播磨国

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郷村名郡別世紀別初出表

概要

概要


参考文献


典拠史料

『兵庫県史』史料編 古代1~3、中世1~9、近世1

凡例

出典欄における『兵庫県史』の表記は、県史古・県史中にした。

郷村表

明石郡

郷(里)

葛江、明石、住吉、邑美、垂水

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
葛江里(藤江)☆ (明石) 和銅7.-.- 714 〔木簡〕【葛江】朋郡葛江里/丹人卩由毛万呂俵 県史古1p.499
平城宮出土木簡概報10
垂水郷☆[1] 明石郡 天平20.11.23 748 〔巻六封戸水田章第八〕【垂水】雑格中巻云/太政官符 播磨国守正五位下、多治比真人国人等、/明石郡垂水郷塩山地三百六十町、〈東寒河、南海辺路/西垂水河/北太山/堺〉/右奉十一月廿日勅旨偁、件地入東大寺者、国宜承/知、准勅施行、以状下、 県史古1p.133
東大寺要録
大海里(邑美)☆[2] 明石郡 8C 〔風土記〕【邑美】賀眉里〈大海山/荒田村〉土下上、右由居川上、為名/所以号大海者、昔明石郡大海里人、到来居於此山底、故曰大海山、生松、 県史古1p.539
播磨国風土記
明石郷☆[3] (明石) 保延3.4.21 1137 〔宗岡重貞等連署畠地施入状写〕【明石】一、小寺畠/明石郷領宗岡重貞等/合柒段〈在十七条十方廿坪/東限原、南限寺畠/西限溝、北限沢>/右件畠、重貞相伝所領也、然太山寺新堂仁限永年、眼/是安穏為後生𦬠、奉施入仕者也、 県史中2p69
太山寺文文書2
神出之郷☆[4] (明石) 延文2.2.11 1357 〔播磨国司庁宣〕播磨国近江寺領上之保ハ、従先規之奇附之地、於諸国/所々朝敵追散シ、数度抽軍忠之条、為恩賞、今度神出/之郷奇附之畢、尚以御祈禱可被精誠旨、仍仰執達如件、 県史中2p.8
近江寺文書5

年月日 西暦 原     文 出  典
船木村☆[5]
黒田村
辟田村
明石郡 9C 〔住吉大社神代記〕一、御封奉寄初/明石郡封元所寄進、/船木村、為頭船木連宇麻呂戸五烟進依、又田二/百代/黒田村、為頭船木連鼠緒戸十烟進依、田百代/辟田村、為頭船木連弓手戸十烟進依、田四百代、 県史古1p.581
住吉大社神代記
垂水村☆ 明石郡 天暦4.11.20 950 〔東大寺封戸荘園并寺用雑物目録〕【垂水】播磨国五十戸〈餝磨西郡〉/塩山五百六十町〈三百六十町播麻国明石郡垂水村、二百町紀伊/国海部郡賀田村 県史古2.p99
東南院文書
開発村☆[6] (明石)
(伊河庄)
正安1.11.- 1299 〔地頭代官僧某田地寄進状写〕開発村清水尻 四拾代/右田者、為堂宇修造、為香花燈明、任寺僧申請、令寄/附処也、早為彼免田、且致当時之興隆、宜励未際御祈/禱、庄家承知敢勿違失、仍寄進之状如件、 県史中2p.80
太山寺文書32
布施畑村☆ (明石) 康永2.11.19 1343 〔領家奉行等連署奉書写〕布施畑村地頭方万雑公事以下諸事寄免間事/右崇敬仏事神社者、家門繁昌・所願成就之源、然間奉/寄進薬師如来・鎮守熊野・金峯・白山三所権現処也、/彼村者寄附仏陀之上者、可令各別也、 県史中2p.88
太山寺文書58
ハやしさきのむら(林崎) 五个庄
(明石)
観応2.10.15 1351 〔四条姫宮譲状〕はりまの国五个庄の内ハやしさきのむらハ、あとゝさ/うてんの所にて候程に、もんしよをくして、妙覚寺に/永代きしんしまいらせ候、後世まても心やすく御とふ/らひさふらふへし、 県史中7p.472
大徳寺文書164
にしのむら(西岡)☆
中むら
魚住庄
(明石)
応永28.2.21 1421 〔しん大夫檀那譲状〕譲渡旦那事/小三郎所知行/合当国内いをすミ庄の内/にしのむら やき谷 中むら/丹波内かすかいの庄内/ゆら谷 たしむら/右のたんなハ、をとゝ小三郎に永代を限てゆつりわた/すところしちなり、 県史中2p.521
肥塚文書13
加良村 明石郡
魚住庄
文安3.12.13 1446 〔行重・近助連署裁許状写〕播州明石郡魚住庄内加良村大般若経田事、如意寺大泉/坊知行処、百姓等依訴申、相尋事子細畢、然彼年貢上/分、為如意寺仏物之条分明之上者、大泉坊有改替、寺/僧一同可被致御祈禱之状如件、 県史中2p.93
如意寺文書14
細(才)田村☆ (明石) 文明2.11.15 1470 〔明石尚行遵行状〕性海寺与細田村山相論事、致註進義、任先例可申付旨/去十月廿二日御書下如此、然上者、任応永年中御成敗/為立合山、可用伐薪、但寺家小林自造道内、致狼藉者/可処罪科者也、 県史中2p.4
大西文書2
こ(小)村☆
かうミ村(木見)☆
(明石) 文明10.2.7 1478 〔播磨明石郡檀那村付注文〕一、おしへたニ一ゑん知行也、中にもかちやはかりハよ/その旦那なり、又さかいこ村おしへ殿、きつ、国さ/と、かうミ村 よりミつ、きんこうしの寺 せんき/やうほう ほうせんほう ほうしゆんほう 県史中2p.523
肥塚文書20
やきの村(八木)☆ (明石) 文明14.8.10 1482 〔丹後・但馬両国檀那村付注文〕明石之やきの村ハ/すきにしか三としにあねにて候者か、をんなはから/いニ、はゝ六郎左衛門殿ニ代弐百文ニしちにおき候て、とりなかされ候間、いかやうにもりやうけんし/候て、うけかへしちきやうすへき者也、 県中2p.528
肥塚文書24
大明石村☆ (明石) 天正9.4.11 1581 〔羽柴秀吉社領寄進状〕播州明石人丸者、和歌第一之神仙而、諸願之霊験甚速/也、仍之、大明石村新開之田地高参拾石寄附之畢、幷/山林竹木等永免除之、全可受納者也、 県史中3p.818
柿本神社文書1
中村☆
東村
常本村☆
和田村☆
明石郡 天正12.7.14 1584 〔羽柴秀吉宛行状〕知行方目録/一、百八拾七石九斗四升 播州明石郡押部谷之内/中村/一、百七拾弐石五斗壱升 同/東村/一、百五拾四石六斗 同/黒田村/一、百三拾壱石 同/常本村/一、六拾五石三斗 同/和田村/合七百拾壱石三斗五升 県史近1p.19
内閣文庫所蔵古文書
西村☆
賀茂谷村☆[7]
栄村☆
押部村☆
高和村☆
やう(養)田村☆
木津村☆
明石郡 天正12.7.14 1584 〔羽柴秀吉知行方目録〕知行方目録/一、参百六拾八石六斗八升 播州明石郡押部谷内/才田村/一、弐百五拾九石四升 同/西村/一、弐百弐拾六石壱斗 同/賀茂谷村/一、八拾石六斗 同/木見村/一、弐百弐拾六石六斗四升 同/栄村/一、百拾壱石壱斗九升 同/小村/一、弐百九石壱斗三升 同/押部村/一、四百卅九石九斗 同/高和村/一、三百五十弐石六升 同/やう田村/一、弐百弐拾八石三斗七升 但後室分也/木津村/合弐千五百壱石七斗 県史中9p.402,403
萩原員崇氏所蔵文書5

賀古郡

郷(里)

望理、長田、住吉、賀古

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
禾々里(鴨波・粟々・淡葉) 加古郡 和銅7.-.- 714 〔木簡〕播磨国加古郡禾々里/□戸首名俵 県史古1p.499
平城宮出土木簡概報12
望理里
長田里☆
駅家里
(賀古) 8C 〔風土記〕【望理】【長田】望理里〈土中/上〉、大帯日子天皇巡行之時、見此村川曲、勅/云、此川之曲甚美哉、故曰望理‖長田里〈土中々〉、昔、大帯日子命幸行別嬢之処、道辺/有長田、勅云、長田哉、故曰長田里/駅家里〈土中々〉、由駅家為名、 県史古1p.522
播磨国風土記
餘郷 賀胡郡 9C 〔住吉大社神代記〕一、賀胡郡阿閇津浜一処/四至〈東限餘郷、南限海棹及〔限〕/西限大湖尻、北限大路、〉/右同皇后御世、大神平伏熊襲二国、従新羅国還上/賜時、似鹿児満海上浮漕来、見人皆奇異、云彼/何物、問似鹿児物也、 県史古1p.587
住吉大社神代記
蜂目郷 賀古郡 天延4.1.30 976 〔扶桑略記〕如意寺沙門増祐入滅、播磨国賀古郡蜂目郷人也、 県史古2p.136
扶桑略記
北条郷 賀古郡 永正12.11.5 1515 〔重則下地売券〕永代売渡申下地事/合壱段卅代者〈在所大■〉/右件下地者、雖得賀古郡北条郷中津村大嶋新兵衛重行/有子細譲、依有要用、現米本器定四石三斗ニ、常楽寺/乗本房智慶御方へ本支證相副、売渡申所明鏡也、 県史中9p.323
古文書纂所収文書11

年月日 西暦 原     文 出  典
阿閇村
高宮村
酒屋村
贄田村
館村
(賀古) 8C 〔風土記〕於是、白犬向海長吠、天皇問云、是誰犬乎、須受武良首対曰、是別嬢所養之/犬也、天皇勅云、好告哉、故号告首、乃天皇知在於/此少嶋、即欲度、到阿閇津、供進御食、故号阿閇/村‖勅云、此処/浪響鳥声甚譁、南遷於高宮、故曰高宮村、是時、造/酒殿之処、即号酒屋村、造贄殿之処、即号贄田村、造室之処即号館村、又遷於城宮田村、仍始成/昏也、 県史古1p.521
播磨国風土記
平岡村 (賀古) 建治2.5.17 1276 〔平岡村実検田地注文〕平岡村/注進 建治二年実検田目録事/合見作田陸町参段内/五反半〈七斗代/長谷堺〉 分米三石七斗五升/二反 算失〈預所一反/御使一反〉 県史中7p.64
葛川明王院文書1
長田村☆ (賀古) 正中3.-.- 1326 〔太子堂木部銘〕【長田】鶴林寺法華堂修理、自太子御草蒼以来至于天永三年第/三度注之、于次宝治三年修理之、其後相当千七十九年/正中三年〈丙寅〉修理之、已上第五度/大工左近入道沙弥覚性/舎弟四郎 橘未永/大工子息右馬充橘光真/同舎弟左近次郎延俊/同左近三郎 同五郎/此人々者長田村住也 県史中4p.464
鶴林寺(加古川市加古川町北在家)
野口村 五箇庄
(賀古)
建武5.5.4 1338 〔沙弥某給主職行状案〕宛行/播磨国五箇庄内野口村給主職事/三津寺四郎左衛門入道円浄/右当職、為給恩可領掌、而於下地者可為佰斛分也、庄/家宜承知、敢勿違失、仍之状如件、 県史中9p.50
井尻家文書1
河原村(賀原)☆ (賀古) 応永16.9.4 1409 〔足利義持御判御教書〕佐用庄上津方・土万/郷・菅野村・赤松郷内屋敷・同包沢西山、同国竹万庄/同国五个庄野口□□・福冨・河原村、同国餝西余部/郷半分・神戸庄等地頭職、同国伊川庄・埴岡北条上下/村・多可庄等事、任亡父頼則今年二月廿九日譲状之旨/赤松次郎満則領掌不可有相違之状如件、 県史中9p.16
文書7
中村 (賀古) 永正12.8.- 1515 〔鶴林寺寺料田惣目録〕鶴林寺々領田目録 永正十二年乙亥八月日/合/理趣三昧 肆町伍段/法華三昧 参町玖段/月講田 壱町弐段/已上玖町六段‖一、承仕散田‖七斗代 在所中村 県史中2p.402
鶴林寺文書6
篠原村☆ (賀古) 永正12.8.- 1515 〔鶴林寺寺料田惣目録〕一、奇進散田‖六斗代 浦上美作守奇進/一所三反〈一石四斗四升寺升定〉 篠原村徳丸名内 県史中2p.405
鶴林寺文書6
口里村☆ (賀古) 永正12.8.- 1515 〔鶴林寺寺料田惣目録〕一、奇進散田‖口里村弥二郎衛門奇進/一所一反〈大升三斗〉 口里/五郎大夫 県史中2p.406
鶴林寺文書6
西安田村☆[8] (賀古) 永正12.8.- 1515 〔鶴林寺寺料田惣目録〕如法経田作人/合/二反 多門坊/二反 禅光坊/一反 奥之坊/一反 中安田/五郎衛門/一反 西安田村/小山歳頭田/一反 多門坊/一反 左京公/一段 西安田/三郎兵衛/已上壱町 県史中2p.410
鶴林寺文書6
中津村☆ 賀古郡 永正12.11.5 1515 〔重則下地売券〕永代売渡申下地事/合壱段卅代者〈在所大■〉/右件下地者、雖得賀古郡北条郷中津村大嶋新兵衛重行/有子細譲、依有要用、現米本器定四石三斗ニ、常楽寺/乗本房智慶御方へ本支證相副、売渡申所明鏡也、 県史中9p.323
古文書纂所収文書11
下村 長田庄
(賀古)
天文3.8.- 1534 〔鶴林寺寺料田惣目録〕鶴林寺々領田目録 天文三年甲午八月日/合/理趣三昧 肆町伍段/法華三昧 参町玖段/月講田 壱町弐段/已上玖町六段‖一、奇進散田〈地頭方寄進分雑色銭之事/一段別拾貫宛毎年納所〉‖一々二段内〈十代不 下司分長田庄下村/法蔵寺寄進/加徳分七斗一升七合五勺 寺升〉西円坊 県史中2p.421
鶴林寺文書8
八幡村
大崎村
(賀古) 天文3.8.- 1534 〔鶴林寺寺料田惣目録〕一、奇進散田〈地頭方寄進分雑色銭之事/一段別拾貫宛毎年納所〉‖大升定/一所〈廿五代 シヤウシ作/分米参斗五升七合五勺和泉福寺/廿五代 シヤウシフケ/分米参斗五升七合五勺 八幡村 新左衛門/小次郎/大升定/一所〈四十代 フケシ/分米六斗八升 同村 太郎兵衛/次郎左衛門/十代 分米壱斗七升 大崎村 五郎衛門 県史中2p.422
鶴林寺文書8
安田村☆ (賀古) 天文3.8.- 1534 〔鶴林寺寺料田惣目録〕一、南大門屋敷散田‖一所十五〈半分ハ 安田村/三郎衛門尉/一所十五〈龍象坊分〉 慶音 県史中2p.425
鶴林寺文書8
上田村☆[9]
南備後村☆[10]
(賀古) 天文3.8.- 1534 〔鶴林寺寺料田惣目録〕浄観分寄進作人々数張/合/壱段 実相坊 壱段五代 上田村/四郎衛門‖買地分/壱段〈大升定 六斗〉 南備後村/太郎兵衛 県史中2p.428
鶴林寺文書8
粟津村☆
北在家村☆
(賀古) 天文3.8.- 1534 〔鶴林寺寺料田惣目録〕買地分‖一反〈知職/本役〉〈大升/十六貫〉五斗 粟津村/尾江孫左衛門‖一段 〈大升〉四斗内〈油用焼可出、〉 北 在家村有之、 県史中2p.429
鶴林寺文書8
高砂村☆ (賀古) 天正15.10.14 1587 〔豊臣秀吉領知朱印状写〕播磨国高砂村、同近辺尾藤分弐千五百石、為加増令扶/助訖、全可知行候也、 県史中9p.137
菅文書1
ミその口村(溝口)☆ 賀古郡 文禄4.8.17 1595 〔豊臣秀吉安堵状〕一、廿三石八斗 賀古郡/大国村/一、拾八石六斗三升 同/しかた村/一、三拾五石 同/ミその口村‖都合弐万五千石/右令扶助訖、此内五千石無役、全可領知候也、 県史近1p.44
木下家文書
荒井村☆ (賀古) 年未詳.3.30 〔浦上則宗折紙写〕知行分荒井村之事、被申付候所、同名孫平治背御下知/条々、不儀之由候、言語道断候、所詮向後、孫平次/被官以下之輩、有強之儀ハ、忽可被加成敗候、 県史中9p.96
加須屋文書1

印南郡

郷(里)

大国、益田、含芸、佐突

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
大国里☆ 印南郡 8C 〔風土記〕【大国】大国里〈土中々〉、所以号大国者、百姓之家多居此/故曰大国、 県史古1p.522
播磨国風土記
六継里
益気里☆[11]
含藝里☆[12]
印南郡 8C 〔風土記〕【益田】【含芸】六継里〈土中々〉、所以号六継里者、已見於〔上〕、此/里有松原、生甘茸、色似茸花、體如鶯茸、十月上/旬生、下旬亡、其味甚甘、/益気里〈土中上〉、所以号宅者、大帯日子命 造御宅/於此村、故曰宅村‖含藝里〈本名瓶落〉土中上、所以号瓶落者、難波高津/御宮〔天皇〕御世私部弓取等遠祖他田熊千、瓶酒着於/馬尻、求行家地、其瓶落於此村、故曰瓶落、 県史古1p.523
播磨国風土記
西志方郷☆[13] (印南) 建武3.12.11 1336 〔足利直義下文〕下/安保丹後権守光泰法師〈法名/光阿〉/可令早領知武蔵国安保郷内屋敷在家・同国枝名内塩/谷田在家・同国太駄郷、出羽国海辺余部内宗太村/播磨国西志方郷、信濃国室賀郷等地頭職事 県史中9p.41
安保文書1
佐土郷☆ (印南) 正長2.3.9 1429 〔赤松満政下地寄進状案〕【佐突】寄進/広峯社領/播磨国佐土郷内弐百石下地事/右、為所願成就・寿福増長・子孫繁昌祈禱、永代寄附/之状如件、 県史中2p.623
広峯文書49
志方郷☆ 印南郡 文明16.11.- 1484 〔某袖判知行宛行状〕印南郡志方郷□□□□□/但□□□□□宛行者也、早守先例、可被知行状如件、 県史中2p.141
赤松文書4

年月日 西暦 原     文 出  典
六継村 印南郡 8C 〔風土記〕勅云、此嶋隠愛妻、仍号南毗都麻、於是、御舟与別嬢/舟同編合而㭾、杪梜伊志治尓、名号大中伊志治、還/到印南六継村、始成密事、故曰六継村、 県史古1p.521
播磨国風土記
宅村 印南郡 8C 〔風土記〕【益田】益気里〈土中上〉、所以号宅者、大帯日子命 造御宅/於此村、故曰宅村、 県史古1p.523
播磨国風土記
神木北条戸井村 (印南) 康平2.7.20 1059 〔播磨国東大寺領畠注進状〕□郡神木北条戸井村畠八町三段/□東郡阿住郷七原畠 三町/□西郡阿居郷桑原田畠二町‖右件東大寺御領所々畠、所注進如件、抑件畠、守/殿被令聞給、令知行、可令御領給、即懐照可/徴進所当御地子、仍注事状、以解、 県史古2p.467
東大寺文書
神吉村☆ 大国庄
(印南)
嘉元4.6.12 1306 〔後宇多上皇領目録案〕播磨国石作庄〈久我前内府、寺用外、不済御年貢、〉/大国庄内神吉村〈京極准后〉/栗栖庄〈北白川姫宮〉/荒田社〈致光〉/大山郷〈三条大納言入道、下部給物千疋、/知行不可有相違之由、被下 院宣於公秀朝臣、〉 県史中9p.520
皇室領関係文書(室町院領)
益田村☆ 印南本郡 延慶2.4.14 1309 〔梵鐘〕【益田】播州/印南本郡益田村佐伯寺鐘/大壇郡〈沙弥道仏 為二親□/沙弥円性 為二親□比丘/尼浄空/大助成人々/尼法性 尼無心 真如 尼了念/沙弥覚一 右衛門尉佐伯基任 県史中4p.597
慈眼寺(三木市久留美)
屏村 印南庄
(印南)
正和5.4.8 1316 〔後伏見上皇院宣〕播磨国印南庄屏村内中嶋田畠、所被寄附報恩寺也、為/御祈禱料所、永代可令管領者也、院宣如此、仍執達如件、 県史中2p.445
報恩寺文書1
寺田村 (印南) 貞和3.8.23 1347 〔梶井宮尊胤法親王令旨〕播磨国寺田村、永代所被寄附御影堂也、勤行等事、云/当時、云未来、可被致慇勤沙汰之由、梶井二品親王令/旨所候也、仍執達如件、 県史中7p.465
大徳寺文書149
宿村
木村☆
大津村
五箇庄
(印南)
観応1.12.5 1350 〔足利尊氏袖判下文案〕下 赤松美作権守範資/可令早領知播磨国佐用庄内赤松上村・三川村、江川/郷太田方・広瀬方・弘岡方、本位田下得久、同国五/箇庄内宿村〈付、下司・公文/政所名〉・木村・大津村、同国淡河/庄内下村、同国白旗鎮守八幡・春日両社神主職・伯/耆国八橋郡内大井下郷事 県史中9p.482
森川文書1
平村 (印南) 永享4.-.- 1432 〔報恩寺奉加帳〕(題簽)「播州平村報恩寺奉加帳」/伊豆守(花押)/掃部助(花押)/沙弥(花押)/上月/越中守(花押)/沙弥(花押)/賀古但馬/沙弥建春(花押)/左衛門尉信長(花押) 県史中2p.448
報恩寺文書11
米田村☆ (印南) 永享12.3.12 1440 〔足利義教御判御教書〕播磨国米田村・備前国出石郷・同国平瀬郷・美作国高/鳥荘・同国豊国荘等事、所充行赤松次郎教貞也者、早/守先例、可致沙汰之状如件、 県史中9p.9
赤松(春日部)文書5
大塩村☆ (印南) 永正18.9.6 1521 〔浦上村宗奉書〕松原庄幷兼田村・目賀村・緋田・大塩村商人等諸公事/免除事、八幡宮神役依致其沙汰、従往古無煩之上者/不可有相違之旨、可被相触之由候也、仍執達如件、 県史中2p.691
松原八幡神社文書56
志方村☆ 印南郡 天正14.3.7 1586 〔羽柴秀吉領知判物〕為加増、播州印南郡内志方村内を以弐百六拾石、福泊/之内を以弐拾石、都合弐百八拾石扶助訖、全可領知之状如件、 県史中1p.505
堀内文書1
まとかた村(的形)☆ 印南郡 天正15.9.24 1587 〔知行方目録〕一、五百石 印南郡/まとかた村/一、四百壱石 塩〈高外〉 同郡/同村/都合壱万千参百四拾弐石/以上 県史近1p.28
木下家文書
本庄村
いほさき村(伊保崎)
中筋村☆
東西村
伊保庄
(印南)
天正16.12.25 1588 〔伊保庄指出案〕いほの庄指出之うつし/一、□百五十八石八斗者 本庄村分/一、五百十九石一斗四升者 いほさき村分/一、六百廿三石三斗者 中筋村分/一、八百三十六石一斗九升者 東西村分 県史中2p.444
曽根文書3
牛谷村☆ (印南) 天正16.12.25 1588 〔伊保庄指出案〕【含芸】一、弐百五十七石六斗七升者 かんき/両村分/一、弐拾弐石九斗二升者 牛谷村分/高合三千拾七石三斗六升七合之内/拾五石者御天神江御きしん分 県史中2p.445
曽根文書3
きし村(岸)☆
別所村
おしこ村(生石)☆
辻村☆
大国村☆
印南郡 文禄4.8.17 1595 〔豊臣秀吉安堵状〕[14]【大国】一、弐百四拾弐石二斗五升 印南郡/ますた村/一、三百六拾六石一斗四升 同/きし村/一、六百九拾壱石 同/別所村/一、五拾壱石五斗三升 同/おしこ村‖一、百石五升 神東郡/うへの村/百四拾六石八斗 同/辻村‖一、廿三石八斗 賀古郡/大国村/一、拾八石六斗三升 同/しかた村/一、三拾五石‖都合弐万五千石/右令扶助訖、此内五千石無役、全可領知候也、 県史近1p.42,43
木下家文書

飾磨郡

郷(里)

菅生、英賀、伊和、辛室、大野、英保、三野、穴无、印達、巨智、平野、草上

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
漢部里
菅生里☆[15]
麻跡里☆[16]
英賀里☆[17]
飾磨郡 8C 〔風土記〕【菅生】【英賀】漢部里〈土中上〉、右称漢部者、讃藝国漢人等到来、居/於此処、故号漢部、/菅生里〈土中上〉、右称菅生者、此処有菅原、故号菅/生/麻跡里〈土中上〉、右号麻跡者、品太天皇巡行之時、勅/云、見此二山者、能似人眼割下、故号目割/英賀里〈土中上〉、右称英賀者、伊和大神之子阿賀比古/阿賀比賣二神、在於此処、故処故因神名、以/為里名、 県史古1p.523
播磨国風土記
伊和里(貽和)
賀野里
韓室里(安室)
巨智里☆[18]
飾磨郡 8C 〔風土記〕【伊和】【辛室】【巨智】伊和里‖土中上、右号伊和部者、積嶓郡伊和君等族到来、居於/此、故号伊和部‖賀野里〈幣丘〉土中上、右称加野者、品太天皇巡行之/時、此処造殿、仍張蚊屋、故号加野、山川之名亦与里同‖韓室里〈土中々〉、右称韓室者、韓室首宝等上祖家大富/饒、造韓室、故号韓室/巨智里〈草上村/大立丘〉土中下、右巨智等始屋居此村、故因/為名、 県史古1p.524
播磨国風土記
安相里(朝来)
枚野里☆[19]
大野里☆
少川里(小川)☆
飾磨郡 8C 〔風土記〕【大野】【平野】安相里〈長畝川〉土中々、右所以〔称〕安相里者、品/太天皇従但馬巡〔行〕之時、縁道不𢷸御■、故号/陰山前、仍国造豊忍別命蒙名、尓時、但馬国造阿/朝尼命申給、依此赦罪、即奉塩代塩田廿千代、有/名塩代田飼、但馬国朝来人到来、居於此処、故号安/相里‖枚野里〈新羅訓村/莒岡〉右称枚野者、昔為少野、故号枚野/所以号新良訓者、昔新羅国人来朝之時、宿於此村/故号新羅訓、山名亦同‖大野里〈砥堀〉土中々、右称大野者、本為荒野、故/号大野‖少川里〈高瀬村・豊国村・英馬野・射目前/檀坂・多取山・御竪〔丘〕・伊刀嶋〉土中々〈本名/私里〉/右号私里〔者〕、〔志貴〕嶋宮御宇天皇世、私部弓束等/祖田又利君鼻留志貴、請此処而居之、故号私里/以後庚寅年、上〔野〕大夫為宰之時、改為小川里、一/云、小川自大野流来此処、故曰小川、 県史古1p.525
播磨国風土記
英保里☆[20]
美濃里☆[21]
因達里
安師里(穴無)☆[22]
飾磨郡 8C 〔風土記〕【英保】【三野】【因達】【穴无】英保里〈土中上〉、右称英保者、伊豫国英保村人到来居/於此処、故号英保村/美濃里〈継潮〉土下中、右号美濃者、讃伎国弥濃郡人/到来居之、故号美濃‖因達里〈土中々〉、右称因達者、息長帯比賣命欲平/韓国、渡坐之時、御〔々〕船前伊太之神、在於此/処、故因神名以為里名/安師里〈土中々〉、右称安師者、倭穴无神々戸託仕奉/故号穴師、 県史古1p.526
播磨国風土記
余部郷 飾西郡 宝治3.-.- 1249 〔播州書写山円教寺古今略記〕健保五年〈丁丑〉四月三日供養、導師中納言法印忠快云云/其後経卅三ヶ年〈己酉〉、長日御如法行始之、後/嵯峨院御願也、院宣云、長日御如法経書写用途料、以/国領飾西郡余部郷、永所被奇附也、 県史中4p.163
播州書写山円教寺古今略記
三野南条郷☆ (飾磨) 正安2.4.- 1300 〔任耀・小野幸員連署和与状案〕【三野】和与/播磨国御家人松原別宮惣検校任耀与同国三野南条郷/地頭河勾左衛門三郎幸員、相論条々和与事 県史中2p.665
松原八幡神社文書4
伊和東郷 (飾磨) 元弘3.7.- 1333 〔称名寺寺僧等文書紛失状〕【伊和】播磨国姫道山称名寺々僧等申請文書紛失御證判事/欲早任実正賜御證判、備向後亀鏡、全寺領専御願子/細状‖右当寺者、為 後嵯峨法皇御菩提所、昼夜不断念仏三/昧勤行道場也、因茲平野南北条・伊和東郷以下、往/古在庁別名国衙御進止地所被寄附之、 県史中2p.572
正明寺文書13
本郷☆ (飾磨) 文和3.4.2 1354 〔左衛門尉久吉講田名主職補任状〕補任/三野南条内本郷国松名八幡講田名主職事/合壱町陸段弐拾代者/右地者、依有子細、限永代所宛行于田井弥次郎也/隋而於所当米捌石弐斗者、毎年無懈怠可令勤仕之、 県史中2p.670
松原八幡神社文書15
飾万津郷☆[23] (飾磨) 永徳2.①.5 1382 〔播磨国穴無郷内海珠寺領寄進田畠目録〕寄進/播磨国穴無郷内海珠寺々領事/合/一、元利名〈在所飾万津郷内河西〈為長阿/光一〉/并穴無郷内荒牧殿南〈宗政菩提也〉〉/一、友重名〈在所津田御牧内公田三町三段/卅五代并屋敷畠卌代〉 県史中7p.695
真珠庵文書8

年月日 西暦 原     文 出  典
手苅村
草上村
飾磨郡 8C 〔風土記〕【草上】所以号手苅丘者、近国之神到於此処、以手苅草/以為食薦、故号手苅、一云、韓人等始来之時、不識/用鎌、但以手苅稲、故云手苅村‖巨智里〈草上村/大立丘〉土中下、右巨智等始屋居此村、故因/為名、 県史古1p.524
播磨国風土記
英保村☆
新羅訓村(白国)☆
高瀬村
豊国村☆
飾磨郡 8C 〔風土記〕【英保】本又、阿胡尼命娶英保村女、卒於此村、遂造墓葬/以後正骨運持去之、云来‖枚野里〈新羅訓村/莒岡〉右称枚野者、昔為少野、故号枚野/所以号新良訓者、昔新羅国人来朝之時、宿於此村/故号新羅訓、山名亦同‖少川里〈高瀬村・豊国村・英馬野・射目前/檀坂・多取山・御竪〔丘〕・伊刀嶋〉 県史古1p.525
播磨国風土記
姫道村(姫路) (飾磨) 正応5.3.25 1292 〔沙弥光智別当職等譲状〕譲与播磨国□中姫道村称名寺別当職幷当寺免田畠等/〈注文/在別紙〉事/右当寺者、故入道殿〈法名/真仏〉為後生菩提、被建立精舎也、 県史中2p.572
正明寺文書12
中井村 土山庄
(飾磨)
暦応2.3.4 1339 〔足利幕府引付頭人奉書〕□磨国広峯社□雑掌長秀申、□国土山庄内中井村地頭/職事、訴状・具書如此、子細見状、早大多和弥次郎相/共莅彼所、停止布施彦三郎入道々乗押領、沙汰付下地/於長秀、 県史中2p.646
広峯神社文書7
萩原村 土山庄
(飾磨)
暦応2.6.18 1339 〔室町幕府引付頭人奉書〕播磨国広峯社大別当昌俊申、同国土山庄〈亦号/薬師庄〉内萩原/村地頭職事、重訴状如此、先度被仰下之処不事行云々/頗招其咎者歟、早莅彼所停止浦上孫三郎之押妨、沙汰/付下地於昌俊、可執進請取、 県史中2p.616
広峯文書30
水上村 (飾磨) 貞治6.12.19 1367 〔字松女田地寄進状〕奉寄進/三野南条本郷水上村田地事/合 〈弐段屋敷/講田五段〉者〈本文書四通在之〉/右件田地者、為重代相伝之地、浄円二人子仁雖譲与/甲斐房先立死去上者、任父譲状之旨、嫡女一円相伝無/相違、 県史中2p.671
松原八幡神社文書17
土井村 (飾磨) 14C 〔捃拾集〕又其ノ比、当/坂元土井村ニ法一房ト云フ有富祐ノ之老尼、生得熊野信仰ノ之/尼公也、或時未聞不見ノ之旅客、熊野権現ノ之霊像奉リ随/身シ、欲質ニ置ント、奉拝之、言語道断ノ之奇特也、 県史中4p.129
捃拾集
目賀村(妻鹿)☆ (飾磨) 応永9.9.9 1402 〔沙弥道従修理田名主職寄進状〕奉奇進/播磨国松原 八幡宮修理田目賀村町坪名主職事/合壱所壱町柒段参拾伍代〈幷出田一反十〉者 在所〈宿院殿北/字号町坪〉/右件田者、自往古当社之修理田也、於名主職者、道従/買得相伝之地也、 県史中2p.673
松原八幡神社文書20
小川(河)村☆ (飾磨) 応永26.11.- 1419 〔上月吉景譲状幷置文〕播磨国小川村/上月勘解由左衛門景久仁ゆつる所条々事/播磨国成国別符地頭職・りやうけ職と同国小河村地/頭職と、ほうふ聖範かきやうねん中仁さうはく状そ/うそくのゆい所の旨にまかせて、孫五郎景氏方へ一/ゑんにゆつるといへとも、 県史中9p.249
上月文書6
野田村☆[24] (飾磨) 正長2.1.25 1429 〔沙弥性勲下地寄進状〕奉奇進下地事/合壱町者、〈在所餝万津郷野田村〉/右下地者、依有志、松原八幡宮エ奉奇進者也、天下安/世・国土安穏、次沙弥性勲代々可被致祈禱於候、仍奇進状如件、 県史中2p.675
松原八幡神社文書27
小原村☆ 飾東郡 康正1.10.13 1455 〔山名持豊判物〕播磨国餝東郡恒冨保内小原村〈大国安法師丸/跡〉・同郡念井/位田内〈同人/跡〉等事、為給分所宛行之也、早守先例可致沙/汰之状如件、 県史中9p.488
山内首藤家文書4
下増位出村 (飾磨) 長禄2.3.- 1458 〔阿弥陀寺覚阿田畠譲状〕譲与 名田畠之事‖右田畠者、檀那宇野兵庫助方沙弥蓮阿為本知行、神西/郡的部南条武吉名一円、大野郷内下増位出村威徳寺領/ニ有寄進処、天龍寺ヨリ依有被申子細、庄主申合直銭/弐拾貫文仁限永代売渡、 県史中2p.513
雲松寺文書5
あそう野村 賀屋庄
(飾磨)
寛正4.11.12 1463 〔賀屋荘内公文名納所引付〕一、作夏畠之地子銭方/田三反分あれ分地子銭五百文弁 あそう野/源大夫‖廿五代分地子 百五十文 あそう野/兵衛二郎/参反分地子 二百五十文 同 同村/兵衛四郎 県史中3p.214
伊和神社文書97
平野村☆ 飾東郡 文明16.6.26 1484 〔山名政豊書下案〕当山社務職幷餝東郡平野村南明分〈号三寸田〉、如元所返/付候也、早全神役、可被抽懇祈之状如件、 県史中2p.625
広峯文書54
阿(英)賀村☆ (飾磨) 延徳2.1.- 1490 〔中納言公某仏供田寄進状〕【英賀】琉璃山東光寺為本尊仏供、於阿賀村、本田十石分、令/寄進者也、 県史中2p.607
東光寺文書1
兼田村☆[25] (飾磨) 延徳3.6.12 1491 〔浦上則宗折紙〕知行分三野南条内、兼田村石川壱段作職事、従此方雖/先度申付、寺家理運上者可為進退、然而先年九郎四郎作生涯候者、一類仁有御申付儀者、重而一段、自是可加成敗、 県史中2p.681
松原八幡神社文書47
西ノ木戸村(西城戸) (飾磨) 明応1.12.23 1492 〔五郎衛門田地売券〕永代売渡申御下地作職事/合壱段者〈在所アハ田ノ町ホソヲサ/甲山ノ北ウラナリ〉/右、田地者、西ノ木戸村五郎衛門雖為重代相伝作職/依要用有、米柒斗五升仁母里三郎左衛門殿ヱ永代沽渡/申処支證明鏡也、 県史中2p.578
正明寺文書30
福中村☆ (飾磨) 明応3.10.29 1494 〔源大夫田地作職売券〕永代売渡申惣社鬼皷田御下地作職事/合参段者〈在所あわ田/甲山ノ北〉/右、田地者、福中村源大夫雖為重代相伝作職、依要用/有、代米出定弐石五斗仁、母里三郎左衛門秀友江永代/売渡申処分明也、 県史中2p.579
正明寺文書32
野里村☆[26] (飾磨) 明応6.10.26 1497 〔梵鐘〕播州飾東郡□□社推鐘‖明応六年〈丁巳〉十月廿六日/野里次郎兵衛尉/勧進沙門江州高島郡住浄心/本願大工大野郷野里村住藤原勝久/小工宗久 県史中4p.605
勝瑞寺(姫路市御立)
中村☆
山井村☆
(飾磨) 文亀2.2.- 1502 〔母里秀友下地寄進状〕於播州国衙称名寺奉寄附下地事/合/エハサマ道ヨリ下/弐段 分米壱石弐斗内/中村/六郎衛門/弐斗‖姫路山ノ西浦/弐段 分銭弐百六拾文/但両季也/山井村二郎左衛門 県史中2p.583 584
正明寺文書43
津田村 (飾磨) 永正3.11.12 1506 〔梵鐘〕播州飾東郡国衙惣社椎鐘/大願主御屋形様/両目代名主地下人/祐重/長源/俊秀/本願/久利/元佐/長久/大工津田村内記石根丸/小工内記四郎左衛門/永正三年〈丙寅〉十一月十二日 県史中4p.606
射楯兵主神社(姫路市総社本町)
八代村(矢城)☆[27]
井出村☆[28]
山脇村☆
今宿村☆[29]
蒲田村☆[30]
実法寺村☆
田寺村☆
(飾磨) 大永年中 1521~28 〔惣社走馬之記〕惣社走馬之記/大永年中走馬六十一人事/八代六郎左衛門 小寺家人八代村居/尾上十五郎 同/牧村八郎太夫 同/佐野助太夫 野里農長/井出民部 小寺家人井出村居/岡野久次郎 同 山脇村居/曽根内記 別処家人中筋 居/広峯新四郎 広峯山居/槇内源左衛門 置塩領下今宿村農長/国府寺次郎太郎 志深政所/安積源十郎 釜門家人安積居/菅原三郎衛門 蒲田村政所/荒山大隅 アカ家人熊見居/香山七郎左衛門 置塩領下刀出居/福永十郎左衛門 同 実法寺村居‖田寺新助 田寺村構 県史中4p.365,366
惣社走馬之記
大野村☆ (飾磨) 享禄5.2.9 1532 〔梨田正吉畠注文〕平野前田畠帳之事/社務分/大野村/壱段 分米八斗 上まち田/大の村/壱段 分米八斗 松本/同所/壱段 分米八斗 ちやう田 県史中2p.626
広峯文書59
口入村 (飾磨) 天文7.7.23 1538 〔赤松氏奉行人連署奉書〕口入村大野分事、為闕所被仰付訖、守先例、全領知/弥可被抽奉公忠之由候也、仍執達如件、 県史中9p.276
上月文書64
中嶋村☆[31] (飾磨) 天文11.7.30 1542 〔黒田重隆・山脇職吉連署折紙〕中嶋村内形部少輔殿御分、光連名下地五段四十代、分/米弐石壱斗五升御拘之由候処、麦地子在之由、代官雖/被申候、先々無之、支證明鏡之上者、於向後不可有相違之由候也、恐惶謹言 県史中2p.460
芥田文書7
青山村☆ (飾磨) 天文12.9.18 1543 〔赤松晴政院領安堵状案〕当院領青山村之内宗恵寺分事、隠買族不可有許容、如/先々、為本院可被全領知之状如件、 県史中2p.698
書写山文書2
加納村☆[32] (飾磨) 天文15.12.15 1546 〔赤松晴政知行宛行状〕播州加納村事、不可有相違、守旧例全領知、弥可専奉/公候也、恐々謹言、 県史中2p.724
後藤文書30
仮屋村 飾西郡 永禄9.5.- 1566 〔梵鐘〕播州飾西郡英賀東/本徳寺常住鐘/右志者為母妙秀十/七回忌報恩奉鋳之/願主同仮屋村住三/木宗大夫入道慶栄/招請同行加力而令/寄附之而已/時永禄九年〈丙寅〉五月吉日/大工同国飾東郡/野里村五郎右衛/門藤原家久作之 県史中4p.607
本徳寺(姫路市亀山)
上村
符寺村(国府寺)☆[33]
(飾磨) 永禄10.12.23 1567 〔黒田孝高下地売券〕永代売渡申上村下地内称名寺分事/合壱反者〈在所符寺村ノ西浦也/本役八百文則可有寺納候〉/右、件跡職、依有子細、為闕所進退候上者、寺領壱反/作徳壱貫文ニ末代売渡申所実也、 県史中2p.588
正明寺文書54
辻井村☆ (飾磨) 天正2.1.20 1574 〔府中社略記〕安徳御宇、養和元年正月廿三日、草上地・射楯兵主神/二社之内以五十猛命為合座〈今辻井村/行矢社〉、正一位伊和/神号、大己貴一座追秘祟口決、 県史中4p.349
府中社略記
市郷村☆[34]
芝原村☆
上野里村
神屋村☆
矢落村
(飾磨) 天正9.9.9 1581 〔惣社集日記〕凡役僧三十七人ト云云、矢城・長畝・神屋・上野里/白国・市郷・芝原・英保・宿・福中・井出・水原・矢/落・姫路・国府、以上十五ケ村民四百八十余人、楯矛/弓矢刀ヒ首立明鎌斧等持、椰本ヨリ神屋恩熊森西北三/町始神財殿構宿院、神璽遷三日逗座、 県史中4p.357
惣社集日記
津田野村
北条村☆
南条村☆
安田村☆
農年村(長畝)☆[35]
伸末村☆
(飾磨) 天正9.9.9 1581 〔惣社集日記〕大永元年五月五日、志水甲州/衣笠長州、為奉行固士守五百人、装飾騎射コヽロム/又神財練十六村民千五百人/平野村六十人出 農長小室七左衛門/大野村五十人出 同 菅原五郎兵衛/白国村百人出 政所白玉彦八/野里村五十人出 農長野里五郎次郎/八代村六十人出 同 室住平六〈名主〉/国府寺村百人出 国府寺政所次郎大良〈名主〉/津田野村四十人出 農長津田四郎左衛門/国府寺名主 大竹六郎右衛門/北条村六十人出 農長北条平右衛門〈名主〉/南条村三十人出 農長柳葉四郎大夫/安田村五十人出 農長吉田新介/農年村三十人出 八木七左衛門/伸末村八十人出 三和嘉大夫 県史中4p.359
惣社集日記
庄田村☆ (飾磨) 天正9.9.9 1581 〔惣社集日記〕大永元年七月卯日、社前刀刃松明杖斧鎌鑓長刀を以テ/七ヶ日神踊、凡十二ヶ村ノ氏人三百九十七人、赤松様/御下知として近江郷兵主神社神踊を写すとかや‖宿村・国府寺村・中村・北条村・南条村・農年村・山井村・八代村/野里村・庄田村・津田野村・福中村十二ヶ村なるべし、 県史中4p.360
惣社集日記
御着村☆ 飾東郡 天正15.9.24 1587 〔豊臣秀吉宛行状〕播磨国餝東郡御差(着)村内六十五石、同国分寺内百五石、/合百七十石宛行訖、全可領知者也、 県史近1p.29
紀伊続風土記附録
佐良和村☆ (飾磨) 天正20.1.28 1592 〔小寺休夢書状〕随而野里草場山事、中嶋・/佐良和村・小河者共新儀申通候、此段拙者村々郷内七/ヶ村之事申付、出入等儀数年存知申候、有様旨堅被仰/付尤存候、 県史中2p.485
芥田文書58
ミのむら☆[36]
さかむら☆[37]
三宅村☆
飾東郡 文禄3.6.5 1594 〔豊臣秀吉安堵状〕【三野】一、七百四拾壱石七斗 播州飾東郡/符寺村/一、七百六拾七石一斗 播州飾東郡/井出村/一、弐百八拾壱石八斗 同/のあほ/一、千拾八石五斗八升 同ミのむら〈浅野源八代官分〉/さかむら/一、百弐拾七石弐斗八升 同/三宅村/一、五百七拾九石弐斗 同/あなし/一、四百五十四石三斗 同/つきの庄/一、三百五拾壱石 同/南畝村/一、五百弐拾石三斗 同/さらふ/ 県史近1p.38,39
金井文書
北原村☆
下中しま(島)村☆
上原田村☆
山崎しお(塩)崎村☆[38]
(飾磨) 文禄3.10.17 1594 〔入部御用銭割付状〕文禄三年御入ふいり目之事‖一、高弐百五拾五石 かね田村(花押)/右之分八斗九升弐合か/一、高七百九十石八斗四升三合 北原村(黒印)/右分弐石七斗七升/一、高四百八拾壱石六斗四升 下中しま村(黒印)/右分壱石七斗三升七合‖一、高七百九拾九石弐斗 大野平の村/甚右衛門(花押)/右分弐石七斗七升六合‖一、高五百廿四石三斗二升五合 上原田村(黒印)/右 壱石八斗四升九合か‖一、高五百廿石 山崎しお崎村/大郎左衛門(花押)/右分壱石八斗二升か 県史中2p.491
芥田文書74
東山村☆ 飾東郡 文禄3.-.- 1594 〔飾東郡蔵入目録〕播州しきとうかうり御蔵入目録/文禄三年/一、七百六拾弐石 野里村/一、四百八拾壱石七斗九升 福中/一、四百八拾壱石六斗 下中嶋/一、弐百五拾五石 かね田村/一、九拾七石 東山村/一、七百八十四石七斗 小原村 県史中2p.492
芥田文書76
しゆく村☆
下野田村☆
飾東郡 文禄4.8.17 1595 〔豊臣秀吉安堵状〕一、六百拾五石六斗 餝東郡/しゆく村/一、四百七拾壱石七斗八升 同/山井村/中村/一、六百六拾壱石二斗七升 餝東郡/八代村/一、三百九石九斗九升 同/下野田村/以上五千石 県史近1p.44
木下家文書
小塩村☆[39] 飾西郡 慶長4.8.7 1599 〔豊臣氏大老連署知行宛行状写〕播州餝西郡小塩村五百六石之事、被宛行訖、全可有知/行状如件、 県史中9p.481
毛利家文書22

揖保郡

郷(里)

栗栖、香山、越部、林田、桑原、布勢、上岡、揖保、大市、大田、新田、浦上、大宅、廣山、小宅、石見、中臣

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
香山里☆
栗栖里
揖保郡 8C 〔風土記〕【香山】【栗栖】香山里〈本名鹿来墓〉土下上、所以号鹿来墓者、伊和/大神占国之時、鹿来立於山岑、々々是亦似墓、故/号鹿来墓、後至道守臣為宰之時、乃改名為香山‖栗栖里〈土中々〉、所以名栗栖者、難波高津宮天皇、勅/賜刊栗子若倭部連池子、即将退来、殖生此村、故号/栗栖、此栗子由本刊、後无渋、 県史古1p.527
播磨国風土記
越部里
上岡里
日下部里
林田里
揖保郡 8C 〔風土記〕【越部】【上岡】【林田】越部里〈舊名皇/子代里 土中々>、所以号皇子代者、勾宮天/皇之世、寵人但馬君小津、蒙寵賜姓、為皇子代君/而、造三宅於此村、令仕奉之、故曰〔皇〕子代村/後至上野大夫結卅戸之時、改号越部里‖上岡里〈本林/田里〉土中下、出雲国阿菩大神聞大倭国畝火/香山・耳梨三山相闘、〔以〕此欲諫止上来之時、到/於此処、乃聞闘止、覆其所乗之船而坐之、故号/神阜、々形似覆‖日下部里〈因人姓/為名〉、土中々‖林田里〈本名談/奈志〉土中下、所以称淡奈志者、伊和大/神占国之時、御志植於此処、遂生楡樹、故称名淡/奈志、 県史古1p.528
播磨国風土記
邑智里(大市)
廣山里☆
泉里(出水)
揖保郡 8C 〔風土記〕【大市】【廣山】邑智〔里〕〈駅家〉 土中下、品太天皇巡行之時、到於此/処、勅云、吾謂狭地、此乃大内之乎、故号大内/冰山 惟山東有流井、品太天皇汲其井之水而冰之/故号冰山‖廣山里〈舊名/握村〉 土中上、所以名都可者、石〔龍〕此賣/命立於泉里波多為社而射之、到此処箭尽入地、/唯出握許、故号都可村、以後石川王為総領之時/改為廣山里、 県史古1p.529
播磨国風土記
枚方里☆[40]
大家里(大宅)
揖保郡 8C 〔風土記〕【大宅】枚方里〈土中上〉、所以名枚方者、河内国茨田郡枚方/里漢人来到、始居此村、故曰枚方里‖大家里〈舊名大宮里〉 土中上、品太天皇巡行之時、営宮此/村、故曰大宮、後至田中大夫為宰之時、改大宅里、 県史古1p.530
播磨国風土記
大田里☆[41]
石海里(石見・岩見)
浦上里(占上)
揖保郡 8C 〔風土記〕【大田】【石見】【浦上】大田里〈土中上〉、所以称大田者、昔呉勝従韓国度/来、始到於紀伊国名草郡大田村、其後分来、移到於/摂津国三嶋賀美郡大田村/是本紀伊国大田以名也‖石海里〈土惟上中〉、右所以称石海者、難波長柄豊前天/皇之世、是里中有百便之野、生百枝之稲、即阿曇連/百足、仍取其稲献之、尓時、天皇勅曰、宜墾此野/作田、乃遣阿曇連太牟、召石海人夫令墾之、故/野名曰百便、村号石海也‖浦上里〈土上中〉、右所以号浦上者、昔阿曇連百足等/先居難波浦上、後遷来於此浦上、故日本居為名、 県史古1p.531
播磨国風土記
萩原里☆
少宅里
揖保里
揖保郡 8C 〔風土記〕【小宅】【揖保】萩原里〈土中々〉、右所以名萩原者、息長帯日賣命韓/国還上之時、御船宿於此村、一夜之間生萩〔一〕根、/高一丈許、仍名萩原‖少宅里〈本名漢部里〉 土下中、所以号漢部者、漢人居/之此村、故以為名、所以後改曰少宅者、川原若狭/祖父娶少宅秦公之女、即号其家少宅、後若狭之孫智/麻呂任為里長、由此庚寅年為少宅里‖揖保里〈土中/中〉、所以称粒者、此里依於粒山、故因山為名、 県史古1p.532
播磨国風土記
桑原里(倉見) 揖保郡 8C 〔風土記〕【桑原】桑原里〈舊名倉/見里〉土中上、品太天皇御立於槻折山〔望〕/覧之時、森然所見倉、故倉見村、今改名為桑/原、一云桑原村主等、盗讃容郡桉見〔桉〕将来、其/主認来、見於此村、故曰桉見、 県史古1p.533
播磨国風土記
余戸郷☆[42] 揖西郡 久寿2.12.29 1155 〔太政官符案〕太政官符 民部省/応停止官使検非違使院宮諸司国使等闌入、弘誓院領/諸国庄園内并大小国役事‖壱所 字藤三位勅旨/在同国管揖西郡余戸郷/田拾五町 在家柒拾宇 県史中8p.258
随心院文書1
布施郷 揖西郡 建久8.4.30 1197 〔官宣旨〕【布勢】左弁官下播磨国/応且任舊跡糺定四至堺且免除雑傜、穀倉院領/当国小犬丸保事/在管揖西郡布施郷内‖右得彼院去年十二月廿四日解状偁、彼保解云、謹考/舊貫、当保建立之後、漸雖及二百歳、四至内田畠荒/野山林等、敢無有濫妨、 県史古3.p402
続左丞抄
本郷 桑原庄
(揖保)
正中2.3.- 1325 〔最勝光院領荘園目録案〕最勝光院領/注進 寺領庄園年貢近年所済分出物等散状事/一、播磨国/桑原庄‖本郷十五石 領家山科中将入道/近年ハ石代十五貫文進済之処、去弘安元年以来/寄事於地頭非法、十貫文進済之外、無所見歟‖平位村六石 領家三位法印泰豪/近年六貫文弁済之、 県史中6p.736
東寺文書7ゆ函
平井郷 (揖保) 暦応4.④.19 1341 〔松鶴請文〕最勝光院の御領近江国湯次庄・檜物庄、播磨国下揖保/庄・平井郷とうの寺用の中、年々の未進分にむけて/廿貫文お給候へきよし、御寺より承候上ハ、院宣をも/申、御寺の御状をも給候て、心の所及、せめ申候へく候、 県史中6p.742
東寺文書17さ函
網干郷 (揖保) 天正5.12.6 1577 〔羽柴秀吉禁制〕禁制 網干郷/一、当手軍勢乱妨狼藉事/一、放火事/一、非分不謂族事/右条々堅令停止訖、若於違犯者、速可処厳科者也、仍如件、 県史中3p.12
網干郷文書(大覚寺保管)2

年月日 西暦 原     文 出  典
佐々村☆[43]
阿笠(豆ヵ)村
揖保郡 8C 〔風土記〕佐々村 品太天皇巡行之時、猓嚙竹葉而遇之、故曰佐々村/阿笠(豆ヵ)村 伊和大神巡行之時、告其心中熱、而控絶衣/紐、故号阿笠(豆ヵ)、一云、昔天有二星、落於地化為/石、於此人衆集来談論、故名阿笠(豆ヵ)、 県史古1p.527
播磨国風土記
皇子代村
狭野村
揖保郡 8C 〔風土記〕越部里〈舊名皇/子代里 土中々>、所以号皇子代者、勾宮天/皇之世、寵人但馬君小津、蒙寵賜姓、為皇子代君/而、造三宅於此村、令仕奉之、故曰〔皇〕子代村‖狭野村 別君玉手等遠祖、本居川内国泉郡、因地不/便遷到此土、仍云、此野雖狭、猶可居也、故号/狭野、 県史古1p.528
播磨国風土記
握村(都可) 揖保郡 8C 〔風土記〕廣山里〈舊名/握村〉 土中上、所以名都可者、石〔龍〕此賣/命立於泉里波多為社而射之、到此処箭尽入地/唯出握許、故号都可村、以後石川王為総領之時/改為廣山里、 県史古1p.529
播磨国風土記
大田村☆ 揖保郡 8C 〔風土記〕【大田】上莒岡・下莒岡・黒戸津・勅田 宇治天皇之世、宇治/連等遠祖兄太加奈〔志〕・弟太加奈志二人、請大田村/与富等地、墾田将蒔来時、廝人以朸荷食具等物、於是朸折荷落、所以奈閇落処、即号黒戸津、 県史古1p.530
播磨国風土記
伊都村☆[44] 揖保郡 8C 〔風土記〕宇頭川 所以〔称〕宇頭川者、宇須伎津西方、有絞/水之淵、故号宇頭川、即是大帯日賣命宿船之泊、伊/都村 所以称伊都者、御船水手等云、何時将到於/此所見之乎、故曰伊都、 県史古1p.531
播磨国風土記
越部村
泉村
桑原村(倉見)
揖保郡 8C 〔風土記〕【越部】【桑原】美奈志川 所以号美奈志川者、〔伊〕和大神子石龍/比古命、与妹石龍〔比〕賣命二神相競川水、妹神欲/流於北方越部村、妹神欲流於南方泉村‖川流奪而将流於西方桑原/村、於是妹神遂不許之、 県史古1p.533
播磨国風土記
神戸村 揖西郡 康平2.7.20 1059 〔播磨国東大寺領畠注進状〕多可郡東条郷野村畠三町/同郡黒田郷大志□畠三町/揖西郡揖保郷神戸村畠八町弐段/右件東大寺御領所々畠、所注進如件、抑件畠、守/殿被令聞給、令知行、可令御領給、即懐照可/徴進所当御地子、仍注事状、以解、 県史古2p.467
東大寺文書
上村 福井庄
(揖保)
建治1.-.- 1275 〔播磨国福井荘東保米算用状〕福井御庄東保/注進 建治元年御米進未算用事/合/御目録面尾米三百三十三石四斗三升四合/除米二十石一斗八升五合/二石二斗八升 丹賀嶋出田分/九石四升七合 畠田半分地頭押領分/四斗 上村地頭代算失押領分 県史中7p.280
神護寺文書21
水度村(水度呂)
宿院村
木屋村
(揖保) 永仁4.1.- 1296 〔播磨国福井荘年貢注進状〕卅八石六斗四升 正枝即/十九石三斗九升八合六勺水度村地頭/廿三石五斗六升 宿院村地頭/六石六斗二升木屋村地頭、於当村者、去年畠田/所当并今新田一向押/領分加定、 県史中7p.297
神護寺文書29
下村 福井庄
(揖保)
永仁4.3.- 1296 〔播磨国福井荘東保名頭等申状〕神護寺御領播磨国福井御庄東保名頭等謹言上/為内検使左衛門入道道性、往古神田並名頭□堪落/之、無其謂子細条々‖一、当御庄領家政所敷一有神社、此即本願聖人御霊神/傾頭者、不空利益、依之、上下村〈各一反〉弐段以料田/令勤仕修正以下御神事者也、同落之、 県史中7p.298
神護寺文書30
平位村 桑原庄
(揖保)
正中2.3.- 1325 〔最勝光院領荘園目録案〕最勝光院領/注進 寺領庄園年貢近年所済分出物等散状事/一、播磨国/桑原庄‖本郷十五石 領家山科中将入道/近年ハ石代十五貫文進済之処、去弘安元年以来/寄事於地頭非法、十貫文進済之外、無所見歟‖平位村六石 領家三位法印泰豪/近年六貫文弁済之、 県史中6p.737
東寺文書7ゆ函
栄村☆
山下部村☆[45]
熊代村
浦上庄
(揖保)
元弘4.1.19 1334 〔後醍醐天皇綸旨〕播磨国浦上庄内栄・山下部・熊代等村、大徳寺管領之/由、被聞食了者/天気如此、仍執達如件、 県史中7p.446
大徳寺文書104
矢田部村☆[46] 揖保郡 14C 〔峯相記〕神亀年中ニ播磨国揖保郡矢田部村ニ、俗名武吉丸ト/云者有ケリ、出家入道□、其名ヲ徳道上人トテ行基僧/正ニ法相宗ヲ受学シ役行者所伝ノ真言教ヲ行□、密/ニ三輪山ノ奥ニ行居ケリ、 県史中4p.56
峯相記
山本村 福井庄
(揖保)
14C 〔峯相記〕蓑寺ト申ハ、正和二年比、坂部庄ヘ下旅人、ナニト/ナク雨ヤトリ、英賀西田寺ニ立寄リ、タワフレニ古仏/ニ躰ヲ負テ、福井庄山本村ニ蓑ヲ覆テ捨テ奉ル、薬/師・観音両像也、其辺ノ人々、板ヲ上ニフキ、祟メ奉/ル、 県史中4p.63
峯相記
東保村(東方)☆ 鵤庄
(揖保)
応永21.12.19 1414 〔鵤荘引付〕饗一膳 飯一升盛 菜六種汁 餅九ツニて一膳折敷□/白酒 已上/百文、祭ノ御トウノフ施下行之、是者普賢院納所内ヨ/リ渡之、房喰用ニ入之、頭人ニハ東保村百性内沙汰之、 県史中3p.27
斑鳩寺文書30
中井村☆ 鵤庄
(揖保)
応永21.12.19 1414 〔鵤荘引付〕三郎太郎名之内/十五条中井村田二段 六斗五升代/廿三条三宅門一反 三斗代/以上三反 分米一石六斗 全未進 右近五郎乍/但是ヲハ吉永ニナシカヽル分ニ付畢、 県史中3p.28
斑鳩寺文書30
平方助久村☆[47] 鵤庄
(揖保)
応仁2.2.26 1468 〔鵤荘引付〕一、平方助久村五郎次郎、実報寺新方帯□入道為下部処/仁、浦上孫左衛門方、応仁弐年〈戊子〉二月廿六日夜、宿/ニテ被為生涯畢、折節新方ニ合宿候子細タルニ依テ/新方ヨリ沙汰通被申成畢、 県史中3p.42
斑鳩寺文書30
坂上村☆
熊見村☆
横浜村☆[48]
(揖保) 文明19.4.25 1487 〔播磨国福井荘名主・百姓等請文〕英賀同光明山幷松原御陣ニ堪忍仕候人数之事‖坂上村/二郎左衛門尉 熊見村/九郎兵衛 横浜村/新兵衛 横浜村/新左衛門尉/已上/右、名主・百姓事者、当御陣堪忍仕候上者、脇散在之/者、雖有緩怠私曲、蒙仰候て堅可申付候、 県史中9p.167
吉川家文書35
西敷居村
天満村☆
平松村☆
君か浜村☆[49]
尾禰嶋村
宮内村☆
太居村(田井)☆
宮田村☆
山和村
山しな村
大田脇村
谷村☆[50]
壱藤村
糸居脇村
高田村☆
河原村
和具(久)村☆
小宅外面村
津濃市庭村☆[51]
あほし村(網干)
三石村
興浜村☆
蓮花寺村
福井庄
(揖保)
(長享1.-.-) 1487 〔播磨国福井荘村名注文〕福井庄廿八个村/一、熊見村/一、西敷居村/一、天満村/一、平松村/一、君か浜村/一、尾禰嶋村/一、宮内村/一、太居村/一、宮田村/一、山和村/一、山しな村/一、大田脇村/一、谷村/一、壱藤村/一、糸居脇村/一、高田村/一、河原村/一、和具村/一、小宅外面村/一、坂上村/一、津濃市庭村/一、みとろ村/一、あほし村/一、三石村/一、横浜村/一、興浜村/一、蓮花寺村/一、坂上村東、一か所名不知、 県史中9p.169
吉川家文書41
小田村☆ 鵤庄
(揖保)
永正6.7.29 1509 〔鵤荘引付〕敵退処ヲ小田村田中新四郎方矢ヲ放、/敵ノ足ヲヰ、然間各々ニケ退キ了、此方ノ衆モ沙汰/人并後見中間衆已下令同道打帰リ、如本意、庄例之筋目仁成敗在之、 県史中3p.48
斑鳩寺文書30
宿村☆ 鵤庄
(揖保)
永正9.5.13 1512 〔鵤荘引付〕宿敷卅代分米三斗九升、百姓宿村元徳寺六郎次郎ト云前ニ/在之、此分ニテハ公并等一向無之/間、余無勿躰候て、当年壬申ヨリ五个年間、斗代少/令減少令開処也、 県史中3p.48
斑鳩寺文書30
柳村☆
奥村☆
鵤庄
(揖保)
永正9.-.- 1512 〔鵤荘引付〕一、平方歩射儀付、出仕百姓ト四郎衛門已下衆ト座敷令/相論訖、則去年ヨリ雖申事ナリ、新儀不可然由申付/間、近年落居訖、於座敷者〈一方ハ柳村新兵衛/一方ハ奥村三郎兵衛〉其次座/ヨリ次第ニ各々ナヲリ畢、 県史中3p.50
斑鳩寺文書30
東南村☆ 鵤庄
(揖保)
永正11.3.14 1514 〔鵤荘引付〕一、同年三月十四日之夜、東南村藤次郎酔任ヲ仕テ、我/母ヲ令刃傷、大犯三ヶ条之罪過難遁□□親子共仁/家内雑具以下悉検断畢、 県史中3p.51
斑鳩寺文書30
平方村☆ 鵤庄
(揖保)
永正12.5.27 1515 〔鵤荘引付〕同日酉/剋、平方村周世次郎五郎宿所衛乱入之趣、従在家註/進有之間、為検断両人并後見智善房中間衆以下指遣/処、既日暮及戌剋処仁、平方村於入口、彼方之衆三/十アマリト此方之衆ト不慮之及喧嘩、 県史中3p.54
斑鳩寺文書30
打越村
星田庄村
(揖保) 大永年中 1521~28 〔惣社走馬之記〕〔惣社走馬之記〕惣社走馬之記/大永年中走馬六十一人事‖大塚太郎左衛門 同 打越村 居‖八杉藤五郎 星田庄村居 県史中4p.366
惣社走馬之記
平野村☆
大屋村☆
栗栖庄
(揖保)
天文12.9.6 1543 〔佐野秀綱等連署折紙〕栗栖庄平野村与大屋村申結公事篇儀、菟角自大屋村平/野村へ罷出、一札無事可然之由候、然而向後掟等被仰出/筋目少茂於相背輩者、堅被加御成敗、拘分等可被行散田之旨候、 県史中3p.103
平野村文書1
内山村☆ 鵤庄
(揖保)
永禄10.11.9 1567 〔二徳私領配分田数注文〕鵤御庄私領分内新兵衛ニ被分宛注文/一、国久名内 弐段廿五代、常楽寺屋敷除之/壱段四十代、内山村・山田・平位譲引之/壱段、楽々山寄進之、 県史中3p.87
安田文書5
かハや村 (揖保) 元亀2.5.13 1571 〔円山弥五郎田数注文〕田数註文/国久なハしろ/壱反拾代/国久上町/弐段拾代/国久下町/弐反廿代/わさ田/四拾代/茶木ノ下/壱段卅代/南□/四拾五代/已上内作分也、/かきね/壱段 かハや村左衛門/西長ひろ/弐段 松尾新四郎 県史中3p.92
安田文書9
中嶋村☆ 塩屋庄
(揖保)
元亀3.7.7 1572 〔赤松則房安堵状〕塩屋庄中嶋村内半済幷香山保内上月分事、任本領旨/申付条、令領知、可抽奉公忠事、専用候、恐々謹言、 県史中9p.286
上月文書86
伊勢村☆[52] 揖東郡 天正8.9.1 1580 〔羽柴秀吉安堵状〕揖東郡以福井庄内六千弐百石、岩見庄庄弐千七百石/伊勢村上下千百石、都合壱万石相副小帳進之置候条無/相違可有御知行候、 県史近1p.4
黒田文書
寺内村 揖東郡 天正9.3.18 1581 〔羽柴秀吉寺領寄進状〕以揖東郡寺内村百五拾石事、令寄進之条、全可有寺納/者也、仍如件、 県史中3p.16
斑鳩寺文書7
堂本村☆[53]
中村☆
片山村☆
日害(飼)村☆
阿曽村☆
松尾村☆
揖東郡 天正9.3.18 1581 〔羽柴秀吉安堵状〕目録 揖東郡/一、千三百七拾六石四斗 香山上下/一、千弐百五拾五石 網干/一、五百九拾壱石壱斗 小宅庄/堂本村/一、五百四拾弐石七斗 同/中村/一、九拾石三升 同/同村/一、七百廿七石四斗 片山村/日害村/一、六百壱石九斗 松山/阿曽村/一、百六石三斗 松尾村/一、参百石 佐々村/合五千六百石 県史近1p.6
浅野家文書
ようらう村☆[54]
中かわち村
西のとい(土井)村☆
大江嶋村☆
常せん(全)村☆
長松村☆
いと(糸)井村☆
宮内村☆
かまへ村(構)☆
宮本村☆
舟代村☆[55]
山戸村☆
高岡村
(揖保) 天正15.9.24 1587 〔豊臣秀吉知行方目録〕戸田民部少輔分/一、千石 加西郡/はた村 もう谷村/中西村 のうてう村/北条村 おさき村/たんけ村 以上七里/一、弐百五拾石 ようらう村/一、百五拾壱石 中かわち/一、参百五拾石 谷村/一、四百五拾石 宮田村/一、参百五石八斗 田井村/一、参百弐拾参石 坂上/一、弐百四拾弐石参斗 くま見村/一、百六拾石参斗 西のとい/一、弐百拾七石八斗 きひ/平松/一、百六拾弐石壱斗 大江嶋村/一、参百拾壱石七斗 常せん村/一、五拾石 佐々村/一、千石 伊勢村/一、弐百参拾四石壱斗 高田村/一、四百四拾参石 わく村/一、参百弐拾八石八斗 長松村/一、百八拾石 いと井村/一、参百参拾五石弐斗 宮内村/一、百石七斗 かまへ村/一、四百七拾参石五斗 てんま/一、弐百弐石五斗 宮本村/一、百八拾六石七斗 舟代村/一、百七拾六石四斗 山戸村/一、参百八石 高岡村/一、百五拾五石 東方村/以上八千九拾七石九斗 廿五村 県史近1p.27,28
木下家文書
小宅下村
井上村☆
(揖保) 天正16.6.5 1588 〔浅野長政・増田長盛連署裁許状〕小宅下村与石見郷福井庄与井水之儀、遂糺明、有様聞/届候、然者井上村溝より岩見井へ落候水、筒樋ニてお/とし、又岩見井より柳原溝へ取候水をも上ニて落候こ/とく、筒樋にて取可申候、 県史中3p.80
岩見井組文書1
福地村☆
旦上村☆[56]
いちのほう村(一乃保)☆[57]
揖東郡 天正16.7.5 1588 〔豊臣秀吉宛行状〕一、弐百石 播州揖東郡内/坂上村/一、五百九拾石 同 同郡/福地村/一、参百参拾石 同 神東郡内/旦上村/一、参百弐拾石 同 同郡/いちのほう村/一、五百七石五斗 同揖東郡内れんしやうし/一、千百五拾石 同揖西郡内かたしま/以上四千八百七拾七石五斗 県史近1p.31
島津家文書
連城寺村☆[58] (揖保) 天正16.10.- 1588 〔知行目録〕播州御知行参千九拾七石伍斗之当納分目禄事‖連城寺村/高之内不足分引残而/一、四百九拾弐石八斗六升/当納分弐百九拾五石七斗壱升六合也、百石ニ付/六拾石宛 県史近1p.32
島津家文書
碇岩村☆ (揖保) 文禄3.4.6 1594 〔小川正吉等連署折紙〕碇岩村諸役・夫役・家役、如前々ゆるし申候間、於向/後別有間敷候、為其一筆如此也、 県史中3p.101
碇岩村文書3
養久村☆
二塚村☆
間場村
北萩原村☆
大片村
北山村☆
下余部村☆
新在家村☆
清水村☆
佐江村☆
前地村☆
新宮村☆[59]
南山村☆
池(北)山村☆
浜田村☆
今井(市ヵ)村☆
野田村☆
中村☆
栗栖村
塚村
上余村☆[60]
金剛山村☆
袋尻村☆
小犬丸村☆
浦部村☆
中島村☆
下むら☆
福田村
仮屋村☆[61]
馬場村☆
西構村☆
上川原村☆
布施村
かた(片)村☆
黒崎村☆
井津村☆[62]
庄内村
越部中庄村☆
揖西郡 文禄3.6.5 1594 〔豊臣秀吉安堵状〕【栗栖】【布勢】知行方目録/一、百三拾七石六斗三升 播州揖西郡/養久村/一、四百九拾四石壱斗二升 同/二塚村/一、弐百三拾壱石七斗六升 同/間場村/一、百三拾五石五斗九升 同/北萩原村/一、六百石八升 播州揖西郡/大片村/一、百九拾五石三斗 同/北山村/一、三百四拾五石五斗 同/下余部村/一、弐百七拾八石壱斗 同/新在家村/一、五百五拾弐石三升 同/中垣内村/一、三百三拾四石五斗一升 同/清水村/一、三百七拾石五斗五升 同/佐江村/一、百八拾九石九斗 同/前地村/一、五百弐拾四石壱斗六升 同/新宮村/一、百六拾五石四升 同/構村/一、百拾七石三斗 播州揖西郡/田井村/一、百五拾弐石弐斗 同/南山村/一、弐百拾六石五斗 同/池(北)山村/一、百四拾三石八斗七升 同/浜田村/一、四百三拾四石壱斗七升 同/今井(市ヵ)村/一、弐百三拾弐石五斗二升 同/上村/一、弐百四拾四石四斗三升 同/野田村/一、弐百弐拾九石八斗四升 同/中村/一、弐千五百八石六升 同/栗栖村/一、六百四拾弐石七斗 同/塚村/一、三百五石八斗七升 播州揖西郡/上余村/一、七拾八石三斗五升 同/金剛山村/一、百八拾弐石五斗 同/袋尻村/一、千八拾六石弐斗四升 同/小犬丸村/一、百三拾弐石七斗七升 同/浦部村/一、三百三拾弐石八升 同/中島村/一、百弐拾九石七斗 同/碇岩村/一、百九拾四石三斗七升 同/下むら/一、弐百石六斗六升 同/岩見庄/一、百六拾九石五斗 同/福田村/一、百七拾七石七升 播州揖西郡/仮屋村/一、百拾六石六斗六升 同/同所/一、弐百六拾七石四斗 同川之内/馬場村/一、三百六拾五石三斗 同浦上之内/西構村/一、五拾石八斗四升 同中島内/上川原村/一、千九百五拾三石四斗 同/布施村/一、五拾五石五斗五升 龍野/中河原/一、六百拾弐石四斗一升 〈かた村 黒崎村/井津村 庄内村〉/以上壱万五千八百八拾七石‖一、六百石七斗 同/越部中庄村/合弐万千五百弐拾石/右知行令扶助之訖、全可領知候也、 県史近1p.37~39
金井文書
半田村☆ (揖保) 文禄4.5.29 1595 〔杉山休意・下潟市左連署裁許状〕態一帋遣候、然者岩見福井之こせか瀬之井、半田村百/性共、用水切落申ニ付而、両郡之百性共罷出、先々ニ/於申上候ヘハ、則拙者両人ニ見使ヲ被仰付候付而、罷/下両方相尋候ヘハ、半田村百性共不届段候間、 県史中3p.80
岩見井組文書2
大道村☆
山下村☆
中陣村☆[63]
小神村☆
正条村☆
山津屋村☆
きびた村☆[64]
(揖保) 文禄4.5.- 1595 〔揖保川井堰絵図〕【中臣】 県史中3p.81
岩見井組文書3
打越村☆
かう(香)山村☆
林田村
はしさき村(觜崎)☆[65]
横大市村☆[66]
大市村
揖東郡 文禄4.8.17 1595 〔豊臣秀吉安堵状〕【林田】【大市】一、百拾三石 揖東郡/打越村/一、百六石 同/かう山村/一、弐百石 同/あそ村/一、三石 同/松尾村の内/一、拾六石八升 同さゝ村/一、四百四拾八石五斗 同/林田村/‖一、五拾石 同/はしさき村‖一、弐百八石二斗 神東郡/横大市村‖一、弐百石 揖東郡/大市村 県史近1p.42,43
木下家文書
上岡上村 揖東郡
上岡庄
文禄4.8.21 1595 〔豊臣秀吉安堵状〕【上岡】知行方目録/一、弐百五拾三石壱斗四升 播州揖東郡太田庄内/矢田部村内/一、千七百弐拾三石五升 同郡上岡庄/上岡上村内/合千九百七拾六石弐斗/右今度以検地之上、令扶助之訖、全可領知候也、 県史近1p.45
黒田文書
野田村☆[67] 揖東郡
中庄
文禄4.12.1 1595 〔豊臣秀吉朱印知行方目録〕[68]一、五百六拾九石五斗六升 播磨国いつとう郡/はしさき村/一、七百参拾弐石三升 同中庄内野田村/五百六拾石参斗五升 同こしべ上庄内/いちのほ/たんの上/一、百四拾弐石参斗三升 同いつさいこほり/かた村/合弐千石 県史中1p.487
教行寺文書24

赤穂郡

郷(里)

坂越、八野、大原、筑磨、野磨、周勢、髙田、飛鳥

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
坂越里☆ (赤穂) 持統天皇8~和銅3 694~710 〔木簡〕【坂越】坂越里□マ□□ 県史中9p.781
飛鳥藤原宮出土木簡概報9
神戸里 (赤穂) 延暦12.4.17 793 〔播磨国坂越・神戸両郷解案〕赤穂郡坂越郷神戸両□□□解 申□所勘問東大寺塩山事‖右、件山者、自去天平勝宝五歳迄七歳、所謂故寺大‖伴宿祢之点山并葦原墾田所云預当郡人秦大炬之目代也、‖神戸里神人廣永 県史古1p.249
石崎直矢氏旧蔵文書
大原郷 赤穂郡 8C
天平末年
〔木簡〕【大原】赤穂郡大原郷〈秦造吉備人丁二斗/秦造小奈戸丁三斗〉/□庸一俵 県史古1p.502
平城宮出土木簡概報11
八野郷 赤穂郡 天慶4.9.22 941 〔本朝世紀〕【八野】賊/徒藤原文元・同文茂・三善文公等自備前国邑久郡桑浜下、越来播磨国之由、以今月十七日移文持来也‖於部下赤穂郡八野郷石窟山/合戦之間、殺三善文公、但文元・文用等未捕獲、仍/言上其由者、 県史古2p.73
本朝世紀
高田郷☆[69] (赤穂) 延文2.11.28 1357 〔光厳上皇院宣〕【髙田】播磨国高田郷・埴岡両条等、可被知行之由/院御気色候也、仍執達如件、 県史中9p.41
阿部家文書1
周世郷☆ (赤穂) 14C 〔峯相記〕【周勢】亦安志ノ毘沙門、笠寺薬師、富家庄佐々山ノ/里、周世郷ノ地蔵ユルキハタラクイシゝゝ、亦坂越織/写、深志野以下、所々ニ権現アマクタリ給由、此比披/露多シ、大旨比興事共ニテ、恐クハ無実也、 県史中4p.63
峯相記
赤松郷☆ 佐用庄
(赤穂)
応永16.9.4 1409 〔足利義持御判御教書〕佐用庄上津方・土万/郷・菅野村・赤松郷内屋敷・同包沢西山、同国竹万庄、/同国五个庄野口□□・福冨・河原村、同国餝西余部/郷半分・神戸庄等地頭職、同国伊川庄・埴岡北条上下/村・多可庄等事、任亡父頼則今年二月廿九日譲状之旨/赤松次郎満則領掌不可有相違之状如件、 県史中9p.16
赤松(春日部)文書7

年月日 西暦 原     文 出  典
赤松村☆ 佐用庄
(赤穂)
建長2.11.- 1250 〔九条道家初度惣処分状〕播磨国作用庄内/東庄/西庄/本位田/新位田/豊福村/江河村/赤松村/千草村/土万村/同国神戸庄〈石山尼譲進准后御方/領家職三位殿伝領之〉‖右、件家地・家領附属如件、以年貢上分有充置仏事等/更不可有懈怠、或有相伝寄進之地、無殊咎者不可被改/易、但偏年貢懈怠過法、忽緒下知者非其限 県史中8p.511
九条家文書3
堤木津村☆[70] 坂越庄
(赤穂)
正和2.9.12 1313 〔寺田範兼所領譲状案〕譲渡 孫太郎範長所/合/一、播磨国矢野庄重藤名地頭職・田畠山□、例名公文職・大僻宮別当神主・祝師職等□/一、同国坂越庄内蒲分堤木津村畠弐丁地頭/一、同国福井庄東保上村地頭職内小河原屋敷田畠事/一、備前国光延・国富両名内屋敷壱所并田畠〈坪付在/別紙〉事 県史中6p.735
東寺文書4へ函
西奥村 (赤穂) 暦応1.10.6 1338 〔足利幕府引付頭人奉書〕南禅寺雑掌良玄申、播磨国西奥村事、重申状・具書如/此、海老名七三□帯外題状云々、為尋問子細、不日可/進代官之由、可被相触之状、依仰執達如件、 県史中8p.29
南禅寺文書24
苔縄村☆ 赤松庄
(赤穂)
暦応3.11.18 1340 〔赤松円心四至定文案〕定置 法雲禅寺/播磨国赤松庄苔縄村四至堺事/東ハ自金華山嶺、荒神尾大白樫々把野才松クニ木ヲ/限/北ハ自林中荒神尾鼻石之塔、轟木之口山神ヲ限、金/鑿之尾殿屋敷ヲ限、 県史中2p.638
広峯文書2
赤松上村☆ 佐用庄
(赤穂)
観応1.12.5 1350 〔足利尊氏袖判下文案〕下 赤松美作権守範資/可令早領知播磨国佐用庄内赤松上村・三川村、江川/郷太田方・広瀬方・弘岡方、本位田下得久、同国五/箇庄内宿村〈付、下司・公文/政所名〉・木村・大津村、同国淡河/庄内下村 県史中9p.482
森川文書1
下村☆ 矢野庄
(赤穂)
応安1.11.19 1368 〔山城守季有遵行状〕海老名新左衛門尉知定〈今者/出家〉申、播磨国矢野庄内例名下/村半分〈海老名四郎左衛門/入道跡〉地頭職事、任去々年十二月二/日御下文・同十四日御施行・并今年十月十九日御書下/之旨、所沙汰付下地於源延之状如件、 県史中3p.120
海老名文書7
栗原村☆[71] 竹万庄
(赤穂)
応永27.3.20 1420 〔某院院領年貢・公事書上〕一、播磨国竹万庄栗原村〈為瑞岩寺殿安峯/赤松越州御寄進〉/捴田数拾四町二段二十代拾八歩〈加柏原田定〉/除/玖段 梵天・八幡・大避〈三神宮修理/田〉 県史9p.627
尼崎市教育委員会所蔵文書1
相生村☆ (赤穂) 長禄2.11.10 1458 〔貫守・英椿連署下地宛行状〕宛行 助延名内/合肆拾五代〈坪ユツカ〉/右下地者、任相生村道円入道支證旨、所宛行也、但御/年具公田分弐斗代分、可致沙汰、仍宛状如件、 県史中3p.121
海老名文書10
中村☆ 赤穂郡
坂越庄
延徳2.4.28 1490 〔播州六坊之記録〕一、同国赤穂中村永応寺殿開基ハ善祐也、三幅対現に残/れり、御裏ニ曰、方便法身の尊形、播州赤穂郡坂越/庄中村、願主善祐、延徳二壬戌年四月廿八日、釈蓮/如御在判云云、善祐法師天文十九年二月十五日往生せり、 県史中4p.253
播州六坊之記録
那波村☆ (赤穂) 元亀2.6.19 1571 〔明石行雅等連署書状写〕室・那波傍尓相論候事、於在様者、追而被相究可被申/付分候条、被成其御心得、那波村儀も無異儀様可被仰/付候、龍野へも右之趣申上候、室へも使者差上、手前/致無事候へと申聞候之間、定不可有別候、 県史中3p.126
海老名文書10
陸地村 (赤穂) 天正1.12.10 1573 〔陸地村六郎兵衛田地売券〕永代売渡申田之事/合拾代者〈在所ハカマ池ノ下、但助衛門田を/キリテ西ノ山皆此田之内也、〉/右件下地者、雖為我等拘分、依有要用、置米弐石五斗/仁永代売渡申処実正也、‖陸地村/六郎兵衛 県史中3p.127
海老名文書1

佐用郡

郷(里)

佐用、江川、廣岡、速瀬、柏原、大田、中川、宇野

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
速湍里(速瀬)☆[72]
邑宝里
柏原里
中川里(仲川)
讃容郡 8C 〔風土記〕【速瀬】【柏原】【中川】速湍里〈土上中〉、依川湍速、々湍社坐神廣比賣命、故那/都比賣命弟‖邑宝里〈土中上〉、弥麻都比古命治井飡粮、即云吾占/多国、故曰大村、治井処、号御井村‖柏原里 由柏多生、号為柏原‖中川里〈土上下〉、所以名仲川者、苫編首等遠祖大仲子/息長帯日賣命度行於韓国之時、船宿淡路石屋之/尓時、風雨大起、百姓悉濡、于時大中子以苫作屋/天皇勅云、此為国富、即賜姓為苫編首、仍居此処/故川号仲川里、 県史古1p.534
播磨国風土記
佐用郷(讃容)☆
江川里
佐用郡 8C 〔木簡〕【佐用】【江川】播磨国佐用郡佐用郷江川里□□/播磨直知得三斗右六斗一俵 県史中9p.785
平城宮出土木簡概報19
雲濃里(宇野) 讃容郡 8C 〔風土記〕【宇野】雲濃里〈土上/中〉、 大神之子玉足日子・玉足比賣命生子大石/命、此子称於父心、故曰有怒、 県史古1p.535
播磨国風土記
本位田郷☆ 佐用庄
(佐用)
応永18.10.17 1411 〔赤松満弘寄進状〕寄進 嵯峨南芳庵播磨国佐用庄内本位田郷事/合〈四至牓示注文/別紙在之〉/右、当郷者、満弘為重代本領、当知行無相違之地也/雖然、依有志趣、限永代、令寄付当庵也、 県史中9p.482
森川文書2
時安本郷 佐用郡 15C.8.11 15C 〔山名政豊知行宛行状〕播州多可郡内瑞光寺領・揖西郡内布施郷領家分・佐用/郡内時安本郷等事、為給分相計候、可有知行候也、恐/々謹言 県史中9p.491
山内首藤家文書15
上津郷 佐用 永正5.12.19 1508 〔赤松則貞代官職請文〕上津郷御代官職事、従当年五个年之間、御公用百弐拾/貫文可致執沙汰候、年貢以後事者、自其方可被仰付候/此趣可預御披露候、恐々謹言、 県史中9p.21
赤松(春日部)文書26

年月日 西暦 原     文 出  典
大村
御井村
讃容郡 8C 〔風土記〕邑宝里〈土中上〉、弥麻都比古命治井飡粮、即云吾占/多国、故曰大村、治井処、号御井村、 県史古1p.534
播磨国風土記
塩沼村 讃容郡 8C 〔風土記〕塩沼村 此村出海水、故〔曰〕塩沼村、 県史古1p.535
播磨国風土記
豊福村☆
江河村
佐用庄
(佐用)
建長2.11.- 1250 〔九条道家初度惣処分状〕【江河】播磨国作用庄内/東庄/西庄/本位田/新位田/豊福村/江河村/赤松村/千草村/土万村/同国神戸庄〈石山尼譲進准后御方/領家職三位殿伝領之〉‖右、件家地・家領附属如件、以年貢上分有充置仏事等/更不可有懈怠、或有相伝寄進之地、無殊咎者不可被改 県史中8p.511
九条家文書3

宍粟郡

郷(里)

三方、高家、比地、柏野、安志、石作、伊和、土万

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
山守里 宍禾郡 和銅7.-.- 714 〔木簡〕播磨国宍禾郡山守里/山卩加之ツ支 県史古1p.499
平城宮出土木簡概報10
余戸里 宍粟郡 和銅7.-.- 714 〔木簡〕播磨国宍粟郡余戸里丸卩□□ 県史古1p.499
平城宮出土木簡概報11
比治里(比地)☆[73] 宍禾郡 8C 〔風土記〕【比地】比治里〈土中上〉、所以名比治者、難波長柄豊前天皇/之世、分揖保郡、作宍禾郡之時、山部比治任為里/長、依此人名、故曰比治里、 県史古1p.535
播磨国風土記
高家里
柏野里
安師里(安志)☆
石作里
宍禾郡 8C 〔風土記〕【高家】【柏野】【安志】【石作】高家里〈土下中〉、所以名曰高家者、天日槍命告云/此村高勝於他村、故曰高家‖柏野里〈土中上〉、所以名柏〔野〕者、〔柏〕生此野/故曰柏野‖安師里〈本名酒/加里〉 土中上、大神飡於此処、故曰須加、後号山守里、所以然者、山部三馬任為里長、故/曰山守、今改名為安師者、因安師川為名、其/川者、因安師比賣神為名、伊和大神将娶誂之‖石作里〈本名/伊和〉 土下中、所以名石作者、石作首等居/於〔此〕村、故庚午年為石作里、 県史古1p.536
播磨国風土記
雲箇里☆[74]
御方里(三方)☆
宍禾郡 8C 〔風土記〕【三方】雲箇里〈土下々〉大神之妻許乃波奈佐久夜比賣命、其形/美麗、故曰宇留加‖御方里〈土下上〉、所以号御形者、葦原志許乎命、与/天日槍命到故黒土志尓嵩、各以黒葛三条、着足投/之、尓時、葦原志許乎命之黒〔葛〕、一条落但馬気多/郡、一条落夜夫郡、一条〔落〕此村、故曰三条、 県史古1p.537
播磨国風土記
神戸郷☆
染河内郷
宍粟郡 仁治2.8.8 1241 〔官宣旨〕左弁官下 播磨国/応任宣旨幷入道摂政家政所下文、為東福寺領一円不/輸地、且停止勅院事大小国役国使入部、且令文章博/士藤原光兼朝臣子々孫々進退領掌、当国管宍粟郡一/宮社神戸郷領家預所及社務等職事‖爰後高倉法皇御時/親父長倫卿、返賜神領染河内郷、多年知行之、遂寄進/彼法華堂、建立不輸庄、可令子孫相伝之由、被下 宣/旨畢、 県史中9p.615
皇室領関係文書(伏見宮家領)
三方西郷☆ (宍粟) 建武1.8.21 1334 〔官宣旨〕【三方】左弁官 下龍宝山大徳禅寺/応永為一円不輸寺領、停止国司・守護使并役夫工/米・諸役、信濃国伴野庄、下総国遠山方御厨、播磨/国浦上庄・同小宅三職方・同三方西郷、紀伊国高家/庄事 県史中7p.446
大徳寺文書106
千草郷☆ 宍粟郡
佐用庄
応安2.8.- 1369 〔梵鐘〕播州宍粟郡佐用庄千草郷/舩越山瑠璃寺椎鐘/大願主権律師覚祐/衆徒等同心/大工大江景光 県史中4p.599
梵鐘(瑠璃寺)
土万郷☆ (宍粟) 応永16.9.4 1409 〔足利義持御判御教書〕【土万】佐用庄上津方・土万/郷・菅野村・赤松郷内屋敷・同包沢西山、同国竹万庄/同国五个庄野口□□・福冨・河原村、同国餝西余部/郷半分・神戸庄等地頭職、同国伊川庄・埴岡北条上下/村・多可庄等事、任亡父頼則今年二月廿九日譲状之旨/赤松次郎満則領掌不可有相違之状如件、 県史中9p.16
赤松(春日部)文書7

年月日 西暦 原     文 出  典
宍粟邑 (宍粟) 8C 〔日本書紀垂仁天皇三年三月〕〈一云、初天日槍、乗艇泊于播磨国、在於宍/粟邑、時天皇遣三輪君祖大友主与倭直祖/長尾市於播磨、而問天日槍曰、汝也誰人、且何国人也、天/日槍対曰、僕新羅国主之子也、 県史古1p.24
日本書紀
矢田村
宇波良村☆[75]
比良美村(褶)
川音村☆[76]
宍禾郡 8C 〔風土記〕所以名宍禾者、伊和大神国作堅了以後、堺此川谷/尾、巡行之時、大鹿出己舌、遇於矢田村、尓勅云/矢彼舌在者、故号宍禾鹿、村名号矢田村、‖宇波良村 葦原志許乎命占国之時、勅〔云〕此地小狭/如室戸、故曰表戸/比良美村 大神之褶落於此村、故曰褶村、今人云/比良美村/川音村 天日槍命宿於此村、勅〔云〕、川音甚高、故/曰川音村、 県史古1p.535
播磨国風土記
庭音村(庭酒)
塩村(塩生野村)☆[77]
土間村(土万)☆
敷草村(千草)☆[78]
宍禾郡 8C 〔風土記〕【土万】庭音村〈本名庭酒〉 大神御粮枯而生糆、即令醸酒、以/献庭酒而宴之、故曰庭酒村、今人云庭音村‖塩村 処々出鹹水、故曰塩村、牛馬等嗜而飲之‖土間村 神衣附土上、故曰土間/敷草村 敷草為神座、故曰敷草、 県史古1p.536
播磨国風土記
波加村
伊和村(神酒・於和・岩)☆
宍禾郡 8C 〔風土記〕【伊和】波加村 占国之時、天日槍命先到〔此〕処、伊和大神/後到、於是大神大恠之云、非度先到之乎、故曰波/加村‖伊和村〈本名神酒〉 大神醸酒此村、故曰神酒村、又/云於和村、大神国作訖以後、云、於和、等於我美岐、 県史古1p.537
播磨国風土記
小野村☆ (宍粟) 正応3.8.2 1290 〔関東下知状〕可以早中村馬允光時後家領知播/磨国小野村在家壱宇〈光国付田七段廿歩/田参段号御園〉事/右、以亡夫光時跡、所配分也、守先例、可令領掌之状、/依鎌倉殿仰下知如件、 県史中3p.251
中村文書1
染河内村 (宍粟) 建武3.7.20 1336 〔長俊書下〕播磨国一宮社領染河内村事、沙汰成熟之時、云下地/云年貢・百姓、三分一可為社家分、於三分二者、小幡/殿可有御知行候、 県史中3p.159
伊和神社文書15
三川(河)村☆[79] 佐用庄
(宍粟)
観応1.12.5 1350 〔足利尊氏袖判下文案〕下 赤松美作権守範資/可令早領知播磨国佐用庄内赤松上村・三川村、江川/郷太田方・広瀬方・弘岡方、本位田下得久、同国五/箇庄内宿村〈付、下司・公文/政所名〉・木村・大津村、同国淡河/庄内下村、同国白旗鎮守八幡・春日両社神主職・伯/耆国八橋郡内大井下郷事 県史中9p.482
森川文書1
都多村 宍粟郡 応安3.8.7 1370 〔播磨国宍粟郡徳王寺檀那願文〕播州宍粟郡都多村/徳王寺 住持 範翁(花押)/同道僧 性縁庵主/同道僧 心悟侍者 県史中7p.128
熊野本宮大社文書5
菅野村 (宍粟) 応永16.9.4 1409 〔足利義持御判御教書〕佐用庄上津方・土万/郷・菅野村・赤松郷内屋敷・同包沢西山、同国竹万庄/同国五个庄野口□□・福冨・河原村、同国餝西余部/郷半分・神戸庄等地頭職、同国伊川庄・埴岡北条上下/村・多可庄等事、任亡父頼則今年二月廿九日譲状之旨/赤松次郎満則領掌不可有相違之状如件、 県史中9p.16
赤松(春日部)文書7
横山村☆ (宍粟) 嘉吉1.6.- 1441 〔鰐口〕播州三方東横山村観音寺鰐口/嘉吉元年〈辛酉〉六月吉日敬白 県史中4p.593
長遠寺(尼崎市寺町)
西波賀村 宍粟郡 15C.5.26 15C 〔浦上政宗書状〕宍粟郡西波賀村内、同名与三郎拘分五分一方之事、帰/参候者可被相談、先々進退可然候、恐々謹言 県史中3p.260
中村文書29
中村☆ (宍粟) 永正7.12.3 1510 〔宇野春為公用請文〕中村御公用之事、五拾五石ニ請切申上者、諸役以下□/事者、為私可致其沙汰候、万一、於無沙汰儀者、可被/召放候、 県史中9p.22
赤松(春日部)文書27
山崎村☆ 宍粟郡 天正15.11.16 1587 〔木下勝俊判物〕宍粟郡之内山崎村において新町申付候、望次第可罷出/候、但其在所た畠をあらし、役をかゝし罷出候事無用/候、他所より来候者、諸役有間敷候、仍如件、 県史中3p.264
山崎八幡神社文書1
塩田村☆
宍粟郡 16C.12.13 16C 〔宇野村頼請文〕豆州御領作州讃甘庄幷播州宍粟郡内塩田村・塩生野村/□村等事、堅被仰出候之間、渡進上申上者、於向後/彼在所事、自此□不可有其煩候、可然様、可預御披露/候、恐々謹言、 県史中9p.26
赤松(春日部)文書42
橘村 石作庄
(宍粟)
年月日未詳 〔播磨国石作荘年貢・段銭等算用状〕ハリマノ国石造庄勘定事‖ナカクロ/壱反 分米五斗〈公事銭/百文〉 橘村/次郎兵衛/同/壱反 分米七斗〈公事銭/百文〉 同/二郎兵衛/カラ田/壱反 分米六斗〈公事銭/百文〉 同/同 県史中8p.591
久我家文書97
須賀村☆ 石作庄
(宍粟)
年月日未詳 〔播磨国石作荘年貢・段銭等算用状〕ハリマノ国石造庄勘定事‖御公用米柒石 同公事銭弐貫文 段銭弐町分弐貫文/卅代 五斗六升 仏法寺/卅代 五斗六升/卅代 是ハ指出不仕之由、答申候、/拾五代 是ハ皆流之由、申候、/拾代 是ハ指出不仕之由、申候、/弐拾代 参斗七升四合/以上年貢□反銭、何も壱貫文に而御侘言被申/候、/廿五代 四斗六升七合五勺得 須賀村/大郎左衛門 県史中8p.592
久我家文書97

神崎郡

郷(里)

埴岡、蔭山、川邊、的部、槻田

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
川辺里☆[80] 神前評 持統天皇8~和銅3 694~710 〔木簡〕【川邊】神前評川辺里/三宅人荒人俵 県史中9p.782
飛鳥藤原宮出土木簡概報11
田中里 神埼郡 天平10.10.- 738 〔木簡〕播磨国神埼郡蔭山郷田中里戸辛人麻呂調銭壱貫 県史中9p.792平城宮出土木簡概報31
堲岡里(埴岡) 神前郡 8C 〔風土記〕【埴岡】稲種山 大汝命・少日子根命二柱神、在於神前郡堲/〔岡〕里生野之岑、望見此山云、彼山者当置稲種/即遣稲種、積於此山、々形亦似稲積、故号曰稲種山、 県史古1p.529
播磨国風土記
高岡里
多駝里☆[81]
蔭山里
神前郡 8C 〔風土記〕【蔭山】高岡里〈神前山/奈具佐山〉 土中々、右云高岡者、此里有高/岡、故号高岡‖多駝里〈邑日野・八千/軍野・粳岡〉 土中下、所以号多駝者、品太/天皇巡行之時、大御伴人佐伯部等始祖阿我乃古、申/欲請此土、尓時、天皇勅云、直請哉、故曰多駝‖蔭山里〈蔭山/冑岡〉土中下、云蔭山者、品太天皇御蔭堕/於此山、故曰蔭山、又号蔭山、尓除道刃鈍、仍〔勅〕/云、磨布理許、故云磨布理村、 県史古1p.538
播磨国風土記
的部里☆[82] 神前郡 8C 〔風土記〕【的部】的部里〈石坐神山/高野社〉土中々、右的部等居於此村、故曰/的部里、 県史古1p.539
播磨国風土記
高岡北条郷 (神崎) 13C 〔小山朝政所領注文案〕嫡子所領分事‖一、播磨国 守護奉行職 高岡庄 高岡北条郷 国造保 県史中9p.93
小山文書1
大山郷☆[83] (神崎) 嘉元4.6.12 1306 〔後宇多上皇領目録案〕播磨国石作庄〈久我前内府、寺用外、不済御年貢、〉/大国庄内神吉村〈京極准后〉/栗栖庄〈北白川姫宮〉/荒田社〈致光〉/大山郷〈三条大納言入道、下部給物千疋、/知行不可有相違之由、被下 院宣於公秀朝臣、〉 県史中9p.520
皇室領関係文書(室町院領)
(的部)北条郷 (神崎) 元亨4.10.11 1324 〔広峯孫四郎檀那売券〕広峯源大夫殿代銭四百文、限永代所沽渡実也/合以不可有違乱煩者也、若此たんなに相違事出来者/的部北条郷内久吉御内孫四郎領知分、包重名内公田/卌五代、限永代可被領知者也、 県史中2p.517
肥塚文書4
(的部)南条郷 (神崎) 貞治3.6.29 1364 〔後光厳天皇綸旨案〕播磨国的部南条郷、光厳院殿永代御寄附当寺僧堂粥飯/料所之由、被聞食之旨/天気所候也、仍執達如件、 県史中7p.755
天龍寺文書15

年月日 西暦 原     文 出  典
波自賀村 神前郡 8C 〔風土記〕逕数日、大汝命云、我不能忍行/即坐而下屎之、尓時、小比古尼命咲曰、然苦、亦擲/其堲於此岡、故号堲岡、又下屎之時、小竹弾上其/屎、行於衣、故号波自賀村 県史古1p.537
播磨国風土記
磨布理村 神前郡 8C 〔風土記〕蔭山里〈蔭山/冑岡〉土中下、云蔭山者、品太天皇御蔭堕/於此山、故曰蔭山、又号蔭山、尓除道刃鈍、仍〔勅〕/云、磨布理許、故云磨布理村、 県史古1p.538
播磨国風土記
瓦村(香呂)☆ 神崎郡 弘仁6.-.- 815 〔新撰姓氏録〕佐伯直/景行天皇皇子稲背入彦命之後也、男御諸別命、稚足/彦天皇〈謚成/務〉、御代、中分針間国給之、仍号針間別/男阿良都命〈一名伊/許自別〉、誉田天皇為定国堺、車駕巡幸/到針間国神崎郡瓦村東崗上、于時青菜葉自崗邊/川流下、天皇詔応川上有人也、 県史古1p.302
新撰姓氏録
下村 粟賀庄
(神崎)
文永8.10.13 1271 〔清原清真父子連署田地売券〕右件立田、清真先祖相伝之私領也、□、依有直要/用、銭壱貫柒百文、能米□弐斗、限永代、粟賀庄下/村広摂寺了性□所沽渡進、在地明白実也、 県史中2p.708
法楽寺文書5
山た(田)むら☆[84]
たゝむら(多田)☆
かけやまにしのむら
かけやましもむら
なかのむら☆[85]
(神崎) 永仁5.8.- 1297 〔御所大番役定書案〕【蔭山】御所大はんの事/正月 こまつの庄・かけやまの山たむら・おなしき□/ほり□□/二月 若やまの庄・二のミやの庄・日禰の庄/三月 たきの庄・太田の庄・かけやまのたゝむら/四月 野まのかう・たか田のかう・かけやまにしのむ/ら/五月 かけやましもむら・そかへのかう・なかむらの/かう/六月 むまやの庄・うすきの庄・かけやまのなかのむ/ら 県史中8p.520
九条家文書8
上村 田中庄
(神崎)
永仁7.2.18 1299 〔権大僧都某和与状〕播磨国田中庄内一色田并上村畠等事、円了御房御分田/数坪付等、載別紙注進之、任故法印遺命、永代御子孫/相伝之条、更不可有相違候、年貢等早以別使者、可令/収納給者也、 県史中7p.328
醍醐寺文書20
八千草村 蔭山庄
(神崎)
正和5.7.27 1316 〔一音院領目録〕一音院領目録‖彼杵庄役御仏事用途替 九条故摂政殿御寄附/播磨国蔭山庄内八千草村 年貢仮令六千疋/御祈料所 禅定殿下御寄附/同国田原庄内公文職〈年貢九千疋許歟/毎日三時千手供仏供燈明供料等〉‖右、各文書等有之、 県史中8p.531
九条家文書13
仁色村☆ 蔭山庄
(神崎)
嘉暦3.7.16 1328 〔藤原宗氏請文〕播磨国蔭山庄内仁色村公文職間事、水田左衛門入道禅/阿為本主代々相伝之処也、然者、去弘安年中以来次郎/兵衛入道如覚伝領之条、無異儀候、次為地頭一躰、向/後奉違背本所者、宗氏可被申行罪科者也、仍懸状如件、 県史中8p.331
九条家文書9
熊田村 高岡南庄(神高岡南庄) 応安4.3.6 1371 〔勘解由小路兼綱譲状案〕播磨国/一、高岡南庄領家職/子細見故円徳寺禅閤御譲状、但此地本家職仁和寺禅/尼〈故照光院関白殿北政/所、洞院故相国娘〉、先年被返進御譲状於鷹司殿/仍永代可相伝領知之由、給御教書了、就此等之證文/去月被下勅裁、彼是可謂不朽之亀鏡、於本家年貢者/五十果之由、雖被載貞和御譲状、当庄守護一村〈熊田/村〉/押領并柏原〈守護/一族〉違乱于今不休、 県史中8p.660
広橋家文書24
有井村 田原庄
(神崎)
14C 〔峯相記〕次妙徳寺者、大納言範卿ノ息、慶芳内供最初建立/一条・三条両帝ノ御願所也、彼内供、両国巡礼ノ次/正暦二年三月八日、当国田原ノ庄有井村ニ一宿、夢内/ニ貴僧一人出来リ、枕ニ立テ告云、此東ノ山ノ下ハ仏/法繫昌ノ地、四神相応ノ砌ナルヘシ、 県史中4p.48
峯相記
埴岡北条上村
埴岡北条下村
(神崎) 応永16.9.4 1409 〔足利義持御判御教書〕佐用庄上津方・土万/郷・菅野村・赤松郷内屋敷・同包沢西山、同国竹万庄/同国五个庄野口□□・福冨・河原村、同国餝西余部/郷半分・神戸庄等地頭職、同国伊川庄・埴岡北条上下/村・多可庄等事、任亡父頼則今年二月廿九日譲状之旨/赤松次郎満則領掌不可有相違之状如件、 県史中9p.16
赤松(春日部)文書7
中村☆ 粟賀庄
(神崎)
応永19.5.21 1412 〔阿闍梨弘宣田地寄進状〕奉寄進 法楽寺燈油田事/合拾五代者〈但御所役免下地也/井重定名寄合可在伍升五合也〉/在所〈粟賀御庄中村定智本屋敷也〉/四至〈限東横道、限南立名、限西大道、限北〈賀山/東段畠〉、 県史中2p.710
法楽寺文書10
江鮒村☆
田中村
藪田村☆
加治村☆[86]
黒田村☆[87]
砥堀村☆[88]
蔭山庄
(神崎)
応永32.9.- 1425 〔播磨国蔭山荘惣田数注文案〕蔭山庄惣田数参佰八十町/但、現作分三百十八町六段四十五代‖十九町八段十八歩 江鮒村/三十四町八段卅五代 田中村/六町二段四十五代十八歩 藪田村/二町六段廿代十八歩 加治村/八町九段三十代 黒田村‖廿四町三段 砥堀村/都合定田三百十八町六段卅五代歟、 県史中8p.348
九条家文書45
船津村 蔭山庄
(神崎)
応永35.1.24 1428 〔播磨国守護赤松氏奉行人連署奉書〕九条殿雑掌申、田原庄別名切田・有国・貞久并蔭山庄/内船津村福永名等事、止其綺、任先例可全本所々務旨/可相触之由事、去年十二月廿七日御書下如此、早任被/仰下旨、固可被相触之由候也、仍執達如件、 県史中8p.353
九条家文書49
よしとの村
ひろせ村(広瀬)☆
(神崎) 文明14.8.10 1482 〔丹後・但馬両国檀那村付注文〕一、播磨国よしとの村、ありにし村とた宿あり、かし/をの市は、そふちやの三郎大夫、左近大夫〈にしの三郎右衛門殿也〉、十郎大夫/弥大夫しもかしほに四郎大夫、同しんむら、ひろせ/村一ゑん也、 県中2p.527
肥塚文書24
田口村☆
甘地村☆
(神崎) 天文3.3.3 1534 〔金剛城寺略縁起〕空海当寺御登山之始、麓入田口村在家乞/水、爾時亭主無水申、汝偽者也、今与慳貪/報言、又御下向時、入甘地村在家乞水、即老/人遙処行、酌泉畏捧之、即受之言/今汝与慈悲報、出其庭御足按地、甘泉/忽わき涌出、 県史中4p.268
金剛城寺略縁起
西川述村☆
屋形村☆
東小畑村☆
西小畑村☆
神崎東郡 天正7.9.- 1579 〔大宮天神社神事次第〕【川邊】播磨国神崎東郡川述郷大宮天神社神事相極次第/一、神領田地壱町八反弐拾五代 上古ヨリ相伝地‖一、練テノ相撲 〈西川述村/屋形村〉立合/一、獅子舞弐頭 浅野/一、田楽踊 東小畑村/一、龍音舞 西小畑村/一、流鏑馬/一、〈神輿舁/酌取〉 西小畑村 県史中2p.706
内藤文書9
曽坂村☆ (神崎) 天正9.2.11 1581 〔寺沢広政折紙〕御分領藪田山事、検地以来、曽坂与入相候て、柴苅可/申旨 御諚通、両村江申付候条、違乱有之間敷候、可/被成其意候、恐々謹言 県史中3p.819
高馬文書1
中田原村 神東郡 天正13.9.16 1585 〔羽柴秀吉領知判物〕就播州三木郡内三千弐百石、河州内三百石、為加増播/州神東郡中田原村千五十石、都合四千五百五十石、相/添目録別帋、令扶助畢、全可領知者也、 県史中9p.46
有馬文書2
うへの村☆[89]
いけのまへ村
なかすな村
神東郡 文禄4.8.17 1595 〔豊臣秀吉安堵状〕一、百石五升 神東郡/うへの村/百四拾六石八斗 同/辻村/一、四百八拾壱石六斗四升 同/下中嶋村/一、七百八拾四石七斗 神東郡/北原村/一、九拾七石三升 同/東山村/一、七百九拾九石五斗‖一、百石 同/いけのまへ村/一、弐百八石二斗 神東郡/横大市村/一、八石五斗 同/なかすな村/一、百石 同/妙楽寺村‖都合弐万五千石/右令扶助訖、此内五千石無役、全可領知候也、 県史近1p.42,43
木下家文書
余田村☆ (神崎) 年月日未詳 〔顕秀書状〕一、八千草・余田村事、左京亮拘分西衆被取候て、御本/役事一向不及沙汰候、弾正事ハ長々牢人仕、殊日損/儀候間、御わひ事可申之由候、少も納所無之候、去/年の儀爰元之様躰、凡集福ハ存知儀候間、定可被申/候哉、去年事ハ国錯乱と申、日損以外之儀候間、被思召分有様御披露肝要候、 県史中8p.406
九条家文書164

多可郡

郷(里)

荒田、賀美、那珂、資母、黒田、蔓田

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
那珂里(中・奈何) 多可郡 天平9.3.30 737 〔木簡〕【那珂】播磨圀多可郡那珂郷□/并五斗 山直小弓戸二斗 針間直□ 県史中9p.792
平城宮出土木簡概報31
賀眉里(賀美)
黒田里☆
都麻里(津万)☆[90]
託賀郡 8C 〔風土記〕【賀美】【黒田】賀眉里〈大海山/荒田村〉土下上、右由居川上、為名/所以号大海者、昔明石郡大海里人、到来居於此山底、故曰大海山、生松‖黒田里〈袁布山・支閇/岡・大羅野〉 土下上、右以土黒為名‖都麻里〈都多支・比也山・比也野・鈴堀山・伊夜丘・阿富山/高瀬比也野・鈴堀山・目前・和尓布多岐・阿多加野〉/土下上、所以号都麻者、播磨刀賣与丹波刀賣、堺/国之時、播磨刀賣到此村、汲井水而飡之、云/此水有味、故曰都麻、 県史古1p.539
播磨国風土記
法太里(蔓田・祝田) 託賀郡 8C 〔風土記〕【蔓田】法太里〈甕坂/花波山〉 土下上、所以号法太者、讃伎日子/与建右命相闘之時、讃伎日子負而逃去、以手匐去/故〔曰〕匐田、 県史古1p.540
播磨国風土記
三宅里 多可郡 8C 〔木簡〕播磨国多可郡中郷三宅里/日下部漢自庸米六斗 県史中9p.793平城宮出土木簡概報24
川辺里 多可郡 8C 〔木簡〕播磨国多可郡蔓田郷川辺里高屋/諸人裏白米五斗 県史中9p.793
平城宮出土木簡概報24
東条郷 多可郡 康平2.7.20 1059 〔播磨国東大寺領畠注進状〕多可郡東条郷野村畠三町/同郡黒田郷大志□畠三町/揖西郡揖保郷神戸村畠八町弐段/右件東大寺御領所々畠、所注進如件、抑件畠、守/殿被令聞給、令知行、可令御領給、即懐照可/徴進所当御地子、仍注事状、以解、 県史古2p.467
東大寺文書
野ま(間)のかう☆[91]
たか(高)田のかう
そかへのかう(曾我部)
なかむらのかう(中村)☆[92]
(多可) 永仁5.8.- 1297 〔御所大番役定書案〕御所大はんの事/正月 こまつの庄・かけやまの山たむら・おなしき□/ほり□□/二月 若やまの庄・二のミやの庄・日禰の庄/三月 たきの庄・太田の庄・かけやまのたゝむ□/四月 野まのかう・たか田のかう・かけやまにしのむ/ら/五月 かけやましもむら・そかへのかう・なかむらの/かう/六月 むまやの庄・うすきの庄・かけやまのなかのむ/ら 県史中8p.520
九条家文書8
安田郷☆[93] (多可) 正和4.3.18 1315 〔後藤基任譲状并安堵外題〕譲渡/播磨国安田・曽我部・中村三箇郷公文職并長枝名田畠屋敷事/右所職・名田屋敷等者、基任重代相伝知行無相違、而/間相副関東・六波羅殿安堵、同御下知并調度文書等/永譲渡于子息後藤彦太郎頼任畢、 県史中2p.715
後藤文書2
東条郷 這田庄
(多可)
観応1.4.3 1350 〔室町幕府御教書〕前太政大臣家御領播磨国這田庄事、当庄東条郷公文堯/観法師并子息大和房以下輩、違背本所、構城郭云々/狼籍之至絶常篇、好而招重過歟、早莅彼所、厳密破却/城構、追出堯観以下狼籍人等、沙汰付雑掌、 県史中8p.557
久我家文書30

年月日 西暦 原     文 出  典
荒田村☆[94] 託賀郡 8C 〔風土記〕【荒田】賀眉里〈大海山/荒田村〉土下上、右由居川上、為名‖所以号荒田者、此処在神、名道主日女命、无父而/生児、為之醸盟酒、作田七町、七日七夜之間稲成/熟意、 県史古1p.539
播磨国風土記
高瀬村 託賀郡 8C 〔風土記〕云高瀬村者、因高河瀬為名、 県史古1p.540
播磨国風土記
野村☆ 多可郡 康平2.7.20 1059 〔播磨国東大寺領畠注進状〕多可郡東条郷野村畠三町/同郡黒田郷大志□畠三町/揖西郡揖保郷神戸村畠八町弐段/右件東大寺御領所々畠、所注進如件、抑件畠、守/殿被令聞給、令知行、可令御領給、即懐照可/徴進所当御地子、仍注事状、以解、 県史古2p.467
東大寺文書
石原村☆ 黒田庄
(多可)
承安4.9.15 1174 〔石原経塚紙本経奥書〕承安四年〈歳次/甲午)〉九月十五日 於黒田御庄石原村得笠寺書/写了/執筆比丘行西 県史中4p.529
石原経塚紙本経奥書(多可郡黒田庄町石原出土、西光寺所蔵)
熊野部村☆ 多可郡
松井庄
応永11.11.20 1404 〔鰐口〕播州多可郡松井庄熊野部村長満寺鰐口幷浴釜/応永十一〈甲申〉霜月廿日願主信正 大工曽地円秀/一口祈成就伏希天下太平人民安穏/無垢清浄恵日破暗而已 県史中4p.602
阿弥陀寺(多可郡加美町熊野部)

賀茂郡

郷(里)

三重、上鴨、穂積、川内、酒見、川合、住吉

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
柞原里(楢原) 加毛評 7C 〔木簡〕加毛評柞原里人/□□マ□俵 県史中9p.783
飛鳥藤原宮出土木簡概報
三和里 賀茂郡 天平12.-.- 740 〔木簡〕□□国賀茂郡□□郷三和里 県史古1p.500
平城宮出土木簡概報14
上鴨里
下鴨里
鴨里
賀毛郡 8C 〔風土記〕【上鴨】上鴨里〈土中上〉、下鴨里〈土中中〉、右二里 所以号鴨里/者、已詳於上、但後分為二里、故曰上鴨・下鴨、 県史古1p.540
播磨国風土記
修布里
三重里
起勢里☆[95]
賀毛郡 8C 〔風土記〕【三重】修布里〈土中々〉、所以号修布者、此村在井、一女汲/水、即被吸没、故曰号修布‖三重里〈土中々〉、所以云三重者、昔在一女、抜筠以/布裹食、〔三〕重居不能起立、故曰三重‖起勢里〈土下/中、臭江/黒川〉右号起勢者、巨製部等居於此/村、仍為里名、 県史古1p.541
播磨国風土記
山田里☆
端鹿里☆[96]
穂積里☆
雲潤里
河内里☆
川合里☆[97]
賀毛郡 8C 〔風土記〕【穂積】【川内】【川合】山田里〈土中下〉、猪飼野、右号山田者、人居山際、遂/由為里名‖端鹿里〈土下上〉、右号端鹿者、昔神於諸村斑菓子/至此村不足、故仍云間有哉、故号端鹿‖穂積里〈本名塩野/小目野〉土下上、所以〔号〕塩野者、鹹/水出於此村、故塩野今号穂積者、穂積臣等族/居於此村、故号穂積‖雲潤里〈土中々〉、右号雲潤者、丹津日子神、法太之川/底、欲越雲潤之方、云尓之時、在於彼村太水神/辞云、吾以宍血佃、故不欲河水、尓時、丹津日子/云、此神倦堀河事、云尓而已、故号雲弥、今人号/雲潤/河内里〈土中下〉、右由川為名‖川合里〈土中上〉、腹辟沼 右号川合者、端鹿川底与鴨/川会〔此〕村、故号川合里、 県史古1p.542
播磨国風土記
阿住郷
阿居郷
(加東)
(加西)
康平2.7.20 1059 〔播磨国東大寺領畠注進状〕□東郡阿住郷七原畠 三町/□西郡阿居郷桑原田畠二町‖右件東大寺御領所々畠、所注進如件、抑件畠、守/殿被令聞給、令知行、可令御領給、即懐照可/徴進所当御地子、仍注事状、以解、 県史古2p.467
東大寺文書
大部郷☆[98] 大部庄
(賀茂)
久安1.-.- 1145 〔東大寺領荘園文書目録〕東大寺/請納寺領庄庄文書事‖一、播磨国大部庄文書一結〈十四通〉/一通〈一枚〉 久安元年以信舜補大部郷司庁宣案/二通〈各一枚〉 同三年以大部郷立替三箇庄宣旨案‖一通〈一枚〉 久安四年以庄内両里譲寛珎得業/状〈正文〉 県史古3.p469
東大寺文書
厚利郷☆ (賀茂) 承久3.8.14 1221 〔六波羅下知状〕播磨国河内・厚利郷事、有限段別参升兵粮米催之外/可令停止非分沙汰之由、下知先畢、而或付倉於封、或/不叙用領家使、旁致狼藉之由、有其訴、事実甚以不隠/便、早参升米催之外、於自余狼藉者、可令停止也、 県史中8p.4
東福寺文書2
河内本郷☆ (賀茂) 弘安5.4.12 1282 〔播磨国厚利別符文書借預状〕【川内】借預 播磨国敦利別符文書等事/合/一通 在庁勘状 建暦二年三月 日‖右、件文書正文伍通借預畢、当国河内本郷地頭、致非/分訴訟之間、可尋進此正文之由、自六波羅、依有其沙/汰、申入子細於文書主御方、所借預也、 県史中8p.5
東福寺文書4
下郷 (賀茂) 貞和3.6.24 1347 〔刑部守延坊舎等譲状〕譲渡 播磨国広峯山上坂本坊舎并檀那所従資財雑具等/事/合/一、坊舎二宇〈山上 坂本/并家内資財雑具〉/一、当国内 椙原新庄 本庄 溝口 サイチ/下郷内笠原村 シサワ 香山 ツシミ 岡田/ナカラ 福田内山国 ウネ ムレ 中嶋 石見/西河合 エイカ嶋 明石 佐用庄内山脇 布気庄 県史中2p.617
広峯文書33
佐保社郷 (賀茂) 永享12.8.28 1440 〔伏見宮家領目録案〕一、播磨飾摩津別府〈千疋〉 華恩院課役分〈五百疋/致沙汰〉/一、同国平野五名半分〈千疋〉/一、一条東洞院敷地〈参千疋〉/炭・御油料所〈禁裏/御乳人奉行〉/一、播州佐保社郷〈三百疋〉 曇華院御喝食進之、/播磨国衙別納十个所 県史中9p.611
皇室領関係文書(伏見宮家領)
西河合郷☆ 賀西郡 永禄5.8.- 1562 〔梵鐘〕【川合】播州賀西郡西河合郷/惣社天神宮為氏子/造立所願成就也/永禄五年八月上旬〈敬白〉 県史中4p.606
梵鐘(乎疑原神社)

年月日 西暦 原     文 出  典
長畝村 賀毛郡 8C 〔風土記〕所以号長畝川者、昔此川生蒔、于時賀毛郡長畝/村村人到来苅蒋、尓時、此処石作連等為奪相闘/仍殺其人、即投棄於此川、故号長畝川、 県史古1p.525
播磨国風土記
鴨村 賀毛郡 8C 〔風土記〕所以号賀毛者、品太天皇之世、於鴨村双鴨作栖/生卵、故曰賀毛郡、 県史古1p.540
播磨国風土記
品遅部村
下鴨村
玉野村☆
賀毛郡 8C 〔風土記〕品遅部村 右号然者、品太天皇之世、品遅部等遠祖/前玉所賜此地、故号品遅部村‖粳岡 右号粳岡者、大汝命令舂稲於下鴨村、散粳/飛到於此岡、故曰粳岡/有玉野村、所以者、意奚・袁奚二皇子等、坐於坐/美囊郡志深里高〔野〕宮、遣山部小楯、誂国造許麻之/女根日女命、於是根日女已依命訖、 県史古1p.541
播磨国風土記
下村 大部庄
(賀茂)
永仁7.5.- 1299 〔東大寺衆徒重申状〕東大寺衆徒等重申/寺領播磨国大部庄内下村地頭岸野妙真致十一箇条非/法間、就訴申子細、雖被下数箇度召文、不企参上/不及散状上者、任承久年中関東御教書停止地頭職、可/為一円寺領旨、欲蒙御成敗子細事 県史中5p.140
東大寺文書65根津嘉一郎氏所蔵文書
坂部村 大部庄
(賀茂)
正安1.6.- 1299 〔東大寺衆徒代頼深重申状案〕(端裏書)大部庄地頭濫妨重□□条坂部村事/東大寺衆徒等代頼深重申/寺領播磨国大部庄内一方坂部地頭代定行、依致条々/非法就訴申、雖被下度々召文、不及請文散状間、仰/御使被下御教書処、引級敵方歟間、不被申是非左右/上者、簾直仰御使、不日被召上、有御糺明、欲蒙御/成敗子細事 県史中5p.144
東大寺文書70尊経閣文庫
坂部種村 大部庄
(賀茂)
正安年間 1299~1302 〔大部荘雑掌某重申状案〕東大寺領播磨国大部庄雑掌某重申/欲殊被経急速御沙汰、被鎮当庄坂部種村地頭代非法/悪行并新義段別銭苛責、令安堵百姓、全寺用大仏八/幡供料子細事 県史中5p.141
東大寺文書67 1-12-85
鹿原村 大部庄
(賀茂)
正安4.7.- 1302 〔東大寺衆徒等申状案〕東大寺衆徒等誠惶誠恐謹言/請殊蒙 恩裁、停止当寺領播磨国大部庄内/浄土寺時衆等無道濫妨、可全大仏殿八幡宮仏神事/役并中門法花両堂供花等料所同庄鹿原村所務由、被下厳密院宣状、於彼時衆等者、為傍輩向/後、召出其身、被禁獄舎 県史中5p.170
東大寺文書83 1-12-84
若井村☆[99] 在田上庄
(賀茂)
延慶1.-.- 1308 〔播磨国在田上荘畠名寄注文〕久次/小林/卌 即/藤次前/一反 即/大クラ東/一反卌〈不廿五/作一反十五〉即/弥大郎垣/一反廿 田成十 弥大郎/已上五反〈不廿五 田成十 屋敷一反 在家十五 弥大郎/大歳畠一反 若井村分〉 県史中5p.231
金剛三昧院文書2
道山村☆[100] 在田上庄
(賀茂)
延慶1.-.- 1308 〔播磨国在田上荘畠名寄注文〕成貞/弥藤三家前/一反五〈田成卅/歹廿五〉 宗綱 一反廿五〈田成十/歹一反十五〉行包‖大歳東/一反廿〈河卌 宗綱/乍廿 守綱〉 道山村大歳畠ノ/一反 宗綱/同所/五 時守 五 大歳前河原 法身 県史中5p.245
金剛三昧院文書2
上三原邑☆ 加西郡 延慶3.7.8 1310 〔梵鐘〕播州加西郡上三原邑/西光寺梵鐘/延慶三天〈庚戌〉七月八日/願主 操氏行景 県史中4p.597
旧西光寺蔵(加西郡上三原)
網引村☆ 大部庄
(賀茂)
元亨2.9.- 1322 〔大部荘公文尼覚性訴状〕播磨国大部庄公文尼覚性〈王九郎入道/観円後家〉謹言上/欲早召給孫女赤女〈孫九郎/久忠息女〉、盗取覚性相伝大部庄健/保実検取帳并当職代々御下文御下知以下肖證文、石野・/這田・網引村国成名内田地文書、於其身者被行祖母敵/対盗犯咎、至所職名田畠等者、任夫観円譲状、覚性/全一円知行事 県史中5p.181
東大寺文書103 1-12-147
鹿野村☆ 大部庄
(賀茂)
元亨2.10.- 1322 〔東大寺衆徒等申状案〕右当庄者、当寺当社重色異他之料所也、而当庄之内/坂部村地頭者、中条刑部少輔〈三番/頭人〉為請所知行之間、長/尾備前房〈平野庄違勅悪行/衾御教書交名人〉為所務代官、令在庄之間、非/法悪行非一之処、同庄鹿野村地頭代白井八郎定胤之家/人円了法師祐真〈改名大夫房、平野庄衾御教書并海賊/田那部入道行蓮之白状人也、〉相語/当国安志卿房〈文保三年悪党対治御使下向之/時、所被搦逃之海賊張本也〉・林田法橋・/堤五郎以下之名誉悪党人等、備前房円心於本所進止之/公文名以下之公田、苅取数十町之作稲之間、 県史中5p.182
東大寺文書104 1-12-142-1
満願寺村☆[101] 田上庄(賀茂) 元亨2.11.26 1322 〔平宗度譲状〕譲与 播磨国在田上庄内満願寺村地頭御代官職事/平増一丸/右、於彼御代官職者、相副代々御下文幷次第證文、所/譲与平増一丸也、全不可有他妨之状如件、 県史中9p.211
朽木文書4
笠原村☆[102] (賀茂) 貞和3.6.24 1347 〔刑部守延坊舎等譲状〕譲渡 播磨国広峯山上坂本坊舎并檀那所従資財雑具等/事/合/一、坊舎二宇〈山上 坂本/并家内資財雑具〉/一、当国内 椙原新庄 本庄 溝口 サイチ/下郷内笠原村 シサワ 香山 ツシミ 岡田/ナカラ 福田内山国 ウネ ムレ 中嶋 石見/西河合 エイカ嶋 明石 佐用庄内山脇 布気庄 県史中2p.617
広峯文書33
山国村☆ (賀茂) 至徳1.8.22 1384 〔権少僧都覚尊寺領寄進状〕奉寄進 清水寺結縁灌頂仏供燈油田事/合弐段者 坪付有本證文/右件田地者、福田保内山国村助行名内覚尊重代相伝之/私領也、雖然、且先祖聖霊等為成仏得道、且為現在一/門等富貴繁昌、当寺尽未来際、相副親之譲状、奉寄進/者也、 県史中2p.196
清水寺文書124
鹿野原村 大部庄
(賀茂)
応永18.8.7 1411 〔足利義持御判御教書〕東大寺領播磨国大部庄領家職参分壱・同公文職・鹿野/原村公文職・恒清名等事、早任度々公験并当知行之旨/寺家領掌不可有相違之状如件、 県史中5p.268
東大寺文書225東南院文書
雲村☆[103] 大部庄
(賀茂)
永享6.8.17 1434 〔大部庄公文恒清・伊王夏地子納帳〕大部庄公文名夏地子納帳〈永享六年/八月十七日〉‖○反廿五〈百文八七〉 大サキ又次郎/四段卅五〈河反廿五/百文五晦/百十三文八八 雲村善阿ミ 県史中5p.273
東大寺文書234 2-147
ナカムラ(中村)☆ 大部庄
(賀茂)
永享7.11.- 1435 〔大部庄領家方名寄帳〕ナカムラ/三郎大夫 ツク田米六斗四升八合五勺七才/惣相田二町三段卌五内/フク相田二段当不/クテン相田二町一段卌五才不四段卌五彳田一町七段/分米七石六斗五升 県史中5p.284
東大寺文書235 1-12-136
北村 大部庄
(賀茂)
永享12.10.- 1440 〔大部荘公事物帳〕十二六/五文 北村新兵衛分/三郎大夫 十二二/十文 王子/六郎次郎 県史中5p.300
東大寺文書237 1-24-739
原村 (賀茂) 永享-.4.4 1428~1441 〔東大寺両堂納所書状〕態進状候/抑先度御注進候原村際目相乱之事、垂井方之押妨者于/今不停候哉、無心元候、随而被開寺庫、被撰出旧記候/大慶此事候、急可被遣使節、評定候処、大部之代官成/清下向候間、案文一通付進之候、 県史中2p.359
浄土寺文書7
阿方村☆[104]
河高村
賀東郡 文安2.9.2 1445 〔山名宗全妙見社領寄進状〕奉寄附 但州 妙見社/播磨国賀東郡吉田新庄地頭職〈上月勘解由左衛門尉/跡〉并河/合上庄領家半済‖東河合阿方村領家/半済公文給算失文料〈上月伊勢守/跡〉、同河合河高村給加/徴一分地頭職〈柏原右京亮/跡〉等事 県史中3p.622
日光院文書22
長井村☆ (賀茂) 寛正2.12.13 1461 〔時延名内田地売寄進状〕売奇進 時延名之内田地之事/合壱段廿五代者 在坪〈長井村堂東、但/名九分一之定〉/右件下地者、源内太夫先祖相伝之私領也、雖然依要用/有ニ、代米弐石壱斗方ニ清水寺御油田分ニ限永代、売/奇進申所実也、 県史中2p.226
清水寺文書182
中村☆[105] 賀東郡 文明7.11.15 1475 〔梵鐘〕敬白/播州賀東郡東河合/中村華厳寺鐘也/文明七年〈乙未〉十一月十五日/大工細河庄平末次/願主兵衛尉小野宗家/当院主 行真 県史中4p.603
旧華厳寺蔵(賀東郡東河合中村)
大門村☆ (賀茂) 文明12.9.5 1480 〔沙弥行恵下地譲状案〕譲与下地事/合弐段者〈在坪福田保大門村/大将軍西給名内〉/右件田地者、先祖相伝之領地也、雖然、式部公恵信一/期之間、譲渡所実也、 県史中2p.349
光明寺文書10
三草村☆[106] 賀東郡 明応4.11.21 1495 〔山名政豊書下案〕但馬国楽々前南庄北分・同庄知見分・同井田分并段銭/方切符弐拾貫文、播州賀東郡内三草村飯尾分等事、早/任当知行之旨、領掌不可有相違之状如件、 県史中3p.585
垣谷文書11
南村 (賀茂) 永正12.9.2 1515 〔東南院門跡領当知行目録〕東大寺東南院門跡領当知行目録‖摂津国/兵庫北関検校所分 水無瀬庄内東南院分/播磨国/釼坂庄 市別符付南村 窪木 床鍋 県史中5p.679
東大寺文書334東大寺薬師院文書1-11
木梨村☆
中之村
(賀茂) 天文3.8.8 1534 〔上月満直・同忠直連署下地寄進状〕奉寄進下地之事/合四十代者〈在坪木梨村之内/中之村ノ北ハノキノ本、納ノ升五斗ノ定〉/右件之下地者、雖為満直先祖相伝之私領、為頓證菩提/奉寄進永代清水寺御尊へ者也 県史中2p.279
清水寺文書321
上田村☆ (賀茂) 天文19.2.25 1550 〔光木家次下地寄進状〕(端裏書)「清水寺御本尊江寄進状、福田之内上田村より/光木孫右衛門」/永代奇進申候下地之事/合卅代者〈在坪堂之芝の西/分米参斗〉/右件之下地者、雖為我等当買地、為現世安穏・後生善/処之、清水寺於本尊江永代奇進申候所実正也、 県史中2p.288
清水寺文書337
泉村 (賀茂) 天文20.3.18 1551 〔山城官兵衛田地寄進状〕永代奇進申住吉西佐々倉名之内田地之事/合弐段者〈但在坪泉村之西小谷也/斗代ハ五斗五升代也〉/右件田地者、雖為我等先祖買地、為現世安穏・後生善/処、清水寺根本堂・同講堂江永代奇進申処、在地明鏡/也、 県史中2p.288
清水寺文書338
古瀬村[107] 賀東郡 永禄10.6.19 1567 〔大塚与次郎賀東郡福田古瀬村小池内田地寄進状〕永代奉寄進田地事/合壱段七斗代者〈幡刕賀東郡福田古瀬村/小池之内町数弐ツ〉/右件田地者、雖為我等知行分、為武運長久・息災延命/之、奉寄進上者、於親類同名、違乱妨有間敷者也、 県史中2p.310
清水寺文書397
剣坂村☆[108]
上野村☆
おさ村(長)☆[109]
谷村☆
はた村☆
もう谷村☆[110]
中西村☆
のうてう村☆[111]
北条村
おさき村☆
たんけ村(段下)☆
(賀茂)



加西郡
天正15.9.24 1587 〔知行方目録〕森壱岐守分/一、五百六拾七石 剣坂村/一、弐拾八石 中とみ/一、九拾石 上野村/一、百六拾六石 玉野村/一、五拾石 おさ村/一、六拾参石 ひわのかう/一、百石 つすみ/一、七拾五石四斗弐升 谷村/一、百石 かさ原/一、四石弐斗五升 をちかた/以上千弐百四拾参石七斗/戸田民部少輔分/一、千石 加西郡/はた村 もう谷村/中西村 のうてう村/北条村 おさき村/たんけ村 以上七里 県史近1p.27
木下家文書
滝野村☆[112] (賀茂) 天正18.2.5 1590 〔かやの孫七田地売券〕永代売渡申滝野村田地一色之事/合拾弐代〈在つほ西野/弐斗六升四合也〉/右件田地者、雖為我等相伝之一色、依有直用々、限米/五斗ニ永代売渡申処実正明白也、 県史中2p.351
光明寺文書14
殿原村☆
中冨村☆
(賀茂) 天正18.7.23 1590 〔水配分定書〕以上/殿原村・中冨村井水之儀、前々ハいらす候間、向後弐/日弐夜、殿原へ可水引事、壱日壱夜者、中冨へ水引可/申事 県史中2p.379
中田文書1
妙楽寺村☆[113] 加西郡 文禄3.3.21 1594 〔豊臣秀吉宛行状〕播磨国笠井郡妙楽寺村百石事、丹波為替地令扶助之訖、/全可領知候也、 県史近1p.36
畠山文書
奥村☆ 加東郡 文禄3.3.21 1594 〔豊臣秀吉宛行状〕船越駿河守景守書上、/播州加東郡奥村弐百拾六石弐斗四升事、丹波為替令/扶助訖、全可領知者也、 県史近1p.36
内閣文庫所蔵古文書
西戸村☆ 加東郡 文禄3.3.21 1594 〔豊臣秀吉宛行状〕播磨国賀東郡山国村七百五石、同郡西戸村三百四拾九/石三斗四升、合千五十四石三斗四升事、丹波為替地令/扶助訖、全可令領知候也、 県史近1p.37
伊東家譜
横谷村☆ 賀東郡 文禄3.3.21 1594 〔豊臣秀吉領知朱印状〕播磨国賀東郡東条内横谷村四百石事、丹波為替地令扶/助候訖、全可領知候也、 県史中9p.403
萩原員崇氏所蔵文書7
篠蔵村☆[114] (賀茂) 文禄4.7.21 1595 〔蒔田正次書状〕以上/篠蔵村と殿原村と井水出入り有之由候、今之刻せんさく/難成候間、双方申分相止候様ニ、木大殿へも速甲斐殿/へも請を申候、井水之儀、時分柄之事候間、先其地へ/かゝり候様ニ、我等申付つかせ可申候、 県史中2p.384
長浜文書12
た屋村☆[115]
くにまさ村☆[116]
うてミ村☆[117]
つねよし村(常吉)☆
とたい村(戸田井)☆
くほた村(窪田)☆
わふし村(王子)☆
あやま村(合山)☆
いつミ村(出水)☆
にかい村
成道寺河田村
黒川村☆
別府村
八千草村
とこなへ村☆[118]
大工村☆
市村☆
牛井(居)村☆
西谷村☆
栗田村☆
山えた(枝)村☆
ふけ(富家)池上村☆[119]
半丁村☆[120]
すい(吸)谷村☆[121]
小谷村☆
三原村☆[122]
野田村☆
西かさはら(笠原)村☆
東かさはら(笠原)村☆
加西郡










賀東郡







賀西郡
文禄4.8.17 1595 〔豊臣秀吉安堵状〕[123]知行方目録/五百弐拾壱石 播州かさい郡/た屋村/くにまさ村/一、七拾石 同/うてミ村/一、弐拾四石二斗二升 同/つねよし村/一、六拾石 同/北条町/一、百弐拾六石壱斗五升 同/とたい村/一、四拾八石四斗四升 同/たんけ村/一、三百廿四石六斗 播州かさい郡/うへの村/一、弐拾七石三斗七升 同/くほた村/一、四拾四石四斗五升 同/わふし村 ‖一、百石 同/あやま村‖一、四百六拾二石一斗四升 同賀東郡/いつミ村/一、三百七拾壱石二斗九升 同/にかい村/一、百九石五斗 同/成道寺河田村/一、三百四拾六石九斗二升‖一、三百拾三石五斗 播州賀東郡/別府村/一、百石 同/八千草村/一、百石 同/玉野村/一、三百六拾石九升 同/とこなへ村/一、四拾石 同/妙楽寺‖一、百三石一升 賀西郡/大工村/一、百石 同/北条村/一、七拾石 同/市村/一、廿八石六升 同/牛井村/一、六石 同/西谷村/一、弐百廿五石 同/栗田村/一、百弐拾石 同/山えた村/一、六拾五石三斗五升 同/ふけ池上村/一、拾四石四斗三升 同/おさ村/一、八拾六石五斗 賀西郡/半丁村/一、拾五石 同/市村/一、拾五石九斗七升 同/すい谷村/一、弐石三斗五升 同/小谷村/一、八石三升 同/北条町/一、四石五升 同/三原村/一、拾九石一斗 同/野田村/一、四石壱斗四升 同/おさ村/一、拾五石 同西かさはら村/一、四拾四石五升 同/東かさはら村/一、五石八斗 同/市村‖合壱万三千六百六拾石/一、壱万千参百四拾石 本知所々/都合弐万五千石/右令扶助訖、此内五千石無役、全可領知候也、 県史近1p.42,43
木下家文書
しんへい村(新部)☆ (賀茂) 16C.9.5 16C 〔羽柴秀吉判物〕河井郷しんへい村船頭ニ四人者、人夫令免除候之間、/可得其意也、 県史中2p.374
山田文書1
畑村☆[124]
片山村☆
敷地村☆
(賀茂) 年未詳6.3 〔大部荘百姓等申状〕御書趣委細畏拝見仕候了/抑惣山・畑村・片山村御公事付、上月殿召文御奉書御/付候条、如此子細共近比之御念比なる御成敗、為庄内/ありかたく畏入存、さ候間、畑村・敷地村へ御入部ノ/御使節御あつかい共者、別紙以注文申上候、重而預御/尋候者、別之子細候ましく候、 県史中5p442
東大寺文書279 1-25-647

美囊郡

郷(里)

志深、高野、平野、吉川

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
志自弥里(志深) 美奈伎郡 持統天皇8~和銅3 694~710 〔木簡〕【志深】美奈伎郡志自弥里灰一斛 県史中9p.781
飛鳥藤原宮出土木簡概報9
高野里 美囊郡 8C 〔風土記〕【高野】高野里 坐於祝田社神、玉帯志比古大稲女・玉帯志/比賣豊稲女、 県史古1p.543
播磨国風土記
吉川里(横川)
枚野里
美囊郡 8C 〔風土記〕【吉川】【平野】吉川里 所以号吉川者、吉川大刀自神在於此、故/云吉川里/枚野里 因體為名、 県史古1p.544
播磨国風土記
三木本郷 (美囊) 康永3.7.- 1344 〔亮性法親王庁解〕播磨国三木本郷/件郷者、七条院御領也、寄附日吉十禅師社領、被/宛長日御供幷大般若転読用途、早於庄務職者、女/院御乳母賜之、其後相具文書、譲与孫子隆聖阿闍/梨、隆聖阿闍梨譲与公性僧正、公性所譲尊恵僧正/也矣、 県史中9p.507
皇室領関係文書(七条院領)

年月日 西暦 原     文 出  典
志深村
御宅村
美囊郡 8C 〔風土記〕【志深】尓/二人子等、隠於彼此、迷於東西、仍志深村首伊等尾/之家所役也‖造宮於此土而坐之、故有高野宮/少野宮・川村宮・池野宮、又造〔屯〕倉之処、即号/御宅村、造倉之処、号御倉尾、 県史古1p.543
播磨国風土記
永(長)谷村☆ (美囊) 弘安7.7.25 1284 〔地頭小野氏女等連署禁制〕法光寺幷永谷村殺生禁断事、於寺内者可為永代候、□/惣村者可為二个年候、教養酒於御堂内飲事永代□停止/仕候、村内酒者一年可止候、以此旨可有御披露候、恐/々謹言、 県史中2p.128
法光寺文書1
跡部村☆ 久留美庄
(美囊)
嘉元1.9.- 1303 〔播磨国久留美荘跡部村地頭藤原秀綱請文〕請申播磨国久留美庄内跡部村地頭藤原秀綱分毎年請所/事〈但除御牛飼/御厩舎人給定〉/右、当雑掌好国致非法之由依訴申、雖番訴陳、所詮以/和与之儀為地頭請所、止万雑事、毎年拾参貫文用途/四月中可致其沙汰候、 県史中7p.143
春日大社文書4
竹原村☆ (美囊) 嘉元4.6.12 1306 〔後宇多上皇領目録案〕恵慎上人知行之時、御年貢二千五百疋/吉河上庄〈左衛門督局〉/今出川前右府 為量拝/下庄〈法性寺三位為信卿 御年貢三千疋〉恵慎上人之時、御年貢二千五百疋/竹原村〈法性寺前中納言雅藤卿〉 県史中9p.521
皇室領関係文書(室町院領)
石野村☆[125]
這田村☆[126]
(美囊) 元亨2.9.- 1322 〔大部荘公文尼覚性訴状〕播磨国大部庄公文尼覚性〈王九郎入道/観円後家〉謹言上/欲早召給孫女赤女〈孫九郎/久忠息女〉、盗取覚性相伝大部庄健/保実検取帳并当職代々御下文御下知以下肖證文、石野/這田・網引村国成名内田地文書、於其身者被行祖母敵/対盗犯咎、至所職名田畠等者、任夫観円譲状、覚性/全一円知行事 県史中5p.181
東大寺文書103 1-12-147
大殿林村☆
志津小野村☆[127]
捃原村☆
(美囊) 元弘3.7.12 1333 〔吉河下庄寄進斗代坪付注文〕吉河下御庄清水寺御寄進田斗代坪付事/合/大殿林村/一反六斗 □町 善性房/一反六斗 スチカイ 讃岐房/一反五斗 西谷 三位房/一反六斗サヽワラ 源内/一反六斗 サヽワラ 平四郎/ヲカ/志津小野村/一反四斗 丸橋上 源内/捃原村/一反四斗 森下 藤左近允 県史中2p.160
清水寺文書31
下村 淡河庄
(美囊)
観応1.12.5 1350 〔足利尊氏袖判下文案〕下 赤松美作権守範資/可令早領知播磨国佐用庄内赤松上村・三川村、江川/郷太田方・広瀬方・弘岡方、本位田下得久、同国五/箇庄内宿村〈付、下司・公文/政所名〉・木村・大津村、同国淡河/庄内下村、同国白旗鎮守八幡・春日両社神主職・伯/耆国八橋郡内大井下郷事 県史中9p.482
森川文書1
野世村 淡河庄
(美囊)
文和2.2.1 1353 〔平政氏田畠寄進状〕奉寄進 石峯寺大般若経料足田畠/淡河庄野世村内〈水田壱段、在所南畑樋爪/畠壱反、北畑安保左衛門尉之〉跡事/右之田畠者、大般若院為再興料足之、所令寄進也、仍/致於毎日転読、可被抽祈禱之精誠者也、然者至于子々孫々、不可有違妨状如件、 県史中2p.104
石峯寺文書12
三津田村☆ 淡河庄
(美囊)
康正1.9.- 1455 〔播磨国淡河荘百姓等申条状案〕目安/播州淡河庄御百姓等謹言上/右子細者、当庄之内三津田村ニ作和谷と申山候、彼山/ハ、播州摂州さかいニ堂塔をこんりう候丹生寺のミ/ねとをりより、はるかニ北ニあたり候て、播州の国中ニ/ある山にて候、 県史中7p.372
醍醐寺文書116
三田村 三木郡 康正2.4.10 1456 〔田原道円奉書〕摂津国丹生山田与播州三木郡三田村山境相論事、両方/被尋聞食之処、共以柱上可為堺之由申之、既其趣為同/前之上者、早任三田村所出之往古差図并山田庄先年御/下知等之旨、以柱上可為堺之由、三田村可被相触之由/候也、仍状如件、 県史中7p.373
醍醐寺文書118
吉河村 三木郡
吉河上庄
天文15.2.- 1546 〔本殿棟札写〕【吉川】播州三木郡吉河上之庄吉河村/御前田修理亮小野氏安秀婦夫/令建立処也/奉組御聖天御社棟上 願主/大工南都東大寺大工藤原朝臣/小摩宗安幷棟梁藤原宗行 県史中4p.446
稲荷神社(美嚢郡吉川町富岡)

所属郡不明

郷(里)

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
中郷 永禄6.11.19 1563 〔新延祐長下地寄進状〕きしん仕候下地之事/合壱反者〈在坪中郷買地内壱反也、斗代壱石/三斗代也、升ハ彼在所ニ在之、〉/右此下地壱反者/御くわんをん様へきしん仕候者候也、 県史中2p.308
清水寺文書393

年月日 西暦 原     文 出  典
神前村 8C 〔風土記〕故曰粟里/此里有舟引原、昔、神前村有荒神、毎半留行人之/舟、村是、往来之舟悉留印南之大津江、上於川頭/自賀意理多之谷引出而、通出於赤石郡林潮、故曰/舟引原、又事与上解同、 県史古1p.522
播磨国風土記
三原村 応永3.12.25 1396 〔九条経教遺誡〕一、三位入道源恵、高田郷并三原村為恩給、実種朝臣可/令相続者也/一、阿賀丸、雖年少父祖奉公異他、仍相伝地九条御領/多紀庄・田原庄奉行、成人令奉公者、不可替当時者/也、 県史中8p.538
九条家文書22
しけとみ村 応永26.11.- 1419 〔上月吉景譲状幷置文〕勘解由かためハけい母、/両人の子ともをひとつになして、かの成国地頭職内/半分、同しけとを名内半分、同しけとみ村内半分つ/ゝを両人にちうふんしてゆつりおく物也、 県史中9p.249
上月文書6
包沢村
高山村
柏坂村
正長1.7.7 1428 〔室町将軍家下知状〕播磨国包沢村・高山村・柏坂村幷丹波国春日部庄内黒/井村・摂津国鳥養牧等事、被返付赤松伊豆守貞村畢/如元可全領知之由、所被仰下也、仍下知如件、 県史中9p.16
赤松(春日部)文書8
佐郷(用ヵ)村 文明8.1.- 1476 〔金剛三昧院旧記〕筑前粥田庄年貢/播州道山庄年貢/同国佐郷(用ヵ)村年貢/作州大原年貢/紀伊国由良庄年貢/津国小真上年貢/右、諸庄薗運上年貢、万貫万貫皆納如件、 県史中7p.266
金剛三昧院文書56
中野村 文明13.9.- 1481 〔上月満吉所々知行分目録案〕所々知行分目録之事/合/一、小河村/一、国衙内、長生名 山野井名 肥塚名 河西分 芝原/下司分 山本分/一、東細工所半分/一、検注所務半分/一、原田加納分〈但半済〉/一、中野村半済分 県史中9p.270
上月文書47
ありにし村
しんむら
文明14.8.10 1482 〔丹後・但馬両国檀那村付注文〕一、播磨国よしとの村、ありにし村とた宿あり、かし/をの市は、そふちやの三郎大夫、左近大夫〈にしの三郎右衛門殿也〉、十郎大夫/弥大夫しもかしほに四郎大夫、同しんむら、ひろせ/村一ゑん也、 県中2p.527
肥塚文書24
作徳上村 永禄13.2.5 1570 〔五郎左衛門下地売券〕永代売渡申下地之事/合壱段者 在所惣社黒口ノ後/右件下地者、作徳上村弥三郎方より致買地雖拘候、依/有要用、直米一石弐斗四升に称名寺へ売渡申所実正也、 県史中2p.589
正明寺文書56
国府村
水原村
天正9.9.9 1581 〔惣社集日記〕凡役僧三十七人ト云云、矢城・長畝・神屋・上野里/白国・市郷・芝原・英保・宿・福中・井出・水原・矢/落・姫路・国府、以上十五ケ村民四百八十余人、楯矛/弓矢刀ヒ首立明鎌斧等持、椰本ヨリ神屋恩熊森西北三/町始神財殿構宿院、神璽遷三日逗座、 県史中4p.357
惣社集日記
竹中村 天正9.9.9 1581 〔惣社集日記〕永正三年丙寅十一月十二日鐘置塩御屋形様三品政村/両目代 宿村 榎村助太夫長源/福中村 福中三郎太夫祐重/名主 四人 国府寺 津田野四郎左衛門俊重/竹中村 大竹六郎右衛門久利/中村 丹治次郎左衛門元祐/西城戸村 城戸四郎左衛門長久 県史中4p.360
惣社集日記

  1. 東垂水村・西垂水村。
  2. 江戸期には西ノ岡村の枝村に大見村がある。
  3. 大明石村。
  4. 神出東村・神出南村・神出田井村・神出北村・神出小神村。
  5. 船上村。
  6. 下皆発村・東皆発村。
  7. 鴨谷村。
  8. 安田村。
  9. 植田村。
  10. 備後村。
  11. 升田村。
  12. 神吉村。
  13. 志方東町・志方西町。
  14. 当史料では、辻村が神東郡、大国村と志方村が賀古郡の所属になっている。
  15. 菅生澗村。
  16. 山崎村。
  17. 英加村。
  18. 古知之庄村。
  19. 平野村。
  20. 西阿保村・中阿保村。
  21. 見野村。
  22. 阿成村。
  23. 飾万津。
  24. 下野田村・上野田村。
  25. 菊田村。
  26. 埜里村。
  27. 北八代村・南八代村。
  28. 伊伝居村。
  29. 東今宿村・西今宿村・北今宿村。
  30. 東蒲田村・下蒲田村・西蒲田村。
  31. 西中島村・東中島村。
  32. 加納原田村。
  33. 国府寺村。
  34. 下市郷村・中市郷村・東市郷村。
  35. 南畝村。
  36. 見野村。
  37. 坂元村。
  38. 塩崎村。
  39. 置塩新畑村・置塩町村。
  40. 平方村。
  41. 中太田村・下太田村。
  42. 下余部村・上余部村。
  43. 下篠村・上篠村。
  44. 伊都村。
  45. 山下村。
  46. 矢田辺村。
  47. 助久村。
  48. 余子浜村。
  49. 紀美村。
  50. 朝谷村。
  51. 津市場村。
  52. 上伊勢村・下伊勢村。
  53. 上堂本村・下堂本村。
  54. 丁村。
  55. 船代村。
  56. 段之上村。
  57. 市野保村。
  58. 連常寺村。
  59. 上新宮村・下新宮村。
  60. 上余部村。
  61. 苅屋村。
  62. 伊津村。
  63. 中陳村。
  64. 黍田村。
  65. 橋崎村。
  66. 横落村。
  67. 下野田村。
  68. 当史料では、はしさき(觜崎)村と横大市村が神東郡の所属になっている。
  69. 高田宿村。
  70. 木津村。
  71. 下栗原村・上栗原村。
  72. 早瀬村。
  73. 上比地村・中比地村・下比地村。
  74. 閏加村。
  75. 宇原村。
  76. 川戸村。
  77. 庄能村。
  78. 千草町。
  79. 下三河村・中三河村・上三河村。
  80. 西川辺村・東川辺村。
  81. 東多田村・西多田村。
  82. 岩部村。
  83. 大山下村・大山中村。
  84. 西山田村・北山田村・南山田村。
  85. 中野村。
  86. 鍛冶内村。
  87. 黒田新村。
  88. 下砥堀村・上砥堀村。
  89. 上野村。
  90. 津万町。
  91. 中野間村・下野間村。
  92. 中村町。
  93. 西安田村・中安田村・東安田村。
  94. 安楽田町・奥荒田村。
  95. 東古瀬村・中古瀬村・西古瀬村。
  96. 掎鹿谷村。
  97. 河合中村。
  98. 下大部村。
  99. 下若井村・上若井村。
  100. 東道山村。
  101. 下満願寺・上満願寺。
  102. 西笠原村・東笠原村。
  103. 久茂村。
  104. 阿形村。
  105. 河合中村。
  106. 下三草村・上三草村。
  107. 東古瀬村・中古瀬村・西古瀬村。
  108. 西剣坂村・東剣坂村。
  109. 西長村・東長村。
  110. 馬渡谷村。
  111. 野条村。
  112. 上滝野村・下滝野村。
  113. 明楽寺村。
  114. 篠倉村。
  115. 田屋村。
  116. 国正村。
  117. 越水村。
  118. 鎮岩村。
  119. 富家村・池上村。
  120. 繁昌村。
  121. 北吸谷村・南吸谷村。
  122. 中三原村・上三原村。
  123. 当史料では、あやま(合山)村が神東郡の所属になっている。
  124. 葉多村。
  125. 上石野村・中石野村・下石野村。
  126. 東這田村・西這田村。
  127. 志殿村。