 (明石) |
応永28.2.21 | 1421 | 〔しん大夫檀那譲状〕譲渡旦那事/小三郎所知行/合当国内いをすミ庄の内/にしのむら やき谷 中むら/丹波内かすかいの庄内/ゆら谷 たしむら/右のたんなハ、をとゝ小三郎に永代を限てゆつりわた/すところしちなり、 | 県史中2p.521 肥塚文書13 |
加良村 | 明石郡 魚住庄 |
文安3.12.13 | 1446 | 〔行重・近助連署裁許状写〕播州明石郡魚住庄内加良村大般若経田事、如意寺大泉/坊知行処、百姓等依訴申、相尋事子細畢、然彼年貢上/分、為如意寺仏物之条分明之上者、大泉坊有改替、寺/僧一同可被致御祈禱之状如件、 | 県史中2p.93 如意寺文書14 |
細(才)田村☆ | (明石) | 文明2.11.15 | 1470 | 〔明石尚行遵行状〕性海寺与細田村山相論事、致註進義、任先例可申付旨/去十月廿二日御書下如此、然上者、任応永年中御成敗/為立合山、可用伐薪、但寺家小林自造道内、致狼藉者/可処罪科者也、 | 県史中2p.4 大西文書2 |
こ(小)村☆ かうミ村(木見)☆ |
(明石) | 文明10.2.7 | 1478 | 〔播磨明石郡檀那村付注文〕一、おしへたニ一ゑん知行也、中にもかちやはかりハよ/その旦那なり、又さかいこ村おしへ殿、きつ、国さ/と、かうミ村 よりミつ、きんこうしの寺 せんき/やうほう ほうせんほう ほうしゆんほう | 県史中2p.523 肥塚文書20 |
やきの村(八木)☆ | (明石) | 文明14.8.10 | 1482 | 〔丹後・但馬両国檀那村付注文〕明石之やきの村ハ/すきにしか三としにあねにて候者か、をんなはから/いニ、はゝ六郎左衛門殿ニ代弐百文ニしちにおき候て、とりなかされ候間、いかやうにもりやうけんし/候て、うけかへしちきやうすへき者也、 | 県中2p.528 肥塚文書24 |
大明石村☆ | (明石) | 天正9.4.11 | 1581 | 〔羽柴秀吉社領寄進状〕播州明石人丸者、和歌第一之神仙而、諸願之霊験甚速/也、仍之、大明石村新開之田地高参拾石寄附之畢、幷/山林竹木等永免除之、全可受納者也、 | 県史中3p.818 柿本神社文書1 |
中村☆ 東村 常本村☆ 和田村☆ |
明石郡 | 天正12.7.14 | 1584 | 〔羽柴秀吉宛行状〕知行方目録/一、百八拾七石九斗四升 播州明石郡押部谷之内/中村/一、百七拾弐石五斗壱升 同/東村/一、百五拾四石六斗 同/黒田村/一、百三拾壱石 同/常本村/一、六拾五石三斗 同/和田村/合七百拾壱石三斗五升 | 県史近1p.19 内閣文庫所蔵古文書 |
西村☆ 賀茂谷村☆[7] 栄村☆ 押部村☆ 高和村☆ やう(養)田村☆ 木津村☆ |
明石郡 | 天正12.7.14 | 1584 | 〔羽柴秀吉知行方目録〕知行方目録/一、参百六拾八石六斗八升 播州明石郡押部谷内/才田村/一、弐百五拾九石四升 同/西村/一、弐百弐拾六石壱斗 同/賀茂谷村/一、八拾石六斗 同/木見村/一、弐百弐拾六石六斗四升 同/栄村/一、百拾壱石壱斗九升 同/小村/一、弐百九石壱斗三升 同/押部村/一、四百卅九石九斗 同/高和村/一、三百五十弐石六升 同/やう田村/一、弐百弐拾八石三斗七升 但後室分也/木津村/合弐千五百壱石七斗 | 県史中9p.402,403 萩原員崇氏所蔵文書5 |
賀古郡
郷(里)
望理、長田、住吉、賀古
郷(里) | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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禾々里(鴨波・粟々・淡葉) | 加古郡 | 和銅7.-.- | 714 | 〔木簡〕播磨国加古郡禾々里/□戸首名俵 | 県史古1p.499 平城宮出土木簡概報12 |
望理里 長田里☆ 駅家里 |
(賀古) | 8C | 〔風土記〕【望理】【長田】望理里〈土中/上〉、大帯日子天皇巡行之時、見此村川曲、勅/云、此川之曲甚美哉、故曰望理‖長田里〈土中々〉、昔、大帯日子命幸行別嬢之処、道辺/有長田、勅云、長田哉、故曰長田里/駅家里〈土中々〉、由駅家為名、 | 県史古1p.522 播磨国風土記 | |
餘郷 | 賀胡郡 | 9C | 〔住吉大社神代記〕一、賀胡郡阿閇津浜一処/四至〈東限餘郷、南限海棹及〔限〕/西限大湖尻、北限大路、〉/右同皇后御世、大神平伏熊襲二国、従新羅国還上/賜時、似鹿児満海上浮漕来、見人皆奇異、云彼/何物、問似鹿児物也、 | 県史古1p.587 住吉大社神代記 | |
蜂目郷 | 賀古郡 | 天延4.1.30 | 976 | 〔扶桑略記〕如意寺沙門増祐入滅、播磨国賀古郡蜂目郷人也、 | 県史古2p.136 扶桑略記 |
北条郷 | 賀古郡 | 永正12.11.5 | 1515 | 〔重則下地売券〕永代売渡申下地事/合壱段卅代者〈在所大■〉/右件下地者、雖得賀古郡北条郷中津村大嶋新兵衛重行/有子細譲、依有要用、現米本器定四石三斗ニ、常楽寺/乗本房智慶御方へ本支證相副、売渡申所明鏡也、 | 県史中9p.323 古文書纂所収文書11 |
村
村 | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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阿閇村 高宮村 酒屋村 贄田村 館村 |
(賀古) | 8C | 〔風土記〕於是、白犬向海長吠、天皇問云、是誰犬乎、須受武良首対曰、是別嬢所養之/犬也、天皇勅云、好告哉、故号告首、乃天皇知在於/此少嶋、即欲度、到阿閇津、供進御食、故号阿閇/村‖勅云、此処/浪響鳥声甚譁、南遷於高宮、故曰高宮村、是時、造/酒殿之処、即号酒屋村、造贄殿之処、即号贄田村、造室之処即号館村、又遷於城宮田村、仍始成/昏也、 | 県史古1p.521 播磨国風土記 | |
平岡村 | (賀古) | 建治2.5.17 | 1276 | 〔平岡村実検田地注文〕平岡村/注進 建治二年実検田目録事/合見作田陸町参段内/五反半〈七斗代/長谷堺〉 分米三石七斗五升/二反 算失〈預所一反/御使一反〉 | 県史中7p.64 葛川明王院文書1 |
長田村☆ | (賀古) | 正中3.-.- | 1326 | 〔太子堂木部銘〕【長田】鶴林寺法華堂修理、自太子御草蒼以来至于天永三年第/三度注之、于次宝治三年修理之、其後相当千七十九年/正中三年〈丙寅〉修理之、已上第五度/大工左近入道沙弥覚性/舎弟四郎 橘未永/大工子息右馬充橘光真/同舎弟左近次郎延俊/同左近三郎 同五郎/此人々者長田村住也 | 県史中4p.464 鶴林寺(加古川市加古川町北在家) |
野口村 | 五箇庄 (賀古) |
建武5.5.4 | 1338 | 〔沙弥某給主職行状案〕宛行/播磨国五箇庄内野口村給主職事/三津寺四郎左衛門入道円浄/右当職、為給恩可領掌、而於下地者可為佰斛分也、庄/家宜承知、敢勿違失、仍之状如件、 | 県史中9p.50 井尻家文書1 |
河原村(賀原)☆ | (賀古) | 応永16.9.4 | 1409 | 〔足利義持御判御教書〕佐用庄上津方・土万/郷・菅野村・赤松郷内屋敷・同包沢西山、同国竹万庄/同国五个庄野口□□・福冨・河原村、同国餝西余部/郷半分・神戸庄等地頭職、同国伊川庄・埴岡北条上下/村・多可庄等事、任亡父頼則今年二月廿九日譲状之旨/赤松次郎満則領掌不可有相違之状如件、 | 県史中9p.16 文書7 |
中村 | (賀古) | 永正12.8.- | 1515 | 〔鶴林寺寺料田惣目録〕鶴林寺々領田目録 永正十二年乙亥八月日/合/理趣三昧 肆町伍段/法華三昧 参町玖段/月講田 壱町弐段/已上玖町六段‖一、承仕散田‖七斗代 在所中村 | 県史中2p.402 鶴林寺文書6 |
篠原村☆ | (賀古) | 永正12.8.- | 1515 | 〔鶴林寺寺料田惣目録〕一、奇進散田‖六斗代 浦上美作守奇進/一所三反〈一石四斗四升寺升定〉 篠原村徳丸名内 | 県史中2p.405 鶴林寺文書6 |
口里村☆ | (賀古) | 永正12.8.- | 1515 | 〔鶴林寺寺料田惣目録〕一、奇進散田‖口里村弥二郎衛門奇進/一所一反〈大升三斗〉 口里/五郎大夫 | 県史中2p.406 鶴林寺文書6 |
西安田村☆[8] | (賀古) | 永正12.8.- | 1515 | 〔鶴林寺寺料田惣目録〕如法経田作人/合/二反 多門坊/二反 禅光坊/一反 奥之坊/一反 中安田/五郎衛門/一反 西安田村/小山歳頭田/一反 多門坊/一反 左京公/一段 西安田/三郎兵衛/已上壱町 | 県史中2p.410 鶴林寺文書6 |
中津村☆ | 賀古郡 | 永正12.11.5 | 1515 | 〔重則下地売券〕永代売渡申下地事/合壱段卅代者〈在所大■〉/右件下地者、雖得賀古郡北条郷中津村大嶋新兵衛重行/有子細譲、依有要用、現米本器定四石三斗ニ、常楽寺/乗本房智慶御方へ本支證相副、売渡申所明鏡也、 | 県史中9p.323 古文書纂所収文書11 |
下村 | 長田庄 (賀古) |
天文3.8.- | 1534 | 〔鶴林寺寺料田惣目録〕鶴林寺々領田目録 天文三年甲午八月日/合/理趣三昧 肆町伍段/法華三昧 参町玖段/月講田 壱町弐段/已上玖町六段‖一、奇進散田〈地頭方寄進分雑色銭之事/一段別拾貫宛毎年納所〉‖一々二段内〈十代不 下司分長田庄下村/法蔵寺寄進/加徳分七斗一升七合五勺 寺升〉西円坊 | 県史中2p.421 鶴林寺文書8 |
八幡村 大崎村 |
(賀古) | 天文3.8.- | 1534 | 〔鶴林寺寺料田惣目録〕一、奇進散田〈地頭方寄進分雑色銭之事/一段別拾貫宛毎年納所〉‖大升定/一所〈廿五代 シヤウシ作/分米参斗五升七合五勺和泉福寺/廿五代 シヤウシフケ/分米参斗五升七合五勺 八幡村 新左衛門/小次郎/大升定/一所〈四十代 フケシ/分米六斗八升 同村 太郎兵衛/次郎左衛門/十代 分米壱斗七升 大崎村 五郎衛門 | 県史中2p.422 鶴林寺文書8 |
安田村☆ | (賀古) | 天文3.8.- | 1534 | 〔鶴林寺寺料田惣目録〕一、南大門屋敷散田‖一所十五〈半分ハ 安田村/三郎衛門尉/一所十五〈龍象坊分〉 慶音 | 県史中2p.425 鶴林寺文書8 |
上田村☆[9] 南備後村☆[10] |
(賀古) | 天文3.8.- | 1534 | 〔鶴林寺寺料田惣目録〕浄観分寄進作人々数張/合/壱段 実相坊 壱段五代 上田村/四郎衛門‖買地分/壱段〈大升定 六斗〉 南備後村/太郎兵衛 | 県史中2p.428 鶴林寺文書8 |
粟津村☆ 北在家村☆ |
(賀古) | 天文3.8.- | 1534 | 〔鶴林寺寺料田惣目録〕買地分‖一反〈知職/本役〉〈大升/十六貫〉五斗 粟津村/尾江孫左衛門‖一段 〈大升〉四斗内〈油用焼可出、〉 北 在家村有之、 | 県史中2p.429 鶴林寺文書8 |
高砂村☆ | (賀古) | 天正15.10.14 | 1587 | 〔豊臣秀吉領知朱印状写〕播磨国高砂村、同近辺尾藤分弐千五百石、為加増令扶/助訖、全可知行候也、 | 県史中9p.137 菅文書1 |
ミその口村(溝口)☆ | 賀古郡 | 文禄4.8.17 | 1595 | 〔豊臣秀吉安堵状〕一、廿三石八斗 賀古郡/大国村/一、拾八石六斗三升 同/しかた村/一、三拾五石 同/ミその口村‖都合弐万五千石/右令扶助訖、此内五千石無役、全可領知候也、 | 県史近1p.44 木下家文書 |
荒井村☆ | (賀古) | 年未詳.3.30 | 〔浦上則宗折紙写〕知行分荒井村之事、被申付候所、同名孫平治背御下知/条々、不儀之由候、言語道断候、所詮向後、孫平次/被官以下之輩、有強之儀ハ、忽可被加成敗候、 | 県史中9p.96 加須屋文書1 |
印南郡
郷(里)
大国、益田、含芸、佐突
郷(里) | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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大国里☆ | 印南郡 | 8C | 〔風土記〕【大国】大国里〈土中々〉、所以号大国者、百姓之家多居此/故曰大国、 | 県史古1p.522 播磨国風土記 | |
六継里 益気里☆[11] 含藝里☆[12] |
印南郡 | 8C | 〔風土記〕【益田】【含芸】六継里〈土中々〉、所以号六継里者、已見於〔上〕、此/里有松原、生甘茸、色似茸花、體如鶯茸、十月上/旬生、下旬亡、其味甚甘、/益気里〈土中上〉、所以号宅者、大帯日子命 造御宅/於此村、故曰宅村‖含藝里〈本名瓶落〉土中上、所以号瓶落者、難波高津/御宮〔天皇〕御世私部弓取等遠祖他田熊千、瓶酒着於/馬尻、求行家地、其瓶落於此村、故曰瓶落、 | 県史古1p.523 播磨国風土記 | |
西志方郷☆[13] | (印南) | 建武3.12.11 | 1336 | 〔足利直義下文〕下/安保丹後権守光泰法師〈法名/光阿〉/可令早領知武蔵国安保郷内屋敷在家・同国枝名内塩/谷田在家・同国太駄郷、出羽国海辺余部内宗太村/播磨国西志方郷、信濃国室賀郷等地頭職事 | 県史中9p.41 安保文書1 |
佐土郷☆ | (印南) | 正長2.3.9 | 1429 | 〔赤松満政下地寄進状案〕【佐突】寄進/広峯社領/播磨国佐土郷内弐百石下地事/右、為所願成就・寿福増長・子孫繁昌祈禱、永代寄附/之状如件、 | 県史中2p.623 広峯文書49 |
志方郷☆ | 印南郡 | 文明16.11.- | 1484 | 〔某袖判知行宛行状〕印南郡志方郷□□□□□/但□□□□□宛行者也、早守先例、可被知行状如件、 | 県史中2p.141 赤松文書4 |
村
村 | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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六継村 | 印南郡 | 8C | 〔風土記〕勅云、此嶋隠愛妻、仍号南毗都麻、於是、御舟与別嬢/舟同編合而㭾、杪梜伊志治尓、名号大中伊志治、還/到印南六継村、始成密事、故曰六継村、 | 県史古1p.521 播磨国風土記 | |
宅村 | 印南郡 | 8C | 〔風土記〕【益田】益気里〈土中上〉、所以号宅者、大帯日子命 造御宅/於此村、故曰宅村、 | 県史古1p.523 播磨国風土記 | |
神木北条戸井村 | (印南) | 康平2.7.20 | 1059 | 〔播磨国東大寺領畠注進状〕□郡神木北条戸井村畠八町三段/□東郡阿住郷七原畠 三町/□西郡阿居郷桑原田畠二町‖右件東大寺御領所々畠、所注進如件、抑件畠、守/殿被令聞給、令知行、可令御領給、即懐照可/徴進所当御地子、仍注事状、以解、 | 県史古2p.467 東大寺文書 |
神吉村☆ | 大国庄 (印南) |
嘉元4.6.12 | 1306 | 〔後宇多上皇領目録案〕播磨国石作庄〈久我前内府、寺用外、不済御年貢、〉/大国庄内神吉村〈京極准后〉/栗栖庄〈北白川姫宮〉/荒田社〈致光〉/大山郷〈三条大納言入道、下部給物千疋、/知行不可有相違之由、被下 院宣於公秀朝臣、〉 | 県史中9p.520 皇室領関係文書(室町院領) |
益田村☆ | 印南本郡 | 延慶2.4.14 | 1309 | 〔梵鐘〕【益田】播州/印南本郡益田村佐伯寺鐘/大壇郡〈沙弥道仏 為二親□/沙弥円性 為二親□比丘/尼浄空/大助成人々/尼法性 尼無心 真如 尼了念/沙弥覚一 右衛門尉佐伯基任 | 県史中4p.597 慈眼寺(三木市久留美) |
屏村 | 印南庄 (印南) |
正和5.4.8 | 1316 | 〔後伏見上皇院宣〕播磨国印南庄屏村内中嶋田畠、所被寄附報恩寺也、為/御祈禱料所、永代可令管領者也、院宣如此、仍執達如件、 | 県史中2p.445 報恩寺文書1 |
寺田村 | (印南) | 貞和3.8.23 | 1347 | 〔梶井宮尊胤法親王令旨〕播磨国寺田村、永代所被寄附御影堂也、勤行等事、云/当時、云未来、可被致慇勤沙汰之由、梶井二品親王令/旨所候也、仍執達如件、 | 県史中7p.465 大徳寺文書149 |
宿村 木村☆ 大津村 |
五箇庄 (印南) |
観応1.12.5 | 1350 | 〔足利尊氏袖判下文案〕下 赤松美作権守範資/可令早領知播磨国佐用庄内赤松上村・三川村、江川/郷太田方・広瀬方・弘岡方、本位田下得久、同国五/箇庄内宿村〈付、下司・公文/政所名〉・木村・大津村、同国淡河/庄内下村、同国白旗鎮守八幡・春日両社神主職・伯/耆国八橋郡内大井下郷事 | 県史中9p.482 森川文書1 |
平村 | (印南) | 永享4.-.- | 1432 | 〔報恩寺奉加帳〕(題簽)「播州平村報恩寺奉加帳」/伊豆守(花押)/掃部助(花押)/沙弥(花押)/上月/越中守(花押)/沙弥(花押)/賀古但馬/沙弥建春(花押)/左衛門尉信長(花押) | 県史中2p.448 報恩寺文書11 |
米田村☆ | (印南) | 永享12.3.12 | 1440 | 〔足利義教御判御教書〕播磨国米田村・備前国出石郷・同国平瀬郷・美作国高/鳥荘・同国豊国荘等事、所充行赤松次郎教貞也者、早/守先例、可致沙汰之状如件、 | 県史中9p.9 赤松(春日部)文書5 |
大塩村☆ | (印南) | 永正18.9.6 | 1521 | 〔浦上村宗奉書〕松原庄幷兼田村・目賀村・緋田・大塩村商人等諸公事/免除事、八幡宮神役依致其沙汰、従往古無煩之上者/不可有相違之旨、可被相触之由候也、仍執達如件、 | 県史中2p.691 松原八幡神社文書56 |
志方村☆ | 印南郡 | 天正14.3.7 | 1586 | 〔羽柴秀吉領知判物〕為加増、播州印南郡内志方村内を以弐百六拾石、福泊/之内を以弐拾石、都合弐百八拾石扶助訖、全可領知之状如件、 | 県史中1p.505 堀内文書1 |
まとかた村(的形)☆ | 印南郡 | 天正15.9.24 | 1587 | 〔知行方目録〕一、五百石 印南郡/まとかた村/一、四百壱石 塩〈高外〉 同郡/同村/都合壱万千参百四拾弐石/以上 | 県史近1p.28 木下家文書 |
本庄村 いほさき村(伊保崎) 中筋村☆ 東西村 |
伊保庄 (印南) |
天正16.12.25 | 1588 | 〔伊保庄指出案〕いほの庄指出之うつし/一、□百五十八石八斗者 本庄村分/一、五百十九石一斗四升者 いほさき村分/一、六百廿三石三斗者 中筋村分/一、八百三十六石一斗九升者 東西村分 | 県史中2p.444 曽根文書3 |
牛谷村☆ | (印南) | 天正16.12.25 | 1588 | 〔伊保庄指出案〕【含芸】一、弐百五十七石六斗七升者 かんき/両村分/一、弐拾弐石九斗二升者 牛谷村分/高合三千拾七石三斗六升七合之内/拾五石者御天神江御きしん分 | 県史中2p.445 曽根文書3 |
きし村(岸)☆ 別所村 おしこ村(生石)☆ 辻村☆ 大国村☆ |
印南郡 | 文禄4.8.17 | 1595 | 〔豊臣秀吉安堵状〕[14]【大国】一、弐百四拾弐石二斗五升 印南郡/ますた村/一、三百六拾六石一斗四升 同/きし村/一、六百九拾壱石 同/別所村/一、五拾壱石五斗三升 同/おしこ村‖一、百石五升 神東郡/うへの村/百四拾六石八斗 同/辻村‖一、廿三石八斗 賀古郡/大国村/一、拾八石六斗三升 同/しかた村/一、三拾五石‖都合弐万五千石/右令扶助訖、此内五千石無役、全可領知候也、 | 県史近1p.42,43 木下家文書 |
飾磨郡
郷(里)
菅生、英賀、伊和、辛室、大野、英保、三野、穴无、印達、巨智、平野、草上
郷(里) | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
---|---|---|---|---|---|
漢部里 菅生里☆[15] 麻跡里☆[16] 英賀里☆[17] |
飾磨郡 | 8C | 〔風土記〕【菅生】【英賀】漢部里〈土中上〉、右称漢部者、讃藝国漢人等到来、居/於此処、故号漢部、/菅生里〈土中上〉、右称菅生者、此処有菅原、故号菅/生/麻跡里〈土中上〉、右号麻跡者、品太天皇巡行之時、勅/云、見此二山者、能似人眼割下、故号目割/英賀里〈土中上〉、右称英賀者、伊和大神之子阿賀比古/阿賀比賣二神、在於此処、故処故因神名、以/為里名、 | 県史古1p.523 播磨国風土記 | |
伊和里(貽和) 賀野里 韓室里(安室) 巨智里☆[18] |
飾磨郡 | 8C | 〔風土記〕【伊和】【辛室】【巨智】伊和里‖土中上、右号伊和部者、積嶓郡伊和君等族到来、居於/此、故号伊和部‖賀野里〈幣丘〉土中上、右称加野者、品太天皇巡行之/時、此処造殿、仍張蚊屋、故号加野、山川之名亦与里同‖韓室里〈土中々〉、右称韓室者、韓室首宝等上祖家大富/饒、造韓室、故号韓室/巨智里〈草上村/大立丘〉土中下、右巨智等始屋居此村、故因/為名、 | 県史古1p.524 播磨国風土記 | |
安相里(朝来) 枚野里☆[19] 大野里☆ 少川里(小川)☆ |
飾磨郡 | 8C | 〔風土記〕【大野】【平野】安相里〈長畝川〉土中々、右所以〔称〕安相里者、品/太天皇従但馬巡〔行〕之時、縁道不𢷸御■、故号/陰山前、仍国造豊忍別命蒙名、尓時、但馬国造阿/朝尼命申給、依此赦罪、即奉塩代塩田廿千代、有/名塩代田飼、但馬国朝来人到来、居於此処、故号安/相里‖枚野里〈新羅訓村/莒岡〉右称枚野者、昔為少野、故号枚野/所以号新良訓者、昔新羅国人来朝之時、宿於此村/故号新羅訓、山名亦同‖大野里〈砥堀〉土中々、右称大野者、本為荒野、故/号大野‖少川里〈高瀬村・豊国村・英馬野・射目前/檀坂・多取山・御竪〔丘〕・伊刀嶋〉土中々〈本名/私里〉/右号私里〔者〕、〔志貴〕嶋宮御宇天皇世、私部弓束等/祖田又利君鼻留志貴、請此処而居之、故号私里/以後庚寅年、上〔野〕大夫為宰之時、改為小川里、一/云、小川自大野流来此処、故曰小川、 | 県史古1p.525 播磨国風土記 | |
英保里☆[20] 美濃里☆[21] 因達里 安師里(穴無)☆[22] |
飾磨郡 | 8C | 〔風土記〕【英保】【三野】【因達】【穴无】英保里〈土中上〉、右称英保者、伊豫国英保村人到来居/於此処、故号英保村/美濃里〈継潮〉土下中、右号美濃者、讃伎国弥濃郡人/到来居之、故号美濃‖因達里〈土中々〉、右称因達者、息長帯比賣命欲平/韓国、渡坐之時、御〔々〕船前伊太之神、在於此/処、故因神名以為里名/安師里〈土中々〉、右称安師者、倭穴无神々戸託仕奉/故号穴師、 | 県史古1p.526 播磨国風土記 | |
余部郷 | 飾西郡 | 宝治3.-.- | 1249 | 〔播州書写山円教寺古今略記〕健保五年〈丁丑〉四月三日供養、導師中納言法印忠快云云/其後経卅三ヶ年〈己酉〉、長日御如法行始之、後/嵯峨院御願也、院宣云、長日御如法経書写用途料、以/国領飾西郡余部郷、永所被奇附也、 | 県史中4p.163 播州書写山円教寺古今略記 |
三野南条郷☆ | (飾磨) | 正安2.4.- | 1300 | 〔任耀・小野幸員連署和与状案〕【三野】和与/播磨国御家人松原別宮惣検校任耀与同国三野南条郷/地頭河勾左衛門三郎幸員、相論条々和与事 | 県史中2p.665 松原八幡神社文書4 |
伊和東郷 | (飾磨) | 元弘3.7.- | 1333 | 〔称名寺寺僧等文書紛失状〕【伊和】播磨国姫道山称名寺々僧等申請文書紛失御證判事/欲早任実正賜御證判、備向後亀鏡、全寺領専御願子/細状‖右当寺者、為 後嵯峨法皇御菩提所、昼夜不断念仏三/昧勤行道場也、因茲平野南北条・伊和東郷以下、往/古在庁別名国衙御進止地所被寄附之、 | 県史中2p.572 正明寺文書13 |
本郷☆ | (飾磨) | 文和3.4.2 | 1354 | 〔左衛門尉久吉講田名主職補任状〕補任/三野南条内本郷国松名八幡講田名主職事/合壱町陸段弐拾代者/右地者、依有子細、限永代所宛行于田井弥次郎也/隋而於所当米捌石弐斗者、毎年無懈怠可令勤仕之、 | 県史中2p.670 松原八幡神社文書15 |
飾万津郷☆[23] | (飾磨) | 永徳2.①.5 | 1382 | 〔播磨国穴無郷内海珠寺領寄進田畠目録〕寄進/播磨国穴無郷内海珠寺々領事/合/一、元利名〈在所飾万津郷内河西〈為長阿/光一〉/并穴無郷内荒牧殿南〈宗政菩提也〉〉/一、友重名〈在所津田御牧内公田三町三段/卅五代并屋敷畠卌代〉 | 県史中7p.695 真珠庵文書8 |
村
村 | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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手苅村 草上村 |
飾磨郡 | 8C | 〔風土記〕【草上】所以号手苅丘者、近国之神到於此処、以手苅草/以為食薦、故号手苅、一云、韓人等始来之時、不識/用鎌、但以手苅稲、故云手苅村‖巨智里〈草上村/大立丘〉土中下、右巨智等始屋居此村、故因/為名、 | 県史古1p.524 播磨国風土記 | |
英保村☆ 新羅訓村(白国)☆ 高瀬村 豊国村☆ |
飾磨郡 | 8C | 〔風土記〕【英保】本又、阿胡尼命娶英保村女、卒於此村、遂造墓葬/以後正骨運持去之、云来‖枚野里〈新羅訓村/莒岡〉右称枚野者、昔為少野、故号枚野/所以号新良訓者、昔新羅国人来朝之時、宿於此村/故号新羅訓、山名亦同‖少川里〈高瀬村・豊国村・英馬野・射目前/檀坂・多取山・御竪〔丘〕・伊刀嶋〉 | 県史古1p.525 播磨国風土記 | |
姫道村(姫路) | (飾磨) | 正応5.3.25 | 1292 | 〔沙弥光智別当職等譲状〕譲与播磨国□中姫道村称名寺別当職幷当寺免田畠等/〈注文/在別紙〉事/右当寺者、故入道殿〈法名/真仏〉為後生菩提、被建立精舎也、 | 県史中2p.572 正明寺文書12 |
中井村 | 土山庄 (飾磨) |
暦応2.3.4 | 1339 | 〔足利幕府引付頭人奉書〕□磨国広峯社□雑掌長秀申、□国土山庄内中井村地頭/職事、訴状・具書如此、子細見状、早大多和弥次郎相/共莅彼所、停止布施彦三郎入道々乗押領、沙汰付下地/於長秀、 | 県史中2p.646 広峯神社文書7 |
萩原村 | 土山庄 (飾磨) |
暦応2.6.18 | 1339 | 〔室町幕府引付頭人奉書〕播磨国広峯社大別当昌俊申、同国土山庄〈亦号/薬師庄〉内萩原/村地頭職事、重訴状如此、先度被仰下之処不事行云々/頗招其咎者歟、早莅彼所停止浦上孫三郎之押妨、沙汰/付下地於昌俊、可執進請取、 | 県史中2p.616 広峯文書30 |
水上村 | (飾磨) | 貞治6.12.19 | 1367 | 〔字松女田地寄進状〕奉寄進/三野南条本郷水上村田地事/合 〈弐段屋敷/講田五段〉者〈本文書四通在之〉/右件田地者、為重代相伝之地、浄円二人子仁雖譲与/甲斐房先立死去上者、任父譲状之旨、嫡女一円相伝無/相違、 | 県史中2p.671 松原八幡神社文書17 |
土井村 | (飾磨) | 14C | 〔捃拾集〕又其ノ比、当/坂元土井村ニ法一房ト云フ有富祐ノ之老尼、生得熊野信仰ノ之/尼公也、或時未聞不見ノ之旅客、熊野権現ノ之霊像奉リ随/身シ、欲質ニ置ント、奉拝之、言語道断ノ之奇特也、 | 県史中4p.129 捃拾集 | |
目賀村(妻鹿)☆ | (飾磨) | 応永9.9.9 | 1402 | 〔沙弥道従修理田名主職寄進状〕奉奇進/播磨国松原 八幡宮修理田目賀村町坪名主職事/合壱所壱町柒段参拾伍代〈幷出田一反十〉者 在所〈宿院殿北/字号町坪〉/右件田者、自往古当社之修理田也、於名主職者、道従/買得相伝之地也、 | 県史中2p.673 松原八幡神社文書20 |
小川(河)村☆ | (飾磨) | 応永26.11.- | 1419 | 〔上月吉景譲状幷置文〕播磨国小川村/上月勘解由左衛門景久仁ゆつる所条々事/播磨国成国別符地頭職・りやうけ職と同国小河村地/頭職と、ほうふ聖範かきやうねん中仁さうはく状そ/うそくのゆい所の旨にまかせて、孫五郎景氏方へ一/ゑんにゆつるといへとも、 | 県史中9p.249 上月文書6 |
野田村☆[24] | (飾磨) | 正長2.1.25 | 1429 | 〔沙弥性勲下地寄進状〕奉奇進下地事/合壱町者、〈在所餝万津郷野田村〉/右下地者、依有志、松原八幡宮エ奉奇進者也、天下安/世・国土安穏、次沙弥性勲代々可被致祈禱於候、仍奇進状如件、 | 県史中2p.675 松原八幡神社文書27 |
小原村☆ | 飾東郡 | 康正1.10.13 | 1455 | 〔山名持豊判物〕播磨国餝東郡恒冨保内小原村〈大国安法師丸/跡〉・同郡念井/位田内〈同人/跡〉等事、為給分所宛行之也、早守先例可致沙/汰之状如件、 | 県史中9p.488 山内首藤家文書4 |
下増位出村 | (飾磨) | 長禄2.3.- | 1458 | 〔阿弥陀寺覚阿田畠譲状〕譲与 名田畠之事‖右田畠者、檀那宇野兵庫助方沙弥蓮阿為本知行、神西/郡的部南条武吉名一円、大野郷内下増位出村威徳寺領/ニ有寄進処、天龍寺ヨリ依有被申子細、庄主申合直銭/弐拾貫文仁限永代売渡、 | 県史中2p.513 雲松寺文書5 |
あそう野村 | 賀屋庄 (飾磨) |
寛正4.11.12 | 1463 | 〔賀屋荘内公文名納所引付〕一、作夏畠之地子銭方/田三反分あれ分地子銭五百文弁 あそう野/源大夫‖廿五代分地子 百五十文 あそう野/兵衛二郎/参反分地子 二百五十文 同 同村/兵衛四郎 | 県史中3p.214 伊和神社文書97 |
平野村☆ | 飾東郡 | 文明16.6.26 | 1484 | 〔山名政豊書下案〕当山社務職幷餝東郡平野村南明分〈号三寸田〉、如元所返/付候也、早全神役、可被抽懇祈之状如件、 | 県史中2p.625 広峯文書54 |
阿(英)賀村☆ | (飾磨) | 延徳2.1.- | 1490 | 〔中納言公某仏供田寄進状〕【英賀】琉璃山東光寺為本尊仏供、於阿賀村、本田十石分、令/寄進者也、 | 県史中2p.607 東光寺文書1 |
兼田村☆[25] | (飾磨) | 延徳3.6.12 | 1491 | 〔浦上則宗折紙〕知行分三野南条内、兼田村石川壱段作職事、従此方雖/先度申付、寺家理運上者可為進退、然而先年九郎四郎作生涯候者、一類仁有御申付儀者、重而一段、自是可加成敗、 | 県史中2p.681 松原八幡神社文書47 |
西ノ木戸村(西城戸) | (飾磨) | 明応1.12.23 | 1492 | 〔五郎衛門田地売券〕永代売渡申御下地作職事/合壱段者〈在所アハ田ノ町ホソヲサ/甲山ノ北ウラナリ〉/右、田地者、西ノ木戸村五郎衛門雖為重代相伝作職/依要用有、米柒斗五升仁母里三郎左衛門殿ヱ永代沽渡/申処支證明鏡也、 | 県史中2p.578 正明寺文書30 |
福中村☆ | (飾磨) | 明応3.10.29 | 1494 | 〔源大夫田地作職売券〕永代売渡申惣社鬼皷田御下地作職事/合参段者〈在所あわ田/甲山ノ北〉/右、田地者、福中村源大夫雖為重代相伝作職、依要用/有、代米出定弐石五斗仁、母里三郎左衛門秀友江永代/売渡申処分明也、 | 県史中2p.579 正明寺文書32 |
野里村☆[26] | (飾磨) | 明応6.10.26 | 1497 | 〔梵鐘〕播州飾東郡□□社推鐘‖明応六年〈丁巳〉十月廿六日/野里次郎兵衛尉/勧進沙門江州高島郡住浄心/本願大工大野郷野里村住藤原勝久/小工宗久 | 県史中4p.605 勝瑞寺(姫路市御立) |
中村☆ 山井村☆ |
(飾磨) | 文亀2.2.- | 1502 | 〔母里秀友下地寄進状〕於播州国衙称名寺奉寄附下地事/合/エハサマ道ヨリ下/弐段 分米壱石弐斗内/中村/六郎衛門/弐斗‖姫路山ノ西浦/弐段 分銭弐百六拾文/但両季也/山井村二郎左衛門 | 県史中2p.583 584 正明寺文書43 |
津田村 | (飾磨) | 永正3.11.12 | 1506 | 〔梵鐘〕播州飾東郡国衙惣社椎鐘/大願主御屋形様/両目代名主地下人/祐重/長源/俊秀/本願/久利/元佐/長久/大工津田村内記石根丸/小工内記四郎左衛門/永正三年〈丙寅〉十一月十二日 | 県史中4p.606 射楯兵主神社(姫路市総社本町) |
八代村(矢城)☆[27] 井出村☆[28] 山脇村☆ 今宿村☆[29] 蒲田村☆[30] 実法寺村☆ 田寺村☆ |
(飾磨) | 大永年中 | 1521~28 | 〔惣社走馬之記〕惣社走馬之記/大永年中走馬六十一人事/八代六郎左衛門 小寺家人八代村居/尾上十五郎 同/牧村八郎太夫 同/佐野助太夫 野里農長/井出民部 小寺家人井出村居/岡野久次郎 同 山脇村居/曽根内記 別処家人中筋 居/広峯新四郎 広峯山居/槇内源左衛門 置塩領下今宿村農長/国府寺次郎太郎 志深政所/安積源十郎 釜門家人安積居/菅原三郎衛門 蒲田村政所/荒山大隅 アカ家人熊見居/香山七郎左衛門 置塩領下刀出居/福永十郎左衛門 同 実法寺村居‖田寺新助 田寺村構 | 県史中4p.365,366 惣社走馬之記 |
大野村☆ | (飾磨) | 享禄5.2.9 | 1532 | 〔梨田正吉畠注文〕平野前田畠帳之事/社務分/大野村/壱段 分米八斗 上まち田/大の村/壱段 分米八斗 松本/同所/壱段 分米八斗 ちやう田 | 県史中2p.626 広峯文書59 |
口入村 | (飾磨) | 天文7.7.23 | 1538 | 〔赤松氏奉行人連署奉書〕口入村大野分事、為闕所被仰付訖、守先例、全領知/弥可被抽奉公忠之由候也、仍執達如件、 | 県史中9p.276 上月文書64 |
中嶋村☆[31] | (飾磨) | 天文11.7.30 | 1542 | 〔黒田重隆・山脇職吉連署折紙〕中嶋村内形部少輔殿御分、光連名下地五段四十代、分/米弐石壱斗五升御拘之由候処、麦地子在之由、代官雖/被申候、先々無之、支證明鏡之上者、於向後不可有相違之由候也、恐惶謹言 | 県史中2p.460 芥田文書7 |
青山村☆ | (飾磨) | 天文12.9.18 | 1543 | 〔赤松晴政院領安堵状案〕当院領青山村之内宗恵寺分事、隠買族不可有許容、如/先々、為本院可被全領知之状如件、 | 県史中2p.698 書写山文書2 |
加納村☆[32] | (飾磨) | 天文15.12.15 | 1546 | 〔赤松晴政知行宛行状〕播州加納村事、不可有相違、守旧例全領知、弥可専奉/公候也、恐々謹言、 | 県史中2p.724 後藤文書30 |
仮屋村 | 飾西郡 | 永禄9.5.- | 1566 | 〔梵鐘〕播州飾西郡英賀東/本徳寺常住鐘/右志者為母妙秀十/七回忌報恩奉鋳之/願主同仮屋村住三/木宗大夫入道慶栄/招請同行加力而令/寄附之而已/時永禄九年〈丙寅〉五月吉日/大工同国飾東郡/野里村五郎右衛/門藤原家久作之 | 県史中4p.607 本徳寺(姫路市亀山) |
上村 符寺村(国府寺)☆[33] |
(飾磨) | 永禄10.12.23 | 1567 | 〔黒田孝高下地売券〕永代売渡申上村下地内称名寺分事/合壱反者〈在所符寺村ノ西浦也/本役八百文則可有寺納候〉/右、件跡職、依有子細、為闕所進退候上者、寺領壱反/作徳壱貫文ニ末代売渡申所実也、 | 県史中2p.588 正明寺文書54 |
辻井村☆ | (飾磨) | 天正2.1.20 | 1574 | 〔府中社略記〕安徳御宇、養和元年正月廿三日、草上地・射楯兵主神/二社之内以五十猛命為合座〈今辻井村/行矢社〉、正一位伊和/神号、大己貴一座追秘祟口決、 | 県史中4p.349 府中社略記 |
市郷村☆[34] 芝原村☆ 上野里村 神屋村☆ 矢落村 |
(飾磨) | 天正9.9.9 | 1581 | 〔惣社集日記〕凡役僧三十七人ト云云、矢城・長畝・神屋・上野里/白国・市郷・芝原・英保・宿・福中・井出・水原・矢/落・姫路・国府、以上十五ケ村民四百八十余人、楯矛/弓矢刀ヒ首立明鎌斧等持、椰本ヨリ神屋恩熊森西北三/町始神財殿構宿院、神璽遷三日逗座、 | 県史中4p.357 惣社集日記 |
津田野村 北条村☆ 南条村☆ 安田村☆ 農年村(長畝)☆[35] 伸末村☆ |
(飾磨) | 天正9.9.9 | 1581 | 〔惣社集日記〕大永元年五月五日、志水甲州/衣笠長州、為奉行固士守五百人、装飾騎射コヽロム/又神財練十六村民千五百人/平野村六十人出 農長小室七左衛門/大野村五十人出 同 菅原五郎兵衛/白国村百人出 政所白玉彦八/野里村五十人出 農長野里五郎次郎/八代村六十人出 同 室住平六〈名主〉/国府寺村百人出 国府寺政所次郎大良〈名主〉/津田野村四十人出 農長津田四郎左衛門/国府寺名主 大竹六郎右衛門/北条村六十人出 農長北条平右衛門〈名主〉/南条村三十人出 農長柳葉四郎大夫/安田村五十人出 農長吉田新介/農年村三十人出 八木七左衛門/伸末村八十人出 三和嘉大夫 | 県史中4p.359 惣社集日記 |
庄田村☆ | (飾磨) | 天正9.9.9 | 1581 | 〔惣社集日記〕大永元年七月卯日、社前刀刃松明杖斧鎌鑓長刀を以テ/七ヶ日神踊、凡十二ヶ村ノ氏人三百九十七人、赤松様/御下知として近江郷兵主神社神踊を写すとかや‖宿村・国府寺村・中村・北条村・南条村・農年村・山井村・八代村/野里村・庄田村・津田野村・福中村十二ヶ村なるべし、 | 県史中4p.360 惣社集日記 |
御着村☆ | 飾東郡 | 天正15.9.24 | 1587 | 〔豊臣秀吉宛行状〕播磨国餝東郡御差(着)村内六十五石、同国分寺内百五石、/合百七十石宛行訖、全可領知者也、 | 県史近1p.29 紀伊続風土記附録 |
佐良和村☆ | (飾磨) | 天正20.1.28 | 1592 | 〔小寺休夢書状〕随而野里草場山事、中嶋・/佐良和村・小河者共新儀申通候、此段拙者村々郷内七/ヶ村之事申付、出入等儀数年存知申候、有様旨堅被仰/付尤存候、 | 県史中2p.485 芥田文書58 |
ミのむら☆[36] さかむら☆[37] 三宅村☆ |
飾東郡 | 文禄3.6.5 | 1594 | 〔豊臣秀吉安堵状〕【三野】一、七百四拾壱石七斗 播州飾東郡/符寺村/一、七百六拾七石一斗 播州飾東郡/井出村/一、弐百八拾壱石八斗 同/のあほ/一、千拾八石五斗八升 同ミのむら〈浅野源八代官分〉/さかむら/一、百弐拾七石弐斗八升 同/三宅村/一、五百七拾九石弐斗 同/あなし/一、四百五十四石三斗 同/つきの庄/一、三百五拾壱石 同/南畝村/一、五百弐拾石三斗 同/さらふ/ | 県史近1p.38,39 金井文書 |
北原村☆ 下中しま(島)村☆ 上原田村☆ 山崎しお(塩)崎村☆[38] |
(飾磨) | 文禄3.10.17 | 1594 | 〔入部御用銭割付状〕文禄三年御入ふいり目之事‖一、高弐百五拾五石 かね田村(花押)/右之分八斗九升弐合か/一、高七百九十石八斗四升三合 北原村(黒印)/右分弐石七斗七升/一、高四百八拾壱石六斗四升 下中しま村(黒印)/右分壱石七斗三升七合‖一、高七百九拾九石弐斗 大野平の村/甚右衛門(花押)/右分弐石七斗七升六合‖一、高五百廿四石三斗二升五合 上原田村(黒印)/右 壱石八斗四升九合か‖一、高五百廿石 山崎しお崎村/大郎左衛門(花押)/右分壱石八斗二升か | 県史中2p.491 芥田文書74 |
東山村☆ | 飾東郡 | 文禄3.-.- | 1594 | 〔飾東郡蔵入目録〕播州しきとうかうり御蔵入目録/文禄三年/一、七百六拾弐石 野里村/一、四百八拾壱石七斗九升 福中/一、四百八拾壱石六斗 下中嶋/一、弐百五拾五石 かね田村/一、九拾七石 東山村/一、七百八十四石七斗 小原村 | 県史中2p.492 芥田文書76 |
しゆく村☆ 下野田村☆ |
飾東郡 | 文禄4.8.17 | 1595 | 〔豊臣秀吉安堵状〕一、六百拾五石六斗 餝東郡/しゆく村/一、四百七拾壱石七斗八升 同/山井村/中村/一、六百六拾壱石二斗七升 餝東郡/八代村/一、三百九石九斗九升 同/下野田村/以上五千石 | 県史近1p.44 木下家文書 |
小塩村☆[39] | 飾西郡 | 慶長4.8.7 | 1599 | 〔豊臣氏大老連署知行宛行状写〕播州餝西郡小塩村五百六石之事、被宛行訖、全可有知/行状如件、 | 県史中9p.481 毛利家文書22 |
揖保郡
郷(里)
栗栖、香山、越部、林田、桑原、布勢、上岡、揖保、大市、大田、新田、浦上、大宅、廣山、小宅、石見、中臣
郷(里) | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
---|---|---|---|---|---|
香山里☆ 栗栖里 |
揖保郡 | 8C | 〔風土記〕【香山】【栗栖】香山里〈本名鹿来墓〉土下上、所以号鹿来墓者、伊和/大神占国之時、鹿来立於山岑、々々是亦似墓、故/号鹿来墓、後至道守臣為宰之時、乃改名為香山‖栗栖里〈土中々〉、所以名栗栖者、難波高津宮天皇、勅/賜刊栗子若倭部連池子、即将退来、殖生此村、故号/栗栖、此栗子由本刊、後无渋、 | 県史古1p.527 播磨国風土記 | |
越部里 上岡里 日下部里 林田里 |
揖保郡 | 8C | 〔風土記〕【越部】【上岡】【林田】越部里〈舊名皇/子代里 土中々>、所以号皇子代者、勾宮天/皇之世、寵人但馬君小津、蒙寵賜姓、為皇子代君/而、造三宅於此村、令仕奉之、故曰〔皇〕子代村/後至上野大夫結卅戸之時、改号越部里‖上岡里〈本林/田里〉土中下、出雲国阿菩大神聞大倭国畝火/香山・耳梨三山相闘、〔以〕此欲諫止上来之時、到/於此処、乃聞闘止、覆其所乗之船而坐之、故号/神阜、々形似覆‖日下部里〈因人姓/為名〉、土中々‖林田里〈本名談/奈志〉土中下、所以称淡奈志者、伊和大/神占国之時、御志植於此処、遂生楡樹、故称名淡/奈志、 | 県史古1p.528 播磨国風土記 | |
邑智里(大市) 廣山里☆ 泉里(出水) |
揖保郡 | 8C | 〔風土記〕【大市】【廣山】邑智〔里〕〈駅家〉 土中下、品太天皇巡行之時、到於此/処、勅云、吾謂狭地、此乃大内之乎、故号大内/冰山 惟山東有流井、品太天皇汲其井之水而冰之/故号冰山‖廣山里〈舊名/握村〉 土中上、所以名都可者、石〔龍〕此賣/命立於泉里波多為社而射之、到此処箭尽入地、/唯出握許、故号都可村、以後石川王為総領之時/改為廣山里、 | 県史古1p.529 播磨国風土記 | |
枚方里☆[40] 大家里(大宅) |
揖保郡 | 8C | 〔風土記〕【大宅】枚方里〈土中上〉、所以名枚方者、河内国茨田郡枚方/里漢人来到、始居此村、故曰枚方里‖大家里〈舊名大宮里〉 土中上、品太天皇巡行之時、営宮此/村、故曰大宮、後至田中大夫為宰之時、改大宅里、 | 県史古1p.530 播磨国風土記 | |
大田里☆[41] 石海里(石見・岩見) 浦上里(占上) |
揖保郡 | 8C | 〔風土記〕【大田】【石見】【浦上】大田里〈土中上〉、所以称大田者、昔呉勝従韓国度/来、始到於紀伊国名草郡大田村、其後分来、移到於/摂津国三嶋賀美郡大田村/是本紀伊国大田以名也‖石海里〈土惟上中〉、右所以称石海者、難波長柄豊前天/皇之世、是里中有百便之野、生百枝之稲、即阿曇連/百足、仍取其稲献之、尓時、天皇勅曰、宜墾此野/作田、乃遣阿曇連太牟、召石海人夫令墾之、故/野名曰百便、村号石海也‖浦上里〈土上中〉、右所以号浦上者、昔阿曇連百足等/先居難波浦上、後遷来於此浦上、故日本居為名、 | 県史古1p.531 播磨国風土記 | |
萩原里☆ 少宅里 揖保里 |
揖保郡 | 8C | 〔風土記〕【小宅】【揖保】萩原里〈土中々〉、右所以名萩原者、息長帯日賣命韓/国還上之時、御船宿於此村、一夜之間生萩〔一〕根、/高一丈許、仍名萩原‖少宅里〈本名漢部里〉 土下中、所以号漢部者、漢人居/之此村、故以為名、所以後改曰少宅者、川原若狭/祖父娶少宅秦公之女、即号其家少宅、後若狭之孫智/麻呂任為里長、由此庚寅年為少宅里‖揖保里〈土中/中〉、所以称粒者、此里依於粒山、故因山為名、 | 県史古1p.532 播磨国風土記 | |
桑原里(倉見) | 揖保郡 | 8C | 〔風土記〕【桑原】桑原里〈舊名倉/見里〉土中上、品太天皇御立於槻折山〔望〕/覧之時、森然所見倉、故倉見村、今改名為桑/原、一云桑原村主等、盗讃容郡桉見〔桉〕将来、其/主認来、見於此村、故曰桉見、 | 県史古1p.533 播磨国風土記 | |
余戸郷☆[42] | 揖西郡 | 久寿2.12.29 | 1155 | 〔太政官符案〕太政官符 民部省/応停止官使検非違使院宮諸司国使等闌入、弘誓院領/諸国庄園内并大小国役事‖壱所 字藤三位勅旨/在同国管揖西郡余戸郷/田拾五町 在家柒拾宇 | 県史中8p.258 随心院文書1 |
布施郷 | 揖西郡 | 建久8.4.30 | 1197 | 〔官宣旨〕【布勢】左弁官下播磨国/応且任舊跡糺定四至堺且免除雑傜、穀倉院領/当国小犬丸保事/在管揖西郡布施郷内‖右得彼院去年十二月廿四日解状偁、彼保解云、謹考/舊貫、当保建立之後、漸雖及二百歳、四至内田畠荒/野山林等、敢無有濫妨、 | 県史古3.p402 続左丞抄 |
本郷 | 桑原庄 (揖保) |
正中2.3.- | 1325 | 〔最勝光院領荘園目録案〕最勝光院領/注進 寺領庄園年貢近年所済分出物等散状事/一、播磨国/桑原庄‖本郷十五石 領家山科中将入道/近年ハ石代十五貫文進済之処、去弘安元年以来/寄事於地頭非法、十貫文進済之外、無所見歟‖平位村六石 領家三位法印泰豪/近年六貫文弁済之、 | 県史中6p.736 東寺文書7ゆ函 |
平井郷 | (揖保) | 暦応4.④.19 | 1341 | 〔松鶴請文〕最勝光院の御領近江国湯次庄・檜物庄、播磨国下揖保/庄・平井郷とうの寺用の中、年々の未進分にむけて/廿貫文お給候へきよし、御寺より承候上ハ、院宣をも/申、御寺の御状をも給候て、心の所及、せめ申候へく候、 | 県史中6p.742 東寺文書17さ函 |
網干郷 | (揖保) | 天正5.12.6 | 1577 | 〔羽柴秀吉禁制〕禁制 網干郷/一、当手軍勢乱妨狼藉事/一、放火事/一、非分不謂族事/右条々堅令停止訖、若於違犯者、速可処厳科者也、仍如件、 | 県史中3p.12 網干郷文書(大覚寺保管)2 |
村
村 | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
---|---|---|---|---|---|
佐々村☆[43] 阿笠(豆ヵ)村 |
揖保郡 | 8C | 〔風土記〕佐々村 品太天皇巡行之時、猓嚙竹葉而遇之、故曰佐々村/阿笠(豆ヵ)村 伊和大神巡行之時、告其心中熱、而控絶衣/紐、故号阿笠(豆ヵ)、一云、昔天有二星、落於地化為/石、於此人衆集来談論、故名阿笠(豆ヵ)、 | 県史古1p.527 播磨国風土記 | |
皇子代村 狭野村 |
揖保郡 | 8C | 〔風土記〕越部里〈舊名皇/子代里 土中々>、所以号皇子代者、勾宮天/皇之世、寵人但馬君小津、蒙寵賜姓、為皇子代君/而、造三宅於此村、令仕奉之、故曰〔皇〕子代村‖狭野村 別君玉手等遠祖、本居川内国泉郡、因地不/便遷到此土、仍云、此野雖狭、猶可居也、故号/狭野、 | 県史古1p.528 播磨国風土記 | |
握村(都可) | 揖保郡 | 8C | 〔風土記〕廣山里〈舊名/握村〉 土中上、所以名都可者、石〔龍〕此賣/命立於泉里波多為社而射之、到此処箭尽入地/唯出握許、故号都可村、以後石川王為総領之時/改為廣山里、 | 県史古1p.529 播磨国風土記 | |
大田村☆ | 揖保郡 | 8C | 〔風土記〕【大田】上莒岡・下莒岡・黒戸津・勅田 宇治天皇之世、宇治/連等遠祖兄太加奈〔志〕・弟太加奈志二人、請大田村/与富等地、墾田将蒔来時、廝人以朸荷食具等物、於是朸折荷落、所以奈閇落処、即号黒戸津、 | 県史古1p.530 播磨国風土記 | |
伊都村☆[44] | 揖保郡 | 8C | 〔風土記〕宇頭川 所以〔称〕宇頭川者、宇須伎津西方、有絞/水之淵、故号宇頭川、即是大帯日賣命宿船之泊、伊/都村 所以称伊都者、御船水手等云、何時将到於/此所見之乎、故曰伊都、 | 県史古1p.531 播磨国風土記 | |
越部村 泉村 桑原村(倉見) |
揖保郡 | 8C | 〔風土記〕【越部】【桑原】美奈志川 所以号美奈志川者、〔伊〕和大神子石龍/比古命、与妹石龍〔比〕賣命二神相競川水、妹神欲/流於北方越部村、妹神欲流於南方泉村‖川流奪而将流於西方桑原/村、於是妹神遂不許之、 | 県史古1p.533 播磨国風土記 | |
神戸村 | 揖西郡 | 康平2.7.20 | 1059 | 〔播磨国東大寺領畠注進状〕多可郡東条郷野村畠三町/同郡黒田郷大志□畠三町/揖西郡揖保郷神戸村畠八町弐段/右件東大寺御領所々畠、所注進如件、抑件畠、守/殿被令聞給、令知行、可令御領給、即懐照可/徴進所当御地子、仍注事状、以解、 | 県史古2p.467 東大寺文書 |
上村 | 福井庄 (揖保) |
建治1.-.- | 1275 | 〔播磨国福井荘東保米算用状〕福井御庄東保/注進 建治元年御米進未算用事/合/御目録面尾米三百三十三石四斗三升四合/除米二十石一斗八升五合/二石二斗八升 丹賀嶋出田分/九石四升七合 畠田半分地頭押領分/四斗 上村地頭代算失押領分 | 県史中7p.280 神護寺文書21 |
水度村(水度呂) 宿院村 木屋村 |
(揖保) | 永仁4.1.- | 1296 | 〔播磨国福井荘年貢注進状〕卅八石六斗四升 正枝即/十九石三斗九升八合六勺水度村地頭/廿三石五斗六升 宿院村地頭/六石六斗二升木屋村地頭、於当村者、去年畠田/所当并今新田一向押/領分加定、 | 県史中7p.297 神護寺文書29 |
下村 | 福井庄 (揖保) |
永仁4.3.- | 1296 | 〔播磨国福井荘東保名頭等申状〕神護寺御領播磨国福井御庄東保名頭等謹言上/為内検使左衛門入道道性、往古神田並名頭□堪落/之、無其謂子細条々‖一、当御庄領家政所敷一有神社、此即本願聖人御霊神/傾頭者、不空利益、依之、上下村〈各一反〉弐段以料田/令勤仕修正以下御神事者也、同落之、 | 県史中7p.298 神護寺文書30 |
平位村 | 桑原庄 (揖保) |
正中2.3.- | 1325 | 〔最勝光院領荘園目録案〕最勝光院領/注進 寺領庄園年貢近年所済分出物等散状事/一、播磨国/桑原庄‖本郷十五石 領家山科中将入道/近年ハ石代十五貫文進済之処、去弘安元年以来/寄事於地頭非法、十貫文進済之外、無所見歟‖平位村六石 領家三位法印泰豪/近年六貫文弁済之、 | 県史中6p.737 東寺文書7ゆ函 |
栄村☆ 山下部村☆[45] 熊代村 |
浦上庄 (揖保) |
元弘4.1.19 | 1334 | 〔後醍醐天皇綸旨〕播磨国浦上庄内栄・山下部・熊代等村、大徳寺管領之/由、被聞食了者/天気如此、仍執達如件、 | 県史中7p.446 大徳寺文書104 |
矢田部村☆[46] | 揖保郡 | 14C | 〔峯相記〕神亀年中ニ播磨国揖保郡矢田部村ニ、俗名武吉丸ト/云者有ケリ、出家入道□、其名ヲ徳道上人トテ行基僧/正ニ法相宗ヲ受学シ役行者所伝ノ真言教ヲ行□、密/ニ三輪山ノ奥ニ行居ケリ、 | 県史中4p.56 峯相記 | |
山本村 | 福井庄 (揖保) |
14C | 〔峯相記〕蓑寺ト申ハ、正和二年比、坂部庄ヘ下旅人、ナニト/ナク雨ヤトリ、英賀西田寺ニ立寄リ、タワフレニ古仏/ニ躰ヲ負テ、福井庄山本村ニ蓑ヲ覆テ捨テ奉ル、薬/師・観音両像也、其辺ノ人々、板ヲ上ニフキ、祟メ奉/ル、 | 県史中4p.63 峯相記 | |
東保村(東方)☆ | 鵤庄 (揖保) |
応永21.12.19 | 1414 | 〔鵤荘引付〕饗一膳 飯一升盛 菜六種汁 餅九ツニて一膳折敷□/白酒 已上/百文、祭ノ御トウノフ施下行之、是者普賢院納所内ヨ/リ渡之、房喰用ニ入之、頭人ニハ東保村百性内沙汰之、 | 県史中3p.27 斑鳩寺文書30 |
中井村☆ | 鵤庄 (揖保) |
応永21.12.19 | 1414 | 〔鵤荘引付〕三郎太郎名之内/十五条中井村田二段 六斗五升代/廿三条三宅門一反 三斗代/以上三反 分米一石六斗 全未進 右近五郎乍/但是ヲハ吉永ニナシカヽル分ニ付畢、 | 県史中3p.28 斑鳩寺文書30 |
平方助久村☆[47] | 鵤庄 (揖保) |
応仁2.2.26 | 1468 | 〔鵤荘引付〕一、平方助久村五郎次郎、実報寺新方帯□入道為下部処/仁、浦上孫左衛門方、応仁弐年〈戊子〉二月廿六日夜、宿/ニテ被為生涯畢、折節新方ニ合宿候子細タルニ依テ/新方ヨリ沙汰通被申成畢、 | 県史中3p.42 斑鳩寺文書30 |
坂上村☆ 熊見村☆ 横浜村☆[48] |
(揖保) | 文明19.4.25 | 1487 | 〔播磨国福井荘名主・百姓等請文〕英賀同光明山幷松原御陣ニ堪忍仕候人数之事‖坂上村/二郎左衛門尉 熊見村/九郎兵衛 横浜村/新兵衛 横浜村/新左衛門尉/已上/右、名主・百姓事者、当御陣堪忍仕候上者、脇散在之/者、雖有緩怠私曲、蒙仰候て堅可申付候、 | 県史中9p.167 吉川家文書35 |
西敷居村 天満村☆ 平松村☆ 君か浜村☆[49] 尾禰嶋村 宮内村☆ 太居村(田井)☆ 宮田村☆ 山和村 山しな村 大田脇村 谷村☆[50] 壱藤村 糸居脇村 高田村☆ 河原村 和具(久)村☆ 小宅外面村 津濃市庭村☆[51] あほし村(網干) 三石村 興浜村☆ 蓮花寺村 |
福井庄 (揖保) |
(長享1.-.-) | 1487 | 〔播磨国福井荘村名注文〕福井庄廿八个村/一、熊見村/一、西敷居村/一、天満村/一、平松村/一、君か浜村/一、尾禰嶋村/一、宮内村/一、太居村/一、宮田村/一、山和村/一、山しな村/一、大田脇村/一、谷村/一、壱藤村/一、糸居脇村/一、高田村/一、河原村/一、和具村/一、小宅外面村/一、坂上村/一、津濃市庭村/一、みとろ村/一、あほし村/一、三石村/一、横浜村/一、興浜村/一、蓮花寺村/一、坂上村東、一か所名不知、 | 県史中9p.169 吉川家文書41 |
小田村☆ | 鵤庄 (揖保) |
永正6.7.29 | 1509 | 〔鵤荘引付〕敵退処ヲ小田村田中新四郎方矢ヲ放、/敵ノ足ヲヰ、然間各々ニケ退キ了、此方ノ衆モ沙汰/人并後見中間衆已下令同道打帰リ、如本意、庄例之筋目仁成敗在之、 | 県史中3p.48 斑鳩寺文書30 |
宿村☆ | 鵤庄 (揖保) |
永正9.5.13 | 1512 | 〔鵤荘引付〕宿敷卅代分米三斗九升、百姓宿村元徳寺六郎次郎ト云前ニ/在之、此分ニテハ公并等一向無之/間、余無勿躰候て、当年壬申ヨリ五个年間、斗代少/令減少令開処也、 | 県史中3p.48 斑鳩寺文書30 |
柳村☆ 奥村☆ |
鵤庄 (揖保) |
永正9.-.- | 1512 | 〔鵤荘引付〕一、平方歩射儀付、出仕百姓ト四郎衛門已下衆ト座敷令/相論訖、則去年ヨリ雖申事ナリ、新儀不可然由申付/間、近年落居訖、於座敷者〈一方ハ柳村新兵衛/一方ハ奥村三郎兵衛〉其次座/ヨリ次第ニ各々ナヲリ畢、 | 県史中3p.50 斑鳩寺文書30 |
東南村☆ | 鵤庄 (揖保) |
永正11.3.14 | 1514 | 〔鵤荘引付〕一、同年三月十四日之夜、東南村藤次郎酔任ヲ仕テ、我/母ヲ令刃傷、大犯三ヶ条之罪過難遁□□親子共仁/家内雑具以下悉検断畢、 | 県史中3p.51 斑鳩寺文書30 |
平方村☆ | 鵤庄 (揖保) |
永正12.5.27 | 1515 | 〔鵤荘引付〕同日酉/剋、平方村周世次郎五郎宿所衛乱入之趣、従在家註/進有之間、為検断両人并後見智善房中間衆以下指遣/処、既日暮及戌剋処仁、平方村於入口、彼方之衆三/十アマリト此方之衆ト不慮之及喧嘩、 | 県史中3p.54 斑鳩寺文書30 |
打越村 星田庄村 |
(揖保) | 大永年中 | 1521~28 | 〔惣社走馬之記〕〔惣社走馬之記〕惣社走馬之記/大永年中走馬六十一人事‖大塚太郎左衛門 同 打越村 居‖八杉藤五郎 星田庄村居 | 県史中4p.366 惣社走馬之記 |
平野村☆ 大屋村☆ |
栗栖庄 (揖保) |
天文12.9.6 | 1543 | 〔佐野秀綱等連署折紙〕栗栖庄平野村与大屋村申結公事篇儀、菟角自大屋村平/野村へ罷出、一札無事可然之由候、然而向後掟等被仰出/筋目少茂於相背輩者、堅被加御成敗、拘分等可被行散田之旨候、 | 県史中3p.103 平野村文書1 |
内山村☆ | 鵤庄 (揖保) |
永禄10.11.9 | 1567 | 〔二徳私領配分田数注文〕鵤御庄私領分内新兵衛ニ被分宛注文/一、国久名内 弐段廿五代、常楽寺屋敷除之/壱段四十代、内山村・山田・平位譲引之/壱段、楽々山寄進之、 | 県史中3p.87 安田文書5 |
かハや村 | (揖保) | 元亀2.5.13 | 1571 | 〔円山弥五郎田数注文〕田数註文/国久なハしろ/壱反拾代/国久上町/弐段拾代/国久下町/弐反廿代/わさ田/四拾代/茶木ノ下/壱段卅代/南□/四拾五代/已上内作分也、/かきね/壱段 かハや村左衛門/西長ひろ/弐段 松尾新四郎 | 県史中3p.92 安田文書9 |
中嶋村☆ | 塩屋庄 (揖保) |
元亀3.7.7 | 1572 | 〔赤松則房安堵状〕塩屋庄中嶋村内半済幷香山保内上月分事、任本領旨/申付条、令領知、可抽奉公忠事、専用候、恐々謹言、 | 県史中9p.286 上月文書86 |
伊勢村☆[52] | 揖東郡 | 天正8.9.1 | 1580 | 〔羽柴秀吉安堵状〕揖東郡以福井庄内六千弐百石、岩見庄庄弐千七百石/伊勢村上下千百石、都合壱万石相副小帳進之置候条無/相違可有御知行候、 | 県史近1p.4 黒田文書 |
寺内村 | 揖東郡 | 天正9.3.18 | 1581 | 〔羽柴秀吉寺領寄進状〕以揖東郡寺内村百五拾石事、令寄進之条、全可有寺納/者也、仍如件、 | 県史中3p.16 斑鳩寺文書7 |
堂本村☆[53] 中村☆ 片山村☆ 日害(飼)村☆ 阿曽村☆ 松尾村☆ |
揖東郡 | 天正9.3.18 | 1581 | 〔羽柴秀吉安堵状〕目録 揖東郡/一、千三百七拾六石四斗 香山上下/一、千弐百五拾五石 網干/一、五百九拾壱石壱斗 小宅庄/堂本村/一、五百四拾弐石七斗 同/中村/一、九拾石三升 同/同村/一、七百廿七石四斗 片山村/日害村/一、六百壱石九斗 松山/阿曽村/一、百六石三斗 松尾村/一、参百石 佐々村/合五千六百石 | 県史近1p.6 浅野家文書 |
ようらう村☆[54] 中かわち村 西のとい(土井)村☆ 大江嶋村☆ 常せん(全)村☆ 長松村☆ いと(糸)井村☆ 宮内村☆ かまへ村(構)☆ 宮本村☆ 舟代村☆[55] 山戸村☆ 高岡村 |
(揖保) | 天正15.9.24 | 1587 | 〔豊臣秀吉知行方目録〕戸田民部少輔分/一、千石 加西郡/はた村 もう谷村/中西村 のうてう村/北条村 おさき村/たんけ村 以上七里/一、弐百五拾石 ようらう村/一、百五拾壱石 中かわち/一、参百五拾石 谷村/一、四百五拾石 宮田村/一、参百五石八斗 田井村/一、参百弐拾参石 坂上/一、弐百四拾弐石参斗 くま見村/一、百六拾石参斗 西のとい/一、弐百拾七石八斗 きひ/平松/一、百六拾弐石壱斗 大江嶋村/一、参百拾壱石七斗 常せん村/一、五拾石 佐々村/一、千石 伊勢村/一、弐百参拾四石壱斗 高田村/一、四百四拾参石 わく村/一、参百弐拾八石八斗 長松村/一、百八拾石 いと井村/一、参百参拾五石弐斗 宮内村/一、百石七斗 かまへ村/一、四百七拾参石五斗 てんま/一、弐百弐石五斗 宮本村/一、百八拾六石七斗 舟代村/一、百七拾六石四斗 山戸村/一、参百八石 高岡村/一、百五拾五石 東方村/以上八千九拾七石九斗 廿五村 | 県史近1p.27,28 木下家文書 |
小宅下村 井上村☆ |
(揖保) | 天正16.6.5 | 1588 | 〔浅野長政・増田長盛連署裁許状〕小宅下村与石見郷福井庄与井水之儀、遂糺明、有様聞/届候、然者井上村溝より岩見井へ落候水、筒樋ニてお/とし、又岩見井より柳原溝へ取候水をも上ニて落候こ/とく、筒樋にて取可申候、 | 県史中3p.80 岩見井組文書1 |
福地村☆ 旦上村☆[56] いちのほう村(一乃保)☆[57] |
揖東郡 | 天正16.7.5 | 1588 | 〔豊臣秀吉宛行状〕一、弐百石 播州揖東郡内/坂上村/一、五百九拾石 同 同郡/福地村/一、参百参拾石 同 神東郡内/旦上村/一、参百弐拾石 同 同郡/いちのほう村/一、五百七石五斗 同揖東郡内れんしやうし/一、千百五拾石 同揖西郡内かたしま/以上四千八百七拾七石五斗 | 県史近1p.31 島津家文書 |
連城寺村☆[58] | (揖保) | 天正16.10.- | 1588 | 〔知行目録〕播州御知行参千九拾七石伍斗之当納分目禄事‖連城寺村/高之内不足分引残而/一、四百九拾弐石八斗六升/当納分弐百九拾五石七斗壱升六合也、百石ニ付/六拾石宛 | 県史近1p.32 島津家文書 |
碇岩村☆ | (揖保) | 文禄3.4.6 | 1594 | 〔小川正吉等連署折紙〕碇岩村諸役・夫役・家役、如前々ゆるし申候間、於向/後別有間敷候、為其一筆如此也、 | 県史中3p.101 碇岩村文書3 |
養久村☆ 二塚村☆ 間場村 北萩原村☆ 大片村 北山村☆ 下余部村☆ 新在家村☆ 清水村☆ 佐江村☆ 前地村☆ 新宮村☆[59] 南山村☆ 池(北)山村☆ 浜田村☆ 今井(市ヵ)村☆ 野田村☆ 中村☆ 栗栖村 塚村 上余村☆[60] 金剛山村☆ 袋尻村☆ 小犬丸村☆ 浦部村☆ 中島村☆ 下むら☆ 福田村 仮屋村☆[61] 馬場村☆ 西構村☆ 上川原村☆ 布施村 かた(片)村☆ 黒崎村☆ 井津村☆[62] 庄内村 越部中庄村☆ |
揖西郡 | 文禄3.6.5 | 1594 | 〔豊臣秀吉安堵状〕【栗栖】【布勢】知行方目録/一、百三拾七石六斗三升 播州揖西郡/養久村/一、四百九拾四石壱斗二升 同/二塚村/一、弐百三拾壱石七斗六升 同/間場村/一、百三拾五石五斗九升 同/北萩原村/一、六百石八升 播州揖西郡/大片村/一、百九拾五石三斗 同/北山村/一、三百四拾五石五斗 同/下余部村/一、弐百七拾八石壱斗 同/新在家村/一、五百五拾弐石三升 同/中垣内村/一、三百三拾四石五斗一升 同/清水村/一、三百七拾石五斗五升 同/佐江村/一、百八拾九石九斗 同/前地村/一、五百弐拾四石壱斗六升 同/新宮村/一、百六拾五石四升 同/構村/一、百拾七石三斗 播州揖西郡/田井村/一、百五拾弐石弐斗 同/南山村/一、弐百拾六石五斗 同/池(北)山村/一、百四拾三石八斗七升 同/浜田村/一、四百三拾四石壱斗七升 同/今井(市ヵ)村/一、弐百三拾弐石五斗二升 同/上村/一、弐百四拾四石四斗三升 同/野田村/一、弐百弐拾九石八斗四升 同/中村/一、弐千五百八石六升 同/栗栖村/一、六百四拾弐石七斗 同/塚村/一、三百五石八斗七升 播州揖西郡/上余村/一、七拾八石三斗五升 同/金剛山村/一、百八拾弐石五斗 同/袋尻村/一、千八拾六石弐斗四升 同/小犬丸村/一、百三拾弐石七斗七升 同/浦部村/一、三百三拾弐石八升 同/中島村/一、百弐拾九石七斗 同/碇岩村/一、百九拾四石三斗七升 同/下むら/一、弐百石六斗六升 同/岩見庄/一、百六拾九石五斗 同/福田村/一、百七拾七石七升 播州揖西郡/仮屋村/一、百拾六石六斗六升 同/同所/一、弐百六拾七石四斗 同川之内/馬場村/一、三百六拾五石三斗 同浦上之内/西構村/一、五拾石八斗四升 同中島内/上川原村/一、千九百五拾三石四斗 同/布施村/一、五拾五石五斗五升 龍野/中河原/一、六百拾弐石四斗一升 〈かた村 黒崎村/井津村 庄内村〉/以上壱万五千八百八拾七石‖一、六百石七斗 同/越部中庄村/合弐万千五百弐拾石/右知行令扶助之訖、全可領知候也、 | 県史近1p.37~39 金井文書 |
半田村☆ | (揖保) | 文禄4.5.29 | 1595 | 〔杉山休意・下潟市左連署裁許状〕態一帋遣候、然者岩見福井之こせか瀬之井、半田村百/性共、用水切落申ニ付而、両郡之百性共罷出、先々ニ/於申上候ヘハ、則拙者両人ニ見使ヲ被仰付候付而、罷/下両方相尋候ヘハ、半田村百性共不届段候間、 | 県史中3p.80 岩見井組文書2 |
大道村☆ 山下村☆ 中陣村☆[63] 小神村☆ 正条村☆ 山津屋村☆ きびた村☆[64] |
(揖保) | 文禄4.5.- | 1595 | 〔揖保川井堰絵図〕【中臣】 | 県史中3p.81 岩見井組文書3 |
打越村☆ かう(香)山村☆ 林田村 はしさき村(觜崎)☆[65] 横大市村☆[66] 大市村 |
揖東郡 | 文禄4.8.17 | 1595 | 〔豊臣秀吉安堵状〕【林田】【大市】一、百拾三石 揖東郡/打越村/一、百六石 同/かう山村/一、弐百石 同/あそ村/一、三石 同/松尾村の内/一、拾六石八升 同さゝ村/一、四百四拾八石五斗 同/林田村/‖一、五拾石 同/はしさき村‖一、弐百八石二斗 神東郡/横大市村‖一、弐百石 揖東郡/大市村 | 県史近1p.42,43 木下家文書 |
上岡上村 | 揖東郡 上岡庄 |
文禄4.8.21 | 1595 | 〔豊臣秀吉安堵状〕【上岡】知行方目録/一、弐百五拾三石壱斗四升 播州揖東郡太田庄内/矢田部村内/一、千七百弐拾三石五升 同郡上岡庄/上岡上村内/合千九百七拾六石弐斗/右今度以検地之上、令扶助之訖、全可領知候也、 | 県史近1p.45 黒田文書 |
野田村☆[67] | 揖東郡 中庄 |
文禄4.12.1 | 1595 | 〔豊臣秀吉朱印知行方目録〕[68]一、五百六拾九石五斗六升 播磨国いつとう郡/はしさき村/一、七百参拾弐石三升 同中庄内野田村/五百六拾石参斗五升 同こしべ上庄内/いちのほ/たんの上/一、百四拾弐石参斗三升 同いつさいこほり/かた村/合弐千石 | 県史中1p.487 教行寺文書24 |
赤穂郡
郷(里)
坂越、八野、大原、筑磨、野磨、周勢、髙田、飛鳥
郷(里) | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
---|---|---|---|---|---|
坂越里☆ | (赤穂) | 持統天皇8~和銅3 | 694~710 | 〔木簡〕【坂越】坂越里□マ□□ | 県史中9p.781 飛鳥藤原宮出土木簡概報9 |
神戸里 | (赤穂) | 延暦12.4.17 | 793 | 〔播磨国坂越・神戸両郷解案〕赤穂郡坂越郷神戸両□□□解 申□所勘問東大寺塩山事‖右、件山者、自去天平勝宝五歳迄七歳、所謂故寺大‖伴宿祢之点山并葦原墾田所云預当郡人秦大炬之目代也、‖神戸里神人廣永 | 県史古1p.249 石崎直矢氏旧蔵文書 |
大原郷 | 赤穂郡 | 8C 天平末年 |
〔木簡〕【大原】赤穂郡大原郷〈秦造吉備人丁二斗/秦造小奈戸丁三斗〉/□庸一俵 | 県史古1p.502 平城宮出土木簡概報11 | |
八野郷 | 赤穂郡 | 天慶4.9.22 | 941 | 〔本朝世紀〕【八野】賊/徒藤原文元・同文茂・三善文公等自備前国邑久郡桑浜下、越来播磨国之由、以今月十七日移文持来也‖於部下赤穂郡八野郷石窟山/合戦之間、殺三善文公、但文元・文用等未捕獲、仍/言上其由者、 | 県史古2p.73 本朝世紀 |
高田郷☆[69] | (赤穂) | 延文2.11.28 | 1357 | 〔光厳上皇院宣〕【髙田】播磨国高田郷・埴岡両条等、可被知行之由/院御気色候也、仍執達如件、 | 県史中9p.41 阿部家文書1 |
周世郷☆ | (赤穂) | 14C | 〔峯相記〕【周勢】亦安志ノ毘沙門、笠寺薬師、富家庄佐々山ノ/里、周世郷ノ地蔵ユルキハタラクイシゝゝ、亦坂越織/写、深志野以下、所々ニ権現アマクタリ給由、此比披/露多シ、大旨比興事共ニテ、恐クハ無実也、 | 県史中4p.63 峯相記 | |
赤松郷☆ | 佐用庄 (赤穂) |
応永16.9.4 | 1409 | 〔足利義持御判御教書〕佐用庄上津方・土万/郷・菅野村・赤松郷内屋敷・同包沢西山、同国竹万庄、/同国五个庄野口□□・福冨・河原村、同国餝西余部/郷半分・神戸庄等地頭職、同国伊川庄・埴岡北条上下/村・多可庄等事、任亡父頼則今年二月廿九日譲状之旨/赤松次郎満則領掌不可有相違之状如件、 | 県史中9p.16 赤松(春日部)文書7 |
村
村 | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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赤松村☆ | 佐用庄 (赤穂) |
建長2.11.- | 1250 | 〔九条道家初度惣処分状〕播磨国作用庄内/東庄/西庄/本位田/新位田/豊福村/江河村/赤松村/千草村/土万村/同国神戸庄〈石山尼譲進准后御方/領家職三位殿伝領之〉‖右、件家地・家領附属如件、以年貢上分有充置仏事等/更不可有懈怠、或有相伝寄進之地、無殊咎者不可被改/易、但偏年貢懈怠過法、忽緒下知者非其限 | 県史中8p.511 九条家文書3 |
堤木津村☆[70] | 坂越庄 (赤穂) |
正和2.9.12 | 1313 | 〔寺田範兼所領譲状案〕譲渡 孫太郎範長所/合/一、播磨国矢野庄重藤名地頭職・田畠山□、例名公文職・大僻宮別当神主・祝師職等□/一、同国坂越庄内蒲分堤木津村畠弐丁地頭/一、同国福井庄東保上村地頭職内小河原屋敷田畠事/一、備前国光延・国富両名内屋敷壱所并田畠〈坪付在/別紙〉事 | 県史中6p.735 東寺文書4へ函 |
西奥村 | (赤穂) | 暦応1.10.6 | 1338 | 〔足利幕府引付頭人奉書〕南禅寺雑掌良玄申、播磨国西奥村事、重申状・具書如/此、海老名七三□帯外題状云々、為尋問子細、不日可/進代官之由、可被相触之状、依仰執達如件、 | 県史中8p.29 南禅寺文書24 |
苔縄村☆ | 赤松庄 (赤穂) |
暦応3.11.18 | 1340 | 〔赤松円心四至定文案〕定置 法雲禅寺/播磨国赤松庄苔縄村四至堺事/東ハ自金華山嶺、荒神尾大白樫々把野才松クニ木ヲ/限/北ハ自林中荒神尾鼻石之塔、轟木之口山神ヲ限、金/鑿之尾殿屋敷ヲ限、 | 県史中2p.638 広峯文書2 |
赤松上村☆ | 佐用庄 (赤穂) |
観応1.12.5 | 1350 | 〔足利尊氏袖判下文案〕下 赤松美作権守範資/可令早領知播磨国佐用庄内赤松上村・三川村、江川/郷太田方・広瀬方・弘岡方、本位田下得久、同国五/箇庄内宿村〈付、下司・公文/政所名〉・木村・大津村、同国淡河/庄内下村 | 県史中9p.482 森川文書1 |
下村☆ | 矢野庄 (赤穂) |
応安1.11.19 | 1368 | 〔山城守季有遵行状〕海老名新左衛門尉知定〈今者/出家〉申、播磨国矢野庄内例名下/村半分〈海老名四郎左衛門/入道跡〉地頭職事、任去々年十二月二/日御下文・同十四日御施行・并今年十月十九日御書下/之旨、所沙汰付下地於源延之状如件、 | 県史中3p.120 海老名文書7 |
栗原村☆[71] | 竹万庄 (赤穂) |
応永27.3.20 | 1420 | 〔某院院領年貢・公事書上〕一、播磨国竹万庄栗原村〈為瑞岩寺殿安峯/赤松越州御寄進〉/捴田数拾四町二段二十代拾八歩〈加柏原田定〉/除/玖段 梵天・八幡・大避〈三神宮修理/田〉 | 県史9p.627 尼崎市教育委員会所蔵文書1 |
相生村☆ | (赤穂) | 長禄2.11.10 | 1458 | 〔貫守・英椿連署下地宛行状〕宛行 助延名内/合肆拾五代〈坪ユツカ〉/右下地者、任相生村道円入道支證旨、所宛行也、但御/年具公田分弐斗代分、可致沙汰、仍宛状如件、 | 県史中3p.121 海老名文書10 |
中村☆ | 赤穂郡 坂越庄 |
延徳2.4.28 | 1490 | 〔播州六坊之記録〕一、同国赤穂中村永応寺殿開基ハ善祐也、三幅対現に残/れり、御裏ニ曰、方便法身の尊形、播州赤穂郡坂越/庄中村、願主善祐、延徳二壬戌年四月廿八日、釈蓮/如御在判云云、善祐法師天文十九年二月十五日往生せり、 | 県史中4p.253 播州六坊之記録 |
那波村☆ | (赤穂) | 元亀2.6.19 | 1571 | 〔明石行雅等連署書状写〕室・那波傍尓相論候事、於在様者、追而被相究可被申/付分候条、被成其御心得、那波村儀も無異儀様可被仰/付候、龍野へも右之趣申上候、室へも使者差上、手前/致無事候へと申聞候之間、定不可有別候、 | 県史中3p.126 海老名文書10 |
陸地村 | (赤穂) | 天正1.12.10 | 1573 | 〔陸地村六郎兵衛田地売券〕永代売渡申田之事/合拾代者〈在所ハカマ池ノ下、但助衛門田を/キリテ西ノ山皆此田之内也、〉/右件下地者、雖為我等拘分、依有要用、置米弐石五斗/仁永代売渡申処実正也、‖陸地村/六郎兵衛 | 県史中3p.127 海老名文書1 |
佐用郡
郷(里)
佐用、江川、廣岡、速瀬、柏原、大田、中川、宇野
郷(里) | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
---|---|---|---|---|---|
速湍里(速瀬)☆[72] 邑宝里 柏原里 中川里(仲川) |
讃容郡 | 8C | 〔風土記〕【速瀬】【柏原】【中川】速湍里〈土上中〉、依川湍速、々湍社坐神廣比賣命、故那/都比賣命弟‖邑宝里〈土中上〉、弥麻都比古命治井飡粮、即云吾占/多国、故曰大村、治井処、号御井村‖柏原里 由柏多生、号為柏原‖中川里〈土上下〉、所以名仲川者、苫編首等遠祖大仲子/息長帯日賣命度行於韓国之時、船宿淡路石屋之/尓時、風雨大起、百姓悉濡、于時大中子以苫作屋/天皇勅云、此為国富、即賜姓為苫編首、仍居此処/故川号仲川里、 | 県史古1p.534 播磨国風土記 | |
佐用郷(讃容)☆ 江川里 |
佐用郡 | 8C | 〔木簡〕【佐用】【江川】播磨国佐用郡佐用郷江川里□□/播磨直知得三斗右六斗一俵 | 県史中9p.785 平城宮出土木簡概報19 | |
雲濃里(宇野) | 讃容郡 | 8C | 〔風土記〕【宇野】雲濃里〈土上/中〉、 大神之子玉足日子・玉足比賣命生子大石/命、此子称於父心、故曰有怒、 | 県史古1p.535 播磨国風土記 | |
本位田郷☆ | 佐用庄 (佐用) |
応永18.10.17 | 1411 | 〔赤松満弘寄進状〕寄進 嵯峨南芳庵播磨国佐用庄内本位田郷事/合〈四至牓示注文/別紙在之〉/右、当郷者、満弘為重代本領、当知行無相違之地也/雖然、依有志趣、限永代、令寄付当庵也、 | 県史中9p.482 森川文書2 |
時安本郷 | 佐用郡 | 15C.8.11 | 15C | 〔山名政豊知行宛行状〕播州多可郡内瑞光寺領・揖西郡内布施郷領家分・佐用/郡内時安本郷等事、為給分相計候、可有知行候也、恐/々謹言 | 県史中9p.491 山内首藤家文書15 |
上津郷 | 佐用 | 永正5.12.19 | 1508 | 〔赤松則貞代官職請文〕上津郷御代官職事、従当年五个年之間、御公用百弐拾/貫文可致執沙汰候、年貢以後事者、自其方可被仰付候/此趣可預御披露候、恐々謹言、 | 県史中9p.21 赤松(春日部)文書26 |
村
村 | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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大村 御井村 |
讃容郡 | 8C | 〔風土記〕邑宝里〈土中上〉、弥麻都比古命治井飡粮、即云吾占/多国、故曰大村、治井処、号御井村、 | 県史古1p.534 播磨国風土記 | |
塩沼村 | 讃容郡 | 8C | 〔風土記〕塩沼村 此村出海水、故〔曰〕塩沼村、 | 県史古1p.535 播磨国風土記 | |
豊福村☆ 江河村 |
佐用庄 (佐用) |
建長2.11.- | 1250 | 〔九条道家初度惣処分状〕【江河】播磨国作用庄内/東庄/西庄/本位田/新位田/豊福村/江河村/赤松村/千草村/土万村/同国神戸庄〈石山尼譲進准后御方/領家職三位殿伝領之〉‖右、件家地・家領附属如件、以年貢上分有充置仏事等/更不可有懈怠、或有相伝寄進之地、無殊咎者不可被改 | 県史中8p.511 九条家文書3 |
宍粟郡
郷(里)
三方、高家、比地、柏野、安志、石作、伊和、土万
郷(里) | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
---|---|---|---|---|---|
山守里 | 宍禾郡 | 和銅7.-.- | 714 | 〔木簡〕播磨国宍禾郡山守里/山卩加之ツ支 | 県史古1p.499 平城宮出土木簡概報10 |
余戸里 | 宍粟郡 | 和銅7.-.- | 714 | 〔木簡〕播磨国宍粟郡余戸里丸卩□□ | 県史古1p.499 平城宮出土木簡概報11 |
比治里(比地)☆[73] | 宍禾郡 | 8C | 〔風土記〕【比地】比治里〈土中上〉、所以名比治者、難波長柄豊前天皇/之世、分揖保郡、作宍禾郡之時、山部比治任為里/長、依此人名、故曰比治里、 | 県史古1p.535 播磨国風土記 | |
高家里 柏野里 安師里(安志)☆ 石作里 |
宍禾郡 | 8C | 〔風土記〕【高家】【柏野】【安志】【石作】高家里〈土下中〉、所以名曰高家者、天日槍命告云/此村高勝於他村、故曰高家‖柏野里〈土中上〉、所以名柏〔野〕者、〔柏〕生此野/故曰柏野‖安師里〈本名酒/加里〉 土中上、大神飡於此処、故曰須加、後号山守里、所以然者、山部三馬任為里長、故/曰山守、今改名為安師者、因安師川為名、其/川者、因安師比賣神為名、伊和大神将娶誂之‖石作里〈本名/伊和〉 土下中、所以名石作者、石作首等居/於〔此〕村、故庚午年為石作里、 | 県史古1p.536 播磨国風土記 | |
雲箇里☆[74] 御方里(三方)☆ |
宍禾郡 | 8C | 〔風土記〕【三方】雲箇里〈土下々〉大神之妻許乃波奈佐久夜比賣命、其形/美麗、故曰宇留加‖御方里〈土下上〉、所以号御形者、葦原志許乎命、与/天日槍命到故黒土志尓嵩、各以黒葛三条、着足投/之、尓時、葦原志許乎命之黒〔葛〕、一条落但馬気多/郡、一条落夜夫郡、一条〔落〕此村、故曰三条、 | 県史古1p.537 播磨国風土記 | |
神戸郷☆ 染河内郷 |
宍粟郡 | 仁治2.8.8 | 1241 | 〔官宣旨〕左弁官下 播磨国/応任宣旨幷入道摂政家政所下文、為東福寺領一円不/輸地、且停止勅院事大小国役国使入部、且令文章博/士藤原光兼朝臣子々孫々進退領掌、当国管宍粟郡一/宮社神戸郷領家預所及社務等職事‖爰後高倉法皇御時/親父長倫卿、返賜神領染河内郷、多年知行之、遂寄進/彼法華堂、建立不輸庄、可令子孫相伝之由、被下 宣/旨畢、 | 県史中9p.615 皇室領関係文書(伏見宮家領) |
三方西郷☆ | (宍粟) | 建武1.8.21 | 1334 | 〔官宣旨〕【三方】左弁官 下龍宝山大徳禅寺/応永為一円不輸寺領、停止国司・守護使并役夫工/米・諸役、信濃国伴野庄、下総国遠山方御厨、播磨/国浦上庄・同小宅三職方・同三方西郷、紀伊国高家/庄事 | 県史中7p.446 大徳寺文書106 |
千草郷☆ | 宍粟郡 佐用庄 |
応安2.8.- | 1369 | 〔梵鐘〕播州宍粟郡佐用庄千草郷/舩越山瑠璃寺椎鐘/大願主権律師覚祐/衆徒等同心/大工大江景光 | 県史中4p.599 梵鐘(瑠璃寺) |
土万郷☆ | (宍粟) | 応永16.9.4 | 1409 | 〔足利義持御判御教書〕【土万】佐用庄上津方・土万/郷・菅野村・赤松郷内屋敷・同包沢西山、同国竹万庄/同国五个庄野口□□・福冨・河原村、同国餝西余部/郷半分・神戸庄等地頭職、同国伊川庄・埴岡北条上下/村・多可庄等事、任亡父頼則今年二月廿九日譲状之旨/赤松次郎満則領掌不可有相違之状如件、 | 県史中9p.16 赤松(春日部)文書7 |
村
村 | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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宍粟邑 | (宍粟) | 8C | 〔日本書紀垂仁天皇三年三月〕〈一云、初天日槍、乗艇泊于播磨国、在於宍/粟邑、時天皇遣三輪君祖大友主与倭直祖/長尾市於播磨、而問天日槍曰、汝也誰人、且何国人也、天/日槍対曰、僕新羅国主之子也、 | 県史古1p.24 日本書紀 | |
矢田村 宇波良村☆[75] 比良美村(褶) 川音村☆[76] |
宍禾郡 | 8C | 〔風土記〕所以名宍禾者、伊和大神国作堅了以後、堺此川谷/尾、巡行之時、大鹿出己舌、遇於矢田村、尓勅云/矢彼舌在者、故号宍禾鹿、村名号矢田村、‖宇波良村 葦原志許乎命占国之時、勅〔云〕此地小狭/如室戸、故曰表戸/比良美村 大神之褶落於此村、故曰褶村、今人云/比良美村/川音村 天日槍命宿於此村、勅〔云〕、川音甚高、故/曰川音村、 | 県史古1p.535 播磨国風土記 | |
庭音村(庭酒) 塩村(塩生野村)☆[77] 土間村(土万)☆ 敷草村(千草)☆[78] |
宍禾郡 | 8C | 〔風土記〕【土万】庭音村〈本名庭酒〉 大神御粮枯而生糆、即令醸酒、以/献庭酒而宴之、故曰庭酒村、今人云庭音村‖塩村 処々出鹹水、故曰塩村、牛馬等嗜而飲之‖土間村 神衣附土上、故曰土間/敷草村 敷草為神座、故曰敷草、 | 県史古1p.536 播磨国風土記 | |
波加村 伊和村(神酒・於和・岩)☆ |
宍禾郡 | 8C | 〔風土記〕【伊和】波加村 占国之時、天日槍命先到〔此〕処、伊和大神/後到、於是大神大恠之云、非度先到之乎、故曰波/加村‖伊和村〈本名神酒〉 大神醸酒此村、故曰神酒村、又/云於和村、大神国作訖以後、云、於和、等於我美岐、 | 県史古1p.537 播磨国風土記 | |
小野村☆ | (宍粟) | 正応3.8.2 | 1290 | 〔関東下知状〕可以早中村馬允光時後家領知播/磨国小野村在家壱宇〈光国付田七段廿歩/田参段号御園〉事/右、以亡夫光時跡、所配分也、守先例、可令領掌之状、/依鎌倉殿仰下知如件、 | 県史中3p.251 中村文書1 |
染河内村 | (宍粟) | 建武3.7.20 | 1336 | 〔長俊書下〕播磨国一宮社領染河内村事、沙汰成熟之時、云下地/云年貢・百姓、三分一可為社家分、於三分二者、小幡/殿可有御知行候、 | 県史中3p.159 伊和神社文書15 |
三川(河)村☆[79] | 佐用庄 (宍粟) |
観応1.12.5 | 1350 | 〔足利尊氏袖判下文案〕下 赤松美作権守範資/可令早領知播磨国佐用庄内赤松上村・三川村、江川/郷太田方・広瀬方・弘岡方、本位田下得久、同国五/箇庄内宿村〈付、下司・公文/政所名〉・木村・大津村、同国淡河/庄内下村、同国白旗鎮守八幡・春日両社神主職・伯/耆国八橋郡内大井下郷事 | 県史中9p.482 森川文書1 |
都多村 | 宍粟郡 | 応安3.8.7 | 1370 | 〔播磨国宍粟郡徳王寺檀那願文〕播州宍粟郡都多村/徳王寺 住持 範翁(花押)/同道僧 性縁庵主/同道僧 心悟侍者 | 県史中7p.128 熊野本宮大社文書5 |
菅野村 | (宍粟) | 応永16.9.4 | 1409 | 〔足利義持御判御教書〕佐用庄上津方・土万/郷・菅野村・赤松郷内屋敷・同包沢西山、同国竹万庄/同国五个庄野口□□・福冨・河原村、同国餝西余部/郷半分・神戸庄等地頭職、同国伊川庄・埴岡北条上下/村・多可庄等事、任亡父頼則今年二月廿九日譲状之旨/赤松次郎満則領掌不可有相違之状如件、 | 県史中9p.16 赤松(春日部)文書7 |
横山村☆ | (宍粟) | 嘉吉1.6.- | 1441 | 〔鰐口〕播州三方東横山村観音寺鰐口/嘉吉元年〈辛酉〉六月吉日敬白 | 県史中4p.593 長遠寺(尼崎市寺町) |
西波賀村 | 宍粟郡 | 15C.5.26 | 15C | 〔浦上政宗書状〕宍粟郡西波賀村内、同名与三郎拘分五分一方之事、帰/参候者可被相談、先々進退可然候、恐々謹言 | 県史中3p.260 中村文書29 |
中村☆ | (宍粟) | 永正7.12.3 | 1510 | 〔宇野春為公用請文〕中村御公用之事、五拾五石ニ請切申上者、諸役以下□/事者、為私可致其沙汰候、万一、於無沙汰儀者、可被/召放候、 | 県史中9p.22 赤松(春日部)文書27 |
山崎村☆ | 宍粟郡 | 天正15.11.16 | 1587 | 〔木下勝俊判物〕宍粟郡之内山崎村において新町申付候、望次第可罷出/候、但其在所た畠をあらし、役をかゝし罷出候事無用/候、他所より来候者、諸役有間敷候、仍如件、 | 県史中3p.264 山崎八幡神社文書1 |
塩田村☆ |
宍粟郡 | 16C.12.13 | 16C | 〔宇野村頼請文〕豆州御領作州讃甘庄幷播州宍粟郡内塩田村・塩生野村/□村等事、堅被仰出候之間、渡進上申上者、於向後/彼在所事、自此□不可有其煩候、可然様、可預御披露/候、恐々謹言、 | 県史中9p.26 赤松(春日部)文書42 |
橘村 | 石作庄 (宍粟) |
年月日未詳 | 〔播磨国石作荘年貢・段銭等算用状〕ハリマノ国石造庄勘定事‖ナカクロ/壱反 分米五斗〈公事銭/百文〉 橘村/次郎兵衛/同/壱反 分米七斗〈公事銭/百文〉 同/二郎兵衛/カラ田/壱反 分米六斗〈公事銭/百文〉 同/同 | 県史中8p.591 久我家文書97 | |
須賀村☆ | 石作庄 (宍粟) |
年月日未詳 | 〔播磨国石作荘年貢・段銭等算用状〕ハリマノ国石造庄勘定事‖御公用米柒石 同公事銭弐貫文 段銭弐町分弐貫文/卅代 五斗六升 仏法寺/卅代 五斗六升/卅代 是ハ指出不仕之由、答申候、/拾五代 是ハ皆流之由、申候、/拾代 是ハ指出不仕之由、申候、/弐拾代 参斗七升四合/以上年貢□反銭、何も壱貫文に而御侘言被申/候、/廿五代 四斗六升七合五勺得 須賀村/大郎左衛門 | 県史中8p.592 久我家文書97 |
神崎郡
郷(里)
埴岡、蔭山、川邊、的部、槻田
郷(里) | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
---|---|---|---|---|---|
川辺里☆[80] | 神前評 | 持統天皇8~和銅3 | 694~710 | 〔木簡〕【川邊】神前評川辺里/三宅人荒人俵 | 県史中9p.782 飛鳥藤原宮出土木簡概報11 |
田中里 | 神埼郡 | 天平10.10.- | 738 | 〔木簡〕播磨国神埼郡蔭山郷田中里戸辛人麻呂調銭壱貫 | 県史中9p.792平城宮出土木簡概報31 |
堲岡里(埴岡) | 神前郡 | 8C | 〔風土記〕【埴岡】稲種山 大汝命・少日子根命二柱神、在於神前郡堲/〔岡〕里生野之岑、望見此山云、彼山者当置稲種/即遣稲種、積於此山、々形亦似稲積、故号曰稲種山、 | 県史古1p.529 播磨国風土記 | |
高岡里 多駝里☆[81] 蔭山里 |
神前郡 | 8C | 〔風土記〕【蔭山】高岡里〈神前山/奈具佐山〉 土中々、右云高岡者、此里有高/岡、故号高岡‖多駝里〈邑日野・八千/軍野・粳岡〉 土中下、所以号多駝者、品太/天皇巡行之時、大御伴人佐伯部等始祖阿我乃古、申/欲請此土、尓時、天皇勅云、直請哉、故曰多駝‖蔭山里〈蔭山/冑岡〉土中下、云蔭山者、品太天皇御蔭堕/於此山、故曰蔭山、又号蔭山、尓除道刃鈍、仍〔勅〕/云、磨布理許、故云磨布理村、 | 県史古1p.538 播磨国風土記 | |
的部里☆[82] | 神前郡 | 8C | 〔風土記〕【的部】的部里〈石坐神山/高野社〉土中々、右的部等居於此村、故曰/的部里、 | 県史古1p.539 播磨国風土記 | |
高岡北条郷 | (神崎) | 13C | 〔小山朝政所領注文案〕嫡子所領分事‖一、播磨国 守護奉行職 高岡庄 高岡北条郷 国造保 | 県史中9p.93 小山文書1 | |
大山郷☆[83] | (神崎) | 嘉元4.6.12 | 1306 | 〔後宇多上皇領目録案〕播磨国石作庄〈久我前内府、寺用外、不済御年貢、〉/大国庄内神吉村〈京極准后〉/栗栖庄〈北白川姫宮〉/荒田社〈致光〉/大山郷〈三条大納言入道、下部給物千疋、/知行不可有相違之由、被下 院宣於公秀朝臣、〉 | 県史中9p.520 皇室領関係文書(室町院領) |
(的部)北条郷 | (神崎) | 元亨4.10.11 | 1324 | 〔広峯孫四郎檀那売券〕広峯源大夫殿代銭四百文、限永代所沽渡実也/合以不可有違乱煩者也、若此たんなに相違事出来者/的部北条郷内久吉御内孫四郎領知分、包重名内公田/卌五代、限永代可被領知者也、 | 県史中2p.517 肥塚文書4 |
(的部)南条郷 | (神崎) | 貞治3.6.29 | 1364 | 〔後光厳天皇綸旨案〕播磨国的部南条郷、光厳院殿永代御寄附当寺僧堂粥飯/料所之由、被聞食之旨/天気所候也、仍執達如件、 | 県史中7p.755 天龍寺文書15 |
村
村 | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
---|---|---|---|---|---|
波自賀村 | 神前郡 | 8C | 〔風土記〕逕数日、大汝命云、我不能忍行/即坐而下屎之、尓時、小比古尼命咲曰、然苦、亦擲/其堲於此岡、故号堲岡、又下屎之時、小竹弾上其/屎、行於衣、故号波自賀村 | 県史古1p.537 播磨国風土記 | |
磨布理村 | 神前郡 | 8C | 〔風土記〕蔭山里〈蔭山/冑岡〉土中下、云蔭山者、品太天皇御蔭堕/於此山、故曰蔭山、又号蔭山、尓除道刃鈍、仍〔勅〕/云、磨布理許、故云磨布理村、 | 県史古1p.538 播磨国風土記 | |
瓦村(香呂)☆ | 神崎郡 | 弘仁6.-.- | 815 | 〔新撰姓氏録〕佐伯直/景行天皇皇子稲背入彦命之後也、男御諸別命、稚足/彦天皇〈謚成/務〉、御代、中分針間国給之、仍号針間別/男阿良都命〈一名伊/許自別〉、誉田天皇為定国堺、車駕巡幸/到針間国神崎郡瓦村東崗上、于時青菜葉自崗邊/川流下、天皇詔応川上有人也、 | 県史古1p.302 新撰姓氏録 |
下村 | 粟賀庄 (神崎) |
文永8.10.13 | 1271 | 〔清原清真父子連署田地売券〕右件立田、清真先祖相伝之私領也、□、依有直要/用、銭壱貫柒百文、能米□弐斗、限永代、粟賀庄下/村広摂寺了性□所沽渡進、在地明白実也、 | 県史中2p.708 法楽寺文書5 |
山た(田)むら☆[84] たゝむら(多田)☆ かけやまにしのむら かけやましもむら なかのむら☆[85] |
(神崎) | 永仁5.8.- | 1297 | 〔御所大番役定書案〕【蔭山】御所大はんの事/正月 こまつの庄・かけやまの山たむら・おなしき□/ほり□□/二月 若やまの庄・二のミやの庄・日禰の庄/三月 たきの庄・太田の庄・かけやまのたゝむら/四月 野まのかう・たか田のかう・かけやまにしのむ/ら/五月 かけやましもむら・そかへのかう・なかむらの/かう/六月 むまやの庄・うすきの庄・かけやまのなかのむ/ら | 県史中8p.520 九条家文書8 |
上村 | 田中庄 (神崎) |
永仁7.2.18 | 1299 | 〔権大僧都某和与状〕播磨国田中庄内一色田并上村畠等事、円了御房御分田/数坪付等、載別紙注進之、任故法印遺命、永代御子孫/相伝之条、更不可有相違候、年貢等早以別使者、可令/収納給者也、 | 県史中7p.328 醍醐寺文書20 |
八千草村 | 蔭山庄 (神崎) |
正和5.7.27 | 1316 | 〔一音院領目録〕一音院領目録‖彼杵庄役御仏事用途替 九条故摂政殿御寄附/播磨国蔭山庄内八千草村 年貢仮令六千疋/御祈料所 禅定殿下御寄附/同国田原庄内公文職〈年貢九千疋許歟/毎日三時千手供仏供燈明供料等〉‖右、各文書等有之、 | 県史中8p.531 九条家文書13 |
仁色村☆ | 蔭山庄 (神崎) |
嘉暦3.7.16 | 1328 | 〔藤原宗氏請文〕播磨国蔭山庄内仁色村公文職間事、水田左衛門入道禅/阿為本主代々相伝之処也、然者、去弘安年中以来次郎/兵衛入道如覚伝領之条、無異儀候、次為地頭一躰、向/後奉違背本所者、宗氏可被申行罪科者也、仍懸状如件、 | 県史中8p.331 九条家文書9 |
熊田村 | 高岡南庄(神高岡南庄) | 応安4.3.6 | 1371 | 〔勘解由小路兼綱譲状案〕播磨国/一、高岡南庄領家職/子細見故円徳寺禅閤御譲状、但此地本家職仁和寺禅/尼〈故照光院関白殿北政/所、洞院故相国娘〉、先年被返進御譲状於鷹司殿/仍永代可相伝領知之由、給御教書了、就此等之證文/去月被下勅裁、彼是可謂不朽之亀鏡、於本家年貢者/五十果之由、雖被載貞和御譲状、当庄守護一村〈熊田/村〉/押領并柏原〈守護/一族〉違乱于今不休、 | 県史中8p.660 広橋家文書24 |
有井村 | 田原庄 (神崎) |
14C | 〔峯相記〕次妙徳寺者、大納言範卿ノ息、慶芳内供最初建立/一条・三条両帝ノ御願所也、彼内供、両国巡礼ノ次/正暦二年三月八日、当国田原ノ庄有井村ニ一宿、夢内/ニ貴僧一人出来リ、枕ニ立テ告云、此東ノ山ノ下ハ仏/法繫昌ノ地、四神相応ノ砌ナルヘシ、 | 県史中4p.48 峯相記 | |
埴岡北条上村 埴岡北条下村 |
(神崎) | 応永16.9.4 | 1409 | 〔足利義持御判御教書〕佐用庄上津方・土万/郷・菅野村・赤松郷内屋敷・同包沢西山、同国竹万庄/同国五个庄野口□□・福冨・河原村、同国餝西余部/郷半分・神戸庄等地頭職、同国伊川庄・埴岡北条上下/村・多可庄等事、任亡父頼則今年二月廿九日譲状之旨/赤松次郎満則領掌不可有相違之状如件、 | 県史中9p.16 赤松(春日部)文書7 |
中村☆ | 粟賀庄 (神崎) |
応永19.5.21 | 1412 | 〔阿闍梨弘宣田地寄進状〕奉寄進 法楽寺燈油田事/合拾五代者〈但御所役免下地也/井重定名寄合可在伍升五合也〉/在所〈粟賀御庄中村定智本屋敷也〉/四至〈限東横道、限南立名、限西大道、限北〈賀山/東段畠〉、 | 県史中2p.710 法楽寺文書10 |
江鮒村☆ 田中村 藪田村☆ 加治村☆[86] 黒田村☆[87] 砥堀村☆[88] |
蔭山庄 (神崎) |
応永32.9.- | 1425 | 〔播磨国蔭山荘惣田数注文案〕蔭山庄惣田数参佰八十町/但、現作分三百十八町六段四十五代‖十九町八段十八歩 江鮒村/三十四町八段卅五代 田中村/六町二段四十五代十八歩 藪田村/二町六段廿代十八歩 加治村/八町九段三十代 黒田村‖廿四町三段 砥堀村/都合定田三百十八町六段卅五代歟、 | 県史中8p.348 九条家文書45 |
船津村 | 蔭山庄 (神崎) |
応永35.1.24 | 1428 | 〔播磨国守護赤松氏奉行人連署奉書〕九条殿雑掌申、田原庄別名切田・有国・貞久并蔭山庄/内船津村福永名等事、止其綺、任先例可全本所々務旨/可相触之由事、去年十二月廿七日御書下如此、早任被/仰下旨、固可被相触之由候也、仍執達如件、 | 県史中8p.353 九条家文書49 |
よしとの村 ひろせ村(広瀬)☆ |
(神崎) | 文明14.8.10 | 1482 | 〔丹後・但馬両国檀那村付注文〕一、播磨国よしとの村、ありにし村とた宿あり、かし/をの市は、そふちやの三郎大夫、左近大夫〈にしの三郎右衛門殿也〉、十郎大夫/弥大夫しもかしほに四郎大夫、同しんむら、ひろせ/村一ゑん也、 | 県中2p.527 肥塚文書24 |
田口村☆ 甘地村☆ |
(神崎) | 天文3.3.3 | 1534 | 〔金剛城寺略縁起〕空海当寺御登山之始、麓入田口村在家乞/水、爾時亭主無水申、汝偽者也、今与慳貪/報言、又御下向時、入甘地村在家乞水、即老/人遙処行、酌泉畏捧之、即受之言/今汝与慈悲報、出其庭御足按地、甘泉/忽わき涌出、 | 県史中4p.268 金剛城寺略縁起 |
西川述村☆ 屋形村☆ 東小畑村☆ 西小畑村☆ |
神崎東郡 | 天正7.9.- | 1579 | 〔大宮天神社神事次第〕【川邊】播磨国神崎東郡川述郷大宮天神社神事相極次第/一、神領田地壱町八反弐拾五代 上古ヨリ相伝地‖一、練テノ相撲 〈西川述村/屋形村〉立合/一、獅子舞弐頭 浅野/一、田楽踊 東小畑村/一、龍音舞 西小畑村/一、流鏑馬/一、〈神輿舁/酌取〉 西小畑村 | 県史中2p.706 内藤文書9 |
曽坂村☆ | (神崎) | 天正9.2.11 | 1581 | 〔寺沢広政折紙〕御分領藪田山事、検地以来、曽坂与入相候て、柴苅可/申旨 御諚通、両村江申付候条、違乱有之間敷候、可/被成其意候、恐々謹言 | 県史中3p.819 高馬文書1 |
中田原村 | 神東郡 | 天正13.9.16 | 1585 | 〔羽柴秀吉領知判物〕就播州三木郡内三千弐百石、河州内三百石、為加増播/州神東郡中田原村千五十石、都合四千五百五十石、相/添目録別帋、令扶助畢、全可領知者也、 | 県史中9p.46 有馬文書2 |
うへの村☆[89] いけのまへ村 なかすな村 |
神東郡 | 文禄4.8.17 | 1595 | 〔豊臣秀吉安堵状〕一、百石五升 神東郡/うへの村/百四拾六石八斗 同/辻村/一、四百八拾壱石六斗四升 同/下中嶋村/一、七百八拾四石七斗 神東郡/北原村/一、九拾七石三升 同/東山村/一、七百九拾九石五斗‖一、百石 同/いけのまへ村/一、弐百八石二斗 神東郡/横大市村/一、八石五斗 同/なかすな村/一、百石 同/妙楽寺村‖都合弐万五千石/右令扶助訖、此内五千石無役、全可領知候也、 | 県史近1p.42,43 木下家文書 |
余田村☆ | (神崎) | 年月日未詳 | 〔顕秀書状〕一、八千草・余田村事、左京亮拘分西衆被取候て、御本/役事一向不及沙汰候、弾正事ハ長々牢人仕、殊日損/儀候間、御わひ事可申之由候、少も納所無之候、去/年の儀爰元之様躰、凡集福ハ存知儀候間、定可被申/候哉、去年事ハ国錯乱と申、日損以外之儀候間、被思召分有様御披露肝要候、 | 県史中8p.406 九条家文書164 |
多可郡
郷(里)
荒田、賀美、那珂、資母、黒田、蔓田
郷(里) | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
---|---|---|---|---|---|
那珂里(中・奈何) | 多可郡 | 天平9.3.30 | 737 | 〔木簡〕【那珂】播磨圀多可郡那珂郷□/并五斗 山直小弓戸二斗 針間直□ | 県史中9p.792 平城宮出土木簡概報31 |
賀眉里(賀美) 黒田里☆ 都麻里(津万)☆[90] |
託賀郡 | 8C | 〔風土記〕【賀美】【黒田】賀眉里〈大海山/荒田村〉土下上、右由居川上、為名/所以号大海者、昔明石郡大海里人、到来居於此山底、故曰大海山、生松‖黒田里〈袁布山・支閇/岡・大羅野〉 土下上、右以土黒為名‖都麻里〈都多支・比也山・比也野・鈴堀山・伊夜丘・阿富山/高瀬比也野・鈴堀山・目前・和尓布多岐・阿多加野〉/土下上、所以号都麻者、播磨刀賣与丹波刀賣、堺/国之時、播磨刀賣到此村、汲井水而飡之、云/此水有味、故曰都麻、 | 県史古1p.539 播磨国風土記 | |
法太里(蔓田・祝田) | 託賀郡 | 8C | 〔風土記〕【蔓田】法太里〈甕坂/花波山〉 土下上、所以号法太者、讃伎日子/与建右命相闘之時、讃伎日子負而逃去、以手匐去/故〔曰〕匐田、 | 県史古1p.540 播磨国風土記 | |
三宅里 | 多可郡 | 8C | 〔木簡〕播磨国多可郡中郷三宅里/日下部漢自庸米六斗 | 県史中9p.793平城宮出土木簡概報24 | |
川辺里 | 多可郡 | 8C | 〔木簡〕播磨国多可郡蔓田郷川辺里高屋/諸人裏白米五斗 | 県史中9p.793 平城宮出土木簡概報24 | |
東条郷 | 多可郡 | 康平2.7.20 | 1059 | 〔播磨国東大寺領畠注進状〕多可郡東条郷野村畠三町/同郡黒田郷大志□畠三町/揖西郡揖保郷神戸村畠八町弐段/右件東大寺御領所々畠、所注進如件、抑件畠、守/殿被令聞給、令知行、可令御領給、即懐照可/徴進所当御地子、仍注事状、以解、 | 県史古2p.467 東大寺文書 |
野ま(間)のかう☆[91] たか(高)田のかう そかへのかう(曾我部) なかむらのかう(中村)☆[92] |
(多可) | 永仁5.8.- | 1297 | 〔御所大番役定書案〕御所大はんの事/正月 こまつの庄・かけやまの山たむら・おなしき□/ほり□□/二月 若やまの庄・二のミやの庄・日禰の庄/三月 たきの庄・太田の庄・かけやまのたゝむ□/四月 野まのかう・たか田のかう・かけやまにしのむ/ら/五月 かけやましもむら・そかへのかう・なかむらの/かう/六月 むまやの庄・うすきの庄・かけやまのなかのむ/ら | 県史中8p.520 九条家文書8 |
安田郷☆[93] | (多可) | 正和4.3.18 | 1315 | 〔後藤基任譲状并安堵外題〕譲渡/播磨国安田・曽我部・中村三箇郷公文職并長枝名田畠屋敷事/右所職・名田屋敷等者、基任重代相伝知行無相違、而/間相副関東・六波羅殿安堵、同御下知并調度文書等/永譲渡于子息後藤彦太郎頼任畢、 | 県史中2p.715 後藤文書2 |
東条郷 | 這田庄 (多可) |
観応1.4.3 | 1350 | 〔室町幕府御教書〕前太政大臣家御領播磨国這田庄事、当庄東条郷公文堯/観法師并子息大和房以下輩、違背本所、構城郭云々/狼籍之至絶常篇、好而招重過歟、早莅彼所、厳密破却/城構、追出堯観以下狼籍人等、沙汰付雑掌、 | 県史中8p.557 久我家文書30 |
村
村 | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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荒田村☆[94] | 託賀郡 | 8C | 〔風土記〕【荒田】賀眉里〈大海山/荒田村〉土下上、右由居川上、為名‖所以号荒田者、此処在神、名道主日女命、无父而/生児、為之醸盟酒、作田七町、七日七夜之間稲成/熟意、 | 県史古1p.539 播磨国風土記 | |
高瀬村 | 託賀郡 | 8C | 〔風土記〕云高瀬村者、因高河瀬為名、 | 県史古1p.540 播磨国風土記 | |
野村☆ | 多可郡 | 康平2.7.20 | 1059 | 〔播磨国東大寺領畠注進状〕多可郡東条郷野村畠三町/同郡黒田郷大志□畠三町/揖西郡揖保郷神戸村畠八町弐段/右件東大寺御領所々畠、所注進如件、抑件畠、守/殿被令聞給、令知行、可令御領給、即懐照可/徴進所当御地子、仍注事状、以解、 | 県史古2p.467 東大寺文書 |
石原村☆ | 黒田庄 (多可) |
承安4.9.15 | 1174 | 〔石原経塚紙本経奥書〕承安四年〈歳次/甲午)〉九月十五日 於黒田御庄石原村得笠寺書/写了/執筆比丘行西 | 県史中4p.529 石原経塚紙本経奥書(多可郡黒田庄町石原出土、西光寺所蔵) |
熊野部村☆ | 多可郡 松井庄 |
応永11.11.20 | 1404 | 〔鰐口〕播州多可郡松井庄熊野部村長満寺鰐口幷浴釜/応永十一〈甲申〉霜月廿日願主信正 大工曽地円秀/一口祈成就伏希天下太平人民安穏/無垢清浄恵日破暗而已 | 県史中4p.602 阿弥陀寺(多可郡加美町熊野部) |
賀茂郡
郷(里)
三重、上鴨、穂積、川内、酒見、川合、住吉
郷(里) | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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柞原里(楢原) | 加毛評 | 7C | 〔木簡〕加毛評柞原里人/□□マ□俵 | 県史中9p.783 飛鳥藤原宮出土木簡概報 | |
三和里 | 賀茂郡 | 天平12.-.- | 740 | 〔木簡〕□□国賀茂郡□□郷三和里 | 県史古1p.500 平城宮出土木簡概報14 |
上鴨里 下鴨里 鴨里 |
賀毛郡 | 8C | 〔風土記〕【上鴨】上鴨里〈土中上〉、下鴨里〈土中中〉、右二里 所以号鴨里/者、已詳於上、但後分為二里、故曰上鴨・下鴨、 | 県史古1p.540 播磨国風土記 | |
修布里 三重里 起勢里☆[95] |
賀毛郡 | 8C | 〔風土記〕【三重】修布里〈土中々〉、所以号修布者、此村在井、一女汲/水、即被吸没、故曰号修布‖三重里〈土中々〉、所以云三重者、昔在一女、抜筠以/布裹食、〔三〕重居不能起立、故曰三重‖起勢里〈土下/中、臭江/黒川〉右号起勢者、巨製部等居於此/村、仍為里名、 | 県史古1p.541 播磨国風土記 | |
山田里☆ 端鹿里☆[96] 穂積里☆ 雲潤里 河内里☆ 川合里☆[97] |
賀毛郡 | 8C | 〔風土記〕【穂積】【川内】【川合】山田里〈土中下〉、猪飼野、右号山田者、人居山際、遂/由為里名‖端鹿里〈土下上〉、右号端鹿者、昔神於諸村斑菓子/至此村不足、故仍云間有哉、故号端鹿‖穂積里〈本名塩野/小目野〉土下上、所以〔号〕塩野者、鹹/水出於此村、故塩野今号穂積者、穂積臣等族/居於此村、故号穂積‖雲潤里〈土中々〉、右号雲潤者、丹津日子神、法太之川/底、欲越雲潤之方、云尓之時、在於彼村太水神/辞云、吾以宍血佃、故不欲河水、尓時、丹津日子/云、此神倦堀河事、云尓而已、故号雲弥、今人号/雲潤/河内里〈土中下〉、右由川為名‖川合里〈土中上〉、腹辟沼 右号川合者、端鹿川底与鴨/川会〔此〕村、故号川合里、 | 県史古1p.542 播磨国風土記 | |
阿住郷 阿居郷 |
(加東) (加西) |
康平2.7.20 | 1059 | 〔播磨国東大寺領畠注進状〕□東郡阿住郷七原畠 三町/□西郡阿居郷桑原田畠二町‖右件東大寺御領所々畠、所注進如件、抑件畠、守/殿被令聞給、令知行、可令御領給、即懐照可/徴進所当御地子、仍注事状、以解、 | 県史古2p.467 東大寺文書 |
大部郷☆[98] | 大部庄 (賀茂) |
久安1.-.- | 1145 | 〔東大寺領荘園文書目録〕東大寺/請納寺領庄庄文書事‖一、播磨国大部庄文書一結〈十四通〉/一通〈一枚〉 久安元年以信舜補大部郷司庁宣案/二通〈各一枚〉 同三年以大部郷立替三箇庄宣旨案‖一通〈一枚〉 久安四年以庄内両里譲寛珎得業/状〈正文〉 | 県史古3.p469 東大寺文書 |
厚利郷☆ | (賀茂) | 承久3.8.14 | 1221 | 〔六波羅下知状〕播磨国河内・厚利郷事、有限段別参升兵粮米催之外/可令停止非分沙汰之由、下知先畢、而或付倉於封、或/不叙用領家使、旁致狼藉之由、有其訴、事実甚以不隠/便、早参升米催之外、於自余狼藉者、可令停止也、 | 県史中8p.4 東福寺文書2 |
河内本郷☆ | (賀茂) | 弘安5.4.12 | 1282 | 〔播磨国厚利別符文書借預状〕【川内】借預 播磨国敦利別符文書等事/合/一通 在庁勘状 建暦二年三月 日‖右、件文書正文伍通借預畢、当国河内本郷地頭、致非/分訴訟之間、可尋進此正文之由、自六波羅、依有其沙/汰、申入子細於文書主御方、所借預也、 | 県史中8p.5 東福寺文書4 |
下郷 | (賀茂) | 貞和3.6.24 | 1347 | 〔刑部守延坊舎等譲状〕譲渡 播磨国広峯山上坂本坊舎并檀那所従資財雑具等/事/合/一、坊舎二宇〈山上 坂本/并家内資財雑具〉/一、当国内 椙原新庄 本庄 溝口 サイチ/下郷内笠原村 シサワ 香山 ツシミ 岡田/ナカラ 福田内山国 ウネ ムレ 中嶋 石見/西河合 エイカ嶋 明石 佐用庄内山脇 布気庄 | 県史中2p.617 広峯文書33 |
佐保社郷 | (賀茂) | 永享12.8.28 | 1440 | 〔伏見宮家領目録案〕一、播磨飾摩津別府〈千疋〉 華恩院課役分〈五百疋/致沙汰〉/一、同国平野五名半分〈千疋〉/一、一条東洞院敷地〈参千疋〉/炭・御油料所〈禁裏/御乳人奉行〉/一、播州佐保社郷〈三百疋〉 曇華院御喝食進之、/播磨国衙別納十个所 | 県史中9p.611 皇室領関係文書(伏見宮家領) |
西河合郷☆ | 賀西郡 | 永禄5.8.- | 1562 | 〔梵鐘〕【川合】播州賀西郡西河合郷/惣社天神宮為氏子/造立所願成就也/永禄五年八月上旬〈敬白〉 | 県史中4p.606 梵鐘(乎疑原神社) |
村
村 | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
---|---|---|---|---|---|
長畝村 | 賀毛郡 | 8C | 〔風土記〕所以号長畝川者、昔此川生蒔、于時賀毛郡長畝/村村人到来苅蒋、尓時、此処石作連等為奪相闘/仍殺其人、即投棄於此川、故号長畝川、 | 県史古1p.525 播磨国風土記 | |
鴨村 | 賀毛郡 | 8C | 〔風土記〕所以号賀毛者、品太天皇之世、於鴨村双鴨作栖/生卵、故曰賀毛郡、 | 県史古1p.540 播磨国風土記 | |
品遅部村 下鴨村 玉野村☆ |
賀毛郡 | 8C | 〔風土記〕品遅部村 右号然者、品太天皇之世、品遅部等遠祖/前玉所賜此地、故号品遅部村‖粳岡 右号粳岡者、大汝命令舂稲於下鴨村、散粳/飛到於此岡、故曰粳岡/有玉野村、所以者、意奚・袁奚二皇子等、坐於坐/美囊郡志深里高〔野〕宮、遣山部小楯、誂国造許麻之/女根日女命、於是根日女已依命訖、 | 県史古1p.541 播磨国風土記 | |
下村 | 大部庄 (賀茂) |
永仁7.5.- | 1299 | 〔東大寺衆徒重申状〕東大寺衆徒等重申/寺領播磨国大部庄内下村地頭岸野妙真致十一箇条非/法間、就訴申子細、雖被下数箇度召文、不企参上/不及散状上者、任承久年中関東御教書停止地頭職、可/為一円寺領旨、欲蒙御成敗子細事 | 県史中5p.140 東大寺文書65根津嘉一郎氏所蔵文書 |
坂部村 | 大部庄 (賀茂) |
正安1.6.- | 1299 | 〔東大寺衆徒代頼深重申状案〕(端裏書)大部庄地頭濫妨重□□条坂部村事/東大寺衆徒等代頼深重申/寺領播磨国大部庄内一方坂部地頭代定行、依致条々/非法就訴申、雖被下度々召文、不及請文散状間、仰/御使被下御教書処、引級敵方歟間、不被申是非左右/上者、簾直仰御使、不日被召上、有御糺明、欲蒙御/成敗子細事 | 県史中5p.144 東大寺文書70尊経閣文庫 |
坂部種村 | 大部庄 (賀茂) |
正安年間 | 1299~1302 | 〔大部荘雑掌某重申状案〕東大寺領播磨国大部庄雑掌某重申/欲殊被経急速御沙汰、被鎮当庄坂部種村地頭代非法/悪行并新義段別銭苛責、令安堵百姓、全寺用大仏八/幡供料子細事 | 県史中5p.141 東大寺文書67 1-12-85 |
鹿原村 | 大部庄 (賀茂) |
正安4.7.- | 1302 | 〔東大寺衆徒等申状案〕東大寺衆徒等誠惶誠恐謹言/請殊蒙 恩裁、停止当寺領播磨国大部庄内/浄土寺時衆等無道濫妨、可全大仏殿八幡宮仏神事/役并中門法花両堂供花等料所同庄鹿原村所務由、被下厳密院宣状、於彼時衆等者、為傍輩向/後、召出其身、被禁獄舎 | 県史中5p.170 東大寺文書83 1-12-84 |
若井村☆[99] | 在田上庄 (賀茂) |
延慶1.-.- | 1308 | 〔播磨国在田上荘畠名寄注文〕久次/小林/卌 即/藤次前/一反 即/大クラ東/一反卌〈不廿五/作一反十五〉即/弥大郎垣/一反廿 田成十 弥大郎/已上五反〈不廿五 田成十 屋敷一反 在家十五 弥大郎/大歳畠一反 若井村分〉 | 県史中5p.231 金剛三昧院文書2 |
道山村☆[100] | 在田上庄 (賀茂) |
延慶1.-.- | 1308 | 〔播磨国在田上荘畠名寄注文〕成貞/弥藤三家前/一反五〈田成卅/歹廿五〉 宗綱 一反廿五〈田成十/歹一反十五〉行包‖大歳東/一反廿〈河卌 宗綱/乍廿 守綱〉 道山村大歳畠ノ/一反 宗綱/同所/五 時守 五 大歳前河原 法身 | 県史中5p.245 金剛三昧院文書2 |
上三原邑☆ | 加西郡 | 延慶3.7.8 | 1310 | 〔梵鐘〕播州加西郡上三原邑/西光寺梵鐘/延慶三天〈庚戌〉七月八日/願主 操氏行景 | 県史中4p.597 旧西光寺蔵(加西郡上三原) |
網引村☆ | 大部庄 (賀茂) |
元亨2.9.- | 1322 | 〔大部荘公文尼覚性訴状〕播磨国大部庄公文尼覚性〈王九郎入道/観円後家〉謹言上/欲早召給孫女赤女〈孫九郎/久忠息女〉、盗取覚性相伝大部庄健/保実検取帳并当職代々御下文御下知以下肖證文、石野・/這田・網引村国成名内田地文書、於其身者被行祖母敵/対盗犯咎、至所職名田畠等者、任夫観円譲状、覚性/全一円知行事 | 県史中5p.181 東大寺文書103 1-12-147 |
鹿野村☆ | 大部庄 (賀茂) |
元亨2.10.- | 1322 | 〔東大寺衆徒等申状案〕右当庄者、当寺当社重色異他之料所也、而当庄之内/坂部村地頭者、中条刑部少輔〈三番/頭人〉為請所知行之間、長/尾備前房〈平野庄違勅悪行/衾御教書交名人〉為所務代官、令在庄之間、非/法悪行非一之処、同庄鹿野村地頭代白井八郎定胤之家/人円了法師祐真〈改名大夫房、平野庄衾御教書并海賊/田那部入道行蓮之白状人也、〉相語/当国安志卿房〈文保三年悪党対治御使下向之/時、所被搦逃之海賊張本也〉・林田法橋・/堤五郎以下之名誉悪党人等、備前房円心於本所進止之/公文名以下之公田、苅取数十町之作稲之間、 | 県史中5p.182 東大寺文書104 1-12-142-1 |
満願寺村☆[101] | 田上庄(賀茂) | 元亨2.11.26 | 1322 | 〔平宗度譲状〕譲与 播磨国在田上庄内満願寺村地頭御代官職事/平増一丸/右、於彼御代官職者、相副代々御下文幷次第證文、所/譲与平増一丸也、全不可有他妨之状如件、 | 県史中9p.211 朽木文書4 |
笠原村☆[102] | (賀茂) | 貞和3.6.24 | 1347 | 〔刑部守延坊舎等譲状〕譲渡 播磨国広峯山上坂本坊舎并檀那所従資財雑具等/事/合/一、坊舎二宇〈山上 坂本/并家内資財雑具〉/一、当国内 椙原新庄 本庄 溝口 サイチ/下郷内笠原村 シサワ 香山 ツシミ 岡田/ナカラ 福田内山国 ウネ ムレ 中嶋 石見/西河合 エイカ嶋 明石 佐用庄内山脇 布気庄 | 県史中2p.617 広峯文書33 |
山国村☆ | (賀茂) | 至徳1.8.22 | 1384 | 〔権少僧都覚尊寺領寄進状〕奉寄進 清水寺結縁灌頂仏供燈油田事/合弐段者 坪付有本證文/右件田地者、福田保内山国村助行名内覚尊重代相伝之/私領也、雖然、且先祖聖霊等為成仏得道、且為現在一/門等富貴繁昌、当寺尽未来際、相副親之譲状、奉寄進/者也、 | 県史中2p.196 清水寺文書124 |
鹿野原村 | 大部庄 (賀茂) |
応永18.8.7 | 1411 | 〔足利義持御判御教書〕東大寺領播磨国大部庄領家職参分壱・同公文職・鹿野/原村公文職・恒清名等事、早任度々公験并当知行之旨/寺家領掌不可有相違之状如件、 | 県史中5p.268 東大寺文書225東南院文書 |
雲村☆[103] | 大部庄 (賀茂) |
永享6.8.17 | 1434 | 〔大部庄公文恒清・伊王夏地子納帳〕大部庄公文名夏地子納帳〈永享六年/八月十七日〉‖○反廿五〈百文八七〉 大サキ又次郎/四段卅五〈河反廿五/百文五晦/百十三文八八 雲村善阿ミ | 県史中5p.273 東大寺文書234 2-147 |
ナカムラ(中村)☆ | 大部庄 (賀茂) |
永享7.11.- | 1435 | 〔大部庄領家方名寄帳〕ナカムラ/三郎大夫 ツク田米六斗四升八合五勺七才/惣相田二町三段卌五内/フク相田二段当不/クテン相田二町一段卌五才不四段卌五彳田一町七段/分米七石六斗五升 | 県史中5p.284 東大寺文書235 1-12-136 |
北村 | 大部庄 (賀茂) |
永享12.10.- | 1440 | 〔大部荘公事物帳〕十二六/五文 北村新兵衛分/三郎大夫 十二二/十文 王子/六郎次郎 | 県史中5p.300 東大寺文書237 1-24-739 |
原村 | (賀茂) | 永享-.4.4 | 1428~1441 | 〔東大寺両堂納所書状〕態進状候/抑先度御注進候原村際目相乱之事、垂井方之押妨者于/今不停候哉、無心元候、随而被開寺庫、被撰出旧記候/大慶此事候、急可被遣使節、評定候処、大部之代官成/清下向候間、案文一通付進之候、 | 県史中2p.359 浄土寺文書7 |
阿方村☆[104] 河高村 |
賀東郡 | 文安2.9.2 | 1445 | 〔山名宗全妙見社領寄進状〕奉寄附 但州 妙見社/播磨国賀東郡吉田新庄地頭職〈上月勘解由左衛門尉/跡〉并河/合上庄領家半済‖東河合阿方村領家/半済公文給算失文料〈上月伊勢守/跡〉、同河合河高村給加/徴一分地頭職〈柏原右京亮/跡〉等事 | 県史中3p.622 日光院文書22 |
長井村☆ | (賀茂) | 寛正2.12.13 | 1461 | 〔時延名内田地売寄進状〕売奇進 時延名之内田地之事/合壱段廿五代者 在坪〈長井村堂東、但/名九分一之定〉/右件下地者、源内太夫先祖相伝之私領也、雖然依要用/有ニ、代米弐石壱斗方ニ清水寺御油田分ニ限永代、売/奇進申所実也、 | 県史中2p.226 清水寺文書182 |
中村☆[105] | 賀東郡 | 文明7.11.15 | 1475 | 〔梵鐘〕敬白/播州賀東郡東河合/中村華厳寺鐘也/文明七年〈乙未〉十一月十五日/大工細河庄平末次/願主兵衛尉小野宗家/当院主 行真 | 県史中4p.603 旧華厳寺蔵(賀東郡東河合中村) |
大門村☆ | (賀茂) | 文明12.9.5 | 1480 | 〔沙弥行恵下地譲状案〕譲与下地事/合弐段者〈在坪福田保大門村/大将軍西給名内〉/右件田地者、先祖相伝之領地也、雖然、式部公恵信一/期之間、譲渡所実也、 | 県史中2p.349 光明寺文書10 |
三草村☆[106] | 賀東郡 | 明応4.11.21 | 1495 | 〔山名政豊書下案〕但馬国楽々前南庄北分・同庄知見分・同井田分并段銭/方切符弐拾貫文、播州賀東郡内三草村飯尾分等事、早/任当知行之旨、領掌不可有相違之状如件、 | 県史中3p.585 垣谷文書11 |
南村 | (賀茂) | 永正12.9.2 | 1515 | 〔東南院門跡領当知行目録〕東大寺東南院門跡領当知行目録‖摂津国/兵庫北関検校所分 水無瀬庄内東南院分/播磨国/釼坂庄 市別符付南村 窪木 床鍋 | 県史中5p.679 東大寺文書334東大寺薬師院文書1-11 |
木梨村☆ 中之村 |
(賀茂) | 天文3.8.8 | 1534 | 〔上月満直・同忠直連署下地寄進状〕奉寄進下地之事/合四十代者〈在坪木梨村之内/中之村ノ北ハノキノ本、納ノ升五斗ノ定〉/右件之下地者、雖為満直先祖相伝之私領、為頓證菩提/奉寄進永代清水寺御尊へ者也 | 県史中2p.279 清水寺文書321 |
上田村☆ | (賀茂) | 天文19.2.25 | 1550 | 〔光木家次下地寄進状〕(端裏書)「清水寺御本尊江寄進状、福田之内上田村より/光木孫右衛門」/永代奇進申候下地之事/合卅代者〈在坪堂之芝の西/分米参斗〉/右件之下地者、雖為我等当買地、為現世安穏・後生善/処之、清水寺於本尊江永代奇進申候所実正也、 | 県史中2p.288 清水寺文書337 |
泉村 | (賀茂) | 天文20.3.18 | 1551 | 〔山城官兵衛田地寄進状〕永代奇進申住吉西佐々倉名之内田地之事/合弐段者〈但在坪泉村之西小谷也/斗代ハ五斗五升代也〉/右件田地者、雖為我等先祖買地、為現世安穏・後生善/処、清水寺根本堂・同講堂江永代奇進申処、在地明鏡/也、 | 県史中2p.288 清水寺文書338 |
古瀬村[107] | 賀東郡 | 永禄10.6.19 | 1567 | 〔大塚与次郎賀東郡福田古瀬村小池内田地寄進状〕永代奉寄進田地事/合壱段七斗代者〈幡刕賀東郡福田古瀬村/小池之内町数弐ツ〉/右件田地者、雖為我等知行分、為武運長久・息災延命/之、奉寄進上者、於親類同名、違乱妨有間敷者也、 | 県史中2p.310 清水寺文書397 |
剣坂村☆[108] 上野村☆ おさ村(長)☆[109] 谷村☆ はた村☆ もう谷村☆[110] 中西村☆ のうてう村☆[111] 北条村 おさき村☆ たんけ村(段下)☆ |
(賀茂) 加西郡 |
天正15.9.24 | 1587 | 〔知行方目録〕森壱岐守分/一、五百六拾七石 剣坂村/一、弐拾八石 中とみ/一、九拾石 上野村/一、百六拾六石 玉野村/一、五拾石 おさ村/一、六拾参石 ひわのかう/一、百石 つすみ/一、七拾五石四斗弐升 谷村/一、百石 かさ原/一、四石弐斗五升 をちかた/以上千弐百四拾参石七斗/戸田民部少輔分/一、千石 加西郡/はた村 もう谷村/中西村 のうてう村/北条村 おさき村/たんけ村 以上七里 | 県史近1p.27 木下家文書 |
滝野村☆[112] | (賀茂) | 天正18.2.5 | 1590 | 〔かやの孫七田地売券〕永代売渡申滝野村田地一色之事/合拾弐代〈在つほ西野/弐斗六升四合也〉/右件田地者、雖為我等相伝之一色、依有直用々、限米/五斗ニ永代売渡申処実正明白也、 | 県史中2p.351 光明寺文書14 |
殿原村☆ 中冨村☆ |
(賀茂) | 天正18.7.23 | 1590 | 〔水配分定書〕以上/殿原村・中冨村井水之儀、前々ハいらす候間、向後弐/日弐夜、殿原へ可水引事、壱日壱夜者、中冨へ水引可/申事 | 県史中2p.379 中田文書1 |
妙楽寺村☆[113] | 加西郡 | 文禄3.3.21 | 1594 | 〔豊臣秀吉宛行状〕播磨国笠井郡妙楽寺村百石事、丹波為替地令扶助之訖、/全可領知候也、 | 県史近1p.36 畠山文書 |
奥村☆ | 加東郡 | 文禄3.3.21 | 1594 | 〔豊臣秀吉宛行状〕船越駿河守景守書上、/播州加東郡奥村弐百拾六石弐斗四升事、丹波為替令/扶助訖、全可領知者也、 | 県史近1p.36 内閣文庫所蔵古文書 |
西戸村☆ | 加東郡 | 文禄3.3.21 | 1594 | 〔豊臣秀吉宛行状〕播磨国賀東郡山国村七百五石、同郡西戸村三百四拾九/石三斗四升、合千五十四石三斗四升事、丹波為替地令/扶助訖、全可令領知候也、 | 県史近1p.37 伊東家譜 |
横谷村☆ | 賀東郡 | 文禄3.3.21 | 1594 | 〔豊臣秀吉領知朱印状〕播磨国賀東郡東条内横谷村四百石事、丹波為替地令扶/助候訖、全可領知候也、 | 県史中9p.403 萩原員崇氏所蔵文書7 |
篠蔵村☆[114] | (賀茂) | 文禄4.7.21 | 1595 | 〔蒔田正次書状〕以上/篠蔵村と殿原村と井水出入り有之由候、今之刻せんさく/難成候間、双方申分相止候様ニ、木大殿へも速甲斐殿/へも請を申候、井水之儀、時分柄之事候間、先其地へ/かゝり候様ニ、我等申付つかせ可申候、 | 県史中2p.384 長浜文書12 |
た屋村☆[115] くにまさ村☆[116] うてミ村☆[117] つねよし村(常吉)☆ とたい村(戸田井)☆ くほた村(窪田)☆ わふし村(王子)☆ あやま村(合山)☆ いつミ村(出水)☆ にかい村 成道寺河田村 黒川村☆ 別府村 八千草村 とこなへ村☆[118] 大工村☆ 市村☆ 牛井(居)村☆ 西谷村☆ 栗田村☆ 山えた(枝)村☆ ふけ(富家)池上村☆[119] 半丁村☆[120] すい(吸)谷村☆[121] 小谷村☆ 三原村☆[122] 野田村☆ 西かさはら(笠原)村☆ 東かさはら(笠原)村☆ |
加西郡 賀東郡 賀西郡 |
文禄4.8.17 | 1595 | 〔豊臣秀吉安堵状〕[123]知行方目録/五百弐拾壱石 播州かさい郡/た屋村/くにまさ村/一、七拾石 同/うてミ村/一、弐拾四石二斗二升 同/つねよし村/一、六拾石 同/北条町/一、百弐拾六石壱斗五升 同/とたい村/一、四拾八石四斗四升 同/たんけ村/一、三百廿四石六斗 播州かさい郡/うへの村/一、弐拾七石三斗七升 同/くほた村/一、四拾四石四斗五升 同/わふし村 ‖一、百石 同/あやま村‖一、四百六拾二石一斗四升 同賀東郡/いつミ村/一、三百七拾壱石二斗九升 同/にかい村/一、百九石五斗 同/成道寺河田村/一、三百四拾六石九斗二升‖一、三百拾三石五斗 播州賀東郡/別府村/一、百石 同/八千草村/一、百石 同/玉野村/一、三百六拾石九升 同/とこなへ村/一、四拾石 同/妙楽寺‖一、百三石一升 賀西郡/大工村/一、百石 同/北条村/一、七拾石 同/市村/一、廿八石六升 同/牛井村/一、六石 同/西谷村/一、弐百廿五石 同/栗田村/一、百弐拾石 同/山えた村/一、六拾五石三斗五升 同/ふけ池上村/一、拾四石四斗三升 同/おさ村/一、八拾六石五斗 賀西郡/半丁村/一、拾五石 同/市村/一、拾五石九斗七升 同/すい谷村/一、弐石三斗五升 同/小谷村/一、八石三升 同/北条町/一、四石五升 同/三原村/一、拾九石一斗 同/野田村/一、四石壱斗四升 同/おさ村/一、拾五石 同西かさはら村/一、四拾四石五升 同/東かさはら村/一、五石八斗 同/市村‖合壱万三千六百六拾石/一、壱万千参百四拾石 本知所々/都合弐万五千石/右令扶助訖、此内五千石無役、全可領知候也、 | 県史近1p.42,43 木下家文書 |
しんへい村(新部)☆ | (賀茂) | 16C.9.5 | 16C | 〔羽柴秀吉判物〕河井郷しんへい村船頭ニ四人者、人夫令免除候之間、/可得其意也、 | 県史中2p.374 山田文書1 |
畑村☆[124] 片山村☆ 敷地村☆ |
(賀茂) | 年未詳6.3 | 〔大部荘百姓等申状〕御書趣委細畏拝見仕候了/抑惣山・畑村・片山村御公事付、上月殿召文御奉書御/付候条、如此子細共近比之御念比なる御成敗、為庄内/ありかたく畏入存、さ候間、畑村・敷地村へ御入部ノ/御使節御あつかい共者、別紙以注文申上候、重而預御/尋候者、別之子細候ましく候、 | 県史中5p442 東大寺文書279 1-25-647 |
美囊郡
郷(里)
志深、高野、平野、吉川
郷(里) | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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志自弥里(志深) | 美奈伎郡 | 持統天皇8~和銅3 | 694~710 | 〔木簡〕【志深】美奈伎郡志自弥里灰一斛 | 県史中9p.781 飛鳥藤原宮出土木簡概報9 |
高野里 | 美囊郡 | 8C | 〔風土記〕【高野】高野里 坐於祝田社神、玉帯志比古大稲女・玉帯志/比賣豊稲女、 | 県史古1p.543 播磨国風土記 | |
吉川里(横川) 枚野里 |
美囊郡 | 8C | 〔風土記〕【吉川】【平野】吉川里 所以号吉川者、吉川大刀自神在於此、故/云吉川里/枚野里 因體為名、 | 県史古1p.544 播磨国風土記 | |
三木本郷 | (美囊) | 康永3.7.- | 1344 | 〔亮性法親王庁解〕播磨国三木本郷/件郷者、七条院御領也、寄附日吉十禅師社領、被/宛長日御供幷大般若転読用途、早於庄務職者、女/院御乳母賜之、其後相具文書、譲与孫子隆聖阿闍/梨、隆聖阿闍梨譲与公性僧正、公性所譲尊恵僧正/也矣、 | 県史中9p.507 皇室領関係文書(七条院領) |
村
村 | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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志深村 御宅村 |
美囊郡 | 8C | 〔風土記〕【志深】尓/二人子等、隠於彼此、迷於東西、仍志深村首伊等尾/之家所役也‖造宮於此土而坐之、故有高野宮/少野宮・川村宮・池野宮、又造〔屯〕倉之処、即号/御宅村、造倉之処、号御倉尾、 | 県史古1p.543 播磨国風土記 | |
永(長)谷村☆ | (美囊) | 弘安7.7.25 | 1284 | 〔地頭小野氏女等連署禁制〕法光寺幷永谷村殺生禁断事、於寺内者可為永代候、□/惣村者可為二个年候、教養酒於御堂内飲事永代□停止/仕候、村内酒者一年可止候、以此旨可有御披露候、恐/々謹言、 | 県史中2p.128 法光寺文書1 |
跡部村☆ | 久留美庄 (美囊) |
嘉元1.9.- | 1303 | 〔播磨国久留美荘跡部村地頭藤原秀綱請文〕請申播磨国久留美庄内跡部村地頭藤原秀綱分毎年請所/事〈但除御牛飼/御厩舎人給定〉/右、当雑掌好国致非法之由依訴申、雖番訴陳、所詮以/和与之儀為地頭請所、止万雑事、毎年拾参貫文用途/四月中可致其沙汰候、 | 県史中7p.143 春日大社文書4 |
竹原村☆ | (美囊) | 嘉元4.6.12 | 1306 | 〔後宇多上皇領目録案〕恵慎上人知行之時、御年貢二千五百疋/吉河上庄〈左衛門督局〉/今出川前右府 為量拝/下庄〈法性寺三位為信卿 御年貢三千疋〉恵慎上人之時、御年貢二千五百疋/竹原村〈法性寺前中納言雅藤卿〉 | 県史中9p.521 皇室領関係文書(室町院領) |
石野村☆[125] 這田村☆[126] |
(美囊) | 元亨2.9.- | 1322 | 〔大部荘公文尼覚性訴状〕播磨国大部庄公文尼覚性〈王九郎入道/観円後家〉謹言上/欲早召給孫女赤女〈孫九郎/久忠息女〉、盗取覚性相伝大部庄健/保実検取帳并当職代々御下文御下知以下肖證文、石野/這田・網引村国成名内田地文書、於其身者被行祖母敵/対盗犯咎、至所職名田畠等者、任夫観円譲状、覚性/全一円知行事 | 県史中5p.181 東大寺文書103 1-12-147 |
大殿林村☆ 志津小野村☆[127] 捃原村☆ |
(美囊) | 元弘3.7.12 | 1333 | 〔吉河下庄寄進斗代坪付注文〕吉河下御庄清水寺御寄進田斗代坪付事/合/大殿林村/一反六斗 □町 善性房/一反六斗 スチカイ 讃岐房/一反五斗 西谷 三位房/一反六斗サヽワラ 源内/一反六斗 サヽワラ 平四郎/ヲカ/志津小野村/一反四斗 丸橋上 源内/捃原村/一反四斗 森下 藤左近允 | 県史中2p.160 清水寺文書31 |
下村 | 淡河庄 (美囊) |
観応1.12.5 | 1350 | 〔足利尊氏袖判下文案〕下 赤松美作権守範資/可令早領知播磨国佐用庄内赤松上村・三川村、江川/郷太田方・広瀬方・弘岡方、本位田下得久、同国五/箇庄内宿村〈付、下司・公文/政所名〉・木村・大津村、同国淡河/庄内下村、同国白旗鎮守八幡・春日両社神主職・伯/耆国八橋郡内大井下郷事 | 県史中9p.482 森川文書1 |
野世村 | 淡河庄 (美囊) |
文和2.2.1 | 1353 | 〔平政氏田畠寄進状〕奉寄進 石峯寺大般若経料足田畠/淡河庄野世村内〈水田壱段、在所南畑樋爪/畠壱反、北畑安保左衛門尉之〉跡事/右之田畠者、大般若院為再興料足之、所令寄進也、仍/致於毎日転読、可被抽祈禱之精誠者也、然者至于子々孫々、不可有違妨状如件、 | 県史中2p.104 石峯寺文書12 |
三津田村☆ | 淡河庄 (美囊) |
康正1.9.- | 1455 | 〔播磨国淡河荘百姓等申条状案〕目安/播州淡河庄御百姓等謹言上/右子細者、当庄之内三津田村ニ作和谷と申山候、彼山/ハ、播州摂州さかいニ堂塔をこんりう候丹生寺のミ/ねとをりより、はるかニ北ニあたり候て、播州の国中ニ/ある山にて候、 | 県史中7p.372 醍醐寺文書116 |
三田村 | 三木郡 | 康正2.4.10 | 1456 | 〔田原道円奉書〕摂津国丹生山田与播州三木郡三田村山境相論事、両方/被尋聞食之処、共以柱上可為堺之由申之、既其趣為同/前之上者、早任三田村所出之往古差図并山田庄先年御/下知等之旨、以柱上可為堺之由、三田村可被相触之由/候也、仍状如件、 | 県史中7p.373 醍醐寺文書118 |
吉河村 | 三木郡 吉河上庄 |
天文15.2.- | 1546 | 〔本殿棟札写〕【吉川】播州三木郡吉河上之庄吉河村/御前田修理亮小野氏安秀婦夫/令建立処也/奉組御聖天御社棟上 願主/大工南都東大寺大工藤原朝臣/小摩宗安幷棟梁藤原宗行 | 県史中4p.446 稲荷神社(美嚢郡吉川町富岡) |
所属郡不明
郷(里)
郷(里) | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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中郷 | 永禄6.11.19 | 1563 | 〔新延祐長下地寄進状〕きしん仕候下地之事/合壱反者〈在坪中郷買地内壱反也、斗代壱石/三斗代也、升ハ彼在所ニ在之、〉/右此下地壱反者/御くわんをん様へきしん仕候者候也、 | 県史中2p.308 清水寺文書393 |
村
村 | 郡 | 年月日 | 西暦 | 原 文 | 出 典 |
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神前村 | 8C | 〔風土記〕故曰粟里/此里有舟引原、昔、神前村有荒神、毎半留行人之/舟、村是、往来之舟悉留印南之大津江、上於川頭/自賀意理多之谷引出而、通出於赤石郡林潮、故曰/舟引原、又事与上解同、 | 県史古1p.522 播磨国風土記 | ||
三原村 | 応永3.12.25 | 1396 | 〔九条経教遺誡〕一、三位入道源恵、高田郷并三原村為恩給、実種朝臣可/令相続者也/一、阿賀丸、雖年少父祖奉公異他、仍相伝地九条御領/多紀庄・田原庄奉行、成人令奉公者、不可替当時者/也、 | 県史中8p.538 九条家文書22 | |
しけとみ村 | 応永26.11.- | 1419 | 〔上月吉景譲状幷置文〕勘解由かためハけい母、/両人の子ともをひとつになして、かの成国地頭職内/半分、同しけとを名内半分、同しけとみ村内半分つ/ゝを両人にちうふんしてゆつりおく物也、 | 県史中9p.249 上月文書6 | |
包沢村 高山村 柏坂村 |
正長1.7.7 | 1428 | 〔室町将軍家下知状〕播磨国包沢村・高山村・柏坂村幷丹波国春日部庄内黒/井村・摂津国鳥養牧等事、被返付赤松伊豆守貞村畢/如元可全領知之由、所被仰下也、仍下知如件、 | 県史中9p.16 赤松(春日部)文書8 | |
佐郷(用ヵ)村 | 文明8.1.- | 1476 | 〔金剛三昧院旧記〕筑前粥田庄年貢/播州道山庄年貢/同国佐郷(用ヵ)村年貢/作州大原年貢/紀伊国由良庄年貢/津国小真上年貢/右、諸庄薗運上年貢、万貫万貫皆納如件、 | 県史中7p.266 金剛三昧院文書56 | |
中野村 | 文明13.9.- | 1481 | 〔上月満吉所々知行分目録案〕所々知行分目録之事/合/一、小河村/一、国衙内、長生名 山野井名 肥塚名 河西分 芝原/下司分 山本分/一、東細工所半分/一、検注所務半分/一、原田加納分〈但半済〉/一、中野村半済分 | 県史中9p.270 上月文書47 | |
ありにし村 しんむら |
文明14.8.10 | 1482 | 〔丹後・但馬両国檀那村付注文〕一、播磨国よしとの村、ありにし村とた宿あり、かし/をの市は、そふちやの三郎大夫、左近大夫〈にしの三郎右衛門殿也〉、十郎大夫/弥大夫しもかしほに四郎大夫、同しんむら、ひろせ/村一ゑん也、 | 県中2p.527 肥塚文書24 | |
作徳上村 | 永禄13.2.5 | 1570 | 〔五郎左衛門下地売券〕永代売渡申下地之事/合壱段者 在所惣社黒口ノ後/右件下地者、作徳上村弥三郎方より致買地雖拘候、依/有要用、直米一石弐斗四升に称名寺へ売渡申所実正也、 | 県史中2p.589 正明寺文書56 | |
国府村 水原村 |
天正9.9.9 | 1581 | 〔惣社集日記〕凡役僧三十七人ト云云、矢城・長畝・神屋・上野里/白国・市郷・芝原・英保・宿・福中・井出・水原・矢/落・姫路・国府、以上十五ケ村民四百八十余人、楯矛/弓矢刀ヒ首立明鎌斧等持、椰本ヨリ神屋恩熊森西北三/町始神財殿構宿院、神璽遷三日逗座、 | 県史中4p.357 惣社集日記 | |
竹中村 | 天正9.9.9 | 1581 | 〔惣社集日記〕永正三年丙寅十一月十二日鐘置塩御屋形様三品政村/両目代 宿村 榎村助太夫長源/福中村 福中三郎太夫祐重/名主 四人 国府寺 津田野四郎左衛門俊重/竹中村 大竹六郎右衛門久利/中村 丹治次郎左衛門元祐/西城戸村 城戸四郎左衛門長久 | 県史中4p.360 惣社集日記 |
註
- ↑ 東垂水村・西垂水村。
- ↑ 江戸期には西ノ岡村の枝村に大見村がある。
- ↑ 大明石村。
- ↑ 神出東村・神出南村・神出田井村・神出北村・神出小神村。
- ↑ 船上村。
- ↑ 下皆発村・東皆発村。
- ↑ 鴨谷村。
- ↑ 安田村。
- ↑ 植田村。
- ↑ 備後村。
- ↑ 升田村。
- ↑ 神吉村。
- ↑ 志方東町・志方西町。
- ↑ 当史料では、辻村が神東郡、大国村と志方村が賀古郡の所属になっている。
- ↑ 菅生澗村。
- ↑ 山崎村。
- ↑ 英加村。
- ↑ 古知之庄村。
- ↑ 平野村。
- ↑ 西阿保村・中阿保村。
- ↑ 見野村。
- ↑ 阿成村。
- ↑ 飾万津。
- ↑ 下野田村・上野田村。
- ↑ 菊田村。
- ↑ 埜里村。
- ↑ 北八代村・南八代村。
- ↑ 伊伝居村。
- ↑ 東今宿村・西今宿村・北今宿村。
- ↑ 東蒲田村・下蒲田村・西蒲田村。
- ↑ 西中島村・東中島村。
- ↑ 加納原田村。
- ↑ 国府寺村。
- ↑ 下市郷村・中市郷村・東市郷村。
- ↑ 南畝村。
- ↑ 見野村。
- ↑ 坂元村。
- ↑ 塩崎村。
- ↑ 置塩新畑村・置塩町村。
- ↑ 平方村。
- ↑ 中太田村・下太田村。
- ↑ 下余部村・上余部村。
- ↑ 下篠村・上篠村。
- ↑ 伊都村。
- ↑ 山下村。
- ↑ 矢田辺村。
- ↑ 助久村。
- ↑ 余子浜村。
- ↑ 紀美村。
- ↑ 朝谷村。
- ↑ 津市場村。
- ↑ 上伊勢村・下伊勢村。
- ↑ 上堂本村・下堂本村。
- ↑ 丁村。
- ↑ 船代村。
- ↑ 段之上村。
- ↑ 市野保村。
- ↑ 連常寺村。
- ↑ 上新宮村・下新宮村。
- ↑ 上余部村。
- ↑ 苅屋村。
- ↑ 伊津村。
- ↑ 中陳村。
- ↑ 黍田村。
- ↑ 橋崎村。
- ↑ 横落村。
- ↑ 下野田村。
- ↑ 当史料では、はしさき(觜崎)村と横大市村が神東郡の所属になっている。
- ↑ 高田宿村。
- ↑ 木津村。
- ↑ 下栗原村・上栗原村。
- ↑ 早瀬村。
- ↑ 上比地村・中比地村・下比地村。
- ↑ 閏加村。
- ↑ 宇原村。
- ↑ 川戸村。
- ↑ 庄能村。
- ↑ 千草町。
- ↑ 下三河村・中三河村・上三河村。
- ↑ 西川辺村・東川辺村。
- ↑ 東多田村・西多田村。
- ↑ 岩部村。
- ↑ 大山下村・大山中村。
- ↑ 西山田村・北山田村・南山田村。
- ↑ 中野村。
- ↑ 鍛冶内村。
- ↑ 黒田新村。
- ↑ 下砥堀村・上砥堀村。
- ↑ 上野村。
- ↑ 津万町。
- ↑ 中野間村・下野間村。
- ↑ 中村町。
- ↑ 西安田村・中安田村・東安田村。
- ↑ 安楽田町・奥荒田村。
- ↑ 東古瀬村・中古瀬村・西古瀬村。
- ↑ 掎鹿谷村。
- ↑ 河合中村。
- ↑ 下大部村。
- ↑ 下若井村・上若井村。
- ↑ 東道山村。
- ↑ 下満願寺・上満願寺。
- ↑ 西笠原村・東笠原村。
- ↑ 久茂村。
- ↑ 阿形村。
- ↑ 河合中村。
- ↑ 下三草村・上三草村。
- ↑ 東古瀬村・中古瀬村・西古瀬村。
- ↑ 西剣坂村・東剣坂村。
- ↑ 西長村・東長村。
- ↑ 馬渡谷村。
- ↑ 野条村。
- ↑ 上滝野村・下滝野村。
- ↑ 明楽寺村。
- ↑ 篠倉村。
- ↑ 田屋村。
- ↑ 国正村。
- ↑ 越水村。
- ↑ 鎮岩村。
- ↑ 富家村・池上村。
- ↑ 繁昌村。
- ↑ 北吸谷村・南吸谷村。
- ↑ 中三原村・上三原村。
- ↑ 当史料では、あやま(合山)村が神東郡の所属になっている。
- ↑ 葉多村。
- ↑ 上石野村・中石野村・下石野村。
- ↑ 東這田村・西這田村。
- ↑ 志殿村。